東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳
平成20年8月22日(金曜日)

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東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

脳神経外科・神経内科・内科・外科・形成外科・美容外科・
心療内科・耳鼻咽喉科
山本クリニック形成外科・皮膚外科・美容外科
形成外科・美容外科・・レーザー治療・レーザー外科
http://www5b.biglobe.ne.jp/~mddmsci
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東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成20年8月22日(金曜日)

猛暑が続いています。
「8月」=盛夏です。
もう「夏ものこすところ10日」
でおわります。
「夏も5分の4」がおわりました。

あまりにも
月日のたつその速さに。
恐怖さえ感じます。

木々の若葉のいろは深緑に。
緑がますますあざやかになり。
そして「秋」の気配も葉木には
感じられます。

空の色も。
まさしくも
夏の「空色」になってきました。
ミルクのはいったコバルトのような
空色です。

陽ののぼるのは遅くなりました。

あさの04:30AMころは。
くらくあおく
しだいに
そらがラピズラズリから
トルコ石にうつろうように。
そらがしらんできます。

今の夏の大気からは。

まぢかいけれども。
「深まり。そして秋の訪れの近い」
ことが。
良くわかります。

池面の水面(みずおも)に
小さきわかみどり
なをしらぬ
小さき緑の浮き草
若草色にうきつあつまり
うかびうごき
ながれてとまりたり
水面(みずおも)にて
風をきそふがごとし
わらべのごとし

いざいまこそは
みどりよき季節にあらむ
水面(みずおも)なるそら
ふと空をみる

早朝(はやあさ)は
いまだはだのさむけれど
ぬくもりのあさ
陽のありがたき
あゆむごと
陽はたかくなりけり
葉木は樹木にかわりたり
わがみちをあかるくてらせ
夏をいだく木
秋をはぐくむ木
みどり木あおし

道端の野草の花もかわいらしい。
春夏秋冬の
前奏曲の旋律が聞こえます。

たわわなり
みかんのわか実
みかんの木
みどりぎいらををかぜはやみ
なつかぜひるむやうつろひの
橘香るつきひもはやいくとせ

地にも木にも
みどり葉ひらき
みどり木ときわ木
ひろがりて
いふことのなし
いふことがなし
いふことはなし
ゆたかなりけり

今年の早朝は異常な寒さです。

気象予報で
「明日は暖かくなる」と聞いても
朝は寒いです。
「毎朝寒い」。
寒いと首都高の自動車も
「寒そうな運転の車」が多いです。

それでも「夏はきぬ」。
「秋まぢかし」。

私は寒い新潟の寒村の百姓のうまれです。
毎朝03:15amには起床致します。

睡眠時間は「4時間」。

朝の病院への移行に車をつかいます。
まっくらです。

朝5:00am前に東京 都 世田谷 区 山本クリニック
の明かりがともります。

真っ暗な中で。
病院の事務局と病院の診察室との
往復はとても気温が低いと
とてもくつらいです。

朝の日の出前までの間は今日御来院される患者さん
の「診療録:カルテ」のチエックと
朝の申し送りの準備です。

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ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
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平成20年2月11日(月曜日)
は祝日です。

「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

は終わりました。

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平成20年3月20日(木曜日)
は祝日です。
けれどもこの日は「もともと「休診日」」
なのです。

平成20年3月20日(木曜日は
休日診療は行いません。
は終わりました

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平成20年
4月29日(火曜日)はおわりました。
5月 3日(土曜日)はおわりました。
5月 5日(月曜日)はおわりました。
「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

但し
5月 6日(火曜日)は「お休み」
を頂きました。

5月7日(水曜日)より定常どおり
の診療を行っています。

7月21日(月曜日)は
「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

++++++++++++++++++++++

「8月」の夏季休診体制ですが。
8月13日(水曜日)ー8月16日(土曜日)
までが「夏季休診」になります。
けれども
8月13日(水曜日)
8月16日(土曜日)は。元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
++++++++++++++++++++++

