くりす

HNSっていうのはかなり完成度の高い日記ツールだと思ってます。パーマリンクを初めとした、今のblog/日記ツールでは当たり前になっている各種機能とか、アンテナとか、それを使って日記同士が相互言及してる様とか、いわゆるはうン系界隈の技術っていうのは憧れでした。

でもHNS自体はデザインもあまり可愛くないし(がんばればカスタマイズできるんだろうけどそれなりに知識がないと大変)、初心者が使うにはあまりにも敷居が高い。

ここ数年私が目指してきたのは、HNSでできることを初心者(いわゆるオンナコドモ)でも簡単にできるようなものを作る、ということだったように思います。

web日記を書く、という行為を、一部の人だけのものにしたくなかったのです。できるだけ多くの、いろいろな人の生き様を知ることができるようにしたかった。

そう思うようになったのは、ものすごく治安の悪いところにあって時代を先取りして「荒れていた」小学校から、お坊ちゃんお嬢ちゃんばかりの進学校に進んだときに感じた違和感が元だと思います。

確かに荒れているところには行きたくないなあと思って進学校への進学を選んだのですが、あまりにも均質化している「いい子」ばかりの環境もそれはそれで苦痛でした。なんせ小学校の頃の友人に教えられて貸しレコード屋を利用し始めたところ、不良扱いされたぐらいですから。しかも学校側から何か言われたわけではなく、クラスメートから非難されたのです。

その頃から、似たような人しかいない集団の中で価値観が絶対的なものとして形成されていくことへの警戒というのを感じ始め、よりいろいろな立場の意見を知りたいという方向に思考が向いていきました。webやパソコン通信というメディアは、その目的にぴったりと合致したのです。

そんな私にとっては、blogツールの普及でblogの「ノイズ」が多くなり質が低下するというような考え方をする「先進的な」人たちの存在は対極のものです。

そういう人たちが自分たちで勝手に初心者には敷居の高いツールを使って悦に入っているのは別に構わないのですが、自分が進んだ存在でいたいがために初心者でも使いやすいツールが出てきて初心者が参入してくることを牽制するような妙な選民意識は私の意図する方向と真っ向から対立します。

もちろんそんな人はきっとわずかなのですが、単に自分たちが上級者であることに無自覚である人たちというのは、以前アクセス解析をつけろというのは暴論では?というトピックを書いたように、相当数いるなあというのが私の今の感覚です。そういう人たちは、自分たちにできるようなことができないなら最初からwebなんてやるな、といって初心者を排除しそうな気がします。

なので、そういう匂いのする議論を見かけると、ついつい辛口の感想を持ってしまうのでした。

ARTIFACT 「ネットワーク上の活動の男女差」へのコメント:

仕事で会員数3万人程度の日記サービス(男女比4:6ぐらい)を管理していた時、特にサービスオープン当初などは使用感を確認するためにその日に更新された日記全てに目を通すなどということをしばらくやっていました。(流し読み程度ですが)

その時の印象としては、以下の感じです。

  • ほとんどの日記が、男女問わずあまり他者の目を意識せずにプライベートな日常を淡々と綴る形式である。
  • ただし、他者の目を意識して書かれた日記の中では、メタブログ論やニュースサイトなどの情報発信系を書くのは男性、プライベート暴露系を書くのは女性が多かった。

ただ、どうしても目に付きやすいのは、実際はほんの一部である他者の目を意識して書かれた文章だと思うので、ARTIFACTで書かれたような印象が出てくるのは自然だろうなという感想ですね。

「ネットワーク上の活動の男女差」についてもう少し書いてみます。

ARTIFACTでは、

■コミュニティ
・男性は、情報の交換だけに特化した大規模なコミュニティを維持できるが、女性は小規模なコミュニティを好み、大規模化すると小グループに分派しやすい。

という印象をもっているようですが、少なくとも私の管理していた日記サービスにはそのような傾向はありませんでした。

というよりも、男性を中心としたコミュニティというのがそもそも存在しませんでした。

相互言及によって緩やかに繋がるコミュニティ自体はいろいろと存在しました。しかしそれらは、男女混じっていてどちら側の性が主導ということはないものか、あるいは女性同士で固まっているもののどちらかでした。

そもそもあまたのウェブ日記サービスを観察していても、その中で「男性主体で作られたコミュニティ」が存在することはあまりないような印象です。

例外的なのははてなダイアリーとか日記鯖とかぐらいではないでしょうか?

少なくとも女性利用者が半分かそれ以上いるようなweb日記サービス(一般にweb日記サービスは女性利用率が高いので、つまりほとんど)内で男性主体のコミュニティが形成されているのはほとんど見たことがありません。

そこにおいては、横と繋がろうとして主体的に行動を起こすのはむしろ女性が多いような印象すらあります。(絨毯爆撃的にナンパメールを送る一部男性は除く)

もっとも、使用するサービスを選択する時点である程度のフィルタリングがされているのかもしれませんが。何がそのフィルターになっているのかは考察してみると面白そうですね。

そういえばそもそも「男性が主体となっている情報の交換だけに特化した大規模なコミュニティ」って具体的には一体どこのことなんだろうという疑問もないでもないです。

例えば同じようなフォーマットのニュースクリップ系のサイトってのは確かに男性が運営しているところが多く、それだけでひとつのカテゴリーにはなってると思いますけど、その構成員全員で相互参照されているのかというとそうとは思えないわけです。

有名サイトを一方的に参照してる層っていうのはそれなりにいると思いますけど、逆方向の交流っていうのはほとんどないのではないでしょうか?

志向が同じで一方向の参照があるならコミュニティの構成員と見なすなら、例えばファンサイト系もかなり大規模なコミュニティでしかもそちらは女性が多く、志向も外向きなのではないかと思ったりします。

【このトピックへのコメント】
  • 加野瀬[URL]あの「コミュニティ」というのは掲示板で考えてました。もともと掲示板管理者の方と話していて出た話題でした。(2003-12-30 17:55:45)
  • くりすなるほど。掲示板で「男性が主体となっている情報の交換だけに特化した大規模なコミュニティ」というと、ぱっと思いつくのが価格.comの口コミ掲示板とかそういうイメージでしょうか?規模の具体的なイメージがつかなかったので、次回こういう話を書かれる場合は、具体例も挙げていただけるともっとわかりやすいのではないかと思います。(2003-12-30 18:58:43)
  • 加野瀬[URL]掲示板名は、その掲示板サービスの管理者の方に迷惑がかかると思い、出しませんでした。ゲームの攻略情報を扱う掲示板が男性主体だったそうです。(2003-12-31 18:22:52)
  • くりすなるほど。確かにゲーム攻略情報を扱う掲示板だと男性主体のものが多そうですね。女性ユーザーが多いファンサイト系だと、情報交換という目的ももあると思いますけど、交流というほうがより大きな目的だと思うので、こちらは「情報の交換だけに特化した大規模なコミュニティ」とは言えないかも知れませんね。ただ、本文でも書きましたが、規模とか外向き志向かどうかというのにはあまり男女差はないんじゃないかという気はします。現状なんらかの差が出ているのなら、それはネット人口の男女比の問題もあるのかなと。(2003-12-31 21:06:21)
  • 加野瀬[URL]外向き、内向きという言葉自体が漠然としていて、ちょっとわかりづらかったとは思います。あれは意見というより、思いついたことをメモ、というレベルだったので、その辺はまあいいかと思って書いてました。(2004-01-02 03:17:48)

