海月玲二
2020-03-01(日)

スース

チュニジア中部の中心都市.中部っていうのかな? 「砂漠じゃない部分」の真ん中へんだ.

ここは海のそばのメディナ自体がよく残っており,世界遺産であり観光名所だ.また,ビーチにも観光客が来るようである.つまり,観光客的には,マハディアの規模が大きい版だ.じっさいここのメディナはわりと大きくて散歩しがいがある.

メディナの構造としては,海側から陸側に向かって登り坂になっていて,海側の入口近くに広場やモスクや要塞があり,また一番奥の高いところにも要塞が建っている.坂に直角な方向に何本か大きめの通りがあり,低いエリアに二本ほど坂に平行な大通りがある.平行なほうは通りというか商店街だ.複雑といえば複雑だが,坂の方向が一定なので,どこにいるかわかんなくなるようなことは少ないと思う.適当に散歩するのもわりとおすすめだ.

ビーチもわりと旧市街近くにあり,町の近くのあたりでよければ歩いて行けるレベルである.早春の夕方だというのにけっこう人がいてびっくりした(さすがに泳いでる奴はいないようだった).リゾートホテルがつぶれて廃ビルのままになってる建物があったり,地元民が集まる長閑な雰囲気だったり,ゼレノグラーツクみたいな感じになっていた.でもここは夏にはヨーロッパ人客が来てにぎやかになるんだろうか.あと,廃ビルの一部だけをカフェとかでそのまま使ってるのはどうかと思う.

ビーチから旧市街につながる大通りを歩いていたら突然話しかけてくる男がおり,「俺だよ俺,入口のとこの店でセキュリティガードやってた」などと言い出す.いやお前は俺の顔を覚えとるかしらんが,セキュリティの奴の顔なんか一々覚えとらんがな.まあ要するに,マージンを貰える店で買い物しようとかコーヒーおごってくれとかそういうタカリ的なアレなのだが,わりとしつこくて参った.英語があんまりわからないフリをしてもなかなかひきさがらない.10ディナール(400円弱)くれとか,どこでコーヒー飲んだらそんなにかかるんだよ.結局,お金はホテルに置いてきてると言ったらやっとあきらめた.超めんどくせえ.

豆情報.旧市街から一番近いスーパーは,ここのやつだと思う.もしメディナの奥のほうに滞在してるなら,こっちのほうが行きやすいかもしれない.まあ市場に行くのも面白いと思うけど,スーパーは値段が決まってて楽だよね.


旧首都シリーズ2.

スースからちょっと内陸に入ったところにある町だ.政治的な力を失ったあとも宗教的には聖地だったそうで,この町にはやたらとモスクがあるし,大モスクはかなりでかい.19世紀にフランス軍が占領するまで,そもそもイスラム教徒以外は町に入れなかったんだとか.なお1世紀以上経った今では,大モスクなんか行くとちゃんと観光客から儲けようとする連中が来てくれる.

ここのメディナは,わかりやすい大通りが少ないので,大きさのわりには迷いやすい.スースのものより難しいと思う.というか大きさ自体も少し大きいし,店が特定の地域に集中していて,それ以外の場所はどこも似たような雰囲気になるのも迷いやすい原因かもしれない.

宗教都市なので,モスク以外に聖人の霊廟なんかもある.メジャーどころは観光名所でもあり,イスラム教徒でない観光客も棺の部屋以外は入ることが可能だ.せっかくなので俺もひとつ一番有名なやつを見物してみた.いわゆるアラブ風のタイル張り装飾や天井装飾がずいぶんと凝ったものであるが,イスラム開祖的には霊廟を豪華にして崇拝の対象とするのはどうなんだろうね.キリスト教でもよくあるけど.

あと見物してる途中に小中学生の一団が入ってきて,東アジア人というだけで「ヘーイコロナコロナ〜」的な声をかけられた(この時はまだ,ヨーロッパの感染拡大はそこまで深刻には思われてなかった).まあそんなこともあるだろうなと思ってスルーしたら,あとで中庭で休んでるときにその一団が戻ってきて,今度は一緒にセルフィーを撮らせろなどと言い出した.??? どういう意味? なんか友達に度胸自慢でもするのだろうか?