9月15日(月曜日)
9月23日(火曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

++++++++++++++++++++++

★★★

今年の冬・春はインフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円
2回法=7.000円
です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

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2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。

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成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

------------------------------

入学式。桜の花。
インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。
再び
「寒さ」で
体調を崩される方が多いものです。
私はこの冬・春は「厳・春」になり極めて寒さが
激しいと思います。

このような今年の冬場や春はインフルエンザが
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

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草木の周りは。
少しずつ「春夏秋冬」の「四季」を
あゆんでいます。

梅咲き・スミレ咲き。桜咲き。
木々の萌黄から。
眼に青葉。山ほととぎす。そして夏・秋・また冬
がやってくる。

「地球温暖化による大気温度差の拡大」で
体調を崩される方が多いものです。
私はこの冬は「厳冬」になり極めて寒さが
激しいと思います。

このような今年の春・冬場はインフルエンザが
大流行するおそれが強い。

難易度の高い「病態」をお持ちの
患者さんが増えています。
難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら。

私 院長の山本博昭と
東京都 世田谷区 山本クリニックの
「全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが。

「良くなられていく」笑顔に。

心より感謝・感謝。

「今日は何の日」は
1886年、
太陽物理における業績を称えて
ヘンリー・ドレイパー・メダルを
全米科学アカデミーより授与されている科学者。

同じく1886年に
ランフォード・メダルを受賞している科学者。

スミソニアン博物館付属の
スミソニアン天文台の創設者でも
高名な科学者。

1890年に出版されたピッツバーグのアレゲニィ天文台での
フランク・ワシントン・ヴェリーとの
赤外線の共同観測における著作は。

スヴァンテ・アレニウスによって
「初の温室効果の計算」に使用された
ことでも有名な。

また「エンジンの馬力が強すぎて(ライト兄弟12馬力)
サミュエル・ラングレー(52馬力*)
飛行機の初の有人飛行に失敗した飛行機マニアでも
有名な。
1834年 - サミュエル・ラングレー、
発明家・航空機研究家(+ 1906年)
の生誕日です。
(*
このエンジンはシリンダーを放射状に5本配置したもので、
空冷星形エンジンの嚆矢となりました。)

++++++++++++++++++++++

サミュエル・ラングレーは。
1890年に出版された
ピッツバーグのアレゲニィ天文台での
フランク・ワシントン・ヴェリーとの
赤外線の共同観測における著作は。

スヴァンテ・アレニウスによって
初の温室効果の計算に使用されました。

++++++++++++++++++++++

サミュエル・ピエールポント・ラングレー
(Samuel Pierpont Langley, 1834年8月22日
1906年2月27日)はアメリカの天文学者、発明家で
航空のパイオニアの一人です。

スミソニアン博物館の3代目の事務局長であり。
スミソニアン天体物理観測所の設立者でもありました。

++++++++++++++++++++++
サミュエル・ラングレーは。

1903年に2回の飛行試験を試みたが
成功しませんでした。

ボロメータの発明者でもあります。

ボストン・ラテン・スクールを卒業後、
ハーバード大学天文台で助手を勤め、
海軍兵学校で数学の教鞭を取りました。

++++++++++++++++++++++

サミュエル・ラングレーは。

1867年、アレゲニィ天文台の所長に就任して、
西ペンシルベニア大学(現ピッツバーグ大学)の
天文学教授に就任致しました。

1891年まで勤め、
その間、1887年、
3代目のスミソニアン博物館の館長に就任しました。

ラングレーは
スミソニアン天体物理観測所の開設者でもあります。

++++++++++++++++++++++

サミュエル・ラングレーは。

1886年、太陽物理における業績を称えて
ヘンリー・ドレイパー・メダルを
全米科学アカデミーより授与されます。
同じく1886年に
ランフォード・メダルを受賞しています。