「(しょうもないねつ造歴史に対抗できるように)みなさん、自分なりの歴史の資料を書き残しておきましょう」という趣旨はわかるのですが、俯瞰視点で個人サイトの歴史を書ける自信がないので、自分の作ったサイト限定の話でどうでもいいことまで含めて書いていこうと思います。

それでも多分webサイトオーナーとしてはかなりいろいろな経験を積んでいると思うので、結構いろんな人に「あー、こんなことよくあるね」と感じてもらうことができると思います。もっぱらそれを目的に。とりあえずはメモ書き程度に始めて、まとまったら1ページにするかもしれません。

ウェブサイトというものの存在を初めて知った年。学生ごとにメールアドレスが発行され、希望者は誰でもそのアカウントで大学ドメイン下に個人サイトを作ることが可能となった。

もっともそれにはUnixの知識が若干必要なので利用者は少なかった。同級生100人ぐらいのうちその仕組みを使ってサイトを作っていたのは2-3人だった。

うち1人は既に当時からweb日記を書いていて、津田日記リンクスにも登録していた。女性だからということもあり、読者からのメールも結構来ていたようだ。一番多いのは「写真を掲載してください」というものだったようだが。

ネットで個人的な日記を公開する/それを読んで感想を送るというカルチャーをその時初めて知って随分驚いた。

Unixは自分には敷居が高いと思って躊躇していたのだが、試してみたらそんなに難しくもなかったので、自分も大学のアカウントで個人サイトを開設することにした。

ただ、その時は個人情報をだだ漏れにするだけのサイトにはしたくなく、全世界に公開する以上は有用度の高いものにしたいという志向を持っていた。

当時の自分の趣味はコンシューマゲームだった。ネット上にはコンシューマゲームのレビューページはぼつぼつあったが、ニフティのゲームフォーラムにあったようなゲームの攻略データを掲載したサイトはほとんどなく、あってもニフティのゲームフォーラムライブラリにアップロードしてある攻略データをHTML化したものだった。

自分自身ニフティのゲームフォーラムライブラリの攻略データにはお世話になっていたので、オリジナルの攻略データを多数作成してそれをメインコンテンツにすることに決定した。

多数のデータの作成はひとりでは無理なので、当時所属していたゲームパティオのメンバーに協力を依頼し、編集者のような立場でデータをまとめることにした。

HTML化したものはサイト上に、プリントアウト用に整形したものはゲームフォーラムのライブラリにアップするという公約で協力を募り、数本分のゲーム攻略データが集まる見込みとなった。

発注したのが確かこの年の9月頃。年内は自分も攻略データを作成することに注力した。
HTMLの表示のされ方などを確認するために、1月に個人サイトをとりあえず開設した。最初は自己紹介だけだった。

当時学校にあったブラウザはMosaicだったので、tableタグが使えなかった。攻略データは表組みが必須だったが、ニフティアップロード用にはタグは使えないし加工の手間も考えて、基本的にPREタグ閉じで等幅フォントでの閲覧を前提とする作りになった。

2月に自分が担当した最初の攻略データを掲載した。割とマイナーなゲームだったので反応は薄かった。というか、自分のサイトを宣伝する術を知らなかったので最初は当然自分とクラスメート・教官ぐらいしか見ていなかった。


3月に教官にapacheの生アクセスログの存在を教えてもらった。それを見れば自分のサイトがどこからリンクされているかわかるらしい。

というわけで、生ログの中から自分のサイトのURLが含まれている行をgrepでとりだすという今思えばシステム的に結構負荷をかけるスクリプトを組んで、リファラーを把握するようになった。

リファラーを見るようになって他のサイトとの関係というものを意識するようになり、自分のサイトを宣伝する方法をいろいろと試行錯誤した。

まずは、自動登録型リンク集(訪問者が自分で自分のサイトを自由に登録できる掲示板)に投稿してみた。一応ゲーム系を回ってみたつもりだったが、これはほとんど反応がなかった。

次にゲームレビュー系サイトのリンク集コーナーを作り、それぞれのサイトにリンク通知メールを投げるという手法をとった。

相互リンク依頼は図々しいように思えたのでしなかったが、存在を知ってもらえればリンクしてもらえるかも、と思った。これは結構効果があった。

また、やや反則技として、当時は女性オーナーのサイトが少なく、それだけでアピールになったので、女性オーナーサイト専門リンク集というところに登録依頼を出した。

しかし、作っている内容があまり女性ぽくないのでネカマ疑惑をもたれるかも、と思ったのでピンボケの写真も載せておいた。

結果的にこれは思わぬアクシデントを招いた。

小学館発行の「デジスピ」というネット情報雑誌の創刊号の、ネットの女性オーナーホームページを大量紹介するというコーナーに無断でこの顔写真とURLが掲載されたのである。

あまり好意的な掲載の仕方ではなかった。なんというか、デートクラブかなんかで女の子の写真一覧を掲載してるようなイメージとでもいったらいいだろうか。ちゃんと取材を受けて記事になってた人もいたのだけれど、彼女たちはなぜかみんな水着姿だったし。

女性オーナーサイト専門リンク集に登録した時点でそういう扱いをされることはある程度は覚悟していたけれど、小学館という大手出版社の全国向けの雑誌でも事前に本人に問い合わせずに写真を載せたりすることがあるんだなあ、というかネットに写真を載せるということは、この写真は好きに使ってくださいということと同義なんだなあと初めて知ったできごとだった。

ちなみに女性オーナーサイト登録リンク集から来る人は自己紹介のページだけ見て回れ右して、肝心の攻略データのページは見てくれないようだった。戦略は失敗。

その後扱っているゲームのラインナップも徐々に増え、6月の時点では1日のアクセス数は100程度となった。
それまではマイナータイトルしかない攻略データだったが、7月に結構メジャーなタイトルの攻略データ、しかもかなりのボリュームのものがついに完成した。

作ってくれた人も相当な労力をかけてくれたので、これは特に宣伝しないと申し訳ないと思い、ゲーム系のニュースグループに(個人サイトの宣伝はあまり好ましくないと知りつつも)こんなん作りましたメールを投げてみた。不快に思われても、中身を見れば納得してもらえるのでは?という淡い期待があった。

翌日学校に来てみたら(当時サイトの閲覧は学校でしかできなかった)、ファイルロックをかけていなかったSSI形式のアクセスカウンターのデータファイルが壊れていた。

なにごとかと思って例のgrepをかけてみると、実に1日で1000件以上のアクセスがあったことがわかった。慌ててアクセスカウンターにファイルロックをかけることにした。

