み〜

その時は8階にいた。 おそらくそのビルで一番揺れる階だったのではないだろうか。 地震自体も長く横揺れが続いたと思われるが、それ以上にグルングルンいつまでも揺れていた。 すっかり気分は船酔い。

そんなところにいると体感震度もへったくれもない。 ニュースを見なければ地震の規模や大きさがよくわからない。 先日地震があったばかりだ。 交通機関は大丈夫なのか、留守宅で荷物の山崩れ(苦笑)が起きていないか、かなり不安になる。

震源地の方は大変だったようで、お見舞い申し上げます。

幸い、自分の身の回りはたいしたことはなかった。 しかしエレベーターはしばらく止まっていた。 8階階段往復はきつかったよ(苦笑)。 地震のことを考えると、高層階は嫌だなぁ、と思う。 住むにしても、働くにしても。

昨日の地震でエレベーターが止まって痛感。 階段をいくらでも平気で昇れるくらい体力ないといざというとき怖いな…と。 (いざというときは降りるんだろうが…) 水平方向に歩くのは30分でも一時間でもわりと平気なのだが、上下方向の移動となると途端に疲れてしまう... これはまずい。 日頃からエレベーターやエスカレーターに頼らない生活を心がけなくては…。 そんな生活が普通になれば、六本木の都営線の駅から地上まで楽々昇れるだろうか(笑)。 そうだ、いざというときに昇らなくてはならないケースもあるかもしれない。 いや、いざというときでなくても役に立ちそうだが(爆)。

有言実行なり。 …第三者に宣言することにより、馬力が出ることってあるのだ。 (実は過去に挫折していることは大きな声では言いたくない。)

世の中バリアフリー化していくのはいいのだが、どこにいっても当たり前のようにエレベーターやエスカレーターがあって、何気なく使えるっていうのは、はてさて。 ものは考えよう…。 しかし、こんなこと書いているなんて情けないな…。

エスカレーターの話題が出たのでついでに書いておこう。 最近では、エスカレーターでは片側を空けるのがマナーだとされている。 地下鉄の駅、特に階段がすぐ横に併設されていないようなケースでは仕方がないのかもしれない。 が、デパートのようなところで片側を空けるのはどうだろう。 もちろん、空いているときはそれでいい。 が、片側を空けるためにエスカレーターに乗るための渋滞が発生しているのをよく見かける。 デパートのような場所では、エスカレーターを歩いて上り下りしなければならない人はそうそういない。 なのに、ほとんどいないであろう人のために片側を空けて渋滞が発生しているのだ。 歩いて上り下りしていく人はその渋滞を嫌っているだけ、ということは少なくないはず。 理論的には、片側を空けない方が一度にたくさんの人を運べるのだそうだ。 希に、非常に混雑している日などデパートでは「片側を空けずにエスカレーターに乗ってください」と店員が誘導していることがある。 それに、子連れの人などが片側に固まって乗らなくてはいけない、というのは安全上劣るのは明らかなのだ。 片側を空けるのがマナーかどうか、もう一度考えて欲しいと思う。 そもそもそんなマナーが流布する以前は、エスカレーターを歩いて上り下りするのは非常にみっともないことだ、と思っていた。 そう思っていたのは少なくとも私だけではなかった。 いつから常識が変わってしまったのだろう...不思議に思う今日この頃。

ちなみに私は階段が併設されていれば、エスカレーターを歩いて上り下りするようなことは極力避けている。 素直に止まって乗っているか、階段を上り下りするかどちらか。

α Sweet DIGITAL SWEETD-S ブラック レンズキット

約2年いやもしかしたら3年か…待ちに待ったデジタル一眼レフカメラが発売される。 公式発売日の一日前の今日、予約していた店から「入荷」の電話が入った。 いてもたってもいられない。 明日になってしまえば、すぐに撮れるものは身近なモノ。 今日取りに行けば、ライヴ写真を撮るのに早速使える! 取りに行く手間を考えても今日取りに行くのが楽。 何より「フライング・ゲット」という優越感に弱いかも(大笑)。

仕事を巻き巻きで圧縮して終わらせて予定より30分早く退社。 ピューンとカメラを取りに行く。 そのお店で買うと大手量販店と同じ価格だが、ポイント率も低いしおまけもつく予定なし。 でも、大手量販店では明日にならなければ手に入らない。 多少割高でも今日欲しい!何年も発売を待っていたのだから。

フィルムと言うべきコンパクトフラッシュはカメラの付属品ではない。 別途買わなければならない。 「いかがですか?」と店員さんに勧められたので、ダメ元で「サービスで付いたりはしないのですか?」と言ってみる。 言ってみるものだ。 それともいつも利用している店だからか、おまけにつけてくれた。ラッキー!

