「ユキの日記」。
9歳の頃から、喘息のために家に閉じこもりきりの生活を送り、20歳で精神の病いにとらえられて、28歳で亡くなった女性の、8歳から21歳までの日記。
最後の主治医であった笠原嘉氏が、彼女の死後家族から託された日記を読んで、その量と質とに驚き、ある程度の歳月をおいて出版するに至ったものである。
ユキが、明るく伸びやかな人であったことは、この日記のごくはじめの方でしかわからない。しかしそこには、本当の明るさがある。しかしその1年分の日記は、最初の4ページ。全部で300ページ以上からなる日記のわずか1%ほどにすぎない。
それとは対照的に、喘息をわずらってからの、出口のない日々の重苦しさ。それが延々と続く。日記を書くしかなかった。日記しか、本当の気持ちをぶつけられるものが、彼女にはなかったのかもしれない。
しばらくこの日記を読んでみたいと思う。
9歳の頃から、喘息のために家に閉じこもりきりの生活を送り、20歳で精神の病いにとらえられて、28歳で亡くなった女性の、8歳から21歳までの日記。
最後の主治医であった笠原嘉氏が、彼女の死後家族から託された日記を読んで、その量と質とに驚き、ある程度の歳月をおいて出版するに至ったものである。
ユキが、明るく伸びやかな人であったことは、この日記のごくはじめの方でしかわからない。しかしそこには、本当の明るさがある。しかしその1年分の日記は、最初の4ページ。全部で300ページ以上からなる日記のわずか1%ほどにすぎない。
それとは対照的に、喘息をわずらってからの、出口のない日々の重苦しさ。それが延々と続く。日記を書くしかなかった。日記しか、本当の気持ちをぶつけられるものが、彼女にはなかったのかもしれない。
さみしいなあ、さみしいなあ。病院中しんとしている。風が窓にあたる音だけ。大へんさみしい。だけど以前のさみしさとちがう。目や耳がさみしいさみしいといってるんだわ。だからなれたらさみしくないわ。以前のは心がさみしいさみしいとさけんでいたのだからなれるってことないわ。(1947年10月18日、ユキ10歳、p.20)
しばらくこの日記を読んでみたいと思う。