++++++++++++++++++++++

サミュエル・ラングレーは。
1890年に出版された
ピッツバーグのアレゲニィ天文台での
フランク・ワシントン・ヴェリーとの
赤外線の共同観測における著作は。

スヴァンテ・アレニウスによって
初の温室効果の計算に使用されました。

++++++++++++++++++++++

サミュエル・ラングレーと飛行機

ラングレーの飛行機の実験は
ゴム動力の模型とグライダーから始められました。
回転装置を作って翼の研究を行いました。

軍から5万ドルの予算を得て
有人飛行機の製作を試みました。
1896年試作した無人の動力付の模型は
2キロメートル以上を飛行しました。

有人飛行実験は、
危険を小さくするために
ポトマック川の水上で行うことにしました。

1903年10月7日と12月8日の
実験はカタパルトから射出する方法で行われました。
2回とも成功しませんでした。

++++++++++++++++++++++

サミュエル・ラングレーの飛行機の失敗
はエンジンの馬力が強すぎたようです。

技術的には、ライト兄弟のもの(12馬力)より、
重量あたりの出力の大きいエンジン(52馬力)を
搭載していました。

このエンジンはシリンダーを
放射状に5本配置したもので、
空冷星形エンジンの嚆矢となりました。

2枚の主翼を前後に配置したタンデム翼の機体で
ピッチとヨーの制御はできたがロールの制御は
できませんでした。

2回目の飛行ではカタパルトから打ち出された機体は
反転して川に墜落しました。
(典型的なストール「失速」パt−ンです)

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サミュエル・ラングレー
機体の名前は
エアロドローム(Aerodrome)といいます。

ライト兄弟が
「フライヤー1号」で初飛行に成功したのは
それから間もない1903年12月17日のことでした。

しかし、
直前のラングレーのこの失敗のため、
兄弟の初飛行のニュースは
報道機関から疑問視されて
ほぼ黙殺されてしまいました。

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サミュエル・ラングレーは
1914年にライト兄弟と飛行機の特許で争っていました。

グレン・カーチスによってラングレーの飛行機が復元され、
飛行したが裁判所はライト兄弟の特許を認めました。

(また、この復元機では大幅な改良がなされていたことが
後に発覚している。)

ちなみにライト兄弟は飛行機の研究を進めていたときに、
何度かラングレーに手紙を書いて教えを請うてもいます。

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「続きを読む」=>*

++「続きを読むです1」++++++++++++++++++
サミュエル・ラングレー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%83%BC

サミュエル・ピエールポント・ラングレー(Samuel Pierpont Langley, 1834年8月22日 1906年2月27日)はアメリカの天文学者、発明家で航空のパイオニアの一人である。スミソニアン博物館の3代目の事務局長でスミソニアン天体物理観測所の設立者であった。1903年に2回の飛行試験を試みたが成功しなかった。ボロメータの発明者でもある。ボストン・ラテン・スクールを卒業後、ハーバード大学天文台で助手を勤め、海軍兵学校で数学の教鞭を取った。1867年、アレゲニィ天文台の所長に就任して、西ペンシルベニア大学(現ピッツバーグ大学)の天文学教授に就任した。1891年まで勤め、その間、1887年、3代目のスミソニアン博物館の館長に就任した。ラングレーはスミソニアン天体物理観測所の開設者である。

1886年、太陽物理における業績を称えてヘンリー・ドレイパー・メダルを全米科学アカデミーより授与される。同じく1886年にランフォード・メダルを受賞している。1890年に出版されたピッツバーグのアレゲニィ天文台でのフランク・ワシントン・ヴェリーとの赤外線の共同観測における著作はスヴァンテ・アレニウスによって初の温室効果の計算に使用された。