カメラの箱ごと携えてライヴ・ハウスへ。 かさばる箱で場違いな大荷物だが自分だけはちっとも気にならない(笑)。 ライヴが始まる迄の時間、箱を開けてカメラを取り出す。 (友人曰く「普通こんなところで箱を開けない」だそーだ。) コンパクトフラッシュは上手いこと手に入れたが、問題は電源だ。 こういう時単三乾電池など普及型の電池が使える機種はうらやましい。 かすかな期待を込めて、充電池をセット。 電源が入る!やった! 早速日付をセットしろと表示が出る。 適当にいじって日付や撮影サイズなどセッティングしてみる。 なんとかなりそう。 いずれにせよ説明書を見る余裕などない。 このまま適当に使ってみよう。

今日は、銀塩一眼レフで撮る予定だったのでレンズは持っていた。 早速、レンズを本体に装着。 すっかり浮かれている自分がいる。 そんな風に浮かれていると「こういう時ってこぼれた水がかかってくるんだよね」などとおっしゃるお方が…。 おっしゃりたいことはごもっともだが、そんなドジは踏まない!(…が、別のことでドジを踏んだ…苦笑)

比較的撮りやすい条件のライヴハウスなので、露出補正など考えずそのまま撮ってみる。 AFポイントを中央に絞っていなかったのは失敗(というか、パッと見で設定方法がわからなかった。)で思うところにピントが合わせられない〜と思いながら撮影。 勝手知ったる銀塩一眼レフも併用。 二つのカメラをとっかえひっかえあいかわらず怪しい客だ(笑)。

この日はライティングの効果を考えて撮る程余裕がなかった。 内容が大好きな曲のオンパレードで浮かれていたってこともあるのだが。

最初は暗いと思ったファインダーだったが、明るいステージに向かって撮るには問題なし。 ピントの山もつかめる。 いつぞやか見せてもらったEOS digital(のどの機種かは失念)のファインダーよりずっと良い。 銀塩一眼レフと比べると重さはずっしりくるが、撮り始めてしまえばあまり気にならない。 そもそも不釣り合いなレンズを付けているかもしれないが。 サイズは持った印象として同じくらい。 手の小さい私でもOKな大きさ。

さてさて、撮れた写真は…やっぱりシャッターのタイムラグが無いというのは素晴らしい! 絵の感じも、これなら扱いやすそう。 ただし、銀塩で撮るのとは被写界深度の入り方など違う。 銀塩でイメージした絵と同じものを撮るには少し考えないといけなさそう。 問題は交換レンズかもしれない。 やっぱり 35mmF1.4 を持っていないのは痛い。 28mmF2 はやっぱり広角レンズな写りで、銀塩換算の42mmという感じでは使えそうにない。 標準域をカバーしつつポートレート的に撮れるようなレンズがないのは辛いかも。

新しいカメラを入手して浮かれているのに加え、ライヴが楽し過ぎたのでさらに浮かれたままその余韻を引きずっている。 ライヴで聴いた一曲一曲について語りたいところだが、ここは The Knack の「My Sharona」をピックアップ。 Get The Knack

一発屋の称号を授けられてしまっている The Knack だが「My Sharona」だけかというとそうではないと思う。 デビュー・アルバムの Get The Knack は「My Sharona」も含めシンプルなロックが満載。 どれもなかなか甲乙付けがたい出来ではないだろうか。 …という私もこのデビュー・アルバムしか知らないのだが、一発屋と言ってしまうにはもったいないような気がする。

しかし、なぜ“ビートルズの再来”というキャッチコピーでデビューしたのだろうか。 あの当時の音楽シーンでは、これだけシンプルな構成のストレートなロックはちょっと珍しかったかもしれない。 が、今聴くとどこがどう“ビートルズの再来”なのか意味不明。 アルバム・ジャケットとタイトルは「Meet The Beatles」をパクっているのだそうだが、言われてみればそうかもしれない、という程度。 このキャッチコピー故、一発屋につながってしまったのではと思わなくもない。

