2002-10-16(水) 00:00

ユキ

「ユキの日記」

9歳の頃から、喘息のために家に閉じこもりきりの生活を送り、20歳で精神の病いにとらえられて、28歳で亡くなった女性の、8歳から21歳までの日記。
最後の主治医であった笠原嘉氏が、彼女の死後家族から託された日記を読んで、その量と質とに驚き、ある程度の歳月をおいて出版するに至ったものである。

ユキが、明るく伸びやかな人であったことは、この日記のごくはじめの方でしかわからない。しかしそこには、本当の明るさがある。しかしその1年分の日記は、最初の4ページ。全部で300ページ以上からなる日記のわずか1%ほどにすぎない。
それとは対照的に、喘息をわずらってからの、出口のない日々の重苦しさ。それが延々と続く。日記を書くしかなかった。日記しか、本当の気持ちをぶつけられるものが、彼女にはなかったのかもしれない。
さみしいなあ、さみしいなあ。病院中しんとしている。風が窓にあたる音だけ。大へんさみしい。だけど以前のさみしさとちがう。目や耳がさみしいさみしいといってるんだわ。だからなれたらさみしくないわ。以前のは心がさみしいさみしいとさけんでいたのだからなれるってことないわ。(1947年10月18日、ユキ10歳、p.20)

しばらくこの日記を読んでみたいと思う。
2002-08-30(金) 00:00

Tagebuch

「ベートーベンの日記」を、もう少し整理してみようと思ったのだが、どうにも忍耐が足りない。仕方がないので、わたしの心に留まった、いくつかの断片を集めてみる。

99.他人の助言に従うのは、ごく稀な場合に限られる。つまり[当事者によって]既に考え抜かれた事柄において、誰が、当事者以上にその置かれた状況全体を生き生きと理解することができようか?!——

136.苦難というものはすべて秘密に満ちている、そして一人で胸にしまっておくと、ただ大きくなっていくばかりだ。人に知られるようになればなるほど、他人とそれについて多く話せば話すほど、私たちが恐れていることがすっかり知られるようになるため、耐えやすくなる。あたかも何か大きな苦難を克服したかのように思える。

このふたつの断片は、明らかに相反している。(人に頼らずとも)ひとりの力で結論は出せる、と言う一方で、人に話すことで(秘密にしないことで)解決が得られるかもしれない、と言っている。どちらも、真。

しかしわたしが最も心惹かれたのは、シラーからの、次の抜書き。
111.涙の取り入れをしたい者は、愛の種を撒かねばならない。(フリードリッヒ・シラー『ヴィルヘルム・テル』第五幕第一場)

この一文、どう理解するのが正しいのだろうか。愛の種を撒いてしまうと、涙の取り入れをせざるをえない、そういうふうにわたしには読める。(ドイツ語の原文の言い回しを確認する必要があるかもしれない。)
誰も、涙の取り入れをしたいわけではない、けれども、人と触れ合うことを選べば、どうしても涙の取り入れを余儀なくされる。その必然から逃れたければ、愛の種など撒かなければいい。愛など・・・。
2002-08-28(水) 00:00

Tagebuch

「ベートーベンの日記」の、もうひとつの主題である、芸術への至高と葛藤は、随所に見ることができる。

失意の中の自己を励まし駆り立てる調子から、
7.おまえの苦難について考えずにすむには、仕事に没頭するのが一番だ。

17.遥かな目的地に棕櫚の木が立っている航路を私に示せ!——私の最も崇高な思想に威厳を与え、永遠に耐える真理を吹き込みたまえ!

25.この世にはなすべきことがたくさんある。すぐになせ!
今のような日常生活を続けてはならない。芸術とはそうした犠牲さえ要求する——気晴らしをして休むのは、よりいっそう力強く芸術活動をするためにのみある——

芸術の高みへ高みへと志向する方向へ、
40.生命と呼ばれるものいっさいは、至高なるもののために捧げられ、また芸術の聖所であれねばならない。たとえ人工的な手段を用いてでも、それらが見出される限りは、私を生かしめたまえ!——

63.万物は、純粋に澄み切って神より流れ出る。たとえたびたび悪への情熱に駆られて眼を曇らせても、私は、幾重にも悔恨と浄化を重ねて、至高なる純粋な源泉、神性へと立ちもどった——そして——おんみの芸術へと。

さらにそれは、自らの使命の確信につながる。
73.運命よ、おまえの力を示せ!私たちは、自分自身の主ではない。定められたことは、そうなるほかはないのだ。それならそうなるがよい。——

