東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳
平成20年7月8日(火曜日)

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東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

脳神経外科・神経内科・内科・外科・形成外科・美容外科・
心療内科・耳鼻咽喉科
山本クリニック形成外科・皮膚外科・美容外科
形成外科・美容外科・・レーザー治療・レーザー外科
http://www5b.biglobe.ne.jp/~mddmsci
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東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成20年7月8日(火曜日)

「7月8日」です。
7月になりました。
夏の三分の一が終わりました。

夏至も6月にすぎました。

だから。
陽は短くなり始めます。
正確には「秋」「冬」に向かいます。

7月=真夏に近くなりました。
梅雨(つゆ)ですが晴れ間が多いです。

私は寒い新潟の寒村の百姓のうまれです。
毎朝03:15amには起床致します。

睡眠時間は「4時間」。

朝の病院への移行に車をつかいます。
まっくらです。

朝5:00am前に東京 都 世田谷 区 山本クリニック
の明かりがともります。

真っ暗な中で。
病院の事務局と病院の診察室との
往復はとても気温が低いと
とてもくつらいです。

朝の日の出前までの間は今日御来院される患者さん
の「診療録:カルテ」のチエックと
朝の申し送りの準備です。

早朝「そら」をみあげれば。
晴れているはず。日差しも強いはず。

けれども空には
「雲がいっぱい」で「空はくもりそら」
です。
ふしぎな7月のひざしです。

ふとかんがえれば・・。
夏至もおわり。

真夏の太陽から若葉をまもる
「ソフトフイルター」の役目の
「おぼろくもりそら」。

自然とは・。
よくできたものです。
大気に漂う霞がごとし。

深い山の奥に住むという

仙人の心境が。

とてもよくわかります。

街路樹もそうそうたる。
羽振りのよい木々になってきました。

街路樹は「落葉樹」がよいです。
街路樹が「松や杉」のような「常緑樹」では
冬はうっそうとして。
夏場は枝ぶり葉っぱから日の光を
さえぎれない。
とどのつまり
四季のリズムがあいません。

ヴイバルデイの「四季」や
フランツ・シューベルトの「菩提樹」の歌曲
も「うまれません」。

落葉針葉樹で
強いからといって「からまつ」をうえられても
困ります。
私の「大好き」な北原白秋の「からまつの詩」
の「からまつ」は
街路樹にはそぐいません。

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北原白秋
 
「水墨集」より

  
 落葉松
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      一
 
 からまつの林を過ぎて、
 
 からまつをしみじみと見き。
 
 からまつはさびしかりけり。
 
 たびゆくはさびしかりけり。

      二
                 
 からまつの林を出でて、
 
 からまつの林に入りぬ。
 
 からまつの林に入りて、
 
 また細く道はつづけり。

      三
 
 からまつの林の奥も
 
 わが通る道はありけり。
  きりさめ
 霧雨のかかる道なり。
 やまかぜ
 山風のかよふ道なり。

      四
 
 からまつの林の道は、
 
 われのみか、ひともかよひぬ。
 
 ほそぼそと通ふ道なり。
 
 さびさびといそぐ道なり。

      五
 
 からまつの林を過ぎて、
 
 ゆゑしらず歩みひそめつ。
 
 からまつはさびしかりけり、
 
 からまつとささやきにけり。

      六

 からまつの林を出でて、
  あさま ね
 浅間嶺にけぶり立つ見つ。
 
 浅間嶺にけぶり立つ見つ。
 
 からまつのまたそのうへに。

      七
 
 からまつの林の雨は
 
 さびしけどいよよしづけし。
 
 かんこ鳥鳴けるのみなる。
 
 からまつの濡るるのみなる。

      八
 
 世の中よ、あはれなりけり。
 
 常なれどうれしかりけり。
 
 山川に山がはの音、
 
 からまつにからまつのかぜ。

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木々の青葉の房が
早朝くらい中でも
うかびあがります。
とりわけ私は
くすのき科が。
「大好き」な「木」の
ひとつです。
ポプラも好きです。
イチョウもすきです。
けやきもすきです。

