hirika
 どうもトラックバックスパムの定義がわからないんだけれども、あれかな。「なんでトラックバックされたのかわかんね」というのは全部スパム、という認識でいいんだろうか。それとも、ちょっと待て、なんだろうか。
 以前、ひとつのエントリーを十数人にトラバした人がいて、それがうちにも来た。しかもまったく関係ないトピックに。頭に来たのでシカトしたが、なんかまたしても今日、おんなじようなのが来て。

 素朴な疑問なのだが、トラックバックってひとつのエントリーを何十人にも送るものなのだろうか。「ここにこういう情報がありますよ!」と、相手が望んでもいない情報を押しつけるためのものなんだろうか。
 個人対個人のやり取りならまだわかる。たとえ相手が望んでいなくても、「こういうのもあるけどどうよ?」というコミュニケートになるからだ。が、こっちの意思なんぞ無視して送られてくるトラックバックははっきり言って非常に不愉快だ。

 つーわけで先ほどサクサク削除しちゃったんだけど、なんだかなぁ。ブログとかトラックバックとかコミュニケーションとかさ、一体全体ああいう人達ってのはどう考えているんだろう。
 似たようなことが書いてあったらとにかくトラックバックを送るもの、と思ってるのかなあ。人とのやり取りって概念はなくて、情報集積のツールでしかなくて、情報さえ書いてありゃそれでOK、とか。
 つか、生身の人間が書いているような感じがしないのよ。テレビやラジオのニュースのように一方的に発信してて、読み手のことなんざまったく念頭にない感じだし、書き手の存在そのものがすごく機械的な印象なのね。
 なんかさ、たくさんの人に読まれたいと思っているのかなぁ、だったらなんでこんなことしてんだろ、と思っちゃったよ。
 今日の仕事中、お客さんに商品の説明をしていました。洋楽コンピの中でどれがいいかということだったので、年齢(あたしよりちょっと歳上の女性)も考慮してあれこれ説明をしていたのです。すると背後から「すみません」という声が聞こえました。振り返ると、2、3メートルほど離れたレジの前に、中学生の女の子が立っていました。なので先ほどのお客さんに断ってレジへ行くと、予約票を出して聞こえるか聞こえないかくらいの声で「ベラベラじゃべってんじゃねえよ」と言います。聞こえなかったふりをして予約の商品を取り出そうとすると、さらにまたブツブツ呟いています(今度は何を言っているのか聞き取れなかった)。結局何も聞こえないふりをして接客を終えたのですが、「ああ、病気なんだな」とその女の子に対して思いました。
 確かに商品の説明をしているとき、あたしもお客さんも談笑しながらではありました。ですが、常連の、気さくでおしゃべり好きな方ですし、ふだんから世間話をするていどには親しくさせていただいているので、どうしても談笑しながらになってしまうのです。そのときしていたのはお客さんが商品を選ぶお手伝いですし、どうしたって仕事でしかないのですけど、きっと女の子にはあたし達がただのおしゃべりをしているように見えたのでしょう。そして、その女の子がレジの前にいるのに気づかなかったのはあたしの落ち度なのでそれについては言い訳はできませんけれども、どうにも考えてしまうのです。
 デスコミュニケーション。その女の子もまたよく来てくれるのですが、これまでのようすを見ていると他者との対話を厭うような感じがするのです。自分の世界に閉じこもり、他者との関わりを煩わしく思い、他者と関わることなく機械的に物事が運ぶことを望んでいる──あくまでそういう印象を受ける、ということですが。そしてこれは想像でしかありませんが、その調和が乱されることに強い怒りを感じるのではないでしょうか。「店員がおしゃべりをしていて自分に気づかない、だからCDが買えない」ということにふつうの人々より強い怒りを感じ、しかし他者と対峙することは避けたいので口の中でブツブツと文句を垂れる。
 今になって思えば、最初に「ベラベラじゃべってんじゃねえよ」と言ったとき、「商品の説明をしていたんですよ」とひとこと言えば良かったのだと思うのですが、その言葉を聞いた途端あたしの心は恐怖に凍りつき、ただ愛想笑いを浮かべることしかできませんでした。なんのことはない、あたしもその女の子と同じ、人とのコミュニケーションを避けているわけですが、しかしあえて言うなら「ベラベラじゃべってんじゃねえよ」という乱暴な言葉は、あたしには自分に振り下ろされる刃のように思えたのです。
 他者の存在、人と人、人と物事の関係、世界が回る仕組みを知らずに自分の世界しか見えないということ。見えないからこそ他者がどんな状況であるかを考えることもなく、怒りを爆発させることができる。そしてその怒りはその人の内に留まっている間はいいけれど、いつか、何かのきっかけで物理的な攻撃へと転ずるかもしれません。内に閉じこもること、その中から出ようとはせず、他者や世界を知ろうとしないことによって生まれる認識のずれ、ためらいのない攻撃性。あたしはそれが恐いと思ったのです。
 結局は自己弁護、己の正当化のためにここまで書いてきたような気もしますが、あたし自身の他者とのコミュニケーションに於ける自戒も含めて、引きこもるのではなく自分の世界に閉じこもることについて、もっと考えた方がいいのではないかと思います。その女の子についてはまったくの想像なので病気なのではなくぜんぜん別の理由があるのかもしれませんが、もしそうでなかったとしたら──
 閉じこもることで世界が他者が見えなくなり、ためらいのない攻撃をする人々が増え続けてしまったら、この先の世界はとても恐ろしいものになるような気がします。
 仕事中いろいろと考え事をしているときにふと思ったんだけど、日記読み日記って死語なんだろうか。つか、それ以前に「日記読み日記」ってネットの、どこらへんからどこらへんまでに広がっていたんだろう。数年前、あたしが登録したばかりの頃の日記才人にしたって、登録者全員が日記読み日記の存在を知っていたとは思えないし、今現在だと「日記読み日記って何?」という登録者の方が多そうな気もする。

