「一般人」は愚かである。
 彼らは流言蜚語に惑わされ、自分の頭で物事を考えないか、若しくは吹き込まれた考えを自分の意見と勘違いする。時に閑居して不全を為し、まったく始末に負えない愚民どもだ。
 本当にそうだろうか?
 おそらくはそうなのだろう。いつだって人間は集まれば衆愚に成り果てるのだ。
 では、自分は?そう考えている自分は、優れた独自の考えを持ち、「愚民」などは及びもつかぬ高等な人生をおくっているのか?
 少なくとも、私はそうではない。有事にあってはおたおたするばかりで邪魔なだけ、平時にあっても碌なことはせず、せいぜい身近な一握りの人間を笑わせたり、迷惑をかけたり、ほんの僅かばかりは役に立ったりが関の山、そんな矮小な存在だ。多くの力無き人々を嘲るほどの人間ではない。むしろ、嘲られても仕方ない部類の人間だ。
 だが、それがなんだというのか。
 私はそんな自分が好きだし、無意識でも自分のことを認めてくれる人々が好きだ。そうして愚かながらも生を貪っていくのみで充分だ。生憎とメタな範囲で役に立つような能力は持ち合わせていない。
 「人類のため、地球のため」頑張れる人は頑張ればよろしい。少なくとも、私は自分を見下すような人間と付き合うような趣味はない。

 とはいえ、私にそうした独善的差別偏見がないわけではない。一時優秀だ優秀だと持ち上げられたことがあるため、むしろそうしたものが強いかもしれない。(私は、頭の悪い=察しの悪い、人間としてセンスの悪い人間が嫌いなのだ。付き合っていて不快感を覚える。)
 そんなところもまた愚かだとは思うのだが、幾ら気を付けても直らないので、あんまり気にしないことにしている。
 まぁともかく、人間そのものが大したモンではないのだから、その中で優だ劣だなどと騒ぐのは滑稽に見えるというものだ。