ところで,この町の名前の日本語表記は非常に一定していない.本によって「ケロアン」「カイルアン」「カイラーワーン」などと好き勝手に書かれている.俺が聞いた限りでは「カイルアーン」に近い音に聞こえた(最後の音節にアクセントがある).というかケルアンとかケロアンとか書くのはフランス語読みかもしれないな.そういやアラビア語は母音の長短を区別すると聞いたこともあるが,チュニジア方言ではどうなんだろう.


首都チュニスからちょっと北東に行ったところに,シディ・ブ・サイドという小さな町がある.町というか村とか集落とか呼んだほうがいいぐらいの規模だ.

ここは観光地である.神戸で言えば異人館街ぐらい観光地.白と青を基調としたオサレな町並みが観光客に大人気だ.でも,そもそもこの国のメディナはだいたい白と青を基調とした町並みだと思うんだよね.シディ・ブ・サイドは小さく小綺麗にまとまってるところがいいのかね.

まあ俺もせっかくだから,有名カフェでお茶を飲んだり高級レストランでランチをいただいたり人間好きの猫と遊んだり,観光地を楽しむことにした.酒も頼まないランチで2500円以上払うとか,俺にとっては法外な高級品である.高級レストランなので盛り付けすら凝っているし,それなりに凝った味でよかった.焼いただけとか煮ただけとかのやつとは違うのだ.最後にカードで払おうとしたら「機械のロール紙が切れた」とか言い出してやり直しになり,結果二重請求になってたとかは御愛嬌である(あとでカードのコールセンターに電話して直してもらった).

あと猫と並んで道端に座ってたら,通りすがりの兄ちゃんに「写真撮っていい?」などと言われた.

さて,このエリアにはチュニスから電車ですぐ来れる.なんか路面電車に毛がはえたような鉄道が走っているのだ.せっかく鉄道があるので,今回は,帰りにこの路線にそって港まで歩いてみた(7〜8キロぐらい).その心は,遅くなってきても,途中から電車に乗れるはずという安心感である.つまりよく知らない場所でも安心して散歩できるのだ.

途中,いわゆる「カルタゴ」のエリアを通った.まあカルタゴと言ってもフェニキア時代のものはほとんど残っていない.ローマ時代の遺跡ならそこそこあるので,浴場跡など多少見物した.現代のカルタゴはいわゆる高級住宅街の類であって,建物自体が少ない.しまいには大統領官邸なんか出てきて,警備の人に「反対側の(官邸から遠い側の)歩道を歩いてね」などと言われてしまった.


チュニジアの首都であり,地域きっての巨大都市だ.ここは古くから重要な町だったらしく,そもそもチュニジアの首都だからチュニスと呼ぶのではない.チュニスがある国だからチュニジアと呼んでいるのだ.

メディナもなかなかヤバい.かなりでかいし,構造も複雑である.特に,中心部の商店街地域では屋根がかかっている部分が多いので,なんとGPSが使えない.マハディアがレベル1,スースが2,カイルアンが3としたら,チュニスのメディナはいきなりレベル6ぐらいの感じだ.思ったとおりのところに行くにはかなり慣れが必要である.

もちろん,思ったところに「行かなくてもいい」のならば問題はない.散歩するだけなら適当に歩いて差し支えないので,観光客としては深く考えずに行ってもいいのだ.夜が早いということさえ注意しておけばいい.帰るときは,人通りの多い通りを一方向に進み続ければ,いずれは出られる.なんつうかアレだ,ここに限らないけど「どうしても行かなければならない」名所やお店なんて,そんなにないと思うんだよ.

ところで,夜が早いのはチュニスのメディナに限らず,この国ではだいたいそういうものらしい.夜になると車で乗りつけるような店しかやってない.なので,最終的には食事は昼をメインにして,夜は軽く食べるように行動していた.いかにも観光客とか来そうなレストランとかでも,わりと平気で5時ごろ閉まったりする.

観光客も使う公共交通機関には,強いて言えば「メトロ」と呼ばれる路面電車があるが,そんなに使いやすくはない.べつに均一料金ではないのに停留所に路線図が書いてないので,地図とかで予め降りるところを調べないと切符も買えない(検札の出現率は低いようだが).あと中心部近くに「共和国広場」なる大きな駅があるのだが,どうもときどきこの駅を通過するものがあるらしい.どこにもそんなこと書いてないし,列車を見ても全く区別がつかないのでめんどくさい.直前の駅でフランス語のアナウンスがあるだけのようだ.見ていたかぎりでは,もしかするとこの動作をするのは4号線だけなのかもしれないが,観光客が一番使う可能性が高いのは4号線なんだよな.