 なんでそんなことを考えたかと言えばトラックバックについて考えていたからで、日記読み日記とか、そこまでゆかなくとも文中リンク貼って言及するとか、日記才人の中ではそれほど珍しいことでもなかったわけで、そういう文化(と言うと大袈裟だけど)を見てきた上で現在の、どうしようもないトラックバックなんかを目にすると、どうにも違和感があるというか、「同じweb上で文章を書く行為だけど、もしかしてブログってまったく別のものなのかしら?」と思ってしまうのだ。
 ブログはweb上で文章を書くのにも、それに反応をもらうのにも容易なツールだと思うけど、なんか、ブログサービスを行っているサイトのヘルプやブログについての説明を読んでいると、ツールの使用方法の説明だけで、どういう用途に使用するのかという部分が欠けている気がする。ふつうに日記を書くだけとか、人とのコミュニケーションのためとか、情報集積に使うとか、その用途によって「どこにどういうトラックバックを送るのか」は変わってくるはずだと思うのに、そういう説明がされてないように見える。もちろんネットスキルというか、いつどういうタイミングでどういうサイトを見ているか、にもよってweb上での己の振る舞い方にも影響はするんだろうけど、どうにも、「人も切れるし林檎も切れる」ということを教えずに「ナイフ」をあたえているのと同じような感じがする。
 話を戻すと、日記読み日記なんて今さらなんだろうし、そういうコミュニケーションの方法というのはすでにwebの流れから外れているんだろうけれど、「なんでトラックバックされたのかわかんね」というものが送られてくると、どうしても「文章を書くということ」とか「言葉による対話」とか、そんなことを考えてしまい、「昔は良かった」と年寄りみたいなことを思ってしまうのだった。
 というか、もう本当に基本的なことなんだけど、この1年、あるいは半年の間に初めてweb上で言葉を綴るようになった人達って“何がしたくて”ブログを使い始めたんだろう。書くことによって何がしたくて、何を得たいと思っているんだろう。
【このトピックへのコメント】
  • hirikahttp://www.nikki-site.com/index.pl?id=39998
    ↑ひさびさに「日記批評・批判、日記才人関連」を覗いてみたが、本当に関係ないことばっかりだな。読まなくていいや、とスルーできるものばっかり。
    (2005-02-03 01:21:04)
 読み手とその反応についてここ数日グダグダと考え続けている。

 あたしのように「ブログを利用してリアルタイムで書く」のと「ローカルで書いてftpでアップする」というのを両方やっている人ってどのくらいいるんだろう。あたしにとってその二つはいろいろな面で意味が違い、両方あるからこそ自分の内でバランスが取れるのでこういう方法をとっているんだけど。
 はっきり言って全部ブログにしてしまった方が読み手にも親切だろうし、それぞれに散らばる読み手も一ヶ所に集まるので「どれくらいの人が読んでいるのか」の想像がしやすいとも思うんだけど、うーん、やっぱしリアルタイムで書くのと、頭の中でこねくり回してから書くのとでは、「どこへ向けて書くのか」とか「どういう反応が欲しいか」とか「自分はなぜそれを書くのか」が違うので、はっきりと分けておかないと自分でも混乱しそうな気がする。
 この日記は「できるだけ読み流せるものを」とか「取っつきやすいものを」という方向で書いていて(とは言えときどき真面目で重めの語りになるけど)、人とのコミュニケーションに重きを置いているつもりだけど、本家の方は完璧に「書き手」と「読み手」の間にラインを引いてたとえ知り合いでも馴れ合うのは嫌だと思っている。まぁどちらも反応があればうれしいけど、実は本家の方は「反応があればものすごくうれしいけど、反応がなくてもかまわない」と思ってる。なぜなら、反応がなければ「あたしは反応がなければ書けないのか。反応が欲しいために書くんじゃなくて、本当に、どうしても書きたくて書きたくて仕方がないから書くんじゃないのか」という自問自答ができるから。
 書くことってのは伝えることで、それがどんな形をとるにせよ、コミュニケーションとは切り離せないものだと思うんだけど、それも込みで「自分はなぜ書くんだろう」っていう。誰も頼んでない、お金がもらえるわけじゃない、誉めてくれる人がいるわけでもない、でもどうしてあたしは書きたいんだろう、書かずにいられないんだろう、書きたいという欲求が湧くんだろうっていう。
 たぶん「伝えたい」からなんだろうな。たとえ反応がなくても伝えたい、訴えたい、この思いはどこかに届くかもしれないっていう。実際に伝わるかどうか、届くかどうかは置いといて、「自分は書きたいし伝えたいんだ」っていう欲求・衝動が自分の内にあるかどうかってことが、読み手がどうこうってことよりも自分自身にとって一番たいせつっていうか。
 正直、本家の方の欲求や衝動っていうのは以前からくらべるとかなり低くなってきている。きてはいるんだけど、でも書いておきたいことはあって、でもそれは「今書かなきゃ」っていう切羽詰まったものではなくなってきて、近い将来書き上げることができればいい、というものになってる。それに加えて他の欲求の方が勝ってしまい、ついつい手をつけずにダラダラと時間ばかりが流れてゆくんだけど、そういう「誰も反応しない、他にもやりたいことがある」という中で、「本当に自分は書きたいのか、伝えたいのか」っていう。
 反応があればそりゃうれしいけれども、どうしても自分の望まない反応があるとブチ切れてしまうし(一時期多かった「共感しました」「私の話を聞いて」「人生相談」系の反応)、あたし自身の心の問題(というかコミュニケーション不全)もあって反応があったとしてもそれをきちんと受け止められなかったりするし、あたし限定で言うと本当に「なんだかなあ」というか。いや、本家でやってきたことでここまで自分自身が変わることができたので、その次の段階として、この日記でコミュニケーションスキルを上げることが(今のあたしには)必要なのかなあ、とも考えていたり。
 読み手とか反応とか言っても人それぞれで、大体のところは同じなんだろうけれども、書くことで何がしたいのかも問題だよな、とか、自己表現とコミュニケーションの関係、とか、web上には「これだ」というはっきりとした見本というかお手本がないから模索し続けるしかないのかな、とか、一般的な基準になることってなんだろう、とか、なんか、ねえ。要はそのとこを自分自身でどう受け止めるかっていう、それに尽きるんじゃないか──と言ってしまうと話は終わってしまうんだけれども。