そのアクセスフィーバーは3日間ぐらい続き、その後徐々に減っていって1日300件ぐらいに落ち着いた。

ニュースグループ上では特にその投稿に対する反応はなかったので少なくとも表立って非難はされなかったことにほっとした。

その後しばらくすると、英語サイトからリンクされることも出てくるようになった。英語でのメールも届くようになった。大半はゲームの解法についての質問メールだったが、そうじゃないものも数件あった。

1件は、1枚のファイルのサイズが大きすぎて、自分の環境では全てを表示できないのでサイズを小分けにして欲しいというオーダーだった。更に、リンクのところにリンク先のファイルサイズも表示して欲しいとのことだったので、早速その要望を取り入れた。

もう1件は、このサイトを自分のところで無料でホスティングさせてくれないかというメールだった。そんなうまい話なんてあるものかと思ったのだけれど、どうやら英語翻訳することが条件らしいので、こちらではそこまでできない、そちらで翻訳してくれるのなら転載は構わないと返事を出したらそれきり何も返ってこなかった。

もう1件は(というか同様のメールは何件かきた)、特定のゲームの攻略データを翻訳して転載してもよいかという問い合わせのメールだった。主にセガサターン系のゲームに多かった。特に断る理由もなかったので了承のメールを出した。

また、うちのブラウザでは文字化けしてるんだけどどういう言語で書いているんだという質問メールも何件か来た。なので当時流行りだったwritten in Japaneseという断りの文章をサイトトップに掲げた。

外国の人でもこんな日本語サイトを見に来るんだなあということを実感して、少しでも英語圏の人たちが分かりやすいように、外国のゲームサイトで自サイトに掲載しているゲームタイトルの翻訳タイトルを探してHTMLのタイトルタグの中に入れたりという努力をしてみたのもこの時期。

といっても、当然ほとんどの閲覧者は日本人であった。
webサイト制作って面白いじゃん!と思った私はweb関連の仕事をしてみたいと思うようになった。しかしその仕事先は地元では見つかりそうになかったのと、当時交際していた相手(ニフティで知り合った今の夫)が在京だったので、東京に引っ越すことにした。

東京でwebの仕事を探すにあたってWindowsパソコンを買い、プロバイダと契約した。

実はこれまで家にはWindowsパソコンがなかったので、サイトの更新は学校でやるか、もしくは家でVZエディターでHTMLをいじってニフティのtelnet経由でFTPして翌日学校でレイアウトを確認するというような工程をとっていた。

よってタグの閉じミスでレイアウトがとんでもないことになっていたことも時々あったのだった。

プロバイダを選んだ基準はtelnetができてSSIとhtaccessが使えること。当時これらが満たされていたのはリムネットだったので、そこを選んだ。

PC購入費用と引越し費用は前年9月から学校に行かずにやりまくっていたバイト資金で捻出した。

この頃、3月にサーチエンジンgooがオープンするということで、サイトの掲載依頼がきた。サーチエンジンからの掲載依頼がくるというのは新鮮だった。

4月にはYahoo!Japanもオープンしたはずなんだけどそっちからは掲載依頼はこなかった。さすが天下のYahoo!と思いながらサイト登録をしにいった。

忘れた頃にサイトは登録されたのだけれど、期待したほどアクセスはなかった。1日数件程度だったかな。階層が恐ろしく深かったからだと思う。

上京してWindowの操作とJavascriptの勉強をしながら、web製作会社のバイトを探した。運良く2週間程度でバイト先が決まり、そこで働くことになった。

そこではいろいろなことを学んだ。

入った会社では最初はMacをあてがわれたので、まずはMacの操作を覚えるところから始まった。

それまで私はスキャニングした写真以外は、画像は全てUnixについてたペインターみたいなソフトでドット打ちで作成していた。背景色を抜くときは、コマンドラインで背景色のカラーコードを指定して抜くという具合だった。

そのため私はこの会社で初めてPhotoshopの操作方法、画像の減色など、画像操作の基本を学んだ。

テーブルタグを使ってレイアウトを揃える技術も学んだ。元々個人サイトではテーブルタグを使っていなかったので、実地で使うのは仕事が初めてだった。表組だけでなくレイアウトをそろえるためにも使える、というよりそれを使わないとレイアウトが揃わないという事実に驚いた。

バイト先では最初は既存サイトの修正しか任せてもらえなかったが、徐々に新規ページ作成なども任せてもらうようになり半年後には正社員に昇格した。

就職したことで個人サイトのゲーム攻略データ作成はあまり時間をとれなくなり、代わりに個人サイトには、自分がJavascriptについて勉強した成果を載せるJavascript Tips系のページが増えていった。

あまりサイト更新に手はかけなくなったものの、インターネット接続人口が増えてきていたからなのか、アクセス数は順調に伸びていた。

また、この頃からwebサイトを紹介する雑誌やムックといったものによく掲載されるようになった。
ポストペットが周りで流行り始めていた。会社中の人のデスクトップにポストペットがいた。メーラーは別のものをみんな使っていたので、どっちかというとかなり凝ったIMという感じの使われ方をしていた。

もうひとつ流行り始めていたのが日本語化したジオシティーズだった。英語圏サービスだとサポートに不安があるが、日本語ならまだ大丈夫そうだ。無料で気軽にサイトスペースがとれるサービスは魅力だった。

ポストペットのおやつを自作するキットというのが公開されていたので、それを使って会社のみんなで自作おやつを作り、それを配布するサイトなんてのをジオシティーズに作ってみた。作っただけで宣伝は全然しなかったのでアクセスはほとんどなかったが。

ここまでは個人サイトとはいえ「情報発信としての意味がない」個人情報垂れ流し系のコンテンツ(日記など)は公開しても意味がないというポリシーできた私。

しかし社会人になって攻略データの作成やメンテナンスにだんだん手が回らなくなってきて、ずばり「更新ネタ」がなくなって困っていた。

また、ニフティの知り合いの女性がweb日記を書いているのを見つけて読み始めるうちに、知り合いのweb日記を読むのは結構面白いものだなと思うようになった。

そこで、主にニフティの知り合い宛に、サイトの片隅で目立たない形で日記を書き始めた。1日1枚の手書き方式。表紙は最新記事ではなく目次である。

内容は主に今の夫に関するノロケ話とか仕事の話だった。これは知り合いにはなかなか好評で、会社の同僚も含めて私の影響を受けて日記を書き始める人も出てきた。私の周りではちょっとした日記開設ブームが起こった。
ある日日記のアクセスログを見ていたら気になるアクセスを見つけた。実は私は学生時代にとある男性からストーカー行為を受けたことがあるのだが、その男性の勤務先からの定期的なアクセスを発見したのである。

嫌な予感がして、htaccessでそのアドレスからのアクセスを弾いてみたら、翌日は別のプロキシ経由のアクセスがあった。見慣れぬアドレスを禁止対象に含める度に新しいプロキシでアクセスしてくる。

そのしつこさに、相手が彼であることを確信した。

決定的になったのは、私の同僚のICQに見知らぬ人から突然コンタクトリスト登録依頼が届いたことである。その同僚も私の影響で日記を書き始めた一人で、私の日記と相互リンクを張っていた。同僚は日記内で自分のICQ番号を公開していた。