木々の穂先は毛氈(もうせん)
のようにあざやかな萌黄色と緑です。
まるで。
大きな里山の森のうねりのようです。
今年は木々のわかばのめばえがとてもとても
鮮烈です。

街角の雑草も花はおわり。
6月の草花・
「ひるがお」「つるくさ」が
ますます姿を大きくしています。

雑草も。
同じく夏草へと変貌しつつある。

朝暗いうちは。
まだまだ。はださむい気が致します。

東京 都 世田谷 区 山本クリニックには。
ふとい孟宗竹のたけやぶ
があります。
竹はせがたかいから。

クリニック館内からはすこし離れた所にある。
はなれていても。真夏竹。
とおくからもみえます。

風にゆられる夏竹(なつたけ)に
みどりのいらかにかぜはやみ
なつの陽ひるむやうつろひの
竹(たけ)のつきひもはやいくとせ

地にも空にも
みどり葉ひらきたり
みどり木夏空にひろがりけり
ゆたかなりけり
いふことのなし
いふことがなし
いふことはなし。

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ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
-------------------------------

平成20年2月11日(月曜日)は祝日です。

「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

は「おわりました」。
-------------------------------

平成20年3月20日(木曜日)
は「祝日」です。
けれども
(木曜日)は休診日であるために。
「祝日診療」は行いません。

祝日が(日曜日)(木曜日)とかさなわない場合
に限り。
「休日体制」で患者さんの診療を行います。
はおわりました。

-------------------------------

平成20年

4月29日(火曜日)はおわりました。
5月 3日(土曜日)はおわりました。
5月 5日(月曜日)はおわちました。
「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

但し
5月 6日(火曜日)は「お休み」
を頂き。5月7日(水曜日)より定常どおり
の診療を行います。

7月21日(月曜日)は
「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

++++++++++++++++++++++

★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円
2回法=7.000円
です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。
インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

-------------------------------

2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。
去年2007年の「5月ころ」NHKの
放映があり。
昨年は全国で「肺炎球菌ワクチン」が
たりなくなってしまいました。

------------------------------

成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

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学校の入学式。桜の花。
そして「眼に青葉やまほととぎす・」
の時期。
そして紫陽花が咲き夏になり
秋になりまた今年も冬がきます。

インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。

今年は猛暑と厳寒。
「地球温暖化による大気温度差の拡大」が
顕著であろうと推察されます。

体調を崩される方が多いものです。
私はこの夏は「猛暑」になり極め厳しい「暑さ」
であることを懸念しています。
そして気候の変動は
激しいと思います。

このような今年からは
冬場や春にかぎらずインフルエンザに
代表される。
ウイルス性感染症が
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

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学校の入学式。桜の花。
そして「眼に青葉やまほととぎす・」
の時期。
そして紫陽花が咲き夏になり
秋になりまた今年も冬がくる。

インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。

今年は猛暑と厳寒。
「地球温暖化による大気温度差の拡大」が
顕著です。

体調を崩される方が多いものです。
私はこの夏は「猛暑」になり極め厳しい「暑さ」が。
そして気膠の変動は
激しいと思います。

このような今年からは
冬場や春にかぎらずインフルエンザに
代表されるウイルス性感染症が
大流行するおそれが強い。

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麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です。

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「地球温暖化による大気温度差の拡大」で
季節の変わり目に「反復性上気道感染」に
なられるかたが多いです。

「世情は不安定」であり何かひとつ
生活しづらい日々を感じられる
かたも多いものです。。

人間は「倒れるまではたっています」。
人間は「冬・春」の旅に(度に)齢を重ねる。

昔の「数え年」は「たいした物」だと思います。

難易度の高い「病態」をお持ちの
患者さんが増えています。
難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら。

私 院長の山本博昭と
東京都 世田谷区 山本クリニックの
「全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが。

「良くなられていく」笑顔に。

心より感謝・感謝。

「今日は何の日」は
私が「大好き」な日本画家である芸術家
1908年 - 東山魁夷、画家(+ 1999年)
の生誕日です。
++++++++++++++++++++++

