自主連休明けの昨日と今日は、会社と仕事に身体を慣らすためのリハビリ期間と決めている。よって多くやらない、深く考えない、長くいないの三拍子で、植木 等の「サラリーマンは〜、気楽な稼業と〜、来たモンだ〜!」である。

昨日の晩、POOBメンバーのお導きによりいざなわれたmixiを彷徨っていたら、面白いコニュニティがあるのに気が付いた。

まずは生まれた年代「昭和30年代倶楽部」。同年代同士だからこそ通じ、共有できる話は貴重だし、安らぎさえ覚えるものだ。ただいま東京タワー誕生の頃の絵はがきで盛り上がり中。

次は趣味の分野。青春時代の代名詞だった「アリス」「かぐや姫」、まだ行った事はないが、客が自由に(勝手に)弾き語りのできる居酒屋「風街ろまん」、カラオケでは昭和の歌しか歌わないという嬉しい人たちの「歌う曲が昭和!」が音楽系のコミュニティ。

抜群の品質と価格のバランスが嬉しい日本酒「鷹勇-大谷酒造」、吟醸酒にフォーカスしたノンベの会「日本吟醸酒協会」にはノータイムで参加した。

変わりダネは、なにしろキレイ事が嫌いですと公言する「タカ派です。」で、単にヘソ曲がりというのではなく、しっかりとした意見を謳っているところが気に入って参加。

驚いたのは、大学のクラブのコミュニティがあった事だ。その名も「東京薬科大学生化学研究部」(←まんまじゃないの!)である。

ネットはおろか携帯さえなかった時代に八王子一期生として入学し、再試の嵐にさらさせつつも何とか卒業してから早や四半世紀。今では全くご無沙汰状態となっているが、当時の私は、白衣の背中に「TCP BIOCHEMISTRY CLUB」、袖にニャロメの絵を描き、Tシャツにベルボトムジーンズ、ゲタを履いて、授業以外は殆ど部室に通い詰めていたクラブ大好き人間だった。

あの頃の写真は、歴代の部員がスクラップブックに貼って置いてあるはずだが、今はどうなっているかは知る由もない。卒業時の置き土産にしたギターと麻雀パイなぞは、とっくに処分されてしまっているだろう。それでも懐かしさのあまり、即参加したのは言うまでもない。

自己紹介トピを立ち上げておいたので、レスが付けばありがたい。これを見ているOB・OGがいたら、ぜひ参加してくれ!

ひょんな事から中学の同級生の忘年会に誘われた。場所は25年以上生まれ育った葛飾区新小岩、それも中学の後輩にあたる人がやってる居酒屋で店名を「海人」という。ならば行くしかなかろう。

総武線に乗って「次は〜、新小岩〜、新小岩〜」という、何千回も聞いた車内アナウンスも懐かしく耳にしながら駅に降り立つ。見渡すと、堂々としたラブホテルが真っ先に目に飛び込んできたのには唖然とした。せっかくだからといろいろと迂回しながら歩いてみた。

新小岩と言えば南口のアーケード街(ルミエール商店街と言うそうだ)。まずは右側8軒目の我が家があった場所。今では婦人服のチェーン店になっている。でもそのハス向かいの煎餅屋は今も健在だ。あの頃は今と違って、この商店街によそから出店してくるケースは殆どなく、店主同士も昔からの顔見知りで、その子供らも一緒に育ってきた。道幅8mあるかないかのスペースで、我々子供はローセキ遊びや馬乗り、はては三角ベースまでやっていたのだ。

手前の路地に入ってみれば、いつも出前を取っていた中華屋やユッケジャンクッパを食べに行ってた焼肉屋があったはずだが、案の定すでに今風の居酒屋や風俗店に変わっていた。きれいな表のアーケード街とは全く異なるこの辺りの夜の顔は、絵に描いたような場末だ。いっとき風俗の街と化した新小岩の陰の部分が見えた。

さらに奥地へ歩いて行くと、昔お世話になったボーイスカウト事務所のあった歯科医院がリッパなビルになっていた。天津麺のウマかった中華屋は30年以上経った今も同じ建物で続いていた。角の八百屋も同じようにあった。嬉しい事に、まだまだ古い店や家が結構残っている。

再度アーケード街に戻ってみると、かつてのおもちゃ屋がビルになり、その息子がパブをやってたり、その先の本屋やメガネ屋は昔のままだったり。今で言う「かかりつけ医」だった内科医院は整体院に変わってたり、でも古い金物屋はそのままだったり。

長く続く半円形のアーケードは、さながらタイムトンネルのように見えた。本当に過去に向かって歩いていくような思いを抱きながら、それを心地よく噛みしめるようにゆっくりゆっくり歩いて会場に向かった。

会場の居酒屋は、数100mのアーケード街を抜けた先にあった。そこはもう葛飾区ではなく江戸川区だ。今回参加した同級生十数名は、男も女ももう50歳目前である。でも大多数が地元に根付いているがために、これだけのメンバーがこうして集まって来れる。逆に言えば、それぞれが決して裕福な家庭ではなかったがゆえ、地元に根付かざるを得なかったメリットだと思う。

そこで知った偶然のなせるワザとも言うべき話をひとつ。

よもやま話の最中に、再び逮捕された「ミラーマン」植草一秀氏の話が出た時、そういえば我々の同級生にも同じ苗字のヤツがいて、生徒会長なんかをやってたよな、と何気に私が言った。