同僚にコンタクトリスト登録依頼を出した人の名前は私はまさにストーカーしていた男性だった。アクセス元IPも最初にアクセスログで発見した勤務先のものだった。

私はやむを得ず日記ページに対してBasic認証をかけた。しかしなんともいえない閉塞感を感じたのも確かだった。

ちょうど同じ時期に会社の同僚の日記が上司に見つかり、仕事内容を書いていたことでこっぴどく怒られていた。

今まではこんなサイトの数が星の数ほどある状況で特定個人のサイトなんて探してもほとんど見つからないという感じの認識でいた。

けれどサーチエンジンの機能は上がり、私の本名で検索するとばっちり私の個人サイトが検索対象として出てくるようになっていた。

(私の場合初期のネットの慣習に従って、そこまではずっと本名でサイトを運営していた)

以前の過ちの名残で女性サイトオーナーリンク集系では私の名前で今のサイトへのリンクが張ってあった。学内からプロバイダスペースに移動するときに移動通知をはっておいたので几帳面にリンク先が張り替えられていたのだ。

一度本名の痕跡を消したほうがいいかもしれない、と思った。

ちょうどプロバイダのサーバースペースの容量にもぼちぼち不安がでてきたので、スペースを移転することを考えた。しかしスペースが足りなくなる度にURLを変更してその度に告知をするのは大変で不便だと思った。

そんな時に独自ドメインをとるという選択肢を知り合いから提案された。話を聞いて私はちょっと戸惑った。私の知る限り、当時個人で独自ドメインを持っている人は、趣味で多数のドメインを持っている人か、自分の名前のドメインを取っている人ぐらいだった。

自分の名前のドメインをとる気はハナからなかった。そんなのは私にとってはまったく意味がない。とるなら今のサイト名にちなんだ名前だけれど、私は今のサイトを10年後も続けているのだろうか?

結局悩んだ末、私は独自ドメインを取得した。けれどこれでずっと変わらないメールアドレスも入手できたし、独自ドメインをとって本当によかったと今では思っている。
私がweb日記を書くきっかけになったニフティの友人は、日記猿人に登録してランクの上位の方にくるようになっていた。

日記猿人のアクセスでなく投票でランクが決まるというシステムに興味を覚えた。どうせなら他人に読ませるために意識的に整形したコラムっぽいサイトをやってみたらどうだろうと思いついた。

コラムには個人的な話も書くだろうと思ったので予め既存の個人サイトとは切り離すことにしてジオシティーズに新たにスペースを借りてサイトを新設した。それがこの"kera-ma-go"である。

kera-ma-goのコンセプトはネットと恋愛に関するコラムサイトというものだった。当面の目標は日記猿人でのランキング10位以内に入ることだった。

今はどうなのかは知らないが、当時の日記猿人ではランキング上位に入るにはある程度の「営業」が必要であった。

自分に対してかけていた縛りは以下の通りだった。
  • 投票してくれとは書かない
  • オフには出ない
  • 他の日記とのオンライン上での相互言及は積極的に行う。特に自分の日記について言及してくれているところがあればちゃんと把握してなんらかの返答をする。

で、登録した3日目だったかなんかにいきなり某猿人登録日記読み日記の洗礼を受けた。

ジオシティーズで作者が女性で恋愛についての日記というキャッチからその人はアダルト体験告白風日記を想像したのだが、中身はそうでもなかった、という内容だった。

ジオシティーズで女性によるアダルト体験告白風日記が流行っているというのをその時私は初めて知った。

そういうことなら、誤解されないように内容については気をつけなきゃいけないなあと思った。
せっせと相互言及した甲斐があったのか、アクセス数と投票数は徐々に増えていった。ちょっとしたアンケートをとったりしてもかなりの数の反応があるようになり、毎日コラムのネタを考えるのがとても面白かった。

しばらくしてReadMe!Japanというサイトに登録してみた。ここだと画像式かつIPユニークのアクセスカウントをとれるので、画像ONで見ているユーザーがどのくらいいるかの目安になると思ったのだ。

ここのランキングは日記猿人のそれとまったくメンバーが違っていて面白いなあと思った。いくつか日記猿人で見た名前のサイトもあったけれど、日記猿人で上位のサイトが必ずしもアクセス数が多いわけではないらしい。

同じネット上でもところ変われば価値観は違うものなんだなあということを実感したサイトだった。

他の日記との相互言及に過剰なまでに情熱を注いでいた私はこの時期ある失敗をしてしまう。

とある日記が名指しをせずに他の日記の批判をしていて、その内容が自分の数日前に書いた日記の内容に該当する気がしたので、釈明の日記を書きつつそれまで一度もコンタクトをとったことのなかった本人にメールしたのである。

先方は私の日記は読んでいなかったようで、びっくりして「違うんですよ」というメールを送ってきた。

私はほっとするやら自意識過剰だった自分が恥ずかしいやらで頭をかきつつ事の顛末を日記に記した。

その翌々日のこと。匿名で中傷メールが届いた。ちゃらちゃらした内容で露骨に票を狙うような日記は見苦しい。どうせ恋人にはすぐに捨てられる。浮かれていられるのも今のうちだ、というようなとても悪意のこもった内容のメールだった。

私は前日の失敗もあって落ち込んでいたため、押すと「がんばれ」とひとこと書かれたメールが私宛に届くいわゆる「空メールボタン」というのを設置した。

何人かの人が押してくれて、だいぶ励まされたのでボタンを外したあとのこと。「違うんですよ」というメールを送ってきてくれた人から烈火のごとく怒ったメールが届いた。

「私はメールを送ったことでこの件はお互い納得済みだと思っていたのに、私のファンの人から、あなたが私に苛められたといって同情を引こうとしていると告げるメールが届いた。どういうことなのか!」

自分は自分の恥を懺悔したつもりだったんだけど、すごーく穿った見方をしたらそう見えるのかなあ。当惑しつつも、そういう意図はないことと、実際にその文章を読んでみて欲しい、そう判断できるのなら何らかの対処はする、というメールを送った。

相手からは、うって変わって落ち着いた文体の、「(釈明の文章は過去に流れてて指摘されるまで読んでなかったんだけど)実際に読んでみて自分の早とちりだったことに気付いた、わざわざ返答してくれてありがとう」という返事があって、お互い様だねということで本当に決着したのだけれど。

その時怖いなあと思ったのは、わざわざサイトを喧嘩させるために煽りのメールを入れる人が存在するということだった。

その時私は、直接利害関係があるわけでもないのに悪意をもつ読者が存在しうるということを初めて知ったのだった。

そんな失敗をしたりしながらもランキングは順調に上がっていった。それと比例してアクセス数も上がっていった。

1日400PVぐらいになった頃、またしてもちょっとしたできごとがあった。

その日の日記ではとある宗教団体が勝手に著名人が入会していることにしてパンフレットに載せていたらしいという噂をネタにしていた。

実際に自分も路上勧誘している宗教団体のパンフをチラッと見たら親戚が載ってて驚いて問い詰めたところ相手がしどろもどろになって逃げていき、帰って親戚本人に確かめたら全然知らないとの経験があったので、こういうことはありそうだという結論にしていた。