東山 魁夷(ひがしやま かいい、男性
1908年7月8日 - 1999年5月6日)は、日本画家です。

昭和期を代表する日本画家と評されます。
千葉県市川市名誉市民でもあります。

東山魁夷は
1908年 船具商東山浩介と妻くにの次男として
横浜市に生まれました。

本名新吉。

父の仕事の関係で3歳の時に神戸西出町へ転居。

兵庫県立第二神戸中学校(現兵庫高校)在学中から
画家を志しました。4
東京美術学校(現東京芸術大学)日本画科へ進学致しました。

結城素明に師事致します。

在学中の1929年第10回帝展に「山国の秋」を初出品。
初入選を果たします。

++++++++++++++++++++++
東山魁夷は
美術学校を卒業後、
ドイツのベルリン大学(現フンボルト大学)に留学致しました。

1940年には日本画家の川﨑小虎の娘すみと結婚。
1945年応召し、熊本で終戦を迎えました。

召集解除後は小虎、母、妻が疎開していた
山梨県中巨摩郡落合村(現南アルプス市)
に一旦落ち着きます。

11月に母が亡くなると
千葉県市川市に移り、
その後吉村順三設計による自宅を建て、
50年以上に亘りその地で創作活動を続けました。

++++++++++++++++++++++
東山魁夷は

戦後、1947年の第3回日展で
《残照》が特選を得たことが転機となり、
以降、風景を題材に独自の表現を追求致しました。

1950年に発表した《道》。
前方へとまっすぐに伸びる道それだけを描く作品です。

単純化を極めた画面構成に新機軸が示されています。

北欧、ドイツ、オーストリア、中国にも取材し、
次々と精力的に発表された作品は、

平明ながら深い精神性をそなえ、
幅広い支持を集めましたた。

++++++++++++++++++++++

東山魁夷が。
約10年の歳月をかけて制作した
奈良・唐招提寺御影堂障壁画は
畢生の大作となりました。

東山魁夷は
このプロジェクトを手がけたことにより
国内での知名度と
人気はさらに高まり、
国民的日本画家とも称されるようになりました。

++++++++++++++++++++++

東山魁夷。

ドイツ留学中に知ったドイツロマン主義の画家、
カスパー・ダーヴィト・フリードリヒを
日本に初めて紹介したのも東山魁夷です。

また、「瀬戸大橋の色」を東山魁夷が
提案したことでも知られます。

生前、自身の作品の多くを
東京国立近代美術館と長野県に寄贈。

長野県は長野県信濃美術館に
谷口吉生設計による東山魁夷館を増設し、
寄贈された作品の常設展示にあてています。

その他、少年時代を過ごした
神戸市にある兵庫県立美術館、
父方の出身地である香川県の香川県立東山魁夷せとうち美術館にも。

版画を中心とする作品が寄贈されています。

++++++++++++++++++++++

東山魁夷が
戦後の復員直後から亡くなるまで暮らしていた
千葉県市川市には、
自宅に隣接して市川市東山魁夷記念館が開館致しました。

また、美術学校時代のキャンプ旅行の途中、
激しい夕立に遇った際に温かいもてなしを受けたことに
感謝して後に寄贈された
約500点の版画を収蔵する
「東山魁夷 心の旅路館」が、岐阜県中津川市にあります。

++++++++++++++++++++++
東山魁夷

代表作品
「残照」(1947,東京国立近代美術館蔵)
「道」(1950,東京国立近代美術館蔵)
「光昏」(1955,日本芸術院蔵)
「曙」(1968,財団法人北澤美術館蔵)
「白馬の森」(1972,長野県信濃美術館東山魁夷館蔵)
「濤声」「山雲」(1975,唐招提寺障壁画)
「朝明けの潮」(1968,皇居新宮殿壁画)
「年暮る」(1968,山種美術館蔵)
「花明り」(1968,個人蔵)

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東山魁夷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%B1%B1%E9%AD%81%E5%A4%B7