デビュー当時、日本に来日したこともあって「My Sharona」だけはかなり認知の浸透率が高い。 「明星」とか「平凡」のような雑誌にも The Knack の記事が出ていたように記憶している。 そして、ウォークマン(初代だ!)を買って喜んでいた、という内容が妙に印象に残っている。 (もし記憶違いだったら大笑い。)

そんなことはどうでもいい。 彼らの音楽は「My Sharona」だけでなくもうちょっと評価されてもいいかな、と思う。 でもやっぱり「My Sharona」はいい。

平和組曲

画像は「平和組曲」というライヴアルバムのジャケットだが、ここで取り上げるのは、一曲目に収録されている「威風堂々」。 残念ながら「威風堂々」というタイトルではクレジットされていない。 これには紆余曲折あったのだ。

「威風堂々」といえば、エルガーのマーチ「威風堂々」を思い浮かべる人も多いかと思う。 それで正解。 エルガーの「威風堂々」のモチーフを使ってロック組曲に仕上げられたのが、ゴダイゴの「威風堂々」だ。 彼らの全盛期1979年頃のコンサートで良く演奏されていた名曲。 コンサートに行かないと聴けないか、というとそうでもなく、全盛期だけあって彼らのライヴの映像や音は、テレビやFMラジオを通してさんざん流れていた。 その全盛期に発売された彼らのライブアルバム「マジックカプセル」に、この「威風堂々」は収録される予定だった。 が、当時はエルガーの著作権が切れておらず、ロックに編曲したものをレコード化するなど許可できない、ということで実現しなかった。 レコード化されたのはそれから5年後、1984年のライブアルバム「平和組曲」だ。 この時も「威風堂々」のタイトルを使うことはかなわなかったらしい。 「平和組曲」とタイトルが変わってしまったこの曲だけは、1979年全盛期当時のライヴ音源でアルバムに収録された。 他は新しいライヴ音源だったのだが…。 (「Take It Easy」も1979年の音源だったら良かったのに…)

なぜタイトル使用の許可が取れなかったかと言うと、エルガーの「威風堂々」は英国では国歌といってもいいくらい英国民に愛されている曲だからだそうだ。 もちろんオリジナルの「威風堂々」も素晴らしい。 だが、ゴダイゴの「威風堂々」もモチーフは借りているものの名曲中の名曲だ。 ロックというよりブラス・ロックと言った方がいいかもしれない。 ブラス・ロックと言えば…

…そう、この「威風堂々」は間違いなく Chicago にインスパイアされている。 特に Chicago のデビュー曲「Question 67 and 68」にインスパイアされているのは間違いない。 何かのインタビューだったかと思うが、ゴダイゴは Chicago のようなサウンドを意識していたか目指していた時期があったそうだ。 ライヴアルバム「Magic Capsule」の収録曲は、ホーンズ・セクションを加えたライヴアレンジでスタジオ録音バージョンとは一味違っている曲も少なくない。 この「Magic Capsule」と「威風堂々」がゴダイゴの一つの頂点だったことは間違いない。

発売された当初は「Magic Capsule」をなんとつまらないアルバムだと思ってしまったのだが、今思うとこれが残っていて良かったと思う。 もし、ベスト盤を買おうと思うくらいなら「Magic Capsule」を買え!と言いたい。

しかし「威風堂々」はこの全盛期のライブアルバムに収録されなかった為、ファンのみが知っている名曲となってしまっている。 「威風堂々」が収録されているアルバム「平和組曲」のCDは既に入手困難だし、中古レコード屋を巡っても全盛期のアルバムのようには簡単に見つからない。 今となっては多くの人の耳に触れる機会が少なくなってしまっているのは非常に残念だ。 「威風堂々」を収録した2枚組ベストCDなんかもあったように記憶しているが、それも現在は入手は困難だろう。

そんなこともあり、あるお方に(半ば無理矢理?)聴かせたのだが…こういう時いっさいがっさい入っている iPod は便利…まず一言。 「これ凄い難しいんじゃない?」 はい、実にミュージシャンらしいお言葉。 たぶんその通りだと思う。 でも、演奏しているのはゴダイゴですからね。 しかもライヴ専門曲ですからね。 ごまかしなしだ。

さぁ、今日はライブ撮影だ!…ちっがう!ライヴ鑑賞だ(笑)。 楽しみ〜。 と前の日から、ワクワク。 新しいデジ一眼も入手したことだし、またこれを使っちゃおうか …となるとレンズはどれを持って行こう …比較的明るい場所&撮る自由度が少ないからズームにしてみようか …焦点距離のことを考えると銀塩一眼レフの方がいいかな…。 しかし、ハタと気が付いた。 今日のライヴはアコースティックではないか〜! デジだろうと銀塩だろうと、シャッター音の出る一眼レフは却下。 シャッター音の消せるデジカメしか選択肢はなかった(大笑)。 あわてて充電を始める。 なんか間抜けだなぁ…。

ライヴですか? 期待以上に楽しめて満足!

