くりす
Lycosダイアリーのテーマ日記のテーマにweb日記というのが登場しましたが、ちょっと覗いてみたところ、ノイズがかなり多いようです。というよりほとんどが無関係の話題。

自分の書いているのがweb日記だからという理由で普通の日記でもチェックをつける人が多いのでしょうか。こういう人たちは、web日記サービスというものを、単にブラウザ上で動作する日記ツール(ダウンロードやインストールなどの手間がかからないもの)として使っているような気がします。だからいちいち「web日記を書く意味」なんて考えないのではないかと思うのです。

そういえばさるさる日記なんかでも、自分の日記を他の人も見ることができるということを明らかに分かっていないユーザーを時々見かけました。多分こういうユーザーは、webメールのような感覚でweb日記ツールを使っているのではないのでしょうか。

web日記を、ネットに公開されているものという自覚を持たないユーザーは、当然ながら初心者ユーザーが多くなります。

こういった初心者ユーザーの特徴として、マウスで設定できる項目しか設定できない(しない)というところがあるような気がします。例えばここでは性別・年代・地域・配色・デフォルトのトピック登録カテゴリはセレクトフォームで選択できるようになっているのですが、それらを自分でいじっているにも限らず、同じ設定ページ内にあってテキストフォームで指定する「日記名」「ペンネーム」の変更の仕方が分からないと書いている日記をこれまで幾つか見かけました。

日記を書くのにはテキストフィールドに書き込まなければならないのですからキーボードが使えないという人ではないはずなのですが、「設定画面」でテキストフィールドを変更するのには抵抗がある人が結構いるのかもしれません。

また、ここでは自分の日記を見ているときは各トピック毎に「修正」「削除」リンクが表示されていて、それをクリックすると修正や削除がすぐにできるようになっているのですが、この「修正」や「削除」の仕方がわからず、修正できないから同じトピックの文字訂正や文章追加をしたものを新たなトピックとして書いている、という日記も結構見かけます。

これは「修正」「削除」リンクの視認性の問題もあるのかもしれませんが(確かに文字は小さめ)、こういう事例を見る度に、自分の考えていた「webユーザー」のイメージがガラガラ崩れていくのを感じます。

わたしの担当しているサービスのカスタマーサポート宛てにも、ヘルプの意味がわからないといった質問が来たりするのですが、実はまだ質問メールを送ってくるだけ分かっている方で、質問メールの送り方すら分からないというユーザーも相当数いるのではないかと、ここを見て思うようになりました。

昔は「そのぐらい勉強してこい」と思うことも多かったのですが、ここまで裾野が広がって「分からない・知らないのが当たり前」のユーザーが増えてくると、そうは言ってられなくなります。

実際に痛い目にあって学んで行けばよいよ、というのは、「痛い目にあう人」がごく少数のうちしか通用しないような気がするのです。

とすれば、サービス提供側で先回りして、知らなくてもなるべく痛い目に合わないように、保護していかなければならないんだろうなと思うのでした。

上級者向けのサービスの方が管理は楽なんですよね。個人レベルで提供するサービスなら、上級者向けに絞ってしまうというのもひとつの手ではないかと思います。逆に企業が提供するのは管理コストがかかる初心者向けサービス。そして篤くサポートを行う代わりに相応の利用料を徴収するというのが理想だと思いますが、現状ではむしろネットサービス利用についてお金を払ってもいいと考えるのはむしろ上級者で、初心者ほど「無料が当たり前」と考えているのがやはり問題。

それでも少しずつ流れは変わってきている気がしますが、認識が変わるまでの間に各ネットサービス提供企業が生き残れるかというのが気になっているところです。わたしの職場だって来年はもうあるかどうかわからない状態ですし。

そういう意味で、批判の多いヤフオク手数料の値上げなんかは、世間の認識を変える原動力になり得るということで、わたしは期待を寄せています。
今週のアンケートの他の日記とコメントのやりとりをしていますか?