すると、噂に出てでた宗教団体に所属していると名乗る人からメールがあり、「その噂の内容は虚偽の内容である。あなたのようなアクセス数があるサイトは影響力もあるのだからいい加減なことを書いてはいけない」とたしなめられたのだった。

影響力って……たかが個人の日記ですよ?噂話と一緒ですよ?と最初は唖然としたのだが、そういう風に受け取る人もいるんだなあとというのは参考になり、個人サイトといえども自分の文章の影響というものは常に考慮しなければならないのだなあと考えるきっかけになった。

が、その一方で、迂闊なことは書けないと思うようにもなり、アクセス数が増えていくことを初めてまずいと思うようにもなったのだった。

結局9月の日記猿人月間ランキングは目標だった10位内にどうにか食い込むことができた。しかしランキング上位に入ったりアクセス数が増えたりすることで起こった数々の軋轢にすっかり私は参っていた。

気持ちを整理するためにランキング参加をしばらくとりやめ、日記の更新も休止した。自分の考えがまとまったところで素直にその辺の葛藤を日記に書いたところ、意外にも多くの共感するというメールが届いた。

ああそうかー。みんな通ってきた道だったのねと納得した私は、サイトのコンセプトを一新することにした。

そこまでは、ランキング上位に入るという目的があったため、「インターネットを始めたばかりのミーハーなOLが拙い言葉でネットや恋愛について意外に突っ込んで洞察したコラムを書く」という「意外性」をキーにしたコンセプトでkera-ma-goを書いていた。今でいうバーチャルネットアイドル的なコンセプトだ。

具体的にはデザインをフェミニンにしたり言葉遣いを簡易にしたり恋人のことを指すのに「ダーリン」という呼称を使ったりしていた。そういう雰囲気は実際の私とはかけはなれたものだったので、会社の同僚や私を古くから知っているネットの友人たちはkera-ma-goを見て爆笑していた。

しかしそうやって作って文章を書くのは時間がかかったし、ランキング上位を目指してアクセス数を増やしてみてもあまり自分にとっていいことはないことは今回のことで分かった。

なので私はここからはそういう「おバカな初心者OL」を装うのはやめ、言葉遣いもがらりと変えて、もう少し素に近い形で日記を書くようにしたのだった。

日記のネタも一般受けするネタかどうかなど気にすることはやめ、ひたすら自分の興味のある内容をつきつめることにした。その結果、ランキングは下がっていったが、意外にも日記に対するコメントのメールは増えることになった。kera-ma-goは「多数の一見さんが見る日記」から、「少数の常連が継続的に読む日記」へと変わって来たのだ。

11月に入ってアクセスログから不思議なリンク元を発見した。見知らぬサイト名がずらっと更新時刻順に並んでいる幾つかのリンク集(いわゆるアンテナ)である。

私がアンテナという機能の存在を知ったのはそれが初めてだった。それは私が今まで見たことのない形態のサイトだったので、感じた疑問を日記に書いてみた。

と、驚くべきことに日記に書いた1時間後にはアンテナ設置者の日記でその疑問に対する回答が始まっていた。そして更に回答した日記間やそれを読んだ日記の間でキャッチボールが始まった。

それまでも日記猿人内で日記間相互言及をやってきた私だったが、こんなにレスポンスが早い、しかも短時間に何往復もするやりとりというのを見るのは初めてだった。ここには頻繁にアクセスログをチェックして頻繁に相互言及する文化があるらしい。

日記猿人内でも「馴れ合い」だの「内輪」だのといった雰囲気はあったが、それは日記猿人というリンク集に参加していて更にランキングに参加している中でもごく一部のことだった。

この集団のように、リンク集に登録されている人ほぼ全員の間で活発にやりとりがなされている共同体のようなグループがあることは新たな発見だった。

出だしからちょっとしたトラブルがあった年だった。ReadMeで上位だったサイトが、kera-ma-goの記述内容を自分のサイトの内容について書かれたことだと思い込んで、リンクをはって文句を言ってきたのだ。アクセスログにそのサイトからのリファラーが大量に記録されていて初めて私はそこのサイトで取り沙汰されていることを知った。

実際は、内容がかぶったのは全くの偶然だった。そのサイトがReadMeの上位サイトだということぐらいは知っていたけど、1度読んでみたら文章が好みじゃなかったので私はそこを読んでなかった。

反論の内容というのも言葉尻をとらえて全体を否定しようとするというよくあるパターンだった。そこは注目を集めるために意図的にフレームを起こすことで有名なサイトだった。だからこそ私はそこを読まなくなったのだけれど。

なまじ反論してフレームに巻き込まれると相手の思うツボだろうなあと思った私はしばし考えて、敢えて何も返答しないという手段をとった。

多分野次馬(及び本人)は名指しされた私が何と反論するかを楽しみにしているのだろう。しかし名指しされていることすら知らないふりをすれば、そもそも相手がいちゃもんをつけてきた文章は相手の書いたことに呼応したものではない(=なぜならそんなサイト読んでないから)ということも自明になるはずだ。

相手はしばらく更新を休止して私の出方を待っていたようだったが、3日経っても何の反応もないためあきらめて別のサイトに喧嘩をふっかけに行ったようだった。と、同時に何人かから、「○○さんのサイトで喧嘩をふっかけられてたからどうなることかと思いましたが上手くかわしましたね」というメールが届いてちょっと笑った。

そんなトラブルがあった少し後、家賃の値上がりなどで少し家計を見直さなくてはならなくなった私はkera-ma-goを運用していたプロバイダを解約してkera-ma-goを自分の独自ドメインの下に引っ越すことにした。

当時はダイヤルアップ接続だったのだが、夜間のテレホタイムにはアクセスポイントに繋がらないことが多く、仕事でもwebを使う私は予備回線として2つの接続プロバイダを契約していた。その上独自ドメインサイトの運営のためのレンタルサーバー利用料があり、月に結構な金額がかかっていたのである。

しかしプロバイダの片方がだいぶ安定してきて、2つ分の維持費を払う必要性もあまりなくなってきたため、家計圧縮のために思い切ってプロバイダを1つに絞ることにしたのである。

ただ、メインサイトからkera-ma-goにリンクしない状況は変わらないとはいえ、独自ドメイン下に置くことでこの日記がストーカー氏に発見される確率が上がるのは確かだった。

元のようにジオシティーズに置くという手もないでもなかったが、それではリファラーリストが見れないため、日記間の相互言及コミュニケーションにすっかり慣れた私には、ちょっとできない選択だった。

本サイトとは違うところでリファラーを参照しながら運用できる無料か安価なサービスがあればいいのに、と思うようになったのは多分この頃だと思う。

この時期は仕事の方でも印象深いことがあった。あるTV番組の公式サイトを運営することになったのだ。

公式サイトといってもスチールや動画などの映像系コンテンツが一切使用できなかったので、内容を考えるのが大変だった。

で、その時私が考えついたのは、日記猿人上で活躍している「読まれるためのテキストを書くことに慣れている人」に小額の謝礼を渡してそのTV番組の感想を公式サイト上で連載してもらうことだった。

