海月玲二

このエントリーからしばらく夏の旅行.今回も性懲りもなくバルカン半島にやってきた.主な行き先はボスニア・ヘルツェゴビナとクロアチアとスロベニアである.

今回はサラエボ着ザグレブ発で飛行機を取ってみた.サラエボ空港は,地方都市の空港によくある,到着ホールと出発ホールが別に分けられてないタイプである.ティラナとかザグレブとかの空港と同じような規模だ.まあ規模は別にいいが,町までの公共交通機関が存在しない,という点はちょっと難儀なことである.基本的にはタクシーを使えということらしい.ヨーロッパの空港でこういうのは初めてである.トビリシ空港なんかも需要のかなり少なそうな空港だったが,あれはまだ,空港近くの住宅街に向かう市バスが空港にも行ってくれてるのでなんとかなった.サラエボでは,空港に直接向かうバスは廃止になってしまったらしい.

しかたがないので,タクシーが嫌いだという俺みたいな手合いは,空港からちょっと歩いて市バス(トロリーバスだけど)停留所まで行く必要がある.具体的に言うと,(1)空港を背にして進み,なんとかしてBraće Mulićなる大通りに出る (2) その通りを,空港を背にして右方向にしばらく進む (3) Mercatorというでかいスーパーの手前が停留所なので,103番のトロリーバスに乗るべし.

というかLonely planetとか読めば書いてあるけど.あたりは単なる住宅街なので,夜じゃなければ別に危険なことはないと思う.たいして遠いわけではないし.バス停の前に売店もあるので,ちゃんと切符も買えるぞ.


橋の町.町の象徴もであり主な観光名所であるところのスターリモスト「古い橋」を中心とした町である.観光客的には,ほぼこの橋周辺しか見るところはないので,ドブロヴニクやサラエボからの日帰りで来る人が多いと思われる.じっさい,日が落ちたらずいぶん静かになった.コトルなんかと同じパターンだ.

この町のあたりは,ボスニア・ヘルツェゴビナ戦争のときは激戦地になったらしい.橋もそのとき落とされたのだが,十年ほど前に再建されている.それでまあ,最近は観光客の皆さん来てくださいねアピールもしてるようである.……のだが,まだ壊れたままのビルはけっこう残っていた.弾痕がどうこうという以前に,見るからに廃ビルな感じのものが中心部にもわりとあるのだ.やはりそう簡単にはいかんものである.まあ,少なくとも橋を中心とした旧市街はおおむね修復が完了しているので,とりあえずそこだけ見ておくぶんには大丈夫といえば大丈夫.何が大丈夫か知らんが.

戦時中に川の両岸をそれぞれクロアチア人とムスリム人(ボシュニャク人と呼ぶほうがいいのか?)勢力が押さえ,今でもそのまま分かれて住んでいるそうだ.一見,川の両側に同じような感じでそれぞれの勢力の町があるようにも思えるが,クロアチア人側のほうが奥が広い.ショッピングセンターやきれいめなホテルなんかもだいたいこっち側にあるようだ.ショッピングセンターにはそこそこ人が入っていて,それなりに賑わっていた.

この町を見ていてどうも不思議だったのは,町のみんなが集まるような中心地がどこなのかよくわからなかったことである.ふつう中心街や中央広場のようなものがあって,夏の晩などはみんなでそこに繰り出したりするもんだが,ここでは町のいろんなところでばらばらと人の姿が見られる感じだった.というか今でも川の両岸の行き来は少ないのだろうか.確かに橋を渡ってるのは観光客ばっかりだったけど.


サラエボから単純にモスタルまで往復するのもつまらんと思ったので,帰りはトレビニェに寄ってから東側の山地を北上するルートで帰ることにした.モスタル発トレビニェ行きのバスは朝6時15分発とか言うので,早起きするのが大変だった.

いわゆるセルビア人共和国側の町であり,詳しくは知らないがセルビア人にとってはそれなりに重要な町らしい.でもまあ,基本的には単なる地方都市である.別に観光客がたくさん来るようなところではない.町並も普通のものだ.

