落し物、忘れ物得意です。 …って言いたくないが、傘の次は今度は定期を忘れた。 自動改札機を通したときの磁気定期券の取り忘れってヤツ。 あ〜あ。 取り忘れたことに帰りの時点まで気が付かなかったのは幸か不幸か...。 ご親切に駅では自宅に連絡を入れてくれたらしい。 が、その連絡は外にいた私に届かず。 定期入れに定期がないことは、帰路で気が付いた。 おかしい。 ん〜…と考える。 行きの時に撮り忘れたに違いない。 絶対そうだ。 駅員さんに尋ねる。 同じ駅だがそこは新線の改札口。 本線の改札はちょっと離れているが、電話して確認してくれた。 あるらしい。 ホッ。 ちょっと離れた本線の改札まですぐに取りに行くか、と聞かれた。 終電の発車まであと7分くらい。 終電の発車はよく遅れることがあるので、取りに行って戻って間に合うかどうか聞いてみると×。 仕方ないので、翌日取りに行くことにする。 終電の発車時間間際、接続の電車が遅れているので発車が8分遅れるというアナウンス。 はっぷんも〜?...最初にわかっていれば定期券を取りにいけたじゃん! さらに言えば、電車に乗っている時間が10分くらいしかないことを考えると8分というのはかなり長い時間である。 時間返せよ。
翌日、遠回りして定期を取りに行きましたよ、まったく。
何らかのお祝いやら何やらかんやら、イベント続き。 元来の“実はイベント好きかもしれない”血が騒いで目まぐるしい。 目立ちたいわけではないがささやかなサプライズになれば本望。 どうしたら喜んでもらえるか、どうしたらウケて貰えるか、せっかくだから自分らしく表現できるもの、自分ならではのもの...。 タイムアウトで充分アイデアを練る事ができなかったこともある。 イベントのはしごをしなければいけないこともあったし、真夜中の3時にケーキを焼いていたときはいったい、自分、何やってるんだろう?と思った。 ま、しょうがないよね、好きでやっているんだから。
それももう少しでようやく一段落。
…と共に思うことたくさん。
「無理が通れば道理が引っ込む」ようなおかしな世界と長くつきあっていると、だんだんわからなくなってくる。 「所変われば品変わる」?そんなレベルじゃない。 「郷に入っては郷に従う」とは言っても、おかしなことをおかしいと思う感覚は失ってはならないと思う。 自戒もこめて。 「長い物には巻かれろ」とは言うが、それって一歩間違えれば「ごろつき」と同じじゃぁないか? 「朱に交われば赤くなる」とは言うが「同じ穴の狢」にはなりたくない。 「君子危うきに近寄らず」に限る。 「煮え湯を飲まされ」てからでは「後の祭り」。 「出る杭は打たれる」ならば「憎まれっ子世に憚る」のはどうだろう? 「桃李言わざれども下自ずから蹊を成す」なんて美しくはいかないからね。
常々思っていることだが…、
私という存在がなくなっても、世の中、何も変わりはしない。
君は心を飛ばせるか?
これはある意味、交通事故。 心の交通事故なんだ。 思いっきりクラッシュした。 そこに障害物があることを知らなかったから。
「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」か...。 「馬の耳に念仏」以前に聞く耳をもってもらえないことは非常に悲しかった。
ガラスは割れて修復不可能。 ずたずたのボロボロ。
しがらみを吹っ切るきっかけがようやくつかめた。
何事もプラスとマイナスはセットである。 今までほんの少しプラスが多かったものが、マイナスに転じる。 しかしプラス要素がなくなったわけではないのだ。 それを切り捨てるのは...