東山 魁夷(ひがしやま かいい、男性、1908年7月8日 - 1999年5月6日)は、日本の画家。昭和期を代表する日本画家と評される。千葉県市川市名誉市民。

1908年船具商東山浩介と妻くにの次男として横浜市に生まれる。本名新吉。父の仕事の関係で3歳の時に神戸西出町へ転居。兵庫県立第二神戸中学校(現兵庫高校)在学中から画家を志し、東京美術学校(現東京芸術大学)日本画科へ進学。結城素明に師事。在学中の1929年第10回帝展に「山国の秋」を初出品し、初入選を果たす。美術学校を卒業後、ドイツのベルリン大学(現フンボルト大学)に留学。1940年には日本画家の川﨑小虎の娘すみと結婚。1945年応召し、熊本で終戦を迎える。召集解除後は小虎、母、妻が疎開していた山梨県中巨摩郡落合村(現南アルプス市)に一旦落ち着く。11月に母が亡くなると千葉県市川市に移り、その後吉村順三設計による自宅を建て、50年以上に亘りその地で創作活動を続けた。

戦後、1947年の第3回日展で《残照》が特選を得たことが転機となり、以降、風景を題材に独自の表現を追求した。1950年に発表した《道》は、前方へとまっすぐに伸びる道それだけを描く作品で、単純化を極めた画面構成に新機軸が示されている。北欧、ドイツ、オーストリア、中国にも取材し、次々と精力的に発表された作品は、平明ながら深い精神性をそなえ、幅広い支持を集めた。約10年の歳月をかけて制作した奈良・唐招提寺御影堂障壁画は畢生の大作となった。このプロジェクトを手がけたことにより国内での知名度と人気はさらに高まり、国民的日本画家とも称されるようになった。

ドイツ留学中に知ったドイツロマン主義の画家、カスパー・ダーヴィト・フリードリヒを日本に初めて紹介したのも彼である。また、瀬戸大橋の色を提案したことでも知られる。

生前、自身の作品の多くを東京国立近代美術館と長野県に寄贈。長野県は長野県信濃美術館に谷口吉生設計による東山魁夷館を増設し、寄贈された作品の常設展示にあてている。その他、少年時代を過ごした神戸市にある兵庫県立美術館、父方の出身地である香川県の香川県立東山魁夷せとうち美術館にも、版画を中心とする作品が寄贈されている。戦後の復員直後から亡くなるまで暮らしていた千葉県市川市には、自宅に隣接して市川市東山魁夷記念館が開館した。また、美術学校時代のキャンプ旅行の途中、激しい夕立に遇った際に温かいもてなしを受けたことに感謝して後に寄贈された約500点の版画を収蔵する東山魁夷 心の旅路館が、岐阜県中津川市にある。

代表作品
「残照」(1947,東京国立近代美術館蔵)
「道」(1950,東京国立近代美術館蔵)
「光昏」(1955,日本芸術院蔵)
「曙」(1968,財団法人北澤美術館蔵)
「白馬の森」(1972,長野県信濃美術館東山魁夷館蔵)
「濤声」「山雲」(1975,唐招提寺障壁画)
「朝明けの潮」(1968,皇居新宮殿壁画)
「年暮る」(1968,山種美術館蔵)
「花明り」(1968,個人蔵)

関連項目
個人美術館

外部リンク
香川県立東山魁夷せとうち美術館
市川市東山魁夷記念館
東山魁夷 心の旅路館
長野県信濃美術館・東山魁夷館
東京国立近代美術館
兵庫県立美術館
生誕100年 東山魁夷展(東京国立近代美術館/2008.3.29〜2008.5.18)
"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%B1%B1%E9%AD%81%E5%A4%B7" より作成
カテゴリ: 芸術家 | 日本の芸術家 | 日本の画家 | 神奈川県出身の人物 | 1908年生 | 1999年没表示本文 ノート 編集 履歴 個人用ツールログインまたはアカウント作成 ナビゲーション

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7月8日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/7%E6%9C%888%E6%97%A5