それはまあ別にいいのだ.観光客的に重要なのは,現在のこの町がわりと明るい雰囲気で過ごしやすい町だ,という点である.ちょっとした旧市街や町を見わたせる丘や渋い橋のかかった川なんかがあり,散歩するにもいい感じであった.旧市街周辺でコーヒーでも飲みながらのんびりするような過ごしかたにも,この町はわりとおすすめである.ここは地中海文化圏にはいるらしく,夏の午後などは人通りが減ったりもするが,夕方になるとカフェはほとんど満席だし散歩してる人は増えるしライブイベントなども開催されていた.

あとこのへんはワインの生産がさかんだそうなので,夕食はワイン会社のレストランで食べてみた.ちょっと坂の上のほうにあるので,歩いて行くのは大変だったけど.というか,本来ここの町に寄った目的はワインなのである.ガイドブックにそう書いてあったので.

調子にのって二杯ぐらいワインを飲んだりして楽しんだ(アルコールに弱いとこういうとき不便である).料理の味付けが若干からい気もしたが,ワインをどしどし飲むという前提なんだろうか.


トレビニェからサラエボに行く場合,北上してボスニア・ヘルツェゴビナ東部の山地を抜けるバスに乗る.国立公園にもなっている山地であり,ガイドブックによればなかなか景色がよろしいそうなので,期待してバスターミナルに向かった.

昨日調べてみたところ,サラエボ行きのバスは,早朝の次は16時である.11時発があるとかいう話だったのだが,なぜか無くなっていた.しかたがないので,途中のフォチャという町まで行くバスに乗って,そこでサラエボ行きに乗りかえることにした.
しかも,フォチャ行きなら11時にあるはずと思って行ってみたら,これも12時40分までないらしい.よくあることだが日曜はバスの便が少なくなっているようだ.ふむー.結局,一旦戻ってカフェでひとやすみ.

あらためてフォチャ行きに乗った.しばらくはモスタルから来たバスと同じ道だが,途中から東の道に分岐.ガツコなる町を過ぎると急に周囲の山が険しくなってきて,山水画みたいな岩山が聳える景色になった.確かになかなか見応えがある.バール鉄道のときの風景と似てるな,と思ったのだが,よく考えたら同じ山系の反対側と言ってもいいぐらい近いな.まあ,時間も短いし,バール鉄道よりは楽かもしんない.

フォチャからサラエボまでの間も,木は若干増えたけれども険しい山を縫って走ることには変わりない.荒く掘っただけでコンクリートで固められたりしてないトンネルとか,少々スリリングな場面もある.正直,「わりと長さがあってカーブもしているのに,明かりがないトンネル」というのは,さすがにいかがなものかと思った.


サラエボは横長だ.川の作った谷が東から西に走っていて,その地形にそって町が作られている.一番東のどんづまりが旧市街であり,西に行くにつれて中心街→ショッピングセンターや大型ビル街→旧共産圏型集合住宅→郊外の住宅街と変わる.ふつう,おおむね同心円的に変わっていくものが,一方向だけに向いてるかんじ.ちょっとめずらしい構造だな.

また,南北の山というか丘というかそういう地区も,今では住宅街になっている.つまり,モスタルやベラトなんかの谷沿いタイプの町の大規模なもの,と言うこともできると思う.斜面はかなりきつめなので,住宅街を散歩するとかなり骨が折れる.ガイドブックに,東南の丘の上にいいレストランがあるとか書いてあったので,がんばって行ってみたのだが,それはもう大変に苦労した.確かに眺めはよかったし,飯もうまかったけども!

ところで,そのレストランに行く際,間違った道を曲がろうとしたら通りががりの人が間違いを指摘してくれた.しかもかなり遠くから.つまり,こんなところまで外人観光客が登ってきたということは件のレストランに行くんだろう,ということが容易に想像できるらしい.いずれにせよ,親切でありがたいことだ.

