hirika
2005-08-26(Fri) 01:51

無題

 23のときだ。仕事を辞めると決め、それを上司に伝えた日、終業後に別の部署に行くとOさんに捕まった。Oさんはあたしの心弱さを気にかけてくれており、公私共にいろいろとお世話になった人だ。
 世間話から始まった会話は次第にあたしの退職のことへと移り、いろいろな話をした。とてもヘビーで、それは3、4時間にも及んだのだが、己の内に溜め込んでいたものの多くを吐き出せたからだろう、ボロボロと泣いたのでひどい顔ではあったが、その日はずいぶんすっきりした気分で会社をあとにすることができた。
 だが、そのとき何を話したのか、実はほとんど憶えていない。12年も前のことだから、というのもあるが、きっとそのとき話したことを憶えていたくないのだろう、だから思い出せないのだろう、とも思う。ただ、ひとつだけはっきりと憶えていることがある。「時間を戻せたらいいと思う?」──Oさんはそうあたしに訊いたのだ。
 あたしはすかさず首を横に振った。それに訝しげな顔をしたOさんは少し間を置き、2度同じ問いかけをした。だがあたしは首を横に振った。「そうだよな。時間を戻せたとしてもきっと同じことするよな」──Oさんがそう言うのに、あたしはやっと頷いた。
 こう考えてしまう辺り、あたしという人間は本当に変わらないのだなと思うが、たとえ時間を戻せたにしても、記憶を持って行けないのであればまた同じことをくり返す。いや、もし記憶を残したまま時間を戻せたにしても同じことをくり返すだろう。なぜなら、あたしはどうやったってあたしという人間でしかないからだ。
 何度も同じ失敗をし、同じことを悔やみ、同じことで苦しむ。進んでゆく一方の人生の中で、ひどく後悔したことを憶えていてさえ同じことにぶち当たって躓く。どうすればいいかがわかっていてさえ、己が苦しむ選択をするのだ。記憶がないのならなおさらそうだろう。
 そう、昔は時間を戻したいなどと思うことはなかった。あたしがあたしである限り同じことをくり返すだろう、何かが変わる可能性などないだろうと思い込んでいた。だが、物事はプログラムされているわけではない、些細なことがきっかけとなって変化する。そしてその誤差が今の自分を少しは変えるかもしれない。
 もちろん時間など戻せやしない。言うだけ詮無いことだ。けれど戻せない時間の中に「もしかしたら」という希望や可能性を見ることは、決して間違いではないと思う。時間など戻せないのだから、同じ自分なので変わりようがないのだからと考えもせずに切り捨てるより、何かが変わったのかもしれないと思う方が、生きて行くのが少しは楽になる気がする。
 けれどそんなことを言ってはみても、本当に時間が戻せたにしても、あたしはまた同じことをくり返すのだろう。同じことを悔やんで泣くのだろう。もしかしたらと思うことで余計辛くなることもあるのかもしれない。だが、しかし──そう思えるようになってきたことで、あたしは昔よりも少し、人らしくなってきたのかな、と思う。
 23なんてついこの間のことのようなのに、たくさんの時間が流れ、いろいろなことがあった。そして、望むだけ無駄だと思うようなことに、救いをあたえられるようになった。
 言っても仕方のないことを、願っても詮無いことを、あたしはこの先もっともっと望むようになれるんだろうか。