2005-08-22(Mon)

兆候

魔の月末はまだ来週、と油断をしていたら(油断するとかそういう問題でもないと思うが…)、鍵を忘れる、という予想外のハプニングがあった。 鞄を変えたときに鍵だけ移し変えるのを忘れただけで、なくしたわけではない。 なくしたらそれこそエライことになっていたのだが、そこが魔の月末ではないところか…(だからそーいう問題じゃなくて…笑)。 妙に鞄の中がすっきりしているなぁとは思っていたのだが、まさか鍵が入っていないとは、家に着く寸前まで気が付かなかった。 なぜ気付かない>自分。 しかし、そこまで気付かなかったということは、余計なことで一日気をもむ心配もなく、ある意味幸せだったりして…。 だーかーら…(以下繰り返し)。

これから魔の月末に向かうので、とっかえひっかえ鞄を取り替えるのは危険そうだ(大笑)。

Pisces Aquarius Capricorn & Jones Ltd

「シンセサイザーの父」ボブ・モーグ博士が亡くなった。 どのニュース記事を見ても、ポピュラー音楽界ではビートルズが初めてモーグ・シンセサイザーを使用したかのように誤解を招く書き方をしている。 しかし、ここで声を大にして言っておこう。 ポピュラー音楽界で初めてモーグ・シンセサイザーを使用したのはモンキーズだ。 モンキーズは1967年のアルバム「Pisces Aquarius Capricorn & Jones Ltd (スター・コレクター)」で使用している。 ビートルズが使用したのは1969年のアルバム「アビー・ロード」だ。 モーグ・シンセサイザーを使用したモンキーズの曲は、彼らのテレビショウの中でも流れていた。

意地悪な言い方をすれば、ポピュラー音楽界でいち早くシンセサイザーを使用できたのが、モンキーズだったりビートルズだったりしたのは、彼らが売れていたからだ。 稼いでいたがゆえ、実験的な試みをするだけの金銭的余裕があったということである。 もしかしたら、どうぞ使ってください、と提供を受けたのだったかな?その辺り記憶が定かではない。 いずれにせよ、モンキーズの方が早かった、それは確かである。

今の場所に引っ越す前に住んでいた所では、なんといっても花火が見られたのが夏の楽しみだった。 「ドーン、ドーン」と音が聞こえてくれば屋上へ直行! 非常に古い建物で、そういう意味では住み辛い点が多々あったのだが、古い故、周囲の建物より高い。 (建て直すと同じ高さまでは建てられないとのことだった。) だから、遮る障害物が少なく花火が見られるのだ。 贅沢にも部屋の窓から見られる花火大会もあった。

今住んでいる所は、ほぼぎりぎりの高さまでの建物ではあるのだが、花火の音は聞こえど見ることはできない。 天気が良い日には富士山が見えるはずなのだが、首都高に遮られて見る事は出来ない。 つまり遮る障害物が多すぎるのだ。 しかし、花火の音はやたらリアルに聞こえてきたりする。 先日もそうだった。 まるで花火が目に浮かぶくらいリアルに聞こえてくるのだが、肝心の花火は見えない。 「ドーンと大きいのが一つ上がった」「これは連発。派手だなぁ…」等など。 なんだかとっても悔しかった。 しかし、いったいどこの花火大会だったのだろう…。

毎年、隅田川の花火に出かけていた頃は…パワーあったな…(苦笑)。 しかし、隅田川の花火大会は、名が通っているだけに面白いのだ。 花火自体も大きいものが多いし、オーソドックスなものから新作の「へぇ〜〜〜」というような形の花火が見られて楽しかった。