 何を書いているのかよくわからなくなってきたのでこれでやめるけれど、読み手の反応がないっていうのは、それまで読み手一方だった人が語り始めたからじゃないのかな、とも思っていたりする。あたしと同じように、自分から人に接しようとしないで反応を返してくれる人を待っているだけの人が増え過ぎたんじゃないか、と。
http://www.asahi.com/national/update/0205/013.html?ref=rss

 ↑ここを読んで思い出したが、ライブのときすごく不思議に思うことがあって。なんか会場に入って自分の席について周囲を見ていると、自席に荷物置いたままどこかに行っちゃう人が多いのよ。友達と一緒に来てて、荷物見てもらったりしてるんならわかるんだけどそんなこともなく、財布すら持たずにどこか行っちゃうのよね。や、財布はすでにポケットに入れてあるのかもしれないけど。
 あたしは基本的に「人を見たら泥棒と思え」とゆー人だから、まったくもうそれが信じられないの。盗んでくださいって言ってるようなものじゃん、と思う。なんかそれを見るたびに、「あんた達そんなに人を信用していいの? それとも自分は被害に遭わないとでも思ってるの?」と思わずにいられないのよね。
 それともアレか、あたしが人を信用しなさ過ぎなのかね?
【このトピックへのコメント】
  • 誰そ彼は「Re:置き引き。」うちの喫茶店でも荷物を置いたまま(財布や携帯など貴重品まで!)ふらふら出掛けてく人多いですよ。うちの店は本屋に併設されてて出入り自由だし、休日はともかく、平日はまったりした雰囲気だから自宅のように寛いでるお客...(2005-02-06 23:15:56)
 午後7時ごろうっかり布団に横になったら眠ってしまい、目覚めてテレビをつけたら9時45分で、ほんの数分しかみれませんでした(TT)。まぁ、竜と隼人が顔を見合わせるのと、竜がヤンクミに「言ってろよ」とぼそっと突っ込むのが見れたので諦めることにします。そう、竜が人の輪から離れたところでぼそっと突っ込むのがあたしは大好きなのでした。それに、次回予告を見ると来週は啓太が中心の話のようなので、来週こそは何があってもちゃんと見ようと思います。竜と隼人がどう啓太に絡むかが(以下略)。

 なんてことを考えていると、早速こんなキーワードでの検索が。思わず苦笑。しかしあたし的にはこう、第1話で啓太が「俺たち3人小学校からつるんでて」という感じのセリフを聞いてピンと来てしまったので、竜はリバ可というか、ええーと、あたしがどういう妄想をしているのかは皆さんのご想像にお任せします、という感じなのですが、ともかく、竜は受じゃなくてもぜんぜんOKなのです。むしろトラジハイジが表紙のオリコンの亀梨&赤西インタビューにて、赤西くんの「俺は人見知りなので」発言でまたしてもピンと来てしまったので、もうどっちもアリというか、どう転んでも楽しい想像しかできません。それに先ほどの検索経由でこんなものも見つけてしまい(わかりやすいようにキャッシュ)、「おお、同士がいた!」とちょっとだけ喜んでいます。そう、啓太かわいいんだよ、だから大変なんだよー(何が)。
誰そ彼は 2005-02-06 23:15「Re:置き引き。」へのコメント:

 ああ、でも喫茶店とかだとちゃんと店員が気をつけて見てるようにしてるでしょ? どの席にどういうお客さんがついたか把握してないとアレだろうし。だからまぁ、喫茶店とかファミレスならまだわかるというか、そういうことするのもわからなくはないんだけど(あたしはどんなときも貴重品は持ち歩くけど)、ライブ会場でってのがねー。
 昨日『ごくせん』が見れなかった鬱憤を晴らすため、買ってしまいましたKAT-TUNライブDVD。発売されたのは2003年2月26日で、コンサートが行われたのはその前の年の夏ということで、亀梨和也くん16歳、赤西仁くん18歳のときですか。
 で、早速先ほどから見ているんですけど、亀梨くんの竜とのイメージの違いにびっくりです。なんでこんなやんちゃ坊主っぽくてオラオラなんだ。ひっくり返るかと思ったよ。が、そのやんちゃ坊主っぽさがもうめちゃめちゃ可愛いな。歌声と踊りはあまり好みではないのだが(ちなみに踊りは堂本光一、今井翼が好き)、やー本当にかわいいわ。『ごくせん』で初めて見たときは「思いっきり受け顔だなぁ」と思ったのに、この性格は決して受じゃないよなー……。
 そしてこのDVD、実は亀梨くん目当てに購入したのですが、。すみませんごめんなさい、見てたらもう思いっきり赤西仁くんに撃墜されてしまいました。
 いやもうだって、黙ってるとちょっと恐そうというか取っつきにくそうというかそんな感じなのに、コンサートの合間に見せる笑顔がもう激ラブとしか言いようがないくらいかわいい! すんごい邪気のない笑顔で亀梨くんの比じゃないくらい胸に突き刺さって来るし(ハートの矢が)、なんかこう、ちょっと不器用そうなところとか、でも観客とかメンバーに対する気持ちはすごく素直に出すんだなぁ、みたいなところとか、それに歌とか、6人いるのでなかなか見分けがつかないんだけど、つい目で追ってしまうあれは誰だろうと良く見ると彼だったりとか、もう本当に駄目です、完璧にハートを射抜かれてノックアウトされてしまいました。いやもうほんと、このDVDを買ったのって亀梨くん目当てのはずだったのに。や、買って大正解、仁くんの素晴らしさを知ることができたので大変良かったんですけど。
 しかし、ああ駄目だ、このままでは3月2日発売のジャニーズJrのDVDも買っちゃいそうです……。この病気はあれですよ、あらたん以来ですよ。気をつけないと今放映中の『ごくせん』がDVD化したらそれも買っちゃいそうだ、あああー。
 あと、そうそう。途中ひとりひとりじゃべるところがあるんですけど、いやー、言葉に詰まったりしてるのを見て「がんばれー」と祈ってしまったり、ぎゅーっと抱きしめたくなってしまいました(亀&仁ではない)。お目当ては個人ではあったんですけど、KAT-TUNというグループのメンバーの、それぞれの人となりをちょっとでも知ることができてうれしかったです。