プロが書くよりも、そういった「文章の上手い素人」が書くほうが、より見る側の興味をひきつけやすいのではないかと思ったのだ。また、そういった人たちが自分の日記上でそのサイトのことを宣伝してくれるのではというもくろみもあった。

私は、ピックアップした何人かに連絡をとり、快諾をもらったり自分はちょっと難しいけど代わりにこの人を推薦するというような返事をもらったりして結局4人の「記者」を確保し、サイトオープンに備えた。

彼女らが書いてくれた番組の初回の感想文は、サイト制作スタッフにも好評だった。読みやすく、エンターテイメント性もあり、ちゃんとネタもとの番組に興味を持たせる内容にもなっている。

それをHTML化していよいよオープン2時間前となった時のこと。突然その感想文コーナーの削除が命ぜられた。

TV局のえらい人が感想を読んで、「こんなものが公式サイトに載るのはけしからん」とダメ出しをしたのである。どうやらその人は番組の感想文が一般人によって書かれるとは知らされていなかったらしく、仰天したようなのだ。

降ってわいたような企画中止命令でHTMLはデザインレイアウトを含めて全て書き直しだし、せっかく執筆をお願いした人たちには申し訳ないしで非常に腹立たしく、悲しい思いをした。

連載をお願いした人たちには事情を話して公式サイトではなく勤務先サイトの一コーナーという形で連載を継続してもらうことになった。

この一件は、既存のマスコミというプロのジャーナリストとウェブの口コミというアマチュアジャーナリストの当時の関係を象徴するような出来事だったと思う。

会社に入って2年も経つと、プロデューサーのwebに関する意識の低さがかなり気になるようになってきていた。

当時私の勤務先のwebプロデューサーは自分ではwebをほとんど使っていないような人ばかりだった。そのためwebの常識では考えられないようなオーダーを出されて苦慮することもしきりだった。

常識で考えられないことでも有用なことなら別にかまわないのだが、言われたのは例えばこんなことだった。

くだんのTV番組公式サイトで、どこでそのサイトを知ったのかとか、見ている人の性別や年齢を知りたいから、公式サイトにアクセスしようとしたらまずそれらの項目を記入するアンケートページが表示されるようにし、それに回答しないと中身が見られないようにしたいというのだ。

TV番組の公式サイトにアクセスするのにいちいちそんなことを聞かれて誰が中に入ろうと思うだろうか。公式サイト内の一部コンテンツを会員制のとても有用なものにして、そこに入るためにはそれらの個人情報を入力しなければならないというのならばともかく。

結局その仕様はスポンサーの意向でボツになったのだが(というかボツにしてもらえるように根回ししたのだが)、もうちょっとwebに関する意識の高い会社で働いてみたいと私は思うようになった。

で、そういう愚痴を日記に書いていたところ、日記を読んでくれていた人の中からうちの会社にきませんか?という誘いのメールがきたのだった。

その人とはそれまではメールのやりとりをしたことはなかったので申し出にとてもびっくりした。が、その人の日記のページを読んで、人となりがわかって安心できたので、その話を受けることにし、応募書類を郵送した。

が、並行して普通の転職活動も行っていたため、その会社の面接を受ける前に、比較的興味のある会社への転職が決まってしまった。

私はその会社にお詫びの電話をし、その人に対してもお詫びのメールを出した。両方とも転職先が無事に決まったことを祝福してくれた。日記を書いているだけでスカウトされるなんて不思議な経験だった。

そんな経験をするうちに、自分の日記を読んでくれてる人ってどんな人なんだろう?という好奇心が高まってきた。

それまではまだバーチャルネットアイドルノリを若干引きずってきていたため、日記を書いていて知り合った人と直接会うなんてことはほとんど考えたことはなかった。

けれど、こうやって日記が実生活とクロスオーバーしてきたりすると、なんとなく、こちらの日記を読んでいる常連さんのことをこちらが知らないのは不自然かも?というような気持ちになってきたのだった。

そして私はついに9月に「kera-ma-go読者オフ」というのを企画した。

日記書き同士のオフというのは時々ネットでも目にしていたが、特定の日記の読者を対象に参加を募るオフというのは見たことがなかった。

参加者を事前に公表したら日記を書かずに読んでいるだけの人は参加しにくくなるかもしれないし、「あの日記書きの人が参加してるならその人を見るために自分も参加してみよう」というストーカー的な人が出てくるかもしれなかったので、参加希望はメールで受け付けて、参加者専用のパスワード制の掲示板を設置して事前に自己紹介をしてもらうようにした。

どのくらい応募があるのかは事前には予想もつかなかった。いきなり顔を晒すのも抵抗があるだろうし、まあせいぜい一桁だろうとか考えていたところ、最終的に申し込みしてきたのは18人だった。

当日はひとりドタキャンがあった以外は全員参加。内訳は

  • ニフティの知り合い4名(うち日記書き2名)
  • はうン系アンテナに捕捉されている日記書き2名
  • 日記猿人参加日記書き4名
  • 元日記猿人参加日記書き1名
  • その他の日記書き3名(うちReadMe登録1名)
  • 主に読者2名(うちサイト所持者1名)

という感じで、女性は6名だった。

全員に共通の話題といえばまあ当然kera-ma-goのことしかないわけで、各自自己紹介の後は話題の選定に困って、普段日記を読んで感じていることの質疑応答みたいなヘンな会になってしまった。オフとしては正直あまり居心地はよくなかったかもしれない。

ただ、この時集まったメンバーのうちで、日記書きの人たちのうち何人かとは、今でも定常的に飲み会なんかをやって集まる仲となっている。また、このあとしばらく「読者オフ」というのが局所的に流行った。

自分には敷居が高いと思って手出しをしていなかったCGIに、仕事上の必要で手を出すことになった。

やってみると、Perlは意外に適当に書いても動くものだということがわかったので面白くなり、FlashとCGIを連動させた簡単なwebゲームを作って独自ドメインに設置した。

動作的には比較的単純なものだったが、当時はFlashとCGIを連動させるタイプのwebゲームはランキングにCGIを使う以外ではあまりなかったので、webゲーム系のサイトではそれなりに好感を持って紹介された。

日記の方は、定期的に顔を合わせる読者が増えたため、ますます内輪化していた。というより、ある程度気心をしれた相手向けの文章を書くことの楽さを知り、より日常メモ書き化していた。

こうなると、日記猿人やReadMeのようなリンク集に登録することは無意味だと思われ、私は両方から登録を解除した。

6月頃、ふとしたことからメールのやりとりを始めた海外在住の読者の人からその人の勤務している会社の日本法人にスカウトされた。

日記を読んでいる人から勤務先にスカウトされるのはこれが2度目だったけど、今回は外資系ということで実力重視なイメージがあったのでかなり驚いた。

前年に転職したばかりでまたすぐに転職するのはどうかと自分でも思ったのだけれど、せっかくのステップアップの大きなチャンスを逃したくないとも思い、受けることにした。転職先での面接で「入社したらやりたいことは?」と問われた私の返答はもちろん「レンタル日記サービスをやりたいです」だった。