「iPodなどを私的録音補償金制度の対象に」とJASRACなどの7団体が声明を出したのは一ヶ月ほど前。 このままなんでもかんでも私的録音補償金を取って行く方向に流れてしまうのは納得がいかない、と思った。 続報によるとiPod課金は賛否両論、補償金制度の廃止にも言及されたようだ。 文化審議会の小委員会では「現時点では特定の結論に意見を集約することはできなかったと記載。引き続き検討する必要があるとした」とのこと。 今後どちらに転ぶかわからないからなんとも言えないが、とりあえず、すぐに iPod に課金される方向にはいかないだろう、ということで少々ほっとした。

iPodも課金の対象にしたいJASRACの考えは、簡単に言ってしまうと、 「現在私的録音補償金の対象外であるiPodなどのハードディスクもしくはフラッシュメモリ内蔵型デジタルオーディオプレーヤーの利用が拡大して私的録音の主流になりつつあり、…このままでは、いずれは収入が事実上ゼロになってしまう可能性がある。」 つまり、中間搾取できなくなるから困ると言っているも同然。 レコード会社も然り。

きちんと対価を支払ってCDなり購入しているのだから、私的録音補償金を別途課すのは著作権料の二重取りに当たるのではないか、という微妙な問題も解決されているとは言い難い。 さらに現在の私的録音補償金制度は、私的録音しないユーザーも負担を強いられる。 補償金の返還制度もあるが、実情として、私的録音を行なっていない人が返還請求したとしてもかえって損をしてしまうという問題点がある。 これを「返還制度」を用意しているということでいつまでも逃げていていいのだろうか。 いいわけないじゃないか!

DRMなどのコピーコントロール技術を必ずしも認めているわけではないが、今の不透明な私的録音補償金制度よりはよっぽどまし。 (CCCDやら姑息な手は却下)

しばらく前からテレビの調子が悪い。 まず、ヘッドホン端子がいかれたのはいつのことだったか…。 努めて気にしないようにしていたが(そういう問題か?)、スピーカーの調子もなんだかおかしい。 先日、音がほとんど出なくなってあせったが、たたいたら直った。 ン〜原始的な直し方(笑)。 時間の問題かと思うが、音に関しては LINE OUT 端子があるのでなんとかなるだろう、と暢気にしている。

ところが、画面おかしいんじゃない?と言われた。 いつもこのテレビを見ているから多少おかしくてもわからないのだろうか? 不安になってきたがまだ使い続けている。 10年越えたのでそろそろ真面目に考えておかないととは思うのだが、テレビって高い…。

躊躇する理由は値段の問題だけではない。 規格の問題もあるのだ。 買い替えをスコープに入れて調べてみると、プラズマだの液晶だの出てきていて迷う。 さらに外部端子の問題。 D端子が付いていれば充分かというと長い目で見たときそうは言い切れない。 時代の流れから考えてデジタル端子になっていくのは必然だ。 そして、最近のテレビは各種チューナーが内臓されているのが売りだったりするのだが、このチューナーがついていても我が家はちっとも嬉しくないのだ。 ケーブルTVの線はきていてもアンテナはなし。 ケーブルTVのサービスに満足しているわけではないが、地上波チューナーさえあれば充分なのだ。 …となると、なかなか「これ」というものがない。 よって買い換えられない…。

いろいろ悩んで、未だにHDDレコーダーもDVDレコーダーもなかったりするんだな…。

映画「ハリー・ポッター」シリーズでロン役のルパート・グリントが天才少年役で出演している。 ルパート君はなかなか良い味をもっているとは思っているのだが、 …が、あまりのバカバカしいストーリーに自分のお財布を痛めて迄(つまり映画館に行くとかDVDを買うとか借りるとか)見ようとはしなかった。 そんなわけでシネフィル・イマジカで放映したのを機に見てみた。

やっぱりバカバカしいストーリーに絶句。 ナンセンスの連続。 でも、子供の目から見たら案外世の中ってこんな感じなのかもしれない。 …というか、昔は子供だった自分はそんな風に思った。 だから、ナンセンス、といっても、パロディ系お笑いナンセンス映画とは一味違う。 しかし、いったい時代設定はいつなのだろう。 1960年代を意識しているのは明らか。 でも、現代風のハイテクもあり。 いや、ナンセンスだから滅茶苦茶なのだ。 だが、1960年代風のテイストにしたのは意図的なのだろう。 だいたい、ロケットがスペースシャトル風というよりアポロ風だ。

バカバカしくナンセンスで滅茶苦茶なのだが、メッセージあり。 あまりにわかりやすく今更なメッセージではあるが、ちょっと感動的なフレーバーになっている。 こんな映画、大真面目に作っちゃって…。 まぁでも2度も3度も見たい映画ではないな…。