できごと
1099年 - 第1回十字軍。

1497年 - ヴァスコ・ダ・ガマ率いる船団がインド航路開拓のためリスボンを出港。

1709年 - 大北方戦争: ポルタヴァの戦い。

1853年(嘉永6年6月3日) -
マシュー・ペリー米東インド艦隊指令長官が、大統領の親書を携え軍艦(黒船)4隻で浦賀に来航。

1859年 - スウェーデン・ノルウェー王オスカル1世の死去に伴い、
カール15世(ノルウェー王としてはカール4世)即位。

1864年(元治元年6月5日) - 池田屋事件

1868年(慶応4年5月19日)- 北越戦争: 長岡城陥落。

1889年 - 「ウォールストリート・ジャーナル」創刊

1912年 - 第3回日露協約が調印。特殊権益地域を内蒙古まで拡大される。

1914年 - 孫文らが東京で中華革命党を結成する。

1934年 - 岡田啓介内閣発足

1937年 - カール・オルフ作の世俗カンタータ『カルミナ・ブラーナ』がフランクフルトで初演される。

1947年 - ロズウェル事件

1950年 - 警視庁がD・H・ローレンス作、
伊藤整訳の『チャタレイ夫人の恋人』を猥褻文書として摘発。

1956年 - 第4回参議院議員通常選挙。

1957年 - 砂川事件。

1967年 - 韓国中央情報部(KCIA)が東ドイツにおいて
北朝鮮大使館と接触した194名の韓国人を逮捕したと発表。(東ベルリン事件)

1969年 - IBMによって開発されたトランザクション処理システム、CICSが発売。

1991年 - 十日間戦争: スロベニア政府が勝利宣言を発する。

1994年 - ナポリ・サミット開幕。

1994年 - 日本人初の女性宇宙飛行士向井千秋がスペースシャトルで宇宙へ。

1999年 - 中央省庁改革関連法・地方分権一括法が成立。

2005年 - シンガポールで開かれていたIOC総会で2012年ロンドンオリンピック時、
野球・ソフトボールの実施競技除外を決定。

誕生日
1621年 - ジャン・ド・ラ・フォンテーヌ、詩人(+ 1695年)

1830年 - フレデリック・ウィリアム・スワード、第6代アメリカ合衆国国務次官補(+ 1915年)

1839年 - ジョン・D・ロックフェラー、実業家(+ 1937年)

1840年(天保11年6月10日) - 岩村通俊、
日本の農商務大臣・宮中顧問官・初代北海道庁長官(+ 1915年)

1840年 - マヌエル・デ・アリアガ、初代ポルトガル大統領(+ 1917年)

1854年 - 海山太郎 - 元大相撲力士(+ 1926年)

1867年 - ケーテ・コルヴィッツ、版画家・彫刻家(+ 1945年)

1882年 - パーシー・グレインジャー、ピアノ奏者・作曲家(+ 1961年)

1885年 - エルンスト・ブロッホ、哲学者(+ 1977年)

1904年 - アンリ・カルタン、数学者

1908年 - ネルソン・ロックフェラー、第41代アメリカ合衆国副大統領(+ 1979年)

1908年 - 東山魁夷、画家(+ 1999年)

1919年 - ヴァルター・シェール、西ドイツ大統領

1921年 - 多田文久三、元プロ野球選手(+ 2005年)

1938年 - 今津光男、元プロ野球選手(+ 2005年)