サラエボは戦争時にそうとうひどいめにあったことで有名だ.でも現時点ではまあなんとかそれなりに復興が進んでおり,日常生活を送る上でそれほど不都合がないぐらいには回復している.観光客だってわりと来ているのだ.まあ,郊外に行くとまだ弾痕の残ったビルがあったり,博物館や研究機関などの文化的組織が財政危機になってたりというようなことはあるようだが.
観光的には,西欧風の町並みとトルコ風の町並みが共存しているというのがウリである.まあ,ひとつぶで二度おいしい的なアレだ.……トルコ風の建物やお土産に興味があるなら最初からトルコ行けばよくね,と多少思わなくはない.


サラエボ北西の小さな町.ここの名物は,町の真下にいきなり滝があることだ.小さな丘の上が旧市街で,その下に滝が落ちている.20mぐらいのサイズの滝で,近づいてみるとそれなりに迫力があった.所持品の水濡れを心配したほどである.というか,仮にも滝なのに,かなりぎりぎりまで近づけるおおらかさに感心した.

ここは中世ボスニア王国の最後の首都だそうで,まあ旧首都ジャンルの町と言えないこともない.というわけで旧市街はそれなりに歴史ある町並みなのだが,なにしろ三民族の勢力圏の中間あたりなので,戦争時にはそうとうな打撃を受けたらしい.現在ではかなり修復が進んでいて,よくある「綺麗な旧市街」みたいな感じになっている.町の門だけはそこそこ古そうな見た目だったけど,古いものが残ったんだろうか.なお例によって,旧市街の周囲には多少住宅街がある.古い集合住宅などは今でも穴だらけの建物がわりと残っていて,「そうとうな打撃」がどんなものだったかうかがわせる.

丘の頂上には城跡が残っており,周囲を眺めることができる.眺めてみるとわかるが,この町のあたりは本当に山の中であり,そもそも町として便利に使えるような平地はほとんどない.現代の基準ではヤイツェは小さな地方都市だが,もともと現代的なでかい町に成長できる場所ではなさそうだった.

旧市街は,おおざっぱには城周辺の「上半分」と商店街などがある「下半分」に分けられるように思う.人がたくさん集まるメインストリートがあるのはもちろん下半分のほうだ.今回は,メインストリート近くにある雰囲気のいいホテルに泊まってみた.まともなホテルに泊まるのは珍しいな.というか,そもそもこの町の宿泊施設はホテル二軒とユースホステル一軒しか存在しないんだけども.


ヤイツェよりさらに北までやってきた.もうすこし行くとクロアチアである.

ボスニア・ヘルツェゴビナという国は,内部でセルビア人主体の「スルプスカ共和国」とそれ以外が主体の「ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦」の二つの「国」(というか何というか)で構成されている.そのスルプスカ共和国のほうの事実上の「首都」がバニャルカである.なるほどややこしい状態だ.

ボスニア・ヘルツェゴビナはどうも国土のほとんどが山奥のようなのだが,バニャルカのあたりは多少たいらな土地があるようだ.バスに乗っていて,町に近づくと突然視界がひらけたのでびっくりした.土地に余裕があるためか,この町はロシアの町のようなわりとおおまかなつくりである.大型で低い建物が多く,道は広めで,建物と建物の間も広い.いわゆるヨーロッパ的なぎゅっと詰まった市街地はほんの少ししかない.

観光客が少ないせいか,レストランがあまりないのにはちょっと苦労した.中心部には,カフェバーの他はファーストフード店ばっかりだったのである.というかファーストフード食べたらよかったのかもしれないが,もうすぐ国境を越えるので兌換マルク(ここの通貨)を使いきりたかったんだよなあ.

でも,「観光客でなくて住民向けの大型書店」というものを見つけられたのも,この町の特徴のおかげかもしれない.前書いたかもしれないが,俺は「外国で数学のテキストを買う」という趣味がある.この際,内容が比較しやすいように,だいたい大学入試程度のレベルのものを探すことにしているのだが,この国では高校(相当)のテキストは初等教育のテキストとは別に扱われているらしい,というのをこの店で初めて知ったのだった.道理でなかなか見つからないはずだ.