結果は合格。私は入社後1ヶ月で既存のレンタル日記サービスについて利用者数やPV、機能などの調査結果をまとめ、レンタル日記サービス開設の企画書を出すことになる。企画書は承認されたが、実際のオープンまではもう少し日を待たねばならなかった。

転職を機に一旦kera-ma-goというサイトをたたむことにした。完全な内輪向け日記サイトとして書きたかったが、以前の絡みもあり、同じ名称で同じURLでそのスタンスでやっていくのは難しいように思えた。

折りしも常時接続環境にするために接続プロバイダを変更したので、そこのサーバースペースに自分で書いた日記作成CGIを設置して、URLは一部の人のみに通知し、どこのリンク集にも登録せずにひっそりと運用を開始した。

日記CGIにはデザインテンプレート変更履歴保存機能と兼ねてから要望のあったトピック単位のコメント機能をつけた。パーマリンクが自動でつくようになったので更新の手間が格段に楽になり、日記の更新回数が随分増えた。

簡単にweb日記が更新できるレンタル日記サービスの需要というのを身をもって体感した。
日記上で日記作成CGIの便利さを吹聴したため友人から日記作成CGIの作成をオーダーされるようになった。

個人個人のオーダー(トピックは日付単位/トピック単位がいいとか、カテゴライズ機能をつけて欲しいとか、アイコン選択機能をつけて欲しいとか)にあわせてカスタマイズしたものを作ったため、自分が作る日記サービスの機能を考えるのに非常に役立った。

仕事上ではコミュニティサイトの運営をしつつ、ウェブ利用を基本的にクリックだけで行うような人たち(URLという概念がなく、サイト移動はリンククリックだけで行う)相手に、そういう人たちでも直感的に操作方法と操作の意味が分かるコミュニティツールを作るのに試行錯誤した。これは今でもなかなか難しい。

紆余曲折を経てオープンしたレンタル日記サービスはしょっぱなからいきなりトラブルの連続だった。

会員DBと連動して全てのページを動的生成する仕組みだったのだが、開発を依頼した外注会社の負荷見積もりが甘かったらしく、昼間はともかくテレホタイムには日記の登録はおろか閲覧までろくにできない状況に陥ったのだ。

後から知ったのだが、不特定長の長文テキストとデータベースというのはあまり相性はよろしくないものらしい。

すぐにスクリプトの書き直しとデータベースのチューニングを依頼したのだがサービスは既に動き出しているので止めるわけにも行かず、毎日のようにお詫び文を書きながら随分胃の痛い思いをした。

ので、開始早々重くて使えないと酷評されたDoblogの企画担当者には大いに同情する。
国内でblogという言葉がだいぶメジャーになってきていた。私も同僚から「日記サービスなんかやらずにblogサービスやればいいのに」と言われたものだった。

会員限定とはいえ機能的にはほぼ一般のblogについているものと同じものがついていたので自分ではこれもblogサービスのひとつのつもりでいたのだけれど、傍から見るとこんなものなんだなあと思った。

日記サービスを運営するからには自分も公開日記ユーザーにならなきゃ今のトレンドが読めないかもなあと思い、kera-ma-goを復活させた。

が、正直書くことはあまりなかった。メタブログ論はほとんどの場合結局昔書いたことの焼き直しにしかならないし、日記サービスの一般化でユーザーがかなり多様化して、何を書いても局所的な感想にしかならなかったからだ。

web日記サービスの方は、広告収入だけではサーバー代+開発費の減価償却でトントンなので、なんとか収入の道を探るのに必死だった。

web日記の口コミ力は強力だと考えていたので、「ワーズナビ」のように文中に気軽にアフィリエイトリンクが張れる仕組みを作るとか、あるいは日記内の記述を特定のサービスや商品、事象に関するマーケティングデータとして利用するとかいろいろ画策したのだが、開発リソースが足りず実現はできなかった。

そして勤務先の財務状況が悪化したため、私は転職を余儀なくされた。web日記サービスはマイナーながらも順調に利用者数は増えていたのだが、それも閉鎖せざるを得なかった。

利用者の人には本当に申し訳ないことをしたと思っている。
年明け早々独自ドメイン用に借りていた海外サーバーがHDDクラッシュでファイルの大量消滅ということをやらかしてくれたため、もう少し安定感のあるレンタルサーバーサービスを探すことに。

このレンタルサーバーが安くなってきている時代でも、転送量規制がなくてそれなりに容量があってサポートも24時間体制というところはやはりそれなりに利用料が高く、これまでの倍額払わなければならなくなったので、せめて差額分はアフィリエイトで稼げないかとAmazonアフィリエイトに手を出してみることにした。

それと並行して、去年の末からはまり始めたネットゲームの便利ツールを配布するサイトを運営し始めた。ツール開発は夫が行い、それと連動してwebの表示を動的に変化させる仕組みは私が作成するという具合だ。

まずはそのネットゲームサイトで、ネットゲーム関連のアフィリエイトリンクを置き、それから本家のゲーム攻略サイトの方に掲載しているゲームに関するアフィリエイトリンクを置くようにした。

ゲーム攻略サイトはここ数年ほとんど新作攻略をしていないのだが、今年は掲載サイトのリメイク版が結構発売されたのでそれなりに参照数があったのだ。

攻略本や設定資料集、サントラCDのリンクを張ることで少なくとも差額分(月数千円)程度のアフィリエイト収入を得ることができた。ちなみに一番売上が高かったのはエヴァンゲリオンのDVDリンクだった。

後半は、Lycosダイアリーがサービスを終了したのでログをDI:DOに移動したのがメイントピック。

いつかまた仕事でコミュニティサービスに関わりたいと思っているので勘を鈍らせないためにブログ界には注目していきたいと思っているけれど、実際に書くことは今回のようにお題が与えられない限りあまりなさそうな感じだ。

来年はどんな年になっているのだろうか。毎年追記していけるといいと思う。
というわけで、ざっと8年分をまとめて振り返ってみたわけだが、書いている端から既に書きあがった分に不足していたことや、資料をあさるうちに誤っていたことなんかを思い出してどんどん追記・訂正していく羽目になった。

多分これでひとまず落ち着いたとは思うのだけれど、これからも追記や訂正はあるかsもしれない。もしリンクをしていただける方がいたら申し訳ありませんが予めご了承願います。

しかしこうやって振り返りつつ日記の過去ログを読むのはなかなかいい経験だった。年の瀬にやるには向いている作業のような気がする。

これはあくまで私個人が体験したことなので、できればなるべく多くの人の体験を読んでみたい。

そういうわけで、これを読んでくださった方々も、よろしければいしなおさん提唱の「個人Webサイトの歴史を書き残そう」プロジェクトに是非ご参加ください。
新宿紀伊国屋まで行ってウェブログ・ハンドブックを買ってきた。

この本、Amazonランクでは高い位置にあるのだけれど、職場や家の近くの本屋には置いてない。「テキストサイト大全」が平積みだった本屋にまで置いてないので、意外にマイナー?

