hirika
 ある意味、同人とかバンギャルとかと同じだよな、となんとなく思った。閉じられた世界に違いないし。社会的な捉えられ方ってのが180度逆だから気づく人も少ないんだろうし、そう言われると不愉快だろうけど。
【このトピックへのコメント】
  • hirika要はあれか、ネットをやる人間というのはどんな年代のどんな職に就いているかに関わらず、リアルでの人間関係に不満を持ち、ネットで「自分にとって都合の良い人間」だけのコミュニティを作り上げ、そこにこもりたいという欲求があるってことだろうか。(2004-09-16 02:46:57)
 DVDが発売される前、職場に店頭放映用のDVDが入って来た。それを観て気になったので機会があればぜひ観たいと思っていた『ボウリング・フォー・コロンバイン』が今日、テレビで放映された。
 最後に、マイケル・ムーアが殺された少女の写真をある人に見せようとし、しかし相手にされずに立ち尽くす姿を見て、「ああ、この人はすごく怒っているんだ。そしてひどく悲しんでもいるんだ」と思ったら、ボロボロと涙がこぼれてきた。
 映画の善し悪しなんてわからない。けれど、この映画にどんな思いが込められているのか、それは伝わってくる。
 多様な価値観ていうけど、それは単純に価値観が増えただけというか細分化しただけだよな。で、それゆえにボーダーレスというか、どこで線引きをすればいいのか判断できなくなっただけというような。
 どこまでを受容し、どこから拒絶するかの線引きが曖昧になって、ともすれば己が切り捨ての対象になるかもしれない状況で、人は無関心であることがイコール受容することだと思い込むことによって精神の均衡を保っている、みたいな。
 区別と差別がすごく曖昧。区別することでさえ差別だと思う人がいて、「区別するからこそ受容できること」もあるのに、平等であることを強調するあまり、「区別しないゆえに受容できない」状況を作り出しちゃってる。
 区別するってのは「自分とは違う」ときちんと認識することじゃないのか。たとえば足の不自由な人がいるとして、人は平等だからとどんな状況に於いても放っておく。それが「差別しないこと」であり、それこそが人権を認めることだ、みたいな。多様な価値観を受容することだ、みたいな。
 違うんじゃないの? 「この人は足が不自由なのだ」ときちんと認識しなければ、どう気づかえばいいのかさえわからないんじゃないの?

 多様な価値観という言葉のもとに行われているものの実体は、受容という偽りの名をつけられた無関心と、そこから生まれる非認識。自分と似ていない者をそうと理解し、きちんと認識して適切な距離と接し方を模索することからの逃避。
 物は言い様で、人は耳障りの良い言葉の表層だけを見て理解したつもりになり、その本質やそれが秘めているものを知ろうとはしない。そしていつだって物事は、それが本当はどういうものであるのかということより、多勢が支持しているかどうかが重要で、それによって是とするのだ。
 何が言いたいのかというと、同人やヴィジュアル系、リスカや自傷、自己卑下といった弱者であるがゆえにそれに縋るしかない人々に対して世間が冷淡なのに、根源はそう遠いものではないと思われる、同じ病理を抱えるソーシャルネットワークに対し、世間は好意的であるというのが気に入らない、ということだ。
 弱者はいつだって搾取の対象にしかならない。世間は弱者の弱者たるゆえんにつけ込んで出来るだけむさぼろうとする。そしてその恩恵にあずかるのは、いつだって、何も知らないくせに知ったふりをして善人ぶる強者だ。
【このトピックへのコメント】
  • 環和我話「Re:最近腹が立つこと。」鋭い本質を捉えたことばなので、メモメモ。(単に「お試し日記」風です。)>根源はそう遠いものではないと思われる、同じ病理を抱えるソーシャルネットワークに対し、世間は好意的であるというのが気に入らない、>...(2004-09-17 15:44:02)
環和我話 2004-09-17 15:44「Re:最近腹が立つこと。」へのコメント:

 「お試し日記」! 懐かしいですね。今だから言いますが、あたしはあの頃、眞知さんを自分より2、3つ年上のお姉さんだと思ってました。
【このトピックへのコメント】
  • 環和我話「Re:Re:Re:最近腹が立つこと。」精神年齢的には、そうかもしれない(笑)>2、3つ年上。で、あの日記読んでた方の中には、わたしを男だと思ってた方もいたようなんですよ。でもほんと、懐かしいよね。お試し日記。自分でもそう思う。遠い...(2004-09-18 00:30:47)
gene 2004-09-12 02:13「リンクを貼られたときどうするか。」へのコメント:

 あ、ほんとだ、safariでログインできるようになってる。

 シダさんの場合、文章だけでなくイラストもあるから微妙な感じはするんですけれども、やっぱり「人様の日記・その他テキストに文中リンクする」のって、この界隈のローカルルールなんでしょうかね。日記・ブログ界隈にいるとそれはふつうだったりしますけど……。
 誰かもう一度「リンクに関するアンケート」やってくれないかなぁ。

