HNSっていうのはかなり完成度の高い日記ツールだと思ってます。パーマリンクを初めとした、今のblog/日記ツールでは当たり前になっている各種機能とか、アンテナとか、それを使って日記同士が相互言及してる様とか、いわゆるはうン系界隈の技術っていうのは憧れでした。
でもHNS自体はデザインもあまり可愛くないし(がんばればカスタマイズできるんだろうけどそれなりに知識がないと大変)、初心者が使うにはあまりにも敷居が高い。
ここ数年私が目指してきたのは、HNSでできることを初心者(いわゆるオンナコドモ)でも簡単にできるようなものを作る、ということだったように思います。
web日記を書く、という行為を、一部の人だけのものにしたくなかったのです。できるだけ多くの、いろいろな人の生き様を知ることができるようにしたかった。
そう思うようになったのは、ものすごく治安の悪いところにあって時代を先取りして「荒れていた」小学校から、お坊ちゃんお嬢ちゃんばかりの進学校に進んだときに感じた違和感が元だと思います。
確かに荒れているところには行きたくないなあと思って進学校への進学を選んだのですが、あまりにも均質化している「いい子」ばかりの環境もそれはそれで苦痛でした。なんせ小学校の頃の友人に教えられて貸しレコード屋を利用し始めたところ、不良扱いされたぐらいですから。しかも学校側から何か言われたわけではなく、クラスメートから非難されたのです。
その頃から、似たような人しかいない集団の中で価値観が絶対的なものとして形成されていくことへの警戒というのを感じ始め、よりいろいろな立場の意見を知りたいという方向に思考が向いていきました。webやパソコン通信というメディアは、その目的にぴったりと合致したのです。
そんな私にとっては、blogツールの普及でblogの「ノイズ」が多くなり質が低下するというような考え方をする「先進的な」人たちの存在は対極のものです。
そういう人たちが自分たちで勝手に初心者には敷居の高いツールを使って悦に入っているのは別に構わないのですが、自分が進んだ存在でいたいがために初心者でも使いやすいツールが出てきて初心者が参入してくることを牽制するような妙な選民意識は私の意図する方向と真っ向から対立します。
もちろんそんな人はきっとわずかなのですが、単に自分たちが上級者であることに無自覚である人たちというのは、以前アクセス解析をつけろというのは暴論では?というトピックを書いたように、相当数いるなあというのが私の今の感覚です。そういう人たちは、自分たちにできるようなことができないなら最初からwebなんてやるな、といって初心者を排除しそうな気がします。
なので、そういう匂いのする議論を見かけると、ついつい辛口の感想を持ってしまうのでした。