私は、クリエーターなんて言えるほどのことはしていないが、それがなんであれ、自分の手がけたものが、自分の手で、世に出て行くのは嬉しい。 それがお金になるかどうかは関係ないのだ。 (なんて、言っていられるのは、お金を稼ぐ仕事を別にしているからかもしれないが。)
逆に、自分の手がけたものが、世に出て行くのを永久に封じ込められた時…、言いようの無い寂しさを感じた。
著作権をめぐる動きが活発である。 デジタル化、ネットという技術の発展の恩恵を受けて、著作物に対する扱いはどんどん厳しくなってきた。 そしてさらに厳しくなる傾向。 特に、ネットを介するなど、ネットが絡むとそれ以外のケースに比べて厳しい。
その1:違法サイトからの著作物ダウンロードは違法。
今まではダウンロードできるようにアップした人、某P2Pソフトのようにダウンロードできる仕掛けを作った人、が罪に問われた。
違法なものであってもダウンロードして個人的に楽しむ分にはこれまで罪に問われなかったのである。
ところが、これが変わる。
違法なものをダウンロードしたらダウンロードさせた側だけでなくダウンロードした本人が罪に問われるようになる。
ただし、違法性を知っていた場合のみ、という実にグレーな解釈を残している。
本人が仮に違法性を知っていたとしても「知らない」と言い張る余地が残されているわけである(爆)。
だからと言って「知らない」ふりをすればいいではないか、では済まされないだろう。
個人個人が、今、自分がダウンロードするものが著作権的に違法かどうか、これからは意識していかなければいけないということである。
個人個人が目の前の情報やコンテンツを信じるか信じないか、信じるとして信憑性はどの程度か、ネットの世界では常に判断していかなければならない。 ネットから流れ出てくるものは、放送や出版を通したものと違う。 個人も団体もプロも素人も、同じ土俵で情報を発信できてしまうのがネットの世界である。 受け取る方は常に、自分の目の前のものを受け取るか受け取らないか、信じるか信じないか、判断していかなければならないのである。 しかし、多くの人は、そういう習慣が無い。 今後の教育は、自分で判断することの重要性を教え、その力量を養っていかなければいけないのだと思う。
その2:著作権法違反の親告罪→非親告罪化。
これはまだどうなるかわからない。
非親告罪になることで著作権者本人でない第三者が違反、違法性を訴えることができるようになる。
音楽の分野では著作権者本人がJASRACに著作物の管理を委託しているケースが非常に多い。
その結果、音楽は著作権違反に一番うるさい。
いちいち著作権者本人を捜し当てなくてもJASRACに申請して手続きをふめば、正当に音楽を利用できるというメリットもあると言えばある。
一長一短。
音楽以外の世界で、2次創作がさかんな分野がある。
必ずしも認められているわけではないが、悪質でない限り黙認されていたりする。
かといって許諾されているわけではない。
パロディ、本歌取りなど模倣から発展する文化もある。
非親告罪化した場合、それはどうなる?
全部、芽を摘まれてしまう可能性はないか?
非親告罪になったからといって、手続き等を踏むことを考えると今までと大きく変わるわけではない、という意見もある。
でもねぇ...。
以上、まだ法として改正されるかはわかりませんので、お間違いなきよう。
今日は、久しぶりにライブに行く。(久しぶりって、どんだけ〜(笑))
今日は、久しぶりに写真を撮る。(久しぶりって、どんだけ〜(笑))
今日のライブ撮影は、半分、依頼されていることもあってちょっと緊張しているのだ。 なぜ、素人の私に...、というのもあるし、依頼される以上、失敗でした、ということは許されない。 まず、充電池の充電からぬかりなく…(苦笑)。
緊張しているわりには、ガチガチというわけでもない。 前回撮った写真を「納品」しなければならないので、あわててバタバタとその用意をしたのだが、その写真を見返しながら思った。 楽しもう、という気持ちがあるから。 どの写真にも楽しさが詰まっていた。 プロではないのでプロ意識で撮る気はさらさらない。 撮る側が楽しめてこそ良い写真になる、それが私の信条。 だから、楽しむこと、も必要条件。
とはいえ、ちょっと楽しみ過ぎたか?(苦笑)
たしかにそうかもしれません。でも、自分が生きていた証をなにか感じさせたいと思う。
プラスとマイナスは相対的なもので、いまプラスと思っていても実はマイナスかも。逆もまたあり。
あれれ、いい歳をして思わずボードに書き込んでしまいました。
ほんとうは、iPodを買い換えたのでお聞きしたいことがあったのですが
ボードがだいぶ前なので、ここに書かせていただきました。
明日赤坂へ行きますので、もしかしたらお会いできるかもしれませんね。(2007-09-25 22:19:04)
どんなに過去の記事(ボード)にコメントをいただいても「最新コメント」などからすぐわかりますので、iPodのことはそちらから書き込みいただけると嬉しいです。
どんなことでしょうか。
では、そちら(iPod)で…。(2007-09-27 23:07:43)