ラングレーの飛行機の実験はゴム動力の模型とグライダーから始められた。回転装置を作って翼の研究を行った。軍から5万ドルの予算を得て有人飛行機の製作を試みた。1896年試作した無人の動力付の模型は2キロメートル以上を飛行した。有人飛行実験は、危険を小さくするためにポトマック川の水上で行うことにした。1903年10月7日と12月8日の実験はカタパルトから射出する方法で行われたが、2回とも成功しなかった。技術的には、ライト兄弟のもの(12馬力)より、重量あたりの出力の大きいエンジン(52馬力)を搭載していた。このエンジンはシリンダーを放射状に5本配置したもので、空冷星形エンジンの嚆矢となった。2枚の主翼を前後に配置したタンデム翼の機体でピッチとヨーの制御はできたがロールの制御はできなかった。2回目の飛行ではカタパルトから打ち出された機体は反転して川に墜落した。機体の名前はエアロドローム(Aerodrome)という。

ライト兄弟が「フライヤー1号」で初飛行に成功したのはそれから間もない1903年12月17日のことであった。しかし、直前のラングレーのこの失敗のため、兄弟の初飛行のニュースは報道機関から疑問視されてほぼ黙殺されてしまった。

1914年にライト兄弟と飛行機の特許で争っていたグレン・カーチスによってラングレーの飛行機が復元され、飛行したが裁判所はライト兄弟の特許を認めた。(また、この復元機は大幅な改良がなされていたことが後に発覚している。)

ちなみにライト兄弟は飛行機の研究を進めていたときに、何度かラングレーに手紙を書いて教えを請うてもいる。

関連項目
航空に関する年表
同時期(1880年代-1900年代)の飛行機開発者
帝政ロシア - アレクサンドル・モジャイスキー
ドイツ - オットー・リリエンタール(グライダー)
ドイツ - カール・ヤトー
イギリス - ハイラム・マキシム
イギリス - A・V・ロー
イギリス - サミュエル・フランクリン・コーディ
イギリス - パーシー・ピルチャー
フランス - クレマン・アデール
オーストリア - ヴィルヘルム・クレス
ニュージーランド - リチャード・ピアース
アメリカ合衆国 - グスターヴ・ホワイトヘッド
アメリカ合衆国 - オクターヴ・シャヌート
アメリカ合衆国 - オーガスタス・ヘリング
アメリカ合衆国 - ライト兄弟
日本 - 二宮忠八
ラングレイ (CV-1)
"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%83%BC" より作成
カテゴリ: 航空パイオニア | アメリカ合衆国の天文学者 | 1834年生 | 1906年没

++「続きを読むです2」++++++++++++++++++
8月22日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/8%E6%9C%8822%E6%97%A5

できごと
1485年 - ボズワースの戦いでヘンリー7世がヨーク家のリチャード3世を破り、
イングランドにテューダー朝成立。

1864年 - 傷病者の状態改善に関する第1回赤十字条約
(ジュネーヴ条約)が調印され国際赤十字が発足する。

1875年 - 樺太・千島交換条約批准。

1902年 - 東京電気鉄道が新橋〜品川間で路面電車の運行開始(東京初の路面電車)。

1905年 - 孫文らが東京で中国同盟会を結成する。

1910年 - 寺内正毅統監と李完用大韓帝国首相が漢城で日韓併合条約に調印。

1911年 - パリのルーヴル美術館で展示されていた
レオナルド・ダ・ヴィンチの『モナ・リザ』が盗難にあう。

1922年 - アイルランド内戦:
アイルランド自由国臨時政府首相・国軍司令官のマイケル・コリンズの一行が
コーク州に向かう途上襲撃を受け、コリンズは暗殺される。