 しかしあれです。あたしって実はその昔、デビュー前のKinKi Kidsの武道館コンサートのビデオを買ったりもしているのです。『8時だ! J』も見てたし『I LOVE Jr』も見てたし──つかその前の『I LOVE SMAP』も見てたよ。こう、コンサートに行くほどではなく、テレビや雑誌で見てるだけで充分楽しくて、でもここ数年はすっかりジャニーズに対する興味ってなかったんですけど、ほんとどこでどう転ぶかわからないですねー。ああ、もうすっかり仁くんに心を鷲掴みにされてるです。
 ひさびさに妹ちゃんの日記が更新されたのでいそいそと読みに行きました。そしたら一行目に、
竜ちゃんカワイイ!!
 どうやら妹ちゃん、「ごくせん萌え」しているようです。しかも
しかし。別にジャニの亀梨くんに興味がある訳ではなく。
あくまで竜ちゃんです。
天然ボケの入ったクールな竜ちゃんが好きなのです。
 さらには、
でもって武田ことタケちゃんも好きー☆爆
昨日の中学生に手ぇ振ってる所なんか
可愛くて可愛くて!!
 ※タケちゃん=武田啓太。

お前もかよ!

 なーにあたし達姉妹は同じようなハマり方をしてるんでしょうか。や、妹ちゃんはKAT-TUNには興味がないようなのでアレですけれども、男の子を可愛いと思うポイントが同じっつーのがほら、やっぱりこれは血なのか? みたいな? 妹ちゃんはKAT-TUNには興味がないようですけれども、昨日購入したDVDを見て仁くんにKOされたあたしとしては、これはぜひともそれを見せねば、という気持ちになってきたですよ(仁くんは妹ちゃんの好みではないのでハマらないような気がしますが)。

 というか、『ごくせん』に於いてはそりゃもう竜ラブ、なあたしではありますけれども、KAT-TUNだと仁くんラブ、なんですよね。や、亀梨くんを見てると「あー、この人アイドル向けの性格してるよなー」というか、人に見られることに自覚的でサービス精神も旺盛、しかもそれらのことに客観的、という印象で、そういう意味では評価しますし(偉そう)とてもラブなんですが、本当に個人的な好み、もうどうにも目を惹きつけてやまず、ずっとその表情の変化や動き、しぐさを見ていたいと思ってしまうのは仁くんなのです。ほんと、笑うとすごく印象が変わるので、そのギャップに心を鷲掴みにされてしまうわけですな。
 そんなこんなで、亀梨&仁に完璧やられてしまったあたしの病気の進行具合はいかほどか、というと。ええーと、今日本屋に行ったら亀&仁が表紙のduetという雑誌があってですね、ついうっかり買って来てしまいました! いやー、二人だけで映ってるページの亀、めちゃめちゃかわいいし、仁、カッコイイよ? それにそんなにカッコイイのに「イヤだ、絶対イヤ」って、ぐはー! ←すでに末期。

 あ、それと昨日のDVDの感想の追記。
 亀が十字を切るのがめちゃめちゃかわいい! それに仁ほんとうにかわいい! めちゃめちゃかわいいよ? つか亀&仁、二人とも本当にかわいいなー。タイプの違うかわいらしさなんだけど。それと仁、ソロがソロがソロが! バラードなんだけどちゃんと聴かせてくれるし声と歌い方が好き(歌は後から入れ直してんのかもしれないが)。つかものすごく攫いたいという気持ちになるんですけど! しゃべりも歌声も声で仁だとわかるようになってしまったし、途中から仁、ずっと満面の笑みを浮かべててそれがもう! うわーん! ああ、仁の『大きな古時計』と『愛されるより 愛したい』フルコーラス聴きたいー。歌だけじゃなくて踊ってるところちゃんと見たいー。
 てゆーか、昨日見てたときも思ったけど、今日見てて確信してしまった。仁、笑うとタッキー(14、5くらいのときの)に似てる、雰囲気が。がーん。で、タッキーと言えばタッキー主演のミュージカル『DREAM BOY』のDVDが出ているんだが、それにもKAT-TUNが出てるので、それを買うかどうか迷い中。えええー。
 あ、あと泣いてしまったメンバーを微笑みながらハグする亀が激ラブだ(いや変な意味じゃなくて)。つかあたしさ、このDVD見ながら一体何十回「かわいい!」と声に出して悶えているんだろう……。絶対人に見られたくねー。

 てゆーか、ふと冷静になって一体何人の読み手が退いているのかと考えると……。
【このトピックへのコメント】
  • すーすーけっこー引いてますが気にしないでおいて下さいw
    (2005-02-08 00:03:48)
  • hirikaうわああぁん、やっぱり退かれてる!
    お気遣いありがとうございます。でも大丈夫です、こういうときのあたしは誰にも止められません……。
    (2005-02-08 00:21:04)
  • Nanaワハハ、hirikaさんかなりハマってますね。私は引いてませんのでこのまま突っ走って下さいネ。
    実は私も亀&仁にハマりかけてたけど整形前(本物かどーなのか知りませんが)の顔をみてしまい百年の恋も醒めてしまひました。
    (2005-02-08 00:52:35)
  • hirikaマイカテゴリ作るようじゃもうお終いだな──と思っていたのですが、ありがとうございます! 心強いです!<実は私も亀&仁にハマりかけてた
    つか、えー、整形ってどっちがですか? 亀? 仁?
    (2005-02-08 01:08:45)
  • Nana一応ここで。ttp://nbbs.naver.com/nmulti/read.php?board_id=minimansey_3&nid=449(2005-02-08 15:26:56)
  • hirikaありがとうございます。(2005-02-09 00:29:13)
 実は今日もまた見ているKAT-TUNのDVD(見るのが日課になりそうです)のコンサート中の顔と、今現在の顔も、かーなーり違うのです、亀&仁。え、このくらいの年の男の子って2年半くらいでこんなに顔変わるの? ってくらい。なので、すでに耐性ができていて教えてもらったアレを見て驚きはしたものの、じっくりと見比べて「あー、あーなってこーなってそーなるのかあ」という感じでした。いや、「わー、亀へ(以下自主規制)」「仁ほっぺぷくぷく」とは思いましたが、「整形……整形なのか? これじゃよくわかんね」みたいな。
 つか、なんだろーなー、一般の人もそうだと思うけど、人の顔って変わってゆくじゃないですか。毎日見てるとその変化に気づかないけど、間が空くと「ええ?」ってくらい顔が変わってたり。……や、うちのお客さんの中に中学生の頃から通ってくれてて今では二十歳過ぎの男の子が何人もいるんですけど、みんな格好良くなっちゃってるんですよ、中学生の頃と比べると。明らかに面立ちが変わっちゃった子もいるし。だからなんか、ねぇ。芸能人で人に見られるのが仕事なわけだから、女の子じゃなくてもこれだけ変わってもおかしくないじゃん? みたいな? もし本当に整形してるんだとしても、「あたしの好みに変わってくれてありがとう! ラブ!」「あー昔はこうだったんだ。でも今こんなに格好良くてかわいくて良かったねー。つかあたしが良かったよ!」つー感じです。
 てことで、ええーと、すみません、こうなっちゃうとあたしってほんとにただの痛い人なので、亀&仁に対する愛は変わりません。顔が変なのは認めるけど。

