福岡に来て2日目、地鶏水炊きの博多味処「いろは」に行った。福岡にはそれこそ何度も来ているが、決まって行く店は活イカ刺とゴマサバを求めて「五条八島」など魚介類の店ばかりだった。秋も深まったこの日、もうひとつの博多名物である水炊きにはいい頃合いだろう。

カミさんの親父さんは鹿児島で養鶏を営んでいた。そのおかげでカミさんは鶏を丸ごと一匹使った水炊きは普通の食事だったと言う。文字通り新鮮な内臓などは刺身になる。カミさんはスナギモやレバーは刺身で食べるものだと思ってたそうだ。肉は骨付きで徹底的に煮る。すると見事な鶏ガラ100%の白湯スープが出来上がる。

この白湯スープが水炊きの命なのだが、これが普通の家庭ではまずできない。私が子供の頃から食べてきた水炊きは、単に「水で炊く」ものだった。だから味が薄く、濃い味好きだった私はとても好きにはなれなかった。

この店の水炊きはもちろん「白湯スープ」である。スープが沸騰すると、まず湯呑みに入れてくれる。塩とゆず胡椒を混ぜて飲む。やさしい味が五臓六腑にしみ渡る。同時に、前夜3軒ハシゴして弱った食欲がモリモリ蘇ってきた。このスープにこそ一人前4300円也を払う価値があるのだ。

スープに入っていた骨付き肉と小さく丸めて入れてくれる鶏ツミレがメインだ。これに白菜ではなくキャベツ、春菊ではなく水菜、ニンジン、豆腐、エノキ、春雨などの野菜類が付く。白湯スープで煮られた野菜も絶品である。

それらが3人の胃に収まるとほぼ満腹状態になった。だが目の前には、さまざまなダシが出たスープが残っている。ここは雑炊かおじやで〆るべきだろう。仲居さんを呼んで、注文する時にそれは起こった。

「おじやを頼みたいんだけど、みんなかなり満腹なので一人前くらいでいいんだけど・・・」

返ってきた言葉に耳を疑った。

「一人前だと厨房で別に作るんです。お茶碗も一つしか出ないんです」
「え? それじゃこのスープの意味が無いじゃん」
「・・・二人前ならここでできますが」
「じゃあそれでお願いします」

やがて運ばれてきたのは一人前の量の白飯と浅葱の入った生卵。若い仲居さんは減らしたスープで着々とおじやを作っていく。

「あの〜、そのおじやって、ここに書いてある一人前400円のおじやの2人前ですか?」
「そうです」
「それって、おじやの横に書いてある300円の飯と60円の生卵と同じような量ですかね?」
「そうですね」
「え〜っ? 800円と360円とじゃ、そっちの方が全然安いですよね?」
「そうですねぇ(笑)」
「しかも3人いるのにお茶碗2つしか持ってこないし(笑)」
「二人前ですので(笑)」
「・・・そういう問題じゃない気がするんですが(苦笑とタメ息)」

画竜点睛に欠くとはこれを言う。いくらおいしくても、いくら老舗でも、いくら名物女将がいようとも、これは減点である。壁を埋めつくしている有名人の色紙も泣くってモンだろ。誠に残念。もし女将がこの事実を知らなければ大変だし、分かってやらせているならなお大変である。あなたの店の足元は接客の最前線で揺らいできてますよ。・・・どっかの会社みたいに(爆)

たった今、日本ハムが日本シリーズを44年ぶりに制した。そしてSHINJOが涙に暮れた。