α Sweet デジで検索してここを訪れて下さる方が少なからずいらっしゃるようで、カメラの話を書くのは少々緊張する。 私のようなド素人でしかも“モグラな”写真ばっかり撮っている者の意見が果たして参考になるのかどうか…。 もっとも、検索で来た途端、回れ右して去っていく方も多いのだろうなあ…。

フライング・ゲットしたその日に、早速85mmF1.428mmF2でお試し。 説明書を読む暇もなく「使い方がよくわから〜ん」と四苦八苦しながら撮ったのだが、85mmF1.4G の描写には感動〜。 やっぱり魔法のレンズです、これは。 しかしだ、35mmフィルム換算にしたときに127mm相当の望遠レンズ。 使うシチュエーションが難しいかも。 一方、28mmF2 はどちらかといえば広角レンズな写り。 α Sweet デジと組み合わせて標準域をカバーするには物足りない感じ。 う〜む…。 その後、もう一回使ってみた。 広角レンズな写りとはいっても、銀塩で撮れたようなシャープさが出ない。 ピント合わせで失敗している? 案外難しいかも。

さらにその後、50mmF1.4 でお試し。 α Sweet デジと組み合わせると中望遠域になる。 85mmF1.4G のように自分が上手くなったような錯覚まで夢見させてくれないが、まぁまぁ使える感じ。 扱いやすさは銀塩のときと同様、といったところ。

私の手持ちの短焦点レンズのラインアップが28mmの次が50mmというのが痛くヒビく。 銀塩のときも35mmが欲しかったのだが、それ以上に今、35mmの明るいレンズが欲しい。 明るいレンズが必要だから、ズームは意味ナシ。 しかし、ズームも一度くらい使ってみる価値はあるとは思うので、そのうち試してみようとは思っている。

随分前に早期予約したお芝居(ミュージカル)のチケットが届いたんですけど…、キャー〜、センターブロック前から2列目じゃないの〜。 嬉し過ぎます。

ごく普通に楽しむのだったら、もっと後ろの方が舞台の全景が見渡せていいのですが、これはもう既に何回か観ていますからね、一度前の方で観たかったのですよ。 何回か、といっても今度は再々演。 たぶんまた何度か観に行くからいいんです。 一回くらいは、“超”前でね。 しかし、前過ぎて舞台の上が見えないという噂も…。え?

しかし複数回行くには先立つものが…。やりくりどうしよ…。

今日で8月も終わり。 ホッとするような、何かと忙しい秋を目の前に戦々恐々としなくてはいけないような…。 とりあえず魔の月末は穏便に終わりを告げるようだ。 ヨカッタヨカッタ…。

しかし、昨日から喉が痛い。 風邪ではない。 事情を説明すると長くなるから省くが、一昨日、声を張り上げすぎたせいだ。 一日もすれば治るだろうと思っていたのだがまだ痛い…。 それにしてもちょっと声を張り上げるとすぐこれだ…。 半年ほど前、人前で30分ほどしゃべっただけで翌日喉が痛くなった。 普通にしゃべっていたはずだし、しゃべりまくり、というわけではなかったのだが、無意識のうちに声を張り上げていたようである。

高校生の頃、文化祭の二日目、声がガラガラでまったくひどい状態になったことがある。 一日目、そんなに頑張って接客やってしまったかなぁ…。 原因はよくわからない、というか覚えていないが、まったく声が出なくなったこともある。 さすがにその時は耳鼻咽喉科に行ったが、まったくしゃべれないというのは不便なものだ。 しかし、その不便な状態で、学割使いの最後の旅行を決行してしまったが。 旅行が終るころにはなんとか普通にしゃべれるまで戻っていたが、最初はずっと筆談だった。

去年、風邪をひいたときは、熱はすぐに下がったが声だけは2週間くらいガラガラのままだったし…。 まぁ、そのおかげで熱は下がってピンピンしているのだがみんな気遣ってくれてありがたかったりして。 とはいってもその前の段階の高熱が出ていたときは一見普通だから、誰も気付いてくれなかったしなぁ〜。 そういう自分も熱を測るまで「なんかおかしいかも?」くらいにしか思っていなかったが。

ま、とにかくだ…喉が痛くなるほど声を張り上げるのは止めよう、と深く反省...