すかさず「お前知らなかったのか? ヤツはミラーマンの兄貴なんだぜ」

世の中狭いわ! ニュースを見てても同級生の事はついぞ思い浮かばなかった鈍感さを恥じた。彼は我々と同じ中学から地域の都立学校群のトップだった両国高校に進学し、そして東大に入ったのである。困った後輩だが、デキは良かったようだ。おまけに会場の居酒屋の主人とは同級生だったそうだ。

その後も話は弾んだ。二次会のカラオケも判で押したように80年代までの歌で占められていた。実に気持ちいい。危うく終電に乗り損ねそうになったが、たまたま同じ地域に住んでいた女性を送りがてら午前1時半に帰着。

大規模な同窓会も大型のタイムマシンに乗るみたいな感じだが、今回のようなこじんまりとした会も、そこが生まれ育った場所であれば、十二分にタイムマシンに乗れるもんだ。その頃当たり前のように住んでいた時には考えもしなかった視野と驚きを感じつつ、四半世紀たった今、泣けるほどの時間旅行を満喫できた夜だった。

私ゃ、キリスト教の幼稚園を出たが、別にキリスト教信者ってワケじゃない。
季節に合わせて一応クリスマス期間限定のテンプレートに変えてみました。
・・・正月になったら正月限定ってのもいいな。

今年の師走はいつになく忙しめで、最低でも専任部隊の研修やらe-Learning教材の作成やら、はたまた全国テストの再試験実施やらを終わらせにゃ正月はやって来ないワケでして・・・。

そうそう、部内協力業務の営業スキルアセスメント大阪場所に明日から出張だ。終われば来月の全国行脚研修の打ち合わせ会議が待ってる。

おお、忘れてた! 今年最後のDJ、いやWebトレーニングも来週から始まるんだっけ。今日のシナリオ打ち合わせでは、あまりにグータラなシナリオ製作者にさんざんカミついてやったわ。いい歳こいてやっつけ仕事なんかしなさんなって。

件の彼女が先月末で退職した。敢えて理由は訊いてないが、子育てが意外に大変で自主退職を選ばざるを得なかったのか、復帰先のどこにも自分の生活パターンに合った場所がなかったか、それとも会社の方からいい条件で肩を叩かれたのか、あるいは休職中に求職して希望に見合う会社への転職が決まったのか、いずれにせよ、これからはいよいよ生易しい道ではなくなるだろう。まあ十分覚悟の上の事だろうが・・・。

こうしてみると、人が減ってるのに研修対象者は増え、したがって研修回数も増えているのに、それでも相変わらずマネージャーは音無しの構えだ。そういうところに敏感なのが管理者だろうに。やっぱり上しか見ていないから、肝心の足元が見えてないのだろう。いや、見ないフリかもしれないが。

今週に入って、ようやく冬らしく寒くなってきた。明日もコートを羽織って羽田空港空港に向かおう。今年最後の関西行きを天満のテッチャンで締めくくるために。

「いったん降りたらいかがです?」

ついに私はその言葉を口走った。朝の地下鉄。私も含めて大勢の客が降りる駅で、扉の前に男女が二人。一人はマンガ雑誌を読むサラリーマン、一人は携帯をいじくっている学生風の女。ドアが開いても、まるで川の流れに抗うかのように不動の二人。その脇を降車客がすり抜けようとするが、見るからに窮屈だ。私も後ろから押され気味にドアに近づくが、二人に挟まれ進めなくなった。

で、冒頭の言葉。口から出た言葉は穏やかだったが、心の言葉はもちろん違った。

(お前ら、いったん降りる知恵もないのかっ! このデコスケがっ!)

こういった事例は今日が初めての事ではない。何日かに一度は遭遇する光景だ。ひとつ前のターミナル駅では、ホームの客が乗り込んでいる段になって、おもむろに座席を立ってドアに向かい降りようとする女がいた。すみませんの言葉もなく、無言で流れに逆行していく。毎朝の事なんだから、降りる駅くらいは注意してなさいな。

駅ではエスカレータのステップを占領するオバサン2人連れ。普通サイズのエスカレータは1ステップに2人立てるし、右側(関西では左側)を空けるルールが初めからあった訳じゃない。逆に1ステップに1人しか立たなければ、エスカレータの持つ本来の運搬能力が半減してしまう。買い物客ばかりのデパートなどでは別段空ける必要はないだろうとも思うが、朝の駅は違う。ほぼ全員が時間に追われている。だったら3分早く家を出ればよさそうなものだが、そう理屈通りにはいかないのも朝の通勤だ。

いつしか急ぐ人のために片側を空けるルール(マナーか?)が定着した。定着したのならそれを尊重して遵守するべきだろう。

そもそもマナーとは、決して難しいものではなく、相手を不快にさせないための心遣いだと聞いた。最近、「江戸しぐさ」なるものが話題になっている。江戸しぐさとは、一言で言えば「大事なものをみんなの共有物と考え、相手を尊重し思いやる心」だそうだ。これはまさにマナーと言えよう。公共広告機構(AC)のテレビCMでも取り上げられている。

江戸は、17世紀に全国から集まってきた人達によってできた町である。さまざまな習慣や文化がぶつかり合い、そこはさしずめ日本版「人種の坩堝」だったろう。よく「三代続いて初めて江戸っ子」と言われるが、三世代かけて磨き上げなければならない江戸っ子気質(かたぎ)こそが、「江戸しぐさ」と呼ばれるものなのだそうだ。そんな「江戸しぐさ」が浸透していた江戸の町は、さぞや住みやすい町だった事だろう。

300年以上も前に編み出された先人たちの知恵に倣って「オレが、あたしが」から「あんたに、みんなに」へ気持ちをシフトしてみたら、もっと違った朝になるかもしれない。

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