まだ回答数は少ないですが予想通り「やりとりをしていない」人がほとんどを占めそうな感じですね。

web日記サービスを使っている人の中にはwebメールを使うような感覚で使ってる人が結構いるんじゃないかと思っているわたしですが、それは、コミュニケーションツールとして使っているという意味ではなくて自分にしか見えないような自分専用のツールのような感覚で使っているのではという意味なので、そういう人はきっと他の人の日記を読んだりすることにも興味はないんじゃないかと思うのでした。

感想日記-他の日記カテゴリも1日の登録は数件レベルですしね。

ちなみに(Lycosダイアリー内では「コメントを日記で書く」リンクをクリックして日記を書くと、自動的にリンクが張られます)というのはこの発言辺り(ただし本文の内容は関係ないです)を見ていただくと分かるかと思います。>梅矢さん

Lycosにログインしてる状態でLycosダイアリーを見ると各トピックの右下に「コメントを日記で書く」というリンクが表示されるんですが、それをクリックして日記を書くと、自分の本文からそのトピックに自動的にリンクが張られ(本文最初の「○○へのコメント」という部分)、また相手のトピックにも「このトピックへのコメント」という形で自動リンクがつくという形です。
2002-04-27(Sat)

トピックのリンク先

ところでLycosダイアリー相手にリンクはるの実際大変なんです。ひとつは、日付ごとのURLの命名法則が直観的に了解できないこと。実際の日記ログを表示させてURLをコピー&ペーストして日記書いてるんですが

Lycosダイアリーの場合各トピックのタイトル部分がそのままそのトピックの表示アドレスになっておりますよん。そこだけリンク下線消されてるので気付きにくいですが。わたしはタイトル上で右クリックしてリンク先アドレス拾ってます。

命名規則が直感的にわからないのは全トピックに通し番号がふってあってそれで呼び出す形式のようだからですね。こういうところもめずらしいような。
2002-04-30(Tue)

筆者の性別

梅矢さんって、名前とかデザインとか日記の話をするときにシステムの話まで含めて話をすることが多いとかいう点で、なんの疑いもなく男性だと思っていたのですが、最近実は女性なんじゃないかとか、しかも実は知り合いなんじゃないかとかいう思いが強くなってきていたりします。

知り合いなんじゃないかというのは、知り合いと文体が酷似してるときがあるからです。ただし、本当にわたしが思っている人なら幾つも日記を書いている暇があるわけがないので恐らく違うでしょうが。

女性ではないかと思うようになってみると、個々の文章に対して抱くイメージがやはり変わってきます。以前丸山さんのサイト(現在はこちらに再掲されています)にリンクしたときも、書き手が女性だと思っていたのであのような感想になりましたが、最初から書き手が男性のネタ日記であると分かっていれば、また違う反応をしていたと思います。

(ただ、わたしは丸山さんが『女性』を探すために女性の日記を読んでいるとは思いません。なぜ女性の日記にはパートナーの存在がかならず出てくるのかという疑問の提示は、女性にとって恋愛というのはそんなに重要なことなのだろうかという問いかけだと今は考えています。そしてそれに対するわたしの回答は、多数の女性にとって恋愛は男性にとってのそれよりも重要な位置を占めるだろうというものです。理由はまだうまくまとまりませんが、女性が自己を肯定するには誰かに認められるというプロセスがほぼ必須だからではないかというのが今の考えです)

男女の差のほとんどは個人差であるから、文章を男女というくくりで区別するのは賢いやり方ではないという論を読んだことがあります。言いたいことは分からないでもないです。ただ、現実としてまだわたしたちは、性別の違いで異なる育ち方をしてきたという事実があります。こと男女論に関しては、それを書くときのバックボーンは筆者の性別に大きく依存しているという面は否めないと思うのです。それは、その文章の発言意図を類推する大きな手がかりとなります。

故に、できればこういう話題ではご自分の性別を明記していただきたいなあ、と。いや、ここまで長々と書いたのは、それだけの話なんですけどね。