ザグレブでYと合流し,ここからは二人旅である.俺の旅行では普段は基本的に都市しか行かないのだが,今回はYの希望でここに来ることになった.クロアチアで最も有名な国立公園であり,観光客もわんさと来ているところだ.

正直,敷地がかなり広いので,無計画にうろうろしてもなかなかうまくいかないというか,無用に大変な目にあうというか,そのへんは注意が必要である.というか俺たちはまあ大変な目にあったわけだ.一番の失敗は,宿泊先から遠いほうの入口でバスを降りてしまい,荷物を持ったまま長時間移動するはめになったことである.しかもわざわざ遊歩道を歩いたのでかなり疲れた.

あと,暗くなる前に宿泊先に戻れるよう,ちゃんと計画してなかったのも失敗だ.終盤は道が見えるか怪しいぐらいで,少々危なかった.なんとなく,夜になったら明かりがつくかなとか,営業時間が終わりに近づいたら係の人がチェックして回るかなとか思っていたけど,もちろんそんな都合のいいことはない.よく考えたら国立公園てそういうもんじゃないよな,テーマパークじゃあるまいし.ホームページとかに書いてある「営業時間」というのは,要するにその時間を過ぎたら各ブースが閉まっちゃうよというだけの話だ.某ガイドブックに書いてある「営業時間7時〜20時」という表現は正直誤解を招くと思う.

それと,どうもよくわからないのは,チケットのシステムである.別に入口にチェックポイントがあるわけではなく,園内の遊覧船に乗るときだけチケットをチェックされた.つまり,遊覧船に乗らないなら別にチケットを買わずとも園内を自由に散策できる気がするし,実際泊まったロッジの人もそう言っていたのである(正確には,「明日の朝はそのチケットは無効になるけど,別に散策するだけならできるから」と言われた).ルート的には遊覧船に乗らないと行けないような場所があるわけでもないし.なんかガイドブックに書いてあった内容と全然違う気がするんだけど.これは寄付的な意味の強いチケットなのだろうか?

いや,うん,ブルーの湖や滝の多い景色は確かに綺麗だったよ! ちなみに,ネットによく下の写真とそっくりな写真があるのは,ちょうどこの角度から見ることができる見晴し台があるからだ.


今回の計画では,Yが合流したあとの主な行き先はスロベニアである.そこで,プリトヴィッツェに寄ったあと,なんとかしてスロベニアまで移動せねばならない.プリトヴィッツェからまず北上し,カルロヴァツでバスを乗りかえて西へ行くと,リエカまではわりと簡単に行くことができた.しかしここからが大変で,西部の国境を越えてスロベニアに入る公共交通機関はそんなに充実していないのだ.しかも日曜なので例によっていろいろ減便されている.

スロベニアに行けるバスは18時発だとか,鉄道に至っては明日の10時だとか言われてけっこう弱った.今回はいつもより予定が詰まり気味なので,リエカで半日足止めは苦しい.吝嗇旅行者の俺としては相当悩んだのだが,止むを得ず今回はタクシーを使うことにした.多少負けてもらっても85ユーロかかったけど,まあ二人分だしな,と自分をなんとか納得させたのだった.

ところで,クロアチアとスロベニアの国境付近には,両替所がやたらとたくさんある.国境検問所の建物の中とかじゃなくて,道路沿いに個人がてきとうにブースを建てて営業しているようなのだ.つまり,このへんは自家用車やレンタカーの類で通る人が多いということなんだろう.もともと,この付近はわりと車社会なのかもしれない.スロベニアに入ると,どういうわけかバイクに乗ってる人も増えたような気がした.

あとプリトヴィッツェを出発するバスの発車時刻が,案内所で聞いた時刻より15分ぐらい早かったのはいかがなもんだろうか.たまたま早めに行ってみたから乗れたけどさ.