海月玲二
2016-08-16(火)

無題

もうEmacsを使わなくなってずいぶんになる.基本的には別に問題ないけど,「カーソル位置が画面を出るときに自動でページダウン・アップする」という機能だけはいまだに惜しいと思っている.オートスクロールと言うのだろうか,たとえば上からずっと何かの文章を書いていて,画面の高さを超えたらその時点でページダウンし,カーソルが画面のまんなかとか上とかに来るようにしてくれる機能だ.これがないと,長い文章を書いているときなど,途中からカーソルがずっと画面最下部にいることになるので,なんとなく見づらい気がするのだ.

ほかのエディタでこういうことができるものをあまり見たことがない.あまり人気のない機能なのだろうか? Atomなんかでできるとありがたいんだけどなあ.

なんか腹立つのが,マウスホイールなんかでスクロールすると,ちゃんとカーソルをもう一度上にもってこれるエディタが多くて,つまり文章の終わりを超えてスクロールする機能自体はあったりするのだ.これを自動でやってくれるだけでいいんだけどなあ.Atomだと,ページダウンキーではこうならないこともなんか不思議.

ここからしばらく,2016年夏の旅行関係.今回の旅行の行き先は主にエストニアである.ただ,例によって,同じルートを行ったり来たりする行程をなるべく避けるようにするため,スタート地点をラトビアにしてみた.リーガから北上してエストニアに入り,いくつかの町を見ながらタリンに向かう感じ.

さて,リーガからはまず電車で北東に向かい,ツェーシスという町を見物した.中世はどうだったか知らないが今はかなり小さな町だ.実際,ツーリストインフォメーションで紹介してもらったホテルに向かうときに,地図のスケールを見誤って大回りしてしまい,30分ばかり無駄に歩くことになってしまった.実際より遠く勘違いしたというのは,あまりないパターンである.

ここの名物は中世から残っている城跡だ.構造はわりとしっかり残っていて,中を探索したりもできる.中には別に電気とかついてなくて,入口で蝋燭の入ったカンテラを貸してくれる.中世的雰囲気重点ということだろう.しょせん蝋燭なのでたいして明るいわけではなく,階段なんかもあってけっこう危ないので,日本では絶対やらなさそうなシステムだ.あと実際やってみると,こんな光源だけで地下迷宮の探索とかやってられないのがよくわかる.さっさとロミルワを覚える必要があると思う.

町の中央あたりは,小さいながらも中世からの町並みがそれなりに残っていて,雰囲気は悪くない.ただ,田舎町なので,19時過ぎるとあまり人がいなくなってしまい,ぶらぶらしてるのも悩むところだ.夏は20時過ぎても明るいから,多少マシだけども.

周辺部にはあからさまに新興住宅地みたいのがいくらか存在する.きちんと区割りされていてアメリカの住宅街みたいだ.


ラトビアからエストニアに向かうには,観光客の場合リーガから海沿いに北上してタリンに至るバスが便利である.でも,ほかにもルートがないわけではない.今回は,一旦リーガに戻らなくてもいいようにするため,またエストニア東部のタルトゥに直接行くため,ツェーシスからそのまま北東に向かうルートにしてみた.

基本的には,国境の町ヴァルカまで行って,エストニア側のバスないし鉄道に乗り換えることになる.ソ連時代はヴァルカを通ってラトビアーエストニア間を直通する列車があったらしいが,今はそんなものはなく,ヴァルカで必ず乗り換える必要がある.でもまあ,鉄道で行く場合そんなに問題はなくて,ラトビア国鉄が直接エストニア側の駅に乗り入れる便が一日二本ぐらいあるらしい.このへんは未確認である.