1942年 - 三枝成彰、作曲家

1946年 - 水野誠一

1947年 - 元谷芙美子、実業家・APAホテル社長

1948年 - 小坂忠、ゴスペルシンガー

1956年 - 中村有志、タレント
1958年 - ケビン・ベーコン、俳優
1959年 - 川口和久、元プロ野球選手
1961年 - 三谷幸喜、脚本家
1963年 - 桜沢エリカ、漫画家
1964年 - 八代英輝、国際弁護士
1965年 - 久世星佳、女優
1968年 - ビリー・クラダップ、俳優
1968年 - マイケル・ウェザリー、俳優
1968年 - 三嶌誠司、競艇選手
1969年 - SUGIZO、ミュージシャン
1971年 - 西靖、毎日放送アナウンサー
1971年 - 小城錦康年、大相撲元力士・小結、中立親方
1972年 - 谷原章介、俳優
1972年 - ヒライケンジ、お笑い芸人
1972年 - なるみ、お笑い芸人
1973年 - 滋賀ノ湖、元大相撲力士
1976年 - 柴田博之、プロ野球選手
1978年 - ホリエアツシ、ミュージシャン(ストレイテナー)
1979年 - 陶山隼、作曲家、アレンジャー
1980年 - ロビー・キーン、サッカー選手
1980年 - 戸崎圭太、騎手
1981年 - アナスタシア・ミスキナ、テニスプレーヤー
1981年 - 鈴木繭菓、タレント
1981年 - 鈴木啓太、サッカー選手
1982年 - 井下田真実、モデル
1982年 - 岩崎慧、ミュージシャン(セカイイチ)
1983年 - 根元俊一、プロ野球選手
1983年 - 柳瀬明宏、プロ野球選手
1983年 - 中津真莉子、女優
1983年 - 近藤一樹、プロ野球選手
1984年 - 田代沙織、タレント
1984年 - 夜咲蘭、ネットアイドル
1987年 - 枡田慎太郎、プロ野球選手
1988年 - ヨーハン・クリスチャン・カン、俳優
1988年 - 美花ぬりぇ、AV女優
1988年 - 若ノ鵬寿則、大相撲力士
1992年 - 冨岡健翔、ジャニーズJr.、MADEのメンバー
1994年 - 溝口恵、ファッションモデル

忌日
1249年 - アレグザンダー2世、スコットランド王(* 1189年)

1538年 - ディエゴ・デ・アルマグロ、コンキスタドール(* 1479年)

1560年(永禄3年6月15日) - 長宗我部国親、戦国大名(* 1504年)

1586年(天正14年5月22日) - 蜂須賀正勝、羽柴秀吉の家臣(* 1526年)

1597年(慶長2年5月24日) - ルイス・フロイス、イエズス会宣教師(* 1532年)

1623年 - グレゴリウス15世、第234代ローマ教皇(* 1554年)

1695年 - クリスティアーン・ホイヘンス、数学者・物理学者(* 1629年)

1705年(宝永2年5月18日)- 徳川綱教、第3代和歌山藩主・徳川吉宗の兄(* 1665年)

1822年 - パーシー・ビッシュ・シェリー、詩人(* 1792年)

1859年 - オスカル1世、スウェーデン王(* 1799年)

1864年(元治元年6月5日) - 宮部鼎蔵、尊攘派志士(* 1820年)

1864年(元治元年6月5日) - 吉田稔麿、長州藩士(* 1841年)

1934年 - バンジャマン・バイヨー、天文学者(* 1848年)

1940年 - 吉行エイスケ、詩人(* 1906年)

1944年 - 南雲忠一、軍人(* 1887年)

1962年 - ジョルジュ・バタイユ、小説家・評論家(* 1897年)

1965年 - 河野一郎、政治家(* 1898年)

1967年 - ヴィヴィアン・リー、俳優(* 1913年)

1979年 - 朝永振一郎、物理学者(* 1906年)

1979年 - ロバート・バーンズ・ウッドワード、化学者(* 1917年)

1979年 - 中村三之丞、政治家(* 1894年)

1994年 - 金日成、北朝鮮国家主席(* 1912年)

1998年 - 村社講平、陸上競技選手(* 1905年)

2001年 - エルンスト・バイアー、フィギュアスケート選手(* 1905年)

2004年 - 永原慶二、歴史学者(* 1922年)

2007年 - 村上恵梨、タレント(* 1982年)

2007年 - ジェリー伊藤、俳優・歌手(* 1927年)

2007年 - 伊東かおる、漫談家(* 1948年)

2007年 - 木村東道、書家(* 1935年)

記念日・年中行事
なはの日:7月8日は数字の語呂合わせで「ナハ」と読めることから、
沖縄県那覇市の那覇の日制定実行委員会で
「7月8日をなはの日」という活動を実施中。

記念日協会には登録済みであるが、自治体として正式な制定を目指している。