夜行フェリーというのは便利なものである.夕方に出港して寝てる間に海を渡り,移動と宿泊がまとめてできるよやったね.予定通りにいけば.

今回はチュニジアを18時に出港して翌朝7時に到着する予定だった.念のためちょっと早めに来たので,4時間は待つことになる.まあ,飛行機の乗り換えとか考えたら別にそれほどたいしたことではないだろう.……と思っていた.しかししばらくすると,フェリーターミナルの表示に遅延の表示が出たのである.フランス語だから自信ないけどたぶんそう.24時とか書いてあるので,さらに6時間待たねばならない.

チュニスのフェリーターミナルにはたいしたものはなく,長時間過ごすのはつらいものがあった.しかも,港の一番はじっこにあり,ターミナルから外に出てみても徒歩圏内にそれほどたいしたものはないのだ.というか夕方までならともかく,夜になってそうほいほいと外を歩くわけにもいかないし,荷物はどうすんだという問題もある.

さて,この路線は一隻の船が行ったり来たりしているだけなので,向こうから来る便が遅れるとその分出発も遅れることになる.LCC便が遅れやすいのと同じ理屈だ.それなのに,21時になっても22時になっても船が来ないので変だなあと思ってはいた.23時半ごろにいちおう出国審査が始まったけど,審査が済んだからって船がいないんだから何もしようがない.結局,日付が変わったあとやっと船が来て,それから向こうからの客が降りて再出港の準備が整うのを待ち,……実際に出港したときは午前3時を過ぎていた.出国審査の後の制限エリアでは外気に近くなるので部屋がかなり寒く,お店も全くないし,眠気も増してきてかなりつらかった.非制限エリアの10時間よりつらかったかもしれん.

さらに,9時間半遅れたなら9時間半遅れて着くのかというとそうでもなく,到着したのはなんと20時過ぎである.本来,多少時間がかかっても寝てるので問題ない,というはずが,6日の起きてる間をほとんど船で過ごすことになった.別に豪華客船でもなんでもないので,これまた暇をつぶすのが大変だった.部屋に電源があったので,raspberry piでゲームなどすることはできて,ターミナル待合室よりはマシだったかな.

ひさしぶりにかなり限界旅行だった.パレルモの宿泊先の人が,予定より大幅に遅れたのにちゃんと待っててくれて本当にありがたかった.


さて賢明なる読者諸氏はお気づきかもしれないが,フェリーの行き先のパレルモというのはシチリア島の中心都市だ.つまり,イタリア領である.もしかするとやたらに遅延したのは検疫等の手続きに時間がかかっていたのかもしれない(何の説明もなかったけど).

ただ,シチリア島は新型コロナウイルス感染の中心ではなく,というか最初のうちはほとんど関係なかったのである(今でもまだ死者は3人なので,日本とそう変わらん).俺がパレルモにいた時点では,まだわりかし他人事の雰囲気だった.観光客もそれなりにいて,店も普通にやっていた.おそらく,ここで滞在中に受けた印象は,まだ平時のときと大きくは違ってないと思う.

観光名所もまだちゃんと開いていて,ノルマン宮殿のクソ派手な礼拝堂を眺めたりとか大聖堂の屋根に登ったりとかできたし,大聖堂ではミサまでやっていた.たぶんあれが3月最後のミサになったんだろうと思うが.

チュニジアから来るとパレルモはいかにもイタリアの町で,旧市街中心部など装飾過多で豪華である.中心部をはずれるともちろんあまり豪華ではない,というかだんだん雰囲気がアレなので,夜歩いたりとかはやめたほうがいいかもしれないね.中心部は構造も単純なので散歩するのは簡単だ.「タテのメインストリート」のマクエダ通りと,「ヨコのメインストリート」のヴィットリオ・エマヌエレ通りを把握しておけば,観光客的にはおおむね十分である.

イタリアなので,おいしい食堂の類もいくらでもある.ネットを探せば日本語情報すら山のようにあるので,無難な食事場所を探すにも苦労はなかった.ふだんとは違うな.というか,それなりに繁盛してるとこを選べば,適当に入ってもそんなにはずれはないんじゃなかろうか? 喫茶店でなんの気なしに食べた菓子パンがうまかったので,ちょっと感心した.

