あけましておめでとうございます。

おかげさまで、4度目の年男を迎えました。

それとともに一年の経つのがますます早くなってまいりました。

これもひとえに歳を重ねた者の為せるワザなのでしょうか。

去年は仕事にも家族にもさまざまな変化がありました。

今年は願わくば水平飛行で行ければと思っています。

とは言っても、たぶんそれなりに押し寄せて来るであろう喜怒哀楽の中で

このDiaryも粛々と書き続けたいと思います。

どうぞヨロシクお願いします。

朝日新聞文化欄で表題の記事を読んだ。久しぶりに朝日新聞で共感したので、かいつまんで紹介してみたい。

三菱総研のアンケート調査で、10〜20代の5人に1人は週一度以上感動し、3人に1人以上が、もっと感動するため意識的に映画を見るなどの行動を取っていて、全体の89%が「来年はもっと感動したい」そうだ。これを「ニッポン人総感動したい症候群」と言う。

だが、「セカチュー」や「消しゴム」などの泣かせ映画が大ヒットした背景に「今時の日本人、ちょっと感動し過ぎじゃないの?」という指摘もある。

三菱総研の研究員は「感動は、感情が未知の領域に達し、閾値を越えてこそ起きる」と言う。アンケートでも「感動の理由」として「共感」が26%に対して、「期待以上の事」「自分にはできない事」と答えたのは40%を越えた。という事は、逆に見れば、若者の「期待値」のハードルが下がってきているのだろうか。

恋愛に目を移せば、最近の若者たちは異性と交際を始めるにも「告白」という儀式を必要としているという。「自分の恋愛ドラマに明確なストーリーを与えるため」に、自然に交際に至るのではなく、あえて「契約」に合意しなくてはならなくなったと言うのだ。それほどまでに日常が平坦で起伏の無いものになってきているという事なのか。

男女2人のうち、容姿や立場などに劣位にある方が、不利な条件という「壁」を乗り越えて告白する。優位に立つ側は「損」という犠牲=「壁」を乗り越えるほど愛情が深い事を自覚する。告白が擬似的な「純愛」を作る装置になっているそうだ。「電車男」のように。

日大法学部ゼミの共同研究によると「泣きたがる社会」は、男女とも映画で涙を見せる事により、自分の弱さを見せつけ聖性を高めようとする、互いに弱さ・純真さを共有しコミュニケーションを図っている、と推測している。

作家の八柏龍紀氏は、「感動をありがとう」「勇気をもらいました」などという物言いに対し、「感動は餌付けのように与えられるものではなく、内に抱くもの。だからこそ価値があったはず」と指摘する。

さらに、映画やドラマ、スポーツを見て流す涙は純粋な感動であり、そこには利害や打算に汚れていないと信じている「私」がいる。だがそれは他者と正面から向き合ったコミュニケーションから発せられたものではなく、感動している「私」に感動し、自己を相対化させている、とも指摘する。

記事の最後はこう結ばれる。

もちろん心からの感動も少なくない。一方で、打算的と見られないために純愛に託される「感動」もありうる。だとすれば、それもまた一つの打算だろう。感動社会は、そんな二重の打算に支えられているのではないか。

【このトピックへのコメント】
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    (2006-01-07 17:41:46)

このところトリノ五輪代表の発表が相次いでいるが、またしても見ていて違和感がぬぐえない。

スポンサー絡みで既に半年前から代表が決まっていたと一部で噂されている通称「ロッテ3人娘」の村主・荒川・安藤の女子フィギュア。岡部以外、誰も内定基準をクリアできなかったジャンプ陣。それでも人材不足のおかげか、昨年10月のW杯選考会で落選したにもかかわらず選ばれた37歳の原田。女子モーグルでは、一発勝負のはずだった選考会を兼ねたW杯で惨敗したにもかかわらず、4大会連続五輪出場を手にした里谷・・・。

結局、選考会と銘打った大会の成績より過去の実績を重視するのであれば、選考会とはいったい何なのだ? 五輪出場のためにそれを目指して結果を出し、それでも落選した若手はどうすればいいのか? かませ犬じゃあるまいし、過去実績を持つベテランが引退しなければノーチャンスというのでは、今後も世界に通用する有力人材など、奇跡でも起きない限り出てくるはずがないし、育たないじゃないか。