 あとね。ごめん仁。今日DVD見てて「ああ、どうしてこのときで時間を止めてくれなかったんだ……」とアホなことを考えてしまいました。や、今の仁はそりゃカッコイイし色気もあるし素敵ですが、この18歳のときの邪気のない、幼さの残る素直な笑みはもう、見てるだけでしあわせになれるんですよ。生きてて良かった、とさえ思えてしまうという。や、ずっと見てたらどうにもタッキーの笑顔とだぶってしまい、「あたしってば昔のタッキーの面影を仁に求めてるだけなのか?」「あたしってそんなにタッキー好きだったか?」「そりゃタッキーと呼ぶことに未だに違和感があるけど」「声変わりする前からずっと見守り、滝沢と呼んできたあたしとしては」と衝撃を受けてしまったんですけど、ああでもやっぱり仁とタッキーはぜんぜん違うし、別のところに惹かれてるわけで、しかしやっぱりこの“少年の幼さ”を残している仁はすごくラブだよう、この頃の仁をもっと見たかったよう、と思ってしまうわけです。本当に、ひっさびさに思いっきりいろいろなところがツボ。

 あ、それと余談ですが。深田恭子ちゃんは整形したよね、ずいぶん前だけど。ある日雑誌の表紙見て「これ誰?」って、マジで数分フカキョンだってわかんなかったもん。
【このトピックへのコメント】
  • Against all odds「Re:顔が違う。」げーのーじんって素の人を探す方が大変なのかな?ってくらい整形が日常茶飯事なんでしょうか?やっぱり成長しているんだから顔も変わって当然なんだけどなんだか自分が目を付けた男の子の過去が「ギョエ!マジっすか?」っ...(2005-02-09 01:50:39)
  • gene「Re:顔が違う。」 仁への愛が止まりません。このままだとファンクラブへの入会を検討することになりそうです。どうしたらいいですか? 本当に、マジで冗談じゃなくなってきたのでかなり危機感を抱いている今日この頃なのですが、しかしそ...(2005-02-10 00:04:07)
 仁がソロで歌うTOKIOの『君を想うとき』を、先ほどからずっとリピートで流してます。で、昨日聴いてたときも気になってたので、仁と聴き比べるために今日、TOKIOの『BEST EP SELECTION OF TOKIO 2』を購入してしまいました。
 で、家に帰って来てから早速聴き比べてみたのですが──ごめん長瀬(とTOKIO)。仁の方が聴いてて泣きそう。

 てゆか、仁とTOKIOだと曲のイメージぜんぜん違うなー。
gene 2005-02-09 00:30「顔が違う。」へのコメント:

 仁への愛が止まりません。このままだとファンクラブへの入会を検討することになりそうです。どうしたらいいですか?

 本当に、マジで冗談じゃなくなってきたのでかなり危機感を抱いている今日この頃なのですが、しかしそれはさて置き。
 顔が違うことに対する「騙された!」という思いはあたしもなくはないのですが、ピエロちゃんで免疫がついてしまったのかもしれません。ほら、一応ピエロってヴィジュアル系なわけで、バリバリ化粧してる顔を見慣れたりとかしてるわけですよ。なのにDVDでうっかり素顔を見てしまい、「ええええぇ〜?」ということがあったわけですから。つかピエロに限らないですけど。
 で、それって「昔はこうだった」じゃなくて、「現在もこうだけど化粧でごまかしてる」的なものだったりするじゃないですか。男性が女性の素顔を見てショックを受けるのと似ているというか。現在の顔もアレなのにアレだと衝撃も大きいんでしょうけど、今はかわいいしカッコイイのでいいや、みたいな──え、てことはあれか、雑誌やテレビで見る分にはいいけど、もし素顔を見てしまったら?
 ……今現在、もしメイクしなかったら、とゆーのは考えないことにします。しなくても仁はカッコイイはず!
【このトピックへのコメント】
  • すーすー全然ネタと関係ありませんが、お誕生日おめでとうございます♪(2005-02-10 01:33:33)
  • hirikaありがとうございますー。ふふふ(←かなり嬉しいらしい)。(2005-02-10 01:42:26)
  • シダ失礼な云い方で申し訳ないんですが、なんだか『溺れてる』状態のhirikaさんを見てるのは楽しいです。ふふ。
    お誕生日おめでとうございますー。間に合って嬉しいです。
    (2005-02-10 01:50:09)
  • hirikaありがとうございます。「間に合って嬉しいです」に苦笑を禁じ得ません(笑)。
    溺れるの、本人が一番たのしいです。つかね、これからが本領発揮です。あはははははははは(泣笑)。
    (2005-02-11 00:03:08)
 書いても書いても仁のことを書き尽くすことができません。
 これはきっと恋に違いないです。←正気か。