ところで,フェリーから降りたあとの入国審査を屋外でやっていたのにはびっくりした.屋外というか,港の敷地を仕切ったエリアの中に審査官のブースが建ててあって,その前に歩いて行くのだ.雨の日はどうしてるんだろう?


到着したとき(8日夕方〜夜)はまだ,町は普通の様子だった.しかし二日目あたりから様子が変わってくる.まず美術館・博物館や遺跡の類が全て閉鎖になった.ただこの時点ではまだそれなりに町に人がいて,喫茶店には人がときどきやってきてコーヒーなど飲んだりしていた.三日目になると,飲食店は閉めているところが多くなり,スーパーが入場制限をし始めていた.この日に移動原則禁止令が全国に広がり,次の日には食料品店・薬局以外全部閉鎖という強力な措置が出た.マジで急速に事態が悪化してて興味深かった.

というわけでどんどん食事する先がなくなっていったので,キッチンつき物件に滞在していてとても助かった.サラミを炒めたりカットサラダにバルサミコ酢振ったりして食べていた.部屋でもそもそ食事してても,それなりに旅行してる気分になるのが変なものである.スーパーで買った安物のピザとか紙パックワインすらうまくてびっくりした.

ちなみにこの宿泊先だが,いわゆる民泊の類である.ふつうの住宅用建物の一部を管理して客に貸しているかんじ.それはいいけど,オーナー(だかスタッフだか)が一度も姿を見せなかったのはちょっとどうかと思った.宿泊料金の受け渡しですら「セキュリティボックスに入れといて」ってメッセージ送ってくるんだもんな.ほかの宿泊客はスタッフに会ってた人もいたらしいので,アジア系が避けられてた?

しかしまあ,俺の旅行は散歩することが主体で観光名所を回ることにそれほどこだわりがないとは言え,ほぼ全く観光できないというのはさすがに残念だった.カターニアには古い大学があるので,ここを見物するのはわりと楽しみにしていたのだが.カターニアから日帰りでシラクーサなども観光しようかと思っていたけど,これも中止した.いつかまた来よう.


2020-03-12(木)

無題

ところで,俺はイタリアに数日間滞在していたわけだが,特に何の問題もなく日本に帰国している.11日の時点ではカターニア→ドバイ便はまだ普通に飛んでいたし,UAEも日本もイタリアから来た奴を問答無用で強制隔離とまではいっていなかったのだ.というか,特に何の症状もない状態で,イタリアに滞在したことを検疫官にわざわざ正直に申告までしている.でも,イタリア滞在で自動的に2週間隔離になるのはもうちょっと後で,俺は北部やローマあたりには(トランジットも含め)一歩も踏み入れてなかったので,普通に通されたのだった.

別に何も違法行為やズルはしていないことに注意されたい.つまり,そうやって入ってきてる奴は日本国内にある程度いると思われる.俺はとりあえず3月に授業があるわけじゃないし,授業以外では人と会うこと自体少ないから,仮に無症状で感染してたとしても人にうつす危険は少ないと思うけどね.

UAEの王族がイタリアに対して「新型コロナウイルス対策で協力する」的な声明を出してたので,ドバイ行きはそこそこねばって飛ばすだろうと思っていた.じっさい11日にも既にロンドン行きやパリ行きは欠航になっていて,ドバイ行きが飛んでてよかったと思ったものだ.しかしまさか空港自体が閉鎖になるとか,EU全体が閉鎖になるとかそういう事態になるとはね…….チュニジア〜イタリア間のフェリーも,乗った数日後には欠航になったようだし,わりとぎりぎりだった.

帰りのドバイ→関空便もいつもより空席が目立ったし,なによりドバイ空港があんなにガラガラだったのは初めて見た.これはかなりやばい経済危機の予感.

ノートを書こうとすると落ちる問題を修正したので,よければお試しください.

一箇所間違えてただけの実にまぬけなミスでした……

【このトピックへのコメント】
  • 綺羅修正版、確認しました。
    落ちずにノートの編集ができるようになりました。
    少しこれで使ってみることにします。ありがとうございました。
    (2020-03-16 19:52:46)