なんで未確認かというと俺はツェーシスからバスで行ったから.ツェーシスからヴァルカに行く列車は昼まで無いので,朝から効率良く行動しようとしたらバスで行くしかなかったのだ.そしてヴァルカという町は,そもそも町の中に国境線があるところで(なお,エストニア側は「ヴァルガ」と呼ぶ),バスターミナルがラトビア側・エストニア側別々にある.バスで行く場合,どうにかして移動しないといけないのだ.

まあ,そんなにすごく大変というほどのことはない.Rigas ielaに出たら右に行くとすぐ国境があって,あとは大通りにそって進めばエストニア側の駅兼バスターミナルまで行ける.国境審査もなくなってるし,歩いてもせいぜい30分ぐらいだと思う.もともとでかい町ではないしな.なお,この道の途中あたり(エストニア側)が町の中心部らしい.大型スーパーとかもあるので,いろいろと補給は可能だ.タルトゥ行きのバスが来るまで1時間あったので,パンとかバナナとか買って食べていた.


タルトゥはエストニア第二の都市であるが,人口過密アジア人からするとのどかな地方都市という雰囲気だ.ヨーロッパの小国だとよくあるパターンだな.

さて,ここは大学都市であり,大学が旧市街の中心と言っても過言ではないほどである.大学博物館がなかなか凝っていて,予算もありそうで感心した.また,新学期も近かったからか,町には学生がたくさん戻ってきていた.夜には何かのイベント中の学生集団が飲み屋をはしごしていたり,市庁舎裏の丘では学生がたくさん集まって騒いでいたりという具合である.これまで訪れた町の中でも,サラマンカに次ぐリア充爆発しろタウンだと言わざるを得ない.

でも,若者が多いせいか,なんかオサレ系の飲み屋とかカフェとかそういうのはいろいろあって,ぼっち飯耐性さえあればそれなりに食事が楽しめる.エストニアなので値段はそんなに安くないけどね! 地元民にも人気のクレープ屋で,ブルーチーズとか入ったやつを食べてみたりした(おやつではなく食事用のクレープ).

ところで,大学のあるエリアが丘になっているので,市街中心部と住宅地部分(丘を狭んで反対にある)の行き来がちょっと大変であった.住宅地部分にはあまり飲食店やスーパーや雑貨店などがないようだし,安い宿泊施設はけっこう住宅地にもあるんだよなあ.観光客も市バスとか使いこなしたほうがいいのかもしれない.まあ,俺はよくわからないまま適当に市バスを使おうとして,30分待っても来なかったり,思ってない方向に進みはじめたのであわてて降りたり,とかやってたわけだが.

というか,あの丘に地下道を掘ったら便利なんじゃないのかと思うんだけど,予算的にきついか.


2016-08-29(月)

パルヌ

パルヌはビーチリゾートだ.エストニアのマイアミとか言うやつもいるそうだが,「マイアミはこんなに寒くねえだろ」と言いたい.北欧人の温度感覚にはついてゆけぬ.

いやまあ冗談だろうが,日本と比べても夏が短いことである.じっさい,ビーチのそばの建物を見たところによると,この週末あたりでシーズンはおしまいということらしい.28日はそれでも多少海水浴などしてる人たちをみかけたが,27日は風がすごくてとても海で遊ぶ雰囲気ではなかった.パラセーリング(というのか? でかい傘みたいのにブラ下がって飛ぶやつ)やってる人はたくさんいたけど.なにしろ,風で砂嵐が巻き起こるほどだったからな.

ここはリゾート地なので,市街中心部はほぼ観光客向けである.すごい観光名所があるというほどのことはないが,観光客向けのカフェとかレストランとかおみやげ屋とかいったものが多い.正直オフシーズンがどんな感じなのか気になる.そしてビーチまでの間のエリアは,宿泊客を受けいれるヴィラ風の建物なんかが間隔を開けて続いている.住民向けのいろいろなお店は,市街北部にある二軒のモールで主にまかなっているらしい.

……この町は,どうもなんとなく既視感がある.アレだ,熱海とか伊東とかそういう感じの雰囲気なのだ.