88.おまえの芸術のためにのみ生きよ。今おまえはおまえの感覚によって制約を受けているが、それでもこれが、おまえにとって唯一の実存なのだ。——

169.おまえの芸術のために、もう一度社会生活の些事すべてを犠牲にせよ。


そして最後に辿り着いたのは、信頼。
171.それ故私は、心静かにあらゆる変転に身を委ねよう。そしておお神よ!汝の変わることなき善にのみ、私のすべての信頼を置こう。汝、不幸なる者は、わが魂の喜びたれ。わが巖、わが光、わが永遠なる信頼であれ!——(クリストフ・シュトルム『自然界における神の創造物と年々の日々の摂理についての考察』からの抜書き)


こうして読むと、ひとりの天才の約束された方向性を確認するための記述にも受け取れるが、おそらくこの時代の教養人の多くは、こうしたストイックな価値観を等しく持っていたのではないかと思う。ただ一度の人生であることは、天才でも凡人でも変わりはない。
2002-08-27(火) 00:00

Tagebuch

「ベートーベンの日記」に見られる、人への接近。

芸術への使命感の強さとは裏腹に、孤立することの無益さも知っている人だったようだ。傲慢さがもたらす孤立は、人を枯渇させてしまう。
34.どんな人にも、たとえ軽蔑に価する人々であっても、それをあらわに表に出してはならない。なぜなら、そういう人でもいつ必要となるか分からないから。

36.毎日、だれか、たとえば音楽家たちと食事を共にすること。そうすれば、楽器編成やヴァイオリン、チェロ等——についてあれこれ議論することができる。


しかし、人との貴重なつながりである友情については、理想主義的、観念的であるようだ。
59.最も親しい友をもおまえの秘密で煩わせるな!
おまえは、自分自身で守れない忠誠を、友には求めるのか?

127.真の友情は、相似た本性の結びつきの上にのみ築かれる——

103.人は、富を失うまいとして、憂鬱(おそらくは、貧乏)で身を守ってはならないし、友を失うのを恐れて友情を抱かないことによって身を守ってはならず、子どもが死ぬことを恐れて子どもを産むのを断念することによって身を守ってはならない。そうではなく、すべての事柄に理性によって対処するべきだ。(おそらく引用文、出典不明)


甥のカールに注がれる愛情。子どもにとっての教育や家庭環境について、ベートーベンがどのように考えていたかがわかる。
75.毎晩、毎朝をR(Kの誤記、甥のこと)と一緒に。

80.Kをおまえ自身の子どもと見倣せ、あらゆるおしゃべり、あらゆる些細なことは、この聖なる大義のために無視せよ。(略)

86.生活のために郊外の家で我慢すること、カールには田舎ではよくない。

117.(略)今はその可能性が何処にも見えないが、せめて将来わがカールと一緒に暮らせますように。ああ過酷な宿命。ああ残酷な運命。否、否、私の惨めな状態には決して終わりがないだろう。——

125.子どもは杓子定規な学校などにいれると、千もの美しい瞬間が消え失せてしまう。一方家庭で優れた両親と一緒にいれば、最晩年までも残る魂のこもった豊かな記憶を受け取ることができる。——

134.(略)カールはおまえと2、3時間一緒にいるときには、まったく違った子どもだ——だから彼を、おまえのもとに引き取るという計画を持ち続けよ——おまえの心の不安も少しは減るだろう。(略)

(注釈から理解できる背景)ベートーベンの弟は1815年に死去し、1816年にベートーベンは甥カールの後見人になり、さらに1817年に寄宿学校を退学させて手元に引き取っている。その間、カールの母親との葛藤(母親からカールを引き離すことへの懸念、弟の負債の処理をめぐる問題など)についても日記にしばしば記述がある。
推定年代によると、75,80,86は1816年、117,125,134は1817年。
2002-08-24(土) 00:00

Tagebuch

「ベートーベンの日記」の「不滅の恋人」との関連

この日記の主たる主題は、「不滅の恋人」との関係の破綻(単なる失恋にとどまらない精神的危機をもたらした)からの立ち直りの記録であるとともに、人間的な触れあいへの願望と芸術への献身との間の葛藤にあるのだが、実際の日記には、他の文献からの抜粋、生活の細部に関する備忘録などが混在しているため、この主題を読み取りにくい。
そこで、まず、注釈によって「不滅の恋人」との関連が確認されている部分を中心に寄せ集めてみる。

