海月玲二

トランシルバニアの中心都市である.観光地としてはそんなにメジャーではないと思う.ここでは何が困ったってとにかく道路工事である.たまたまだと思うが,そこらじゅうの道で工事をやっていて,歩きにくいことこの上なかった.

この町には大きな大学があるというので,せっかくだから行ってみた.しかし当然のことながら夏休みであり,あまり人がいなかったので残念.もちろん全然いないというわけではないが,授業はほぼやってないし食堂とか図書館も閉まっているのだった.

ところで,この手の旧市街にある古い大学としては,理系の学部が多いのはちょっと珍しいと思う.理系の学部はどうしても広い敷地を必要としがちなので,だいたい学部まとめて新市街の広めのキャンパスに移動してしまうのがパターンなのだが,ここでは物理学科とか情報学科とかがわりと中心部の建物に入っていた.主に理論系の教室が多いんだろうか.さらに,医学関係とか動物関係とか,本部の建物にない学部も,それほど郊外ではない近くの場所に集められていた.

大学町らしく,周囲に学生が集まりそうなカフェだとか飲み屋だとかそういうものが多い.夏休みでも,もう終わりも近いからか,カフェには学生らしき人達がたくさんいるのを目にした.どうでもいいが,ルーマニアのカフェはやたらとレモネードが充実している.普通の以外にも,ミントだとかバジルだとかジンジャーだとか,自家製シロップやハーブを混ぜて味付けしたものがいろいろあった.店にもよるがなかなかおいしい.


Yを出迎えに,俺がルーマニアからブダペストに移動したのは9月1日である.この時期にブダペスト東駅を利用したので,やはりどんな様子だったか一言書いておこうと思う.

東駅に隣接する地下通路や駅正面が難民でいっぱいだったのは,ニュース等でさんざん報道されたとおりである.最初に降りたときは全然知らなかったので,かなりびっくりした.

ただ,正面の門はいちおう警官隊がかためて通行禁止になっており,駅構内は秩序が保たれていた.地下道にしても,市民や旅行者が単に通行するぶんには別段問題はなく,地下鉄も正常に運行されていた.難民の側としても,暴徒化してもあまり利はないだろうな.

というか,ブダペスト市民としては「ドイツに行ってくれるなら別にこっちには関係ないし」ということかもしれないが.ブダペストのその他の地区は至って平常運転だったんだよね.

運行休止になったりしてたのもドイツ行き関係だけで,ルーマニア線とかスロバキア線とかは全く普通で,おおかた予定時刻にちゃんと発着していた.そんなことより,ルーマニアから来る列車のエアコンが全然効いてなかったことのほうがよっぽど大変だったよ.そりゃそうだよな,ルーマニアとか行っても別にいいことなさそうだしな.

空港でYと合流したあとはスロバキア東部に移動し,旅行の後半戦である.このスロバキア東部というのは,どうにもアクセスしにくい地域だ.

首都ブラチスラバのある西部はそうでもなくて,ウィーンから列車で1時間ほどしかかからない.それに,仮にも首都だから航空便もなくはない.しかし東部はそういうわけにはいかないのだ.ブラチスラバからコシツェ(東部の中心都市)までは列車で5〜6時間かかる.コシツェ(や中部のポプラド)にも一応空港はあるが,スケジュールや旅程がうまいこと合わなければ使えない.たまにプラハ便やブラチスラバ便がある程度だ.

実際,コシツェにはブダペストから行ったほうがまだ近いのである.列車でも3〜4時間ぐらいだ.ハンガリー領は平地が多いからな.

そこで今回は,ブダペスト空港→コシツェというミニバスサービスを使った.事前予約と支払いが必要だが,一人40EURなので値段は比較的リーズナブルだし,時間帯の選択肢も多い.交通手段が限られてることを考えればアリだと思う.

でも帰りは列車にした.こっちは早朝と夜しか便がないので,正直便利とは言いがたいが,もっとお安い.一人22EURだった.