そんな空気を一変させてくれたのが、高校サッカー決勝戦だった。

怒濤の組織サッカー、鹿児島実業対個人技のアイデアサッカー、野洲。個性の異なる両チームの激突は、まるでヨーロッパ対南米のトヨタカップを見るようだ。鹿実が欧州代表を彷彿させる真っ赤なユニホーム、対する野洲が南米代表の純白のユニホームというのも気分を一層盛り上げる。

試合は前半23分に野洲が先制。南米代表が先制するのは待ってましたの展開である。しかし相手は連破を目指す強豪である。このまま終わるはずがない。鹿実は後半34分に同点に追いつき、延長戦へ。延長後半7分、鉄壁の守りを誇る鹿実守備陣を完全に崩しきった野洲が決勝点をもぎ取った。

組織でプレスをかけ、組織で攻め寄る鹿実と個人技による意表をつくパスをつなぐ野洲。ここ近年のサッカー戦術は、ディフェンスもオフェンスも組織プレーが主流で、個人技はあくまでプラスアルファ的存在だった。事実、これまで高校サッカー界は、ロングボール主体で走り勝つ戦法が主体だ。勝負にこだわるのであれば、その方が勝てる確率が高いのかもしれないが。

野洲はその個人技を積み上げ、組織プレーにまで高めていったところにそのすごさがある。きちんと組織立って動くチームもすばらしいが、メンバーそれぞれがファンタジスタというのもたいへん魅力的ではなかろうか。しかも高校レベルでそれを実現できたのは驚異であり、さらに全国制覇につなげた事も賞賛に値する。

「負け続けたけど、技術で負けてなかった。自分たちをもう一度信じてやってきた」とは金本主将。
「どこにもマネできへん最高のサッカー」と決勝点のFW滝川。

ヘタなプロの試合よりはるかに面白かった。サッカーファンならずとも、この試合には引き込まれたに違いない。

ヒマなので、明日の日付でDiaryを書いてしまおう。

1月9日、息子の中学の合格発表があったようだ。思い起こせば、1年前に息子が合格したのもこの時期である。このDiaryのアクセスログを見ると、去年の後半あたりから検索を通じて、ここを訪れて来る人が急増した。私自身も去年、高校サッカー決勝の延長戦に入る前に合格発表をチェックしたと書いてある。もう1年経ったのですね〜。

全国4会場で実施された今年の中学前期入試では、受験者数1300名と去年より3割増加し、合格者数に至っては840名とさらに増加している。合格率はなんと64%に達した。去年の合格率約58%よりさらに高率となったわけである。募集定員60名は変わらないのに、なぜ合格者をさらに増やすのかよくわからない。いくら「おためし受験」のための恰好のターゲット校とはいえ、実際の入学者はそれほど減ってしまうのか。

函館での寮生活は、息子にとっては非常に相性が良かったらしく、たまにカミさんが函館に行きホテルに一緒に泊まれる機会があっても、息子はたいして喜ばない。それなら寮にいたままの方が楽しいと言う。

何だか当初の私の目論見とは違ってしまったようだ。厳しくも美しい北の大地、団体生活で異なる個性とぶつかり合い、時には涙し、さまざまな葛藤を経て友情を深め、精神的にたくましく成長してゆく・・・。こんなふうに描いていた夢も、現実はそうはいかないようだ。

家にもめったに電話して来ないし、暴走予防のために結構制限したはずの小遣いの範囲でも、十分飲み物やら遊びやらに間に合っている。肝心の勉強では、厳しい先生の科目には必死に取り組み、そうでもないとそれなりに手を抜く。食事は冷めている事も多いが、ラーメン等の汁モノの時は暖かいので好評だとか。これは息子に限った事ではなく、大多数の生徒も同じようだ。

特別ナーバスな子供でもない限り、親の勝手な想像は、このようにいい方向で裏切られる事になる。少子化のせいかどうか、親離れできない子、子離れできない親が話題になって久しい。子供の親離れのためには、まずは親の子離れが第一歩である。

少なくとも子離れを望む親なら、この学校への選択肢はかなり太くなると思う。あなた方の手を離れた子供は、きっとあなた方の想像を超えて楽しく生きて行くだろう。