 あまり関係ないですが、これ書いた後、本家のアクセスが3分の2弱に減りました。あはははは。
 昨日テレビで宇多田ヒカルが任天堂のCMに出ているのを見た。と言っても最初の3秒くらい。あ! と思ったときには父にチャンネルを変えられてしまっていた。
 で、たった3秒でなぜ任天堂だとわかったか、またなぜ宇多田ヒカルだとわかったか、と言えば、任天堂のCMは必ず最初に「ピコーン!」という音が鳴るし、「できたできた!」という嬉しそうに笑う声はあのヒッキー独特のものだったからだ。それと、映像の後ろに流れる、どうしようもなく心を引っ掴まれる“I still remember the ways that you touched me”のフレーズ。
 『Easy Breezy』という曲は“You're Easy Breezy and I'm Japaneesy”という歌詞ももちろん好きではあるけれど、曲の最初に耳に飛び込んでくる“I still remember the ways that you touched me”にはそれ以上の、「もうほんっとにこれって最上級じゃない?」というくらいのパンチ力があると思う。
 訳詞を見ると「あなたの手の感触を未だに覚えている」なわけで、あたし的にはこれだけで床を転げ回りたくなるような気持ちになる。これだけ「ああ、わかる」とか「思い出すと切なくなる」みたいな歌詞がこれまであったか? いやたくさんあったかもしれないけれど、このメロディに英語で、という、英語という言葉の響きでなければ伝わらないんじゃないかという想いを、そこに乗せているような気がする。
 日本語だとどうしても湿っぽくなりがちで、しかも思い入れが強すぎてアレな感じがしなくもないけど、“I still remember”──もうそれだけで、自分の体験の中から思い出が自動的に引き出され、想いを重ねそうになる。
 覚えている──そう、「憶えている」。そう言いたくなる思い出は誰にだってある。そして、その思い出がどんなものであるか、何を伴っているかはひとりひとり違うだろうけれど、“I still remember the ways that you touched me”という歌詞はきっと誰もを同じような想いの中へ、連れて行ってくれる気がするのだ。
 『Easy Breezy』はただただ切ない曲というわけじゃないけれど、だからこそ、最初に耳に飛び込んで来る“I still remember the ways that you touched me”という言葉には、どうしようもなく人を引き込む力があるのだと思う。

 ちなみに『Easy Breezy』をiTunesで聴いた回数は164回。……なんだ、少ないじゃん。
 ヒッキーが出演しているCMは任天堂DSキャンペーンサイトで見ることができます。ブロードバンド推奨。うちの環境だと表示が崩れてちゃんと見れなかったよ。
 ふと、あたしの書いたものを読んでいる人は、一体あたしを幾つくらいだと思っているんだろう、と思った。
【このトピックへのコメント】
  • 出雲眞知子私より年下(笑)。(2004-09-28 21:48:22)
  • hirikaわはは、確かに。くそー、その手(表現)があったかー(笑)。(2004-09-29 02:48:33)
  • ちきちきたぶん同い年だと思うんだけど・・・ネタ次第で年下にも感じるし、年上にも感じる(笑)(2004-09-29 15:03:36)
  • 月浬文章だと実際よりもうちと年が近い気がしますよ(笑)
    26〜29歳くらい?
    (2004-09-29 17:01:33)
  • hirikaあたしもたぶん同じか、あたしの方がひとつ下くらい? と思ってるんですが(干支は戌)。ネタで年齢のイメージが変わるってのは意外。>ちきちきさん。
    26だとサバ読み過ぎだけど、外見と同じくらいに見えるってこと?(笑) ああでも、やっぱり実際より若いイメージなのね。>月浬さん。
    (2004-09-30 00:03:14)
 ちょっと探し物をしてたらこんなのを見つけたよ。しかもキティ本人(?)のブログまであるの!
 ハローキティクラブに入会すれば使えるんだけど、有料なのよねー(月々315円(税込))。でも@hellokitty.ne.jpのメアドももらえるらしいし、ちょっと血迷うところですな。むー(ブログ自体は使いづらそうだし、絶対入りたくない類のコミュニティだし、絵文字入りの文章なんざ頼まれても読みたくないんだが)。
 検索から跳んで来る人がいるので、何気にあちこちUtadaについての感想を見て回ってしまう。で、まぁそんなにたくさん読んだわけではないのだけど、やっぱしあれかな、「洋楽を聴き慣れていない人」にはあのアルバムはわかりにくいんだなって印象。わかりにくいっていうか、はっきり言うと「聴くことすらできていない」だな。
 感想とかさ、評価するしない以前の問題なのね。なんか、自分が日記とかでアレコレ書いたことに対して、まったく理解せずにとんちんかんなことを言ってくる人ってたまーにいるじゃない? それとおんなじ感じっていうか。おそらく本人はちゃんと意味を理解している、と思い込んでいるんだろうけど、みたいな。
 なんかそれと似てる。