そもそもなんで東スロバキアに来たかというと,このお城を見物しようというのがひとつの目的だった.

ヨーロッパでも有数の大きな城跡である.なんでもラピュタのモデルのひとつであるとかなんとかいう話があるらしい.この城の一番の特徴はその立地ではないかと思う.遠くまで見わたせる感じの平地に丘がひとつあって,その上に城があるわけで,それはもう目立つこと目立つこと.この近辺からだと,およそどこにいても目に入る.

観光客的には,近づきながらその威容を楽しむのが一番重要だと思うので,車で裏の自動車道から行くよりは,ふもとの町から歩いて丘を登るほうがおすすめだ.ふもとの町には道案内もある.つまり,地面にちょっとした矢印マークが描いてあった,という意味だが.

実際入ってみると,まあ基本的には廃虚なので,そういろいろあるわけでもない.でもある程度は中心部の構造が残ってるので,そのへんは想像力でカバーしたいところである.詳細な音声ガイドがなんと無料で借りられるので,想像力の手助けも万全だ.

廃虚なので,それなりに草が生えてたりプレーリードッグみたいな小動物が住んでたりするが,別に園庭ロボットはいない.それより,塔に登ると羽虫がわんさかいるのには閉口した.もちろん冬なら関係ないだろうが,今の時期だと長時間滞在するのはキツイ.塔の入口に「羽アリに注意!」とか書いた貼り紙まであるけど,注意したらどうにかなるものだろうか?


スピシュ城に近い小さな城塞都市である.

主な見所は中央広場にあるでかい教会であろう.この教会,あちこちから持ってきた祭壇(というのか知らんが,聖像とか彫刻とかがある三面鏡みたいな形のやつ)がたくさん飾ってあるので,なんだか統一感がない奇妙な雰囲気である.壁の一箇所にだけ壁画があったり,一部のステンドグラスだけ凝ってたりする.この教会って実際使ってるんだろうか?

ていうかそもそもこの教会,見学ツアーでしか入れない方式だった.国会議事堂の見学みたいな感じだ.説明する人はスロバキア語なので,明らかに外国人の俺ら二人には英語の説明シートを貸してくれた.まあそれ自体は,むしろ勝手に好きな順で見れたので楽だったような気もする.

あとほかにしたことといえば,通りをいくつか散歩してみたこと,喫茶店でアイスとか食べたことぐらいだ.適当だな.まあ旧市街は本当に小さいので,普通に観光しても1〜2時間コースだろうけど.実際,ツアーとかだと東西に移動するついでにバスを止めてちょっと観光,みたいな感じだろうか.

我々の場合スピシュ城を見終わったのがお昼で,午後がまるまる残っていたのでついでにちょっと寄ってみた次第である.でも,帰りのバス便が一時間〜二時間に一本しかないのに,適当に行動したせいでちょっと大変だった.ちょうど見物の終わった15時半ごろには全然なくて,二時間近く待つはめになったのである.バスターミナルそばの店でビールを飲んだり,スーパーで朝食などの買い物をしてたらわりとすぐだったけど.


スロバキア第二の都市だが,でかい町ではない.まあ首都ブラチスラバにしたってそんなにアレだしな…….観光客としてはお手ごろサイズでいいとも言える.雰囲気もよくて滞在しやすい.

さらに,今回泊まったところは大当りだった.市の中心部だし,洗濯機キッチン冷蔵庫バスタブと設備も完璧,内装もオサレで清潔,広さも申し分なし.これで二人一泊45EURだというのだから有難いことだ.加えて,ここの家主が,周辺のオススメ飲食店を詳しく書いたテキストを用意してくれていたので,いろいろ試して楽しめた.市場のところにあるgolemとかいう店はけっこうよかったと思う.自家製ビールあるし.