1944年 - 学童疎開船『対馬丸』が鹿児島県トカラ列島悪石島沖で
アメリカ海軍の潜水艦に撃沈され乗員乗客1418名が死亡。

1945年 - 肥薩線列車退行事故、53名が死亡。

1945年 - 太平洋戦争中に中断していた天気予報の報道が再開される。

1946年 - 京城大学(旧京城帝国大学)が米軍法令102号により閉鎖。

1950年 - アリシア・ギブソンがアフリカ系アメリカ人テニス選手初の全米選手権
(現、全米オープン)出場を果たす。

1956年 - ボルネオ島などで599柱の戦死者の遺骨を収集した大成丸が、
64日ぶりに東京・羽田沖に戻る。

1967年 - 文化大革命: 北京のイギリス大使館が紅衛兵によって放火される。

1974年 - 上野動物園で、インドゾウが飼育係の男性をコンクリート製の水飲み場に押し付け、
死亡させる。

1981年 - 台湾で遠東航空103便墜落事故。作家の向田邦子ら110人が死亡。

1991年 - ソ連8月クーデター: クリミア半島の別荘に軟禁されていた
ゴルバチョフソ連大統領がモスクワに帰還、エリツィンロシア大統領がクーデターへの勝利宣言。

1995年 - 東京で31日間連続の真夏日となり、62年ぶりに連続記録を更新。

1998年 - 第80回全国高等学校野球選手権大会決勝戦で、
横浜高校・松坂大輔(現・ボストン・レッドソックス)が決勝戦では
史上2人目となるノーヒットノーランを達成。横浜高は史上5校目の春夏連覇。

1999年 - バンコク発香港行きの中華航空642便が香港国際空港上空で
台風の突風に遭遇し着陸に失敗、3名が死亡。

2004年 - 第86回全国高等学校野球選手権大会において、
駒澤大学付属苫小牧高校が北海道勢として史上初の高校野球大会優勝。

2006年 - プルコボ航空612便墜落事故

2006年 - 伊藤清京都大学名誉教授が第一回ガウス賞受賞。

誕生日
1647年 - ドニ・パパン、物理学者・発明家(+ 1712年頃)

1760年 - レオ12世、第252代ローマ教皇(+ 1829年)

1778年 - ジェイムズ・ポールディング、第11代アメリカ合衆国海軍長官(+ 1860年)

1834年 - サミュエル・ラングレー、発明家・航空機研究家(+ 1906年)

1860年 - ポール・ニプコー、発明家(+ 1940年)

1862年 - クロード・ドビュッシー、作曲家(+ 1918年)

1873年 - アレクサンドル・ボグダーノフ、医師・哲学者(+ 1928年)

1874年 - マックス・シェーラー、哲学者(+ 1928年)

1887年 - シュヴェリン伯ルートヴィヒ・フォン・クロージク、ドイツ国首相(+ 1977年)

1896年 - 具志堅宗精、政治家(+ 1979年)

1902年 - レニ・リーフェンシュタール、女優、映画監督(+ 2003年)

1904年 - 鄧小平、政治家(+ 1997年)

1908年 - アンリ・カルティエ=ブレッソン、写真家(+ 2004年)

1917年 - ジョン・リー・フッカー、ブルース歌手・ギタリスト(+ 2001年)

1920年 - レイ・ブラッドベリ、作家

1927年 - 稲田祐二、生化学者

1928年 - カールハインツ・シュトックハウゼン、作曲家(+ 2007年)

1929年 - 北原怜子、慈善運動家(+ 1958年)

1930年 - 河野昭修、元プロ野球選手

1936年 - 川口浩、俳優、探検家(+ 1987年)

1936年 - 若生忠男、元プロ野球選手

1938年 - 与謝野馨、政治家

1938年 - 藤野義昭、弁護士

1939年 - カール・ヤストレムスキー、元メジャーリーガー

1940年 - 土居まさる、フリーアナウンサー(+ 1999年)