日記冒頭の、「不滅の恋人」との関係の破綻を嘆く部分
1.(略)おまえは自分のための人間であってはならぬ、ひたすら他者のためだけに;おまえにとって幸福は、おまえ自身の中、おまえの芸術の中でしか得られないのだ——おお神よ!自分に打ち克つ力を与えてたまえ、もはや私には、自分を人生につなぎとめる何ものもあってはならないのだ。——こうして、Aとのことはすべて崩壊にいたる——(p.37)

3.大事な行為とは、何もせずにしておくということでもありうる——おお、私の中でしばしば思い描かれていた無為な生活とはなんたる相違か——おお、なんとひどい状況、家庭生活に対する私の思いは押し殺さずに、その実現をはばむとは、おお神よ、神よ、不幸なBにお目を注がれ、もうこんなことが続かぬようになしたまえ——(p.39)


日記の中段、「不滅の恋人」との関係を、ある程度距離をもってとらえられるようになっている。
104.Tに関しては、神におまかせするよりほかはない。弱さから過ちを犯すかもしれないようなところには、決して行かぬことだ。ただひとえに彼、すべてを知りたもう神にだけおまかせすることだ!(p.127)

107.にもかかわらず、Tに対してはできる限り誠実であれ。彼女の献身的情愛は、いつまでも決して忘れてはならないものだ。——悲しいことに、たとえそれによっておまえに都合の良い結果が決して生まれないにせよ。——(p.130)

グレーファー写本に基づく日記原本の記載の大まかな年代推定によれば、1と3は1912年、104と107は1916年。つまり、失恋の痛手を冷静に振り返ることができるようになるまでに、4年の年月を要していることになる。ちなみに、日記の最後の記述(171)は1918年である。

自身の倫理的規範からの逸脱への狼狽。買春に対する悔悟の念。(裏返せば、理想の恋愛への志向。)
122.(略)魂の結びつきのない性的な享楽は獣的なもので、それ以上のものではない。あとに気高い感情の余韻もなく、むしろ悔恨が残る。——(p.141)
2002-08-23(金) 00:00

Tagebuch

「ベートーベンの日記」についての覚書

ベートーベンの日記は原本が失われているため、写本でしかその存在を知ることはできない。

写本は4種類ある。
 (原本)→グレーファー写本→フィッスホーフ写本→オットー・ヤーン写本→フェルテン写本

グレーファー写本は、いくたびか所有者が変わって、1965年にその存在が再び確認されるまで、失われたものと考えられていた。1978年に筆跡鑑定により、グレーファーが原本から直接転写したものであることが確認された。

写本には、写した際の誤記や意図的な変形(近代的な表現への変更など)があるが、グレーファー写本は、その点でもっとも原本に忠実。

『日記』には、古典などからの抜粋が非常に多い。どの部分が抜粋であり、またその出典が何かを特定する作業は今なお続けられている。

グレーファー写本の段落区分に基づき、メイナードによって、段落ごとに連続番号がふられている。『日記』本文の抜粋に付す番号はこれに基づく。
2002-08-21(水) 00:00

Tagebuch

「ベートーベンの日記」の、訳者(青木やよひ)によるあとがき。

日記というより、雑記帳。
ここには、日々の出来事や感想が綴られているわけではなく、月日の記入さえごくわずかしかない。(略)しかも、ベートーベン自身の文章よりも、彼が書物から書き抜いた引用文の方がはるかに多く、全体として”雑記帳”の印象を受ける(略)。(p.177)

抜き書きが写し出す心象風景。
たとえ他人の文章であっても、みずからの苦悩に導かれて分け入った書物の森の中で、自分の魂に共鳴するものだけを選びとって心の支えにしたのではなかったろうか。それゆえにこれらの章句には、彼自身の心象風景がそのまま写し出されていると考えても、それほど間違いではないだろう。(p.179)

意図的に曖昧に書くことについて。あるいは、自分だけがわかればいいという書き方。
もともと日記とは人に見せるものではなく、従って他者の理解に配慮されていない。この『日記』の場合にはそれ以上に、たとえ人に見られても分からぬように、有形無形の気配りがされている節がある。(略)そのために、日本語でいえば、”て・に・を・は”や句読点が抜けていたり、部分的に欠落のある文章があるかと思えば、意味がとりにくく、どんなふうにでも解釈できる曖昧な表現が少なからず散在している。(p.179)