とりあえず一通り読了。

なんとなく初心者向けにblogの歴史を解説する本だと思ってたんだけど、そうではなかった。米国のblogの歴史とか分類とかをコンパクトにまとめたもの。そういえばタイトルはハンドブックであってガイドブックではないのであった。

これからblogを開設しようとする人に是非読んで欲しいという書評をよく見かけるが、これはほんとの初心者(WWWの移動をマウスクリックのみで行うような人)が読んでも理解できないんじゃないかという気がする。前提となる知識がかなり多い。むしろある程度経験を積んだ人向けのものじゃないかな。

ウェブ上でコミュニケーションをとる上での心得を書いた部分とかは、以前からネット上各所で囁かれていたものをうまくまとめてあるなあと思った。日本でいうと麻弥さんがまとめてるような内容。

ただ、全体を通して読んでる間中、これを本として紙メディアで読んでいることにすごく違和感があった。ディスプレイ上でテキストで読むほうがあっているような気がした。内容のせいなのか文章のせいなのかはわからない。

あと、なるべく俯瞰視点で書こうとするも、筆者自身がクリッピングサイト系コミュニティに属しているため、数の多いジャーナル系(「今日はカレーを食べた」とか書いてるいわゆるweb日記)に対する苦々しさがところどころ浮き出てるのはご愛嬌か。

私は「今日はカレーを食べた」というのは立派な1次情報で、ある日妙に「今日はカレーを食べた」と書いた人が多くて共通点を調べてみたら、とある雑誌に掲載されたカレーの写真がすごく美味しそうでそれに触発された結果だったとかいうのが分かったらすごく面白いだろうなあと思う性質なんで、この手の意見を見ると苦笑してしまう。

まあこういったまとまったメタブログ論を書く人は多分「今日はカレーを食べた」派からは出てきにくいだろうからそういう論調がメインになってしまうのも仕方ないとは思うけど。

そういった引っかかりはあるものの、基本的に、必要なことは大抵網羅されている一読の価値はある内容だと思う。個人的に疑問だったのは、以下の点。

・文中で「アンテナ」と訳されている米国のアンテナは日本のアンテナのような更新時刻をアンテナエージェントが自動的に取得しに行くタイプのものなのか?読む限り、日記才人やReadMe、あるいはMyblog japanのような自分で更新通知をしにいくタイプのように思えるのだけれど。両者は似て非なるもののはずだが。
・分類の中に一昔前の「テキスト系」に相当する、いわゆるネタ系コラム/日記がなかったのだけれど、米国ではジャンルとして成立するほど数がなかったのだろうか?
・訳者後書きでは日本ではBloggerと同様の役割を果たした高機能かつウェブログ作成の敷居を劇的に下げるツールは存在しなかったとあるのだが、奇しくもBloggerとほぼ時期を同じくして登場した「さるさる日記」は、web日記作成の敷居を下げるかなりエポックメイキングなツールだったと思うのだけれどどうなのだろうか。このあとしばらく雑誌や新聞で「さるさる日記を使ってwebで日記をつけよう」的な記事が出てた記憶があるんだけどなあ。高機能じゃないから(いわゆるtrackbackとかRSSとかついてないから)ダメってやつ?

やはり「個人Webサイトの歴史を書き残そう」プロジェクトでなるべく多くの人の見た歴史を見てみたい。
【このトピックへのコメント】
  • yomoyomo[URL]はぁ(ため息)。更新アンテナですが、「両者は似て非なるもの」だとしてもあの文章の論旨は何も変わらないと思いますが。「ネタ系コラム/日記」ですが、ノートブックがそれに入るんじゃないですか(訳者あとがきでちゃんと補足してますが)。あと訳者あとがきですが、「高機能かつ」とちゃんと書いているんだから「高機能じゃないからダメってやつ?」って当たり前でしょうに。念のために書いておくと、TrackBackもRSSも何の関係もありません。BloggerにはTrackBackは実装されていませんし、以前の無料版ではRSSすら提供していませんでしたし。(2003-12-31 14:06:36)
  • kera-ma-go「Re:ウェブログ・ハンドブック読了」コメントありがとうございます。長いのでコメントでなく日記にします。まず「アンテナ」の件ですが、それで論旨がどうなるかということは問題ではなく、私自身は日記才人が「アンテナ」と表記され...(2003-12-31 17:05:37)
yomoyomo:はぁ(ため息)。更新アンテナですが、「両者は似て非なるもの」だとしてもあの文章の論旨は何も変わらないと思いますが。「ネタ系コラム/日記」ですが、ノートブックがそれに入るんじゃないですか(訳者あとがきでちゃんと補足してますが)。あと訳者あとがきですが、「高機能かつ」とちゃんと書いているんだから「高機能じゃないからダメってやつ?」って当たり前でしょうに。念のために書いておくと、TrackBackもRSSも何の関係もありません。 BloggerにはTrackBackは実装されていませんし、以前の無料版ではRSSすら提供していませんでしたし。(2003-12-31 14:06:36)

コメントありがとうございます。長いのでコメントでなく日記にします。

まず「アンテナ」の件ですが、それで論旨がどうなるかということは問題ではなく、私自身は日記才人が「アンテナ」と表記されるのには非常に違和感を覚えます。申告が能動的か受動的かということで大きな隔たりがあると考えていますので。
ですが、yomoyomoさんとしては更新時刻自動取得型でも自己申告型でも共に「アンテナ」と表記されるのには特に違和感がないので敢えてあの訳語を当てたということですね。

次に「テキスト系」という分類のことですが、文章が長めという「ノートブック」という分類よりは、日本でいう「テキスト系」はもっと狭いカテゴリだということはご同意いただけると思います。
日本ではネタ系テキストはひとつのカテゴリとして認識されているのに米国では(フィルタ系のように)カテゴリとして認識されるほどの数/勢力はなかった(?)のは、米国と日本の違い?というニュアンスで書いた文章でしたので、「ノートブックがそれに入るんじゃないですか」というご指摘はどうもずれているような気がします。
私の文章力の問題でそのようなニュアンスに読めなかったとしたら申し訳ないです。

最後の点ですが、私自身は、さるさる日記は特に相互言及を目的としないweb日記を書くのであれば充分な機能を持った専門ツールだという認識でいます。何も考えずにフォームに書き込んでいくだけで日付で整理された形で過去ログが生成できるという点で充分高機能かつウェブログ作成の敷居を劇的に下げたツールだと私は思っているのですが、yomoyomoさんとは「高機能」の定義が違うということなんですね。(ということを確認したかっただけなんですけど。「yomoyomoさんが高機能と考えていらっしゃると思われる機能」の例としてtrackbackやRSSを挙げたのはご指摘の通りこちらが不適切でした)

はぁ。とため息をつかれるほど誤読はしてないと思うんですが、というか、ある事象に関してyomoyomoさんと私に認識の違いがあったということですよね。認識に違いがあったことを確認できたのは有意義でしたけど、認識に違いがあることを「はぁ」とため息をつかれたら、私も「はぁ」とため息をつくしかないです。