主な観光名所はスロバキア最大の大聖堂がある中央広場近辺だ.ある日,この大聖堂の横を通ったらパイプオルガンの音が聞こえてきた.でもなんだか変な感じで,中に入っても別に特別なことをしてるふうでもない.そもそも演奏がよく途切れるし,同じフレーズの繰り返しが多いような気がする.もしかすると練習中だったのかもしれない.

ところで,旧共産圏の国々では,ときどき,旧時代の百貨店と西側資本の入った後のショッピングモールが両方存在する町があり,なんというか哀愁が感じられる.もちろん旧時代の店はだいたい薄暗くて,どうもあかぬけない感じなのだ.でも,ここの(旧)百貨店は,格安ファッションアウトレット的な店を入れてみたり,改装してきれいにしてみたりして,それなりに努力が感じられて面白かった.もちろん,新しいモールのほうがずっといろんな物が売ってるし,人もたくさん来てるのは今のところ事実だけど.

モールのドラッグストアで日焼止めを買ってみたら,妙に高くてびっくりした(50mlで10EUR以上した).売場も少ないし,あんまり需要ない感じ.やはり西洋人的には「夏にわざわざ日焼けを防ぐとか何なの? 病気なの?」みたいな感覚なんだろうか.

9年半前にはじめて来たときには,大都市なのにボロい町だと思ったものだ.でもバルカン半島の他の町をいろいろ行ってみたあとで来ると,別にそんなでもないような気がしてきた.いや,もしかすると実際綺麗になってきているのかもしれない.ザグレブもそうだったし.

でも,建物のサイズがむやみに大きい町だなあ,とか思ったのは,今でも別に印象は変わらない.

ある日の夕食で,ガイドブックに載っていた「青いバラ」なるレストランに入ったところ,店内を見た瞬間に前回も来たことを思い出した.しかし帰ってから当時使ったガイドブックを見たところ,別にこのレストランのことは載ってなかったのである.当時は適当に入ったんだろうか? しかしまだ旅行に慣れてなかったのにそんなことしたかなあ?

ところで,キリスト教国特有の「日曜にほとんどの店が一斉に休む」という習慣はなんとかならんもんだろうか.定休日なんか適当に交代で取ればいいじゃねえかと思うけど,そういうわけにもいかんのかね.泊まったところのすぐそばが古書店街だったという事実に,帰国直前に気付く始末だ.ショッピングモールでさえ,一見開いてると見えて実際はフードコートとトイレぐらいしか入れない.フードコートにはぼちぼち人が来てるのが,日本人からするとますます変な気がする.

2015-09-08(火)

無題

「安宿で携帯電話が必要」問題はますます深刻になってきている.Booking.comなんかだと,携帯番号を入力しないと先に進めなくなってるほどだ.とりあえず日本の携帯の番号を入れておいたら,ブダペストで泊まった貸しアパートの人が電話してきて留守録サービスにつながり,「あれれ?」ってなってるらしい様子が残っていた.予約したときは全然わからなかったのだが,ここは結構特殊なシステムで,ユースホステルが貸しアパートも所有していて「アパートの受付も別の場所にあるユースホステルで行っている」という事情がある.そういうことは予約サイトの文章に書いておいてほしいものだ.明らかに,外国からの客に対しても「うまく会えなかったら電話すればいいだろ」と考える奴が増えている.

シギショアラの宿では,到着が遅くなって21時を過ぎてしまったところ,入口に鍵がかけられていて電話番号が貼ってあった.まあこのときは,通りががりの人が彼の携帯電話でかけてくれて事なきを得たのであるが,単に親切な人がいてラッキーだったというだけだ.ここは貸しアパートとかじゃない普通のゲストハウスなので大丈夫かと思っていたのに.

せめてメールで連絡してくれるとこちらも対処しようがあるというものだが(コシツェではこれで済んだ),どうしたもんだろう.やはりこれからはプリペイドSIMとかを買うしかないだろうか.複数の国を旅行する場合は確認がめんどくさいなあ.