ところで,夏場は,浜辺の西のはじっこから長く突き出した防波堤を終端まで歩くことができる.ちょっと面白いといえば面白いのだが,防波堤と言ってもでかい丸石を並べたものに過ぎないので,2km歩ききるのは実際かなり大変であると言っておきたい.あと2km歩いたら2km帰ってこなければならないのだ.


リトアニアやラトビアと違い,エストニアには島嶼部が存在する.その中でも最大のサーレマー島というところに行ってみることにした.

本土からはフェリーが出ている.長距離バスが直接乗りこむので,バスの切符を買うときには特にフェリーについて意識する必要はない.フェリーについたら一旦降りて,中の椅子で待つことになる.30分程度の船旅でも,ちゃんと軽食スタンドや売店が用意されているのがなんか不思議だ.港の近所に売店などが全くないからだろうか.

さて,サーレマー島では観光客としては田舎の風景を楽しむのがメインであり,町中に観光名所がまとまっていたりはしない.というか町から離れているところのほうが多い.しかし,俺は車を運転する習慣がないし,この島のバスは本数が少なくて非常に不便である.

泊まったところでは無料で自転車を貸してくれたので,「町から19キロとか37キロとか書いてあるけど,まあ丸一日あれば自転車でもなんとかなるんじゃね?」という浅い考えのもと出発してみた.もちろんなんともなるわけなく,なんとか夕方には町まで帰ってこれたけど,死ぬほど大変だった.パルヌの防波堤でも似たようなことを思ったけど,37キロ行ったら37キロ帰ってこなければならないのである.日常的に自転車に乗っていないので,すぐに足腰が痛くなった.1キロをこんなに遠く感じたのは初めてだ.

というかね,珍しい天井画が残った中世の教会とかはわかる.古い風車がたくさん残った場所とかも,まあわからなくもない.でも隕石クレーターとかは観光名所としてはどうなんだろう.なんと言うか観光客としては丸い池以外の何物でもないよなあ.

サーレマー島には,町と言っていい規模のところはクレサーレとオリサーレの二つしかない.最大の町で,観光客がよく拠点とするのがクレサーレのほうだ.最大と言っても人口1万人強とかその程度の規模で,静かなところである.某ガイドブックには「あまり生活感の感じられない箱庭のような町」とか書いてあるが,要するに人が少ないのだ.

人口のわりに,大型スーパーとかショッピングセンターとかがちゃんとあるのはちょっと不思議.ショッピングセンターなんてほとんどお客がいない感じだったけど,ちゃんと経営していけてるのだろうか?

町の南にあるお城は,島の中でもメインの観光名所である.中世からの構造がしっかり残っており,確かに見ごたえがある.外から見ると特徴のうすい立方体に見えるのだが,中に入ってみるといろいろな部屋が複雑に繋がっていて面白いのだ.その上,城の構造をそのまま使って,地域の歴史などを展示した博物館にもなっている.構造が複雑なため「博物館なのに順路が事実上存在しない」という思い切ったシステムだ.ひとつの部屋にアクセスするルートがたいてい複数あるのだ.これは大変興味深い可能性を感じる.

というか,中世の構造を再現したまま博物館としても使うって普通に可能だよなあ.大阪城なんかもそうしたらいいのに.別にレプリカでもいいからさ.

ところで,ここで泊まったところは当たりだった.中心部に近い2DKのアパート一室,リフォームしたばかりなのですごくきれいな部屋だ.ふつうのアパートなので,キッチンもちゃんとしてるし洗濯機も自由に使える.別にしっかり料理するんじゃなくても,トマトとかグレープフルーツとかを切って食べるとか,湯を沸かしてインスタントスープを作るとか,キッチンつき物件はいいものである.そのうちいっぺん「長めに滞在して,スーパーで食材を買って普通に料理する日を入れてみる」というのもやってみたい.