 というわけで、ほぼ仁のためだけに購入しました。タッキー主演ミュージカル『DREAM BOY』DVD。あまぞんのレビューを読む限りではあまり期待できそうもなかったのですが、これを購入したのには訳があります。
 そもそもKAT-TUNがメインでない映像なのですから、堂本光一主演『SHOCK』という選択肢もあったわけです。が、この『SHOCK』の公演は2002年、DVDとなったKAT-TUNのコンサートが行われたのも同じ2002年です。しかし、あたしはできることなら2003年から2004年の間の映像が見たいと思いました。
 なぜなら、あたしの知っている仁くんは『ごくせん』での今と、2002年夏のコンサートのとき、そしてそのDVDに特典として収録されている、2002年末あるいは2003年初めごろに撮ったと思われるジャケット撮影の姿だけです。
 つまり2003年から2004年の仁くんのことはまったく知らないので、その容姿の変化に対する戸惑いを埋めるためにもその時期に撮った映像が見たかったのです。そして、その時期に当てはまるのがちょうど1年ほど前に公演された『DREAM BOY』だったのでした。

 で、感想なのですが──
 購入して大正解。壮絶に色っぽい仁を堪能できます。いや、髪型とメイクのせいもあるんでしょうけど、演技をしている間の仁はずっと色っぽい表情なんですよ。歌ってるときの笑顔は「ああ! 『お客様は神サマー』の仁だ!」と思えるのですが、あのときのあどけなさはなりを潜め、色香の漂うそれへと変化しています。
 いえ、間持たせのためのトークのときに見せる笑顔や突っ込み、演じてないときの仁は『お客様は神サマー』のときと何ひとつ変わっていない、あたしが心惹かれてやまない素直さ、素朴さを見せるのですが、歌って踊っているときはあの中身が嘘のように色っぽいのです。始まって3分58秒で以前のままの笑顔を見せたかと思えば、そのすぐ後の4分30秒のところでは壮絶としか言いようのない翳りのある色っぽい表情を見せ、そのギャップですでにノックアウト、その後はどれほど画面に人があふれようと仁しか見ていませんでした。
 というか、この『DREAM BOY』でやっとまともに仁が踊るのを見たのですけど、踊りも、歌い踊りながらの顔もひどく色っぽいんですよね。あたしは仁の体型がすごく好きで、特に肩から腕、それへの筋肉の付き方、そして手が非常に好みなのですけど、その腕と手がすごく色っぽい動きをするし、目の表情と軽く開かれた口元に浮かぶ表情、というのがもう、「ふだんと人格変わってない?」と本気で訊きたくなるくらい色っぽいのです。
 正直なところを言うと好みのタイプの踊りではないし、振り付けによっては唸りたくなることもあるのですが、体型が好みであることと全身から立ち上る色気で、もうどうにも見ていて楽しくて仕方がないです。『お客様は神サマー』のときにもその片鱗はあったように思うのですが、しかし1年半でそこまで化けるか、という感じですね。身長が伸びた(ように見える)のも要因のひとつでしょうか。
 ともあれ、あの色っぽい仁を見ることができる、というだけでこの『DREAM BOY』はあたし的に非常に価値があります。タッキーには非常に申し訳ないですが、あたしにとってこのDVDは「仁を見て楽しみ、しあわせになるためのもの」となりそうです。

 しかし今回、「色っぽい色っぽい」とうるさいですね。これまで「かわいいかわいい」とばかり書いてきたのに。ですがこれ、むずかしいとは思いますが、実際に見てもらえば納得していただけるんじゃないかと思います。それに今回、この映像を見たことで自分の中で非常に納得がいったことがあるのです。
 『お客様は神サマー』DVD、コンサートからジャケ撮影まで半年ほど間が空いているように思うのですが、その間の変化も大きく、それに違和感がありました。が、『DREAM BOY』でここまで変化しているのを見ると、ジャケットでの姿はその過程の途中だったのだな、と思うのです。実際、見終わって最初に思ったのは、「これで『お客様は神サマー』から今現在の姿まですべてつながる」ということでした。
 何が彼をそれほどに変えているかはわかりませんし、それについてはどうでもいいのですが、あれほどに色っぽいのに中身はまったく変わってないので、「ヴィジュアルがそうなんだから中身ももうちょっと色っぽくなろうよ」と大きなお世話なことを考えてしまったりもするのでした。あのギャップがさらにあたしの心を強く掴んだので、あのままでいて欲しいとも思うのですけれど。
 それにしても、歌っているときに見せるあの笑みは、本当に仁がどういう人であるのかが良くわかるものなんじゃないかと思います。3分58秒で見せた笑みを最初は、「ずいぶん色っぽく笑うようになったなあ」と思いましたが、数十回続けて見ているとその色っぽさに慣れてしまい、ただ「かわいい」と悶えてしまいます。容姿やそのイメージがどれほど変わろうとも、あれと変わらない笑顔を見せて欲しい、と願います。

 余談。仁の上目遣いはアイジさんのそれより攻撃力が高い、と思います。昨年のNKホールにてアイジさんにされた、人差し指を立てて挑発するしぐさ──を仁もやっていましたが、あれをされたら間違いなく、数日何も手につかないでしょう。

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 タッキーのことも少し。
 本編を見る前にメイキングを見たのですが、なんというか、改めて「自分は滝沢のどこが好きだったか」を思い知りました。稽古中はいろいろと大変だったようで、なかなか上手くゆかないこともあったようなのですが、タッキーは常に笑顔なのです。決して難しい顔を見せない。
 昔からそうでした。何があってもタッキーは笑っているんですよね。内心どうなのかなんてわからないし、彼の性格に依るところも大きいのでしょうけど、常に人に笑顔を向けている。ふだんの生活の中で、常に笑顔を絶やさずにいるのは誰にとってもとてもむずかしいことだと思います。でもタッキーはそうしているのです。
 そういう意味で、改めて「タッキーってすごかったんだな」と思ったし、「そこがすごく好きだったんだな」と思いました。

