何のために生きているかを知ってしまったら、きっと生きているなんてつまらないだろうな。

 やっぱり、俺は歌が好きだ。別にカラオケに行く必要はない。純粋に、歌うことが好きだ。腹の底から声を出していると気分がいい。好きなとき、好きな曲を歌ってられるのはとても幸せだ。

 今から6年も前の2月1日。記録的な大雪がふったことを覚えているだろうか。東京においてさえ吹雪に近い天候の中、早稲田実業中等部の入学試験は行われた。

 当時、既に私は一流大学への切符獲得のため、受験勉強に励んでいた。とはいえ、当人にそんな自覚はない。単に、四谷大塚というところが主催する模試で好成績を収めることが、幼い自尊心を満足させていたに過ぎない。一流の付属へ入ることなどどうでもいいことだった。それに、塾で一緒に勉強した連中はさすがに頭が良く、学校の友達と遊ぶよりも遥かに刺激的だった。そうでなければ、飽きっぽい私が到底塾通いなど続けられるものではなかっただろう。
 私はスタートが遅かった。通常遅くても小学5年には勉強を始めているものなのに、私は1年遅れて6年生になってからの入塾だった。だが当時の私は、今思い返してもまさに天才と思えるほどで、恐ろしい勢いで様々なことを吸収していった。4ヶ月も経つうちに、既に塾内ではトップレベルの実力を身につけていた。私はおおいに己惚れた。

 試験当日、雪が余りに激しいので、交通機関が止まることを懸念して、始発も動かないうちに親父と二人で家を出た。もう細かいことは覚えていないが、行けるところまで電車を乗り継ぎ、東西線を何駅分か歩いて、ようやく試験会場に到着した。普段の三倍はかかった。全身ビショビショだったが、着替えを持参したので問題はない。
 学校側は、8時過ぎの予定だった試験開始時刻を延期し、昼過ぎからにすることを発表した。当然といえば当然の措置だが、このことは、私の気力を大きく萎えさせた。
 試験の内容は、極めて難しかったこと以外覚えていないが、一つ。円の周りを三日月形の図形を回す問題が出ていた。さっぱり解けなかった。

 雪が天才を凡夫に変えたのか?単に私の限界はそこまでだったのか?ともかく私は不合格だった。
 泣いた。わぁわぁ泣き喚いた。18年の短い人生の中で、あのときばかりは本気で泣いた。本当に受験のみが人生の全てだったのに、早実は私の人生を真っ向から全否定してきたのだ。悔しくて仕方なかった。人の涙がどれほどたくさん流れるのかを教えられた。

 それがあったればこその今の私だが、そんなことはどうでもいいことだ。東京に雪が降るたびに、私はそのことを思い出す。ただそれだけのことだ。

 soliloquy:1.独り言を言うこと。 2.(劇の)セリフ

  NEW COLLEGE ENGLISH-JAPANESE DECTIONARYより

 の一角にある、私のつぶやきを綴ったページのタイトルである。これには、文字どおりの独り言としての意味に加えて、セリフという意味も持たせてある。誰に言うとない独り言ではあるものの、誰かに聞かせる、あるいは聞いてもらうのを意識した書き方になっている。それがつまりセリフということだ。

 人は誰しも自分の人生という舞台の主役であると思う。それは、確実に自分の意志でありながら、多分に演技であるのだとも。少なくとも、私は自分という人間を演じているきらいが少なからずある。であればこそ、私が自分の人生を元にして吐いた言葉どもも、必然劇中における独白となるわけである。

 誰とも知れぬ脚本家が私に吐かせることこそsoliloquyである・・・のかも知れない。