1943年 - 嶋正利、マイクロプロセッサIntel 4004設計開発者

1944年 - みのもんた、司会者

1944年 - 岸井成格、毎日新聞東京本社特別編集委員

1945年 - タモリ、タレント、司会者

1945年 - 武田博、元騎手、調教師

1949年 - 平山みき、歌手
1949年 - 勢見月文久、射撃選手
1955年 - 平松伸二、漫画家
1957年 - 郷田ほづみ、俳優、声優
1958年 - 林アキラ、歌手、ミュージカル俳優、作曲家(6代目うたのおにいさん)
1960年 - 内場勝則、吉本新喜劇座長
1961年 - 金田賢一、俳優
1964年 - マッツ・ビランデル、元テニスプレーヤー
1964年 - 森雅子、弁護士
1967年 - 岡田有希子、アイドル歌手(+ 1986年)
1968年 - 佐野量子、歌手、タレント
1970年 - なべやかん、タレント
1971年 - アントニオ小猪木、お笑い芸人(西口プロレス)
1973年 - Howie・D、歌手(バックストリート・ボーイズ)
1975年 - 春日錦孝嘉、大相撲力士
1975年 - 中村隼人、元プロ野球選手
1977年 - 菅野美穂、女優
1977年 - 所英男、総合格闘家
1978年 - マーチン・バルガス、元プロ野球選手
1981年 - 斎藤工、俳優
1982年 - 相澤仁美、タレント
1982年 - 伊藤秀範、プロ野球選手
1983年 - 堀田明成、ミュージシャン(the strange drama) 
1983年 - 大和田美帆、女優
1986年 - 北川景子、女優、ファッションモデル
1996年 - 坂野真弥、子役
1996年 - 丸山瀬南、子役
生年不詳 - 安玖深音、声優
生年不詳 - せがわまさき、漫画家

忌日
408年 - スティリコ、西ローマ帝国の軍司令官(* 365年)

1155年(久寿2年7月23日)- 近衛天皇、第76代天皇(* 1139年)

1188年 - フェルナンド2世、レオン王(* 1137年)

1241年 - グレゴリウス9世、第178代ローマ教皇(* 1143年)

1328年 - フィリップ6世、フランス王(* 1293年)

1485年 - リチャード3世、イングランド王(* 1452年)

1599年 - ルカ・マレンツィオ、作曲家(* 1553年)

1609年 - イェフダ・レーヴ・ベン・ベザレル、ラビ・思想家(* 1525年)

1680年 - ヨハン・ゲオルク2世、ザクセン選帝侯(* 1613年)

1795年(寛政7年7月8日)- 徳川重好、御三卿清水家初代当主(* 1745年)

1806年 - ジャン・オノレ・フラゴナール、画家(* 1732年)

1818年 - ウォーレン・ヘースティングズ、初代ベンガル総督(* 1732年)

1861年(咸豊11年7月17日)- 咸豊帝、第9代清皇帝(* 1831年)

1864年 - ジョン・アップルトン、政治家・外交官(* 1815年)

1891年 - ヤン・ネルダ、ジャーナリスト・詩人(* 1834年)

1922年 - マイケル・コリンズ、民族主義運動家(* 1890年)

1940年 - オリバー・ロッジ、物理学者(* 1851年)

1941年 - 長谷川時雨、作家(* 1879年)

1943年 - 島崎藤村、詩人、作家(* 1872年)

1952年 - 平沼騏一郎、第35代内閣総理大臣(* 1867年)

1958年 - ロジェ・マルタン・デュ・ガール、小説家(* 1881年)

1976年 - ジュセリーノ・クビチェック、第24代ブラジル連邦共和国大統領(* 1902年)

1976年 - ジーナ・バッカウアー、ピアニスト(* 1913年)

1978年 - ジョモ・ケニヤッタ、政治家・ケニアの初代首相/大統領(* 1893年)

1981年 - 向田邦子、小説家・脚本家(* 1929年)

1981年 - グラウベル・ローシャ、映画監督(* 1938年)

1987年 - 杉浦清、元プロ野球選手(* 1914年)

1989年 - ヒューイ・P・ニュートン、公民権運動指導者(* 1942年)

1991年 - コリーン・デューハースト、俳優(* 1926年)

1998年 - 村山実、プロ野球選手・監督(* 1936年)

2004年 - 江角英明、俳優(* 1935年)

2005年 - リュク・フェラーリ、作曲家(* 1929年)

2005年 - 梶哲也、俳優・声優(* 1926年)

2007年 - 富樫雅彦、ジャズドラマー(* 1940年)

記念日・年中行事
チンチン電車の日