 あ、仁の話に戻ってしまうんですけど、メイキングの中の仁はふつうに格好良くて色気なんてまったく感じさせないのです。タッキーに突っ込みを入れて逆に「うるさい」と軽く叩かれると、「今の撮ってたよ。カメラ回ってる」と言い返して絶句させ、「がんばれよ」という言葉を引き出させるし、千秋楽が終わって乾杯しているときにタッキーがハグすると「カメラ回ってるときだけー」と拗ねたように言うし、本当にかわいいだけなんですね(ハグのときはメイクしてるので顔だけは色っぽかったですが)。なのでまったく期待しないで見始め、だからあの色っぽさにやられた、というのはあるかもしれません。
 にしても19であの色気って……。外見は青年で中身は男の子という感じです。
【このトピックへのコメント】
  • hirika歌声も色っぽくなってます。『お客様は神サマー』でも色っぽかったけどさらに。(2005-02-11 02:12:21)
 偶然たどり着いたステキ仁サイトにあった「仁語録」に、以下のような記述発見。
「溢(あふ)らした」(裸少)
 ・・・「情熱」の、溢れる風ポンダンスを評して。
    日本語学会を揺るがせた衝撃の動詞活用形。

「俺達は不評な扱いを受けている」(裸少)
 ・・・「不当」です。こんなアホに付いて行くじゅんのとゴッチがけなげ。

「二重騒動」(裸少)
 ・・・防音ガラスを指して一言。どうやら「二重構造」と
    言いたかったらしい。もうムチャクチャである。

「僕達が住めるようなお手柄で・・」(裸少)
 ・・・部屋探しの不動産屋で一言。どうやら「お手軽で」の間違い。
    しかし番組では流されていて哀れ。

「難しい言葉使うね、酸味とかさ」(裸少)
 ・・・初期の名言。すべてはここからはじまった(終わった、とも言う)
 なんてアホなんだ、素敵すぎる。あの容姿でこれ。がっかりする人もいるかもしれないけど、さらに愛が深まってしまったよ。←もう後戻りできないところまで来ています。

※裸少=『裸の少年』というテレビ朝日の番組のこと。
 「何言ってんのお前」と言う仁かわいい! 「馬鹿か」って、竜激かわいいー! 木に隠れて武田のようすを伺う場面の仁の顔きれいー。きれいな顔立ちしてたんだなーと今さら思ってみたり。ヤンクミへの「お前何してんの」って声もラブだ。つか仁の声ってすごく好きなんだけど。あと「お前は関係ねーだろ」とか、相変わらず竜の突っ込みがラブすぎ。竜と隼人がチョコの数を競い合うシーンはなんつーか、息が合ってんのか合ってないのか微妙なところに笑ってしまった。つかその前の「俺だったら速攻落してんだけどな」というセリフにもんのすごく納得。そして予告の「馬鹿」という少し掠れた声がー!!
 つーかさ、『ごくせん』だとどうしてもあたし的に「竜ラブ!」だわ。KAT-TUNだと仁しか目に入らないんだけど、『ごくせん』だと竜(亀)に目が行きがち。意識して隼人を見るようにしているんだけど、竜がしゃべるところではやっぱし竜を見ちゃうし。役柄がどうしたって竜の方が好みなんだもん。つか、竜の役って亀に似合ってるし、竜だとあたし的に隼人より格好良く見えるし。隼人はうーん、どうなんだろ。仁の性格とかなり違うんだよなー。隼人だと仁の魅力が半減──どころか五分の一くらいしかわからん。あれじゃただのカッコイイおにーちゃんだ。や、それでもいいんだけど、隼人しか知らずにKAT-TUNの仁を見るとびっくりするんじゃないだろうか。それに今日こうして改めて『ごくせん』を見て思ったけど、あれじゃ仁に目が行かないはずだわ。隼人には「これ」というパンチのある魅力が見当たらん。や、仁だと思って見てるとすげーかわいいんだけど。仁の魅力ってやっぱりあの笑顔なんだよなー、ああ、でも隼人にあの笑顔は似合わない……。う〜。
 でも今日見て決定。『ごくせん』DVD、出たら間違いなく購入!
 と言われなくてもふと我に返ってしまう瞬間はあるわけで、すると思うのは「これは逃避でしかないんだよな」ということ。決して己の日常と交差しない、接点を作る可能性など皆無に等しい対象に熱を上げるのは、人とのコミュニケーションを避けるためと、夢中になることによって思考停止するため。
 この一週間の間に何度かふと思ったんですよ。こんなことしてないで自分の周囲にいる誰かを好きになれよ、と。でもやっぱりそれは恐くて、友達とか知り合いならいいけど、誰かを好きになりかけたとしても、無意識にその気持ちを押さえ込んでしまうし、そうすることで相手と向き合うことから避けようとする。
 でもこれじゃ駄目だ、とは思ってなくて。恐怖心がなくならない限り、やっぱり人を好きになるのはむずかしいと思うし、もし好きになったとしても、自分の思っていることを相手に伝えられずにただすくんでしまうだろうし。
 逃避でしかないとわかってはいるんだけれども、自分が変わっていって自然に人を好きになれるようになるまではこのままでいいよなって。無理矢理に「こうじゃなきゃいけない」と強要すれば歪みが生まれるから、時間をかけてここまで変わってこれたんだし、もう少し、焦らないで自分を待っていてもいいよなって。
 でも、そうやって待って待って待って、人を好きになれるようになったと思ったらもう人生も終わりに近づいてる、ということになる可能性も大きいわけで、そこら辺どうにも、葛藤するところではあるんだけれど、そうやって考えてるともうどうにもならない。
 で、「あー、やっぱし駄目だなぁ」という結論に落ち着いて、自分て本当にどうしようもないなぁと思ったりもするんだけど、そういうどうにも落ち込んでしまう気持ちを吹っ飛ばす力を仁の笑顔は持ってて。今は駄目だけど頑張ればいいよな、と。駄目だけど、だからと言って自分自身を全部否定しなくても良くて、死ぬときに「ここは駄目だったけど、トータルで見ればいい人生だったんじゃないの?」と思えればいいのかな、と。だからがんばろうと、そう思わせてくれる力を持ってるんですよ、仁は。
 なんかもう本当に、きゃーきゃー言うのよりこういうこと書く方がずっと痛いと思うんだけど、ただカッコイイかわいい色っぽいだからラブ、というだけでなくて、気持ち的にというか、心をね、支えてくれるというか、元気づけてくれるから好きで、だからこそこんなにハマっているんだろうし、その気持ちを押さえ込むつもりもないわけです。
 こう、潤じゅんの場合は完璧依存になっているんだけど、仁はただただしあわせな気持ちにしてくれて、元気づけられていて。だからいいかな、と。仁にもらった力で自分に今できることをがんばって、もっと変わっていけたらいい、と思います。時間かかるだろうけど。
 あまりに何度もくり返し見ていたため、『DREAM BOY』で最初に仁&亀が出てきて歌う曲の歌詞を一部覚えてしまいました。が、あの笑顔で歌われたらもう、こっちが「just can't stop loving you」ですよ、ほんとに。

