なんだか最近、コメントもらったり本家にリンク貼ってくれる人がいたりと、ふだんのあたしの状況から考えるとずいぶんざわついている。「なんだかなー、一体どうしちゃったんだろう」と多少怯えつつ、正直な気持ちとてもうれしい。
なんかさ、もうずっと8月のピエロ日武からダメダメな状態だったんだけど、
これを書いてから吹っ切れた。あたしはこれまでみっともなく格好悪い姿を曝してきたんじゃないかって。でそれを「誰が何と言おうとこれが自分なんだ」って言い続けてきたんじゃないかって。そして、だからこそこうして自分を肯定することができるようになったんじゃないかって。で、だったらこれからも、そういう方法で自分に対する肯定とか自信とか承認とか、そういうのを得ていけばいいんだって。
やるしかないじゃん? 黙って待ってたって誰も自分の問題を解決したりはしてくれない。そしてあたしはこれまで、自分から言葉を発して、それによる人との関わりの中で自分を変えてきた。人との関わりが増える中で保身というか、「良く思われたい」という思いが湧いてきたんだろう、格好の悪いことを避けるようになってしまっていたけど、そうじゃなくて。どんな格好つけたって自分は自分でしかなくて、そういう自分を受け入れて愛することができるように、あたしは人から無様だと思われる己を曝け出してきたんだから、これからもそうやってがんばるしかないじゃん。
ま、そうして吹っ切れたからと言って心が安らいでいたか、癒されていたかというとそんなことはなく、先日あゆの『Moments』を聴くまで自分が痛くて仕方がなかったことにさえ気づかなかったくらいなんだけど、でも吹っ切れてからはがんばってきたつもりでさ。なんかそれがね、報われたっていうか。こうしてコメントもらったりリンク貼ってくれたりする人がいると、がんばったのは無駄じゃなかったな、と。
まぁどんなにがんばったって報われないことは多いしっていうか、報われないことの方が多くて、今回はたまたま上手くタイミングが噛み合ったってのはあるんだろうけど──ほら、人からの思いやりとか、上手く受け止められない場合もあるから。でもなんか、こう、やっぱし自分から行動を起こすっていうかさ、自分から言葉を発すること? それによって物事は始まってゆくんだなっていうか。
もちろん万人に通用するものじゃなくて、それはひとりひとり違うんだろうけど、あたしにとってはこれが「自分がこの世界に存在しているのを実感する方法」なんだなって。「伝わらない」「理解されない」だから何も語らないんじゃなくて、だからこそ発するんだっていう。そこから何か感じ取ってくれる人はいるんだっていう。
たぶん、こういうことを書くのもみっともないことなんだと思う。こういうことは口に出さずに胸の内にしまっておいた方がいいんだろうし、そういう人の方が多いんだと思う。でもあたしは黙っていられなくて、こうして書いてしまうのよね。でもそれがあたしなんだと思う。それがっていうか、それも。
ま、こうしてざわつくのも今のうちだけというか、またしーんと静まり返ってしまうと思うけど、でもこうして書くことによって得られるものがあるなら──まったく何もないんじゃなくて、100書いて1でも返ってくるものがあって、それで自分を変えてゆけるならさ、諦めちゃいけないっていうか、諦めることはないのよ。そう、何度もこういうことをくり返して、それであたしは今ここにいるんだからさ。
なんか、何が言いたいのかよくわかんなくなってきたけど、ネットっていう場はさ、よろしくないこともそりゃ多いかもしれないけど、でも一縷の望みはあるっていうか、自分がどう振る舞うか、自分がどう関わってゆくかなんだと思う。それによって良くも悪くもなるんだと思う。
あちら様が解析をつけてれば問題ないのだが。(2004-12-16 17:37:21)
じゅげむはサービスで解析ついてますけれど、トラバ送った方の日記は巡回日記として読んでいますですのでご安心ください。
私の方もこうやって反応していただけて嬉しいです。
こちらこそありがとうございます。(2004-12-17 07:34:58)