『スパイダーウィックの謎』
あらすじはこんな感じ。母親と大おばさんの家に住むことになったジャレッド、サイモン、マロリー。その家には誰もいないはずなのに、壁の中から物音がする。そしてジャレッドは屋根裏から謎の書物を発見した。しかしその本には、大大おじ(大おばの父〉からの「決して開いてはならない」と警告がなされており……。
あ、あれ? ジャレッドとサイモンがごっちゃになってる。というのも、ジャレッドとサイモンは、フレディ・ハイモアの二役(つまり双子)だから。
この映画、とにかくフレディ・ハイモアにつきます。天才子役っているんだなあ、と。見ているうちにどんどんフレディ・ハイモアに感情移入しちゃったんですよね。母親に自分の話だけちゃんと聞いてもらえなくて、最初から悪いのは自分と決め付けられて、憤りつつ、拗ねつつ、諦めてたりとか。迎えに来てくれるはずの父親を待ちわびてる表情とか。そういうのを見てると、母親や姉や弟(だか兄だか〉に腹が立つのです。もっとちゃんと話聞いてやりなさいよ!とか思っちゃう。
そしてもうひとつの見所は、妖精でも魔物でも、呼び方はともかくとして、人間外の生き物たち。当然CGですが、違和感なかったなあ。謎の書を護っている……ドワーフだったか……えー名前は忘れましたが、ちっちゃな生き物がいるんですが、それがまた可愛かった。だけど、彼は見れば見るほど、私には坂上二郎氏に見えてしまって……。だって顔とか仕草とか似てるし!
いやまあそんなことは置いておいて。
謎の書とは、大叔父のスパイダーウィックがしたためた、妖精や魔物など、世間一般では存在しないとされている存在のことを集めたもの。それを手に入れれば、妖精や魔物たちを支配することができ、さらに世界を支配することができるとして、一部の魔物に狙われています。また、自分たちの存在を知られたくない妖精たちからも狙われています。
この辺、中国や日本の妖怪たちの考え方と似てる部分もあって面白い。書を手に入れるということは、妖精や魔物の名前や特性を知られるということで、それがイコール世界を支配する力を手に入れるっていうのとかね。真名を知られると相手に支配されるっていうのは、あちこちにある伝承というか考え方なんだなあ、と思いました。
この映画、おそらくは以前見た『アーサーとミニモイ』と較べられるんだろうなあと思うんですが、こっちはアーサーとミニモイのようなおさまりの悪さは感じませんでした。たぶんこっちの映画は、物語を語る視線がジャレッドたちにしっかり固定されているからじゃないかな、と。
アーサーとミニモイは、主人公は子どもなのに、物や世界の見方に大人の視点が混じってたと思うんですが、スパイダーウィックは子ども視点に固定されてる。それなのに、しっかり感情移入できるのが良かったと思います。
しかしフレディ・ハイモア。すごいなあ。
『最高の人生の見つけ方』
同じ病室に入院した大富豪エドワード(ジャック・ニコルソン)と整備工カーター(モーガン・フリーマン)。余命は共に6ヶ月。境遇も環境も階級もまるで違う二人が次第に意気投合し、病院を抜け出して死ぬまでにやりたいことに次々に挑戦する、というもの。
この映画、全部見終わってから思ったことですが、原作タイトルそのままのほうがよかったなあ、と。でも、原作タイトルそのままだと、私はきっとこの映画を見ることはなかったとも思うのです。
あらすじからいくと、すぐにやりたいことをやるたびに出るのかと思いきや、信心深く、家族に恵まれ家族を大事にしているカーターと、金はあるが家族や愛情に恵まれていないエドワードが意気投合していく過程がちゃんと描かれていて良かった。
たぶんエドワードは元気なときならカーターを馬鹿にしていただろうし、カーターはカーターでエドワードはまるで世界の違う人だと、違う意味で鼻も引っ掛けなかったでしょう。それが同室になったために、病気で弱い部分や強がってる部分を否応なく互いに見せることになり、次第に打ち解けていくんですよね。
エドワードは大富豪だし、入院先はエドワードの病院なんで個室には入れそうなものですが、エドワードは自分の病院は例外なくどの病室も一室ベッド2床、と言い張っていたので、自分も個室には入れなかったんですよね。このあたりのエドワードと彼の個人秘書のやりとりとか好きだった。
そしてようやく二人は旅に出たんですが、すごかった。大富豪ってどんなクラスの大富豪だよ。飛行機は自家用機、行く先々にとんでもないエドワードの別邸。別邸がないと思われる都市や国では最高級のホテル。望めば何でも食べられるしどこにでも行ける。スカイダイビングに高級スポーツカーでレース場を借り切ってカーレース。しかも車を幅寄せしたりしてぶつけまくり。時期外れにエベレストに行ってみたり、ピラミッドに上ったり、タージマハールに行ったりと、スカイダイビング以外は金と暇があれば全部私もやりたいぞー!
またそれぞれやりたいことをやっているこのじいちゃん二人がものすごくかっこいい。にこにこ笑って楽しそうで。
もちろんこれらはエドワードが金持ちだからこそできることなのですが、そうやってやりたいことをやっているうちに、また二人の関係や考え方が変化していくんですね。
個人的に一番好きだったのは、「世界一の美女にキスをする」かな。確かに美人だったわ。
最後は、騙された!と思いましたね。騙されたというか、そうだったのか!と。
物語の作り方がうまいというか、うん、良かったなあ。
エドワードとカーターも良かったのですが、エドワードの個人秘書がまた良かったです。エドワードに雇われている、エドワードと較べたらそらもう若造のくせに、エドワードに向かって悪口雑言。でも別に嫌っているんじゃなくて、むしろエドワードのことは好いてる。この二人はそういう関係なんですよね。互いにきついこと言える関係。
で、最初の話に戻って映画の邦題。原題を直訳すると『棺桶リスト』。意味は、死ぬまでにやりたいことリストで、カーターがつけていたもの。元はカーターが大学に通っていた時分に、哲学の講義(かどうかはわからないけれども、カーターは確か哲学を専攻していた)の際、教授から教えてもらったもの。
このストーリーにこのリストがどれほどの意味を持っていたのか、ということを考えると、やはり原題はこのタイトルで間違いないと思います。が、最初に書いたとおり、このままのタイトルならきっと見に行かなかっただろうな、と。
私は最近の、原題をカタカナに直しただけのタイトルってどうかと思ってて、せっかくだから日本語でうまいことタイトルつけてほしいと思ってます。最高の人生の見つけ方というタイトルは、そういう意味ではひきつける要素があるし綺麗なんだけど、でもこの映画の内容を厳密に観ると、このタイトルは意図したものと違うと思う。監督が意図したのは、そんな人生訓みたいなものではないんじゃないかと思うんです。タイトルひとつとっても難しいなあ。
ともあれ、この映画、良かったですよ。いわゆる「泣ける」映画ではない、だけど泣ける映画でした。