 あの、たぶんね、この「仁ラブ」状態、あと一ヶ月ほど続くと思うんですよ。熱しやすく冷めやすいので、おそらくその頃になれば以前の状態に戻り、ぎゃーぎゃー言うのはたまーに、という感じになると思うのです。なので、あと一ヶ月我慢するか、あるいは「マイカテゴリ-KAT-TUN」だった場合スルーしてください。
 や、もうすでに半数くらいの人はスルーしちゃってるっぽいなー、つー感じではあるんですけど。
 書き忘れてましたが、『ごくせん』に対する腐女子的妄想はすべて吹き飛んできれいサッパリ消え去りました。や、だってもう仁(隼人)しか目に入んないっつーか、いや竜の方が好きなんだけど、仁(隼人)と竜、それぞれが別の意味で好きっつー思いが強すぎて妄想の入り込む隙間がありません。なので本当、「武田啓太+受」の検索で来てくださる方々には申し訳ないですが、他をお探しくださいませ。

 ついでに書いておくと、あたくしジャニーズ関係では腐女子回路が発動しません。意外だと思われそうですが、なんか、どうしても彼らはそうじゃないというか、そういう目で見れないんですよね。
 『DREAM BOY』でも、最後の最後にいきなり翼が出てきて驚くタッキーと一緒に歌って、歌いながら握手するんですけど、それを見ていると「あああー」と。本当にこう──なんていうんだろ、良い友達っていうか、信頼し合う仲間っていうか、そういう関係なんだなぁと、思うんですよ。
 別に滝翼に限らず、ジャニーズの人達ってみんなそうっていうかね、男同士の友情っていいなぁと、もう本当に羨ましくて仕方がなくなってしまう、そういうふうにしか見えないんですよねえ。
 「一体チョコ幾つくらいもらったんだろ」とふと考えてしまった今日はバレンタインデー。もちろん仁が、です。潤じゅんのことは今さっきやっと思い出したという──もうそれくらい仁にメロメロです。

 ところで昨日、「バックで踊っているから」という理由だけでKinKi KidsのライブDVD『Dome F concert』を購入してしまったのですが、その特典ディスクに収録されたインタビューを見ていて思うことがありました。
 インタビューは光一と剛ひとりひとり受けていて、それが交互に映るのですが、剛を見ていると穏やかで静かな空気を感じるんですけど、光一はもう「この人はどうしてこんなに張りつめてるんだろう」と、こっちが息を詰めたくなるような感じなんですよ。
 すごい張りつめた──何らかのきっかけがあれば切れてしまうようなものではなく、何があっても決して切れることがないようそれを押さえ込むのだろうな、という張りつめ方で、それはある人から見れば「痛々しい」と形容するかもしれない感じではあるんですけど、そう言うのはものすごく失礼な、痛々しいと思うことさえ失礼な感じの、強い精神力みたいなものを感じるんですね。
 で、昨年はてなの近藤さんが出演するというので、光一が司会を務める『ジェネジャン!』というテレビ番組を見たんですけど、そのときに「ああ、やっぱり光一って好きだなぁ」としみじみ思ったのを思い出してですね、ええ、あたしは元々『人間・失格』というドラマの再放送でキンキにハマって、それからずっと基本的に光一は好きなんですけど、それを思い出してこう、なんとも切なくなったというか。
 人間て基本的にどうしたって変わらない部分ていうのを持ってるんだろうな、と思うんだけど、なんかこう、光一のこういう部分ってきっとずっと変わんないんだろうな、と思って、で、それが切なくてね。誰かそれを支えてあげられる人はいないんだろうか──そう考えて、で、「ああそうか、だから剛がいるのか」と。
 話は変わるんだけど、本当に毎日『DREAM BOY』を見てて、でタッキーのインタビューを見たりもして思ったんだけど、仁はそりゃすごい好きなんだけれども、思い入れというか存在感の大きさっていうのはやっぱり当然ながらタッキーや光一の方が大きいんですね。タッキーや光一が歌ったり踊ったりしゃべったりするのを見聞きするのは本当にひさしぶりなんだけど、それでもガーっと強く惹きつけられるものがあって、どうしようもなく「やっぱり好きだなあ」と思ってしまうっていう。
 長い時間、ときどき気にしながら見てきたからっていうのもあると思うんだけど、絶対それだけじゃないよな、この人達ってずっと努力してきて、でもそれをわざわざ見せたりしないでがんばってて、こうしてきっかけがあってその姿を見ると「今もがんばっているんだ」っていうのがわかって、そういう懸命なところが好きなんだよな、と改めて思うっていうね。
 まあがんばっているからと言ってすべてが誉めるところばかりか、というとそういうわけでもないんだけど、そういう部分てその人の中に蓄積されていってオーラとか存在感になると思うので──それを世間がどう評価するかもまた別だけど──そうやってがんばる姿をこれからもずっと見せていて欲しいな、と思いました。そしてぜひ仁にもそうなって欲しい、と。
 ああ、結局話の落ちどころはそこかよ、みたいな感じですけど、いやでも本当に、ずっと見てると仁はどうでもよくなってくるというか、意識して集中してないと無意識にふとタッキーや光一に気持ちを持っていかれますからねえ。や、それが当たり前というか、そうじゃなきゃ困るんだけど。
 いやマジで。あたし、仁に対しては「あんたはアイジさんか」と突っ込まずにいられなかったけど(すてき仁サイトの「おとーさんのための赤西くん講座」 に“性格・態度でしばしば言われるのが「負けず嫌い」と「人の話しを聞かない」”とあり、さらには“「電話が長そう」部門1位、堂々のコメント”として「電池が切れるまで話し続けるもん」というのがある)、亀ってアイジさんとかぶるところないと思うぞ。細いってのは共通するけど。