やはり研修の連投はキツい。まして旧知の後輩と一緒に飲み、かつしこたま歌えば、翌日は絵に描いたような二日酔いもむべなるかな。

その九州研修連チャンも終わっていったん帰京後、再び午前半休をかまして夕刻の便で四国・高松へ。高松は瀬戸内海側なので魚介類の宝庫だというイメージがあるが、実は魚介類は外で食べると安くはないという話をよく聞く。これはかつて経験した「高松伝説」で、はからずも証明した通りである。あ、そうそう、その伝説の店はなぜか去年からなくなっていた。

高松の地にここまで何回か訪れてわかった事だが、どの場所でも焼き鳥屋の密度がかなり高い。ちょっと賑やかな盛り場であろうが、それから少し離れた地味な地域であろうが、「焼き鳥」の標榜を掲げた店が目立つのである。

前回、同僚達と訪れた人気店が「鳥長」だった。どのメニューもレベルが高く、地元でも予約を入れないと入れないほどの人気店だというのがよく分かる。だが、唯一と言ってもいい欠点が、膝ナンコツ焼がなかった事である。

そこで今回、目星を付けたのが「ひよりや」である。ただ、この店は4月末から移動したらしく、手にしたYahoo地図では辿り着けず、タクシーで再移動せざるを得なかった。でもそこには「膝ナンコツ焼」があった。それさえあれば言う事ナシの私は、直ちに10本オーダーした。

この店の特筆すべきは、テーブルに保温用の炭火が入った網焼きセットが置いてあるという事だ。これにより、焼き物が冷める事を気にせず、ゆっくり食らいつけるのである。また、2人の女性スタッフも明るくいいキャラだ。

さらに生モノには、鳥レバ刺と砂ギモ刺があるではないか! 特にスナギモ刺、すなわちズリ刺は、よほど新鮮でないと食べられないとカミさんも言ってた。ましてやそれが大好物の同僚の喜ぶまい事か!

先ほども書いたが、この高松には両方の店に行く途中ですら、数々の焼き鳥屋が並んでいる。この店も地元民のグループが次々に入って来た。だから高松では、焼き鳥・鶏料理をメインに据えて、シメを讃岐うどんでいくというのが飲み会の本線ではなかろうかとも思ってしまう。少なくとも我々はそのコースで大満足だった。

さて、そう来れば、もはやこの地で足りないのは、歌が歌えるリーズナブルなスナックである。今回はそこまで探求する余裕がなかった。誰か教えてくれ。

家の近くに、都内に何軒か支店を出している居酒屋がある。

ランチタイムにはラーメンや手延べ餃子などを中心としたメニューがあり、その中でも熟成白味噌と国産小麦粉麺を使った「北海味噌ラーメン」は秀逸で、特に上に盛られたモヤシや玉ねぎ、ニラなどの野菜や豚肉と共に醸し出される味のハーモニーは抜群なのである。七味と炒りゴマを多めにかけていただくのが私のいつもの流儀である。

日頃から贔屓にしている「なかむら」でさえ、こと味噌ラーメンだけはここに一歩譲るだろう。見事に札幌風味噌ラーメンと言うべき完成度なのだ。値段は780円とチトお高いものの、どこにもない食後の満足感を味わいたくて時々足を向けるのである。

私が訪れるのは休日の昼下がりと決めている。平日にはできない事だが、雑誌でも眺めながらゆったりと食べたいからである。明るく広めのスペースに雑誌を左にどんぶりを右にセットして、時間を気にしないペースで食べたいのである。

ところが、ひとつ困った事があるのだ。

この店の中心は大き目のテーブル席で10卓以上あり、優に40人以上は座れる広さがある。ところが一人で入ると、どんなに空いていようが、荷物やバッグを抱えていようが、女性スタッフは例外なく「お一人様ですか〜、カウンターへどうぞ〜!」と言い放ち、店の隅の5〜6人程が座れる薄暗いカウンター席を強要するのである。

昼飯時の込み合う時間帯ならそれも当然だが、テーブル席にほとんど客がいない時でも、隅っこのカウンター席だけは3〜4人がひしめいているという事がままあるのだ。私は今日もクリーニング帰りにトートバッグに雑誌を入れ、この店の扉をくぐった。

だが、その時は幸運にもカウンター席がほぼ満席状態だったので、さすがの女性スタッフもいつもの声は出せず、4人掛けのテーブル席に座れた。と言っても、この時点で残りのテーブル席の客はゼロ。つまり店の客はカウンターに座っている4人と私だけだった。

やがてカウンター席の一人が出て行ったのと同時に、一人の年配の男性客が入ってきた。すかさず女性スタッフの「カウンター席へどうぞ〜!」の声。だが、それが耳に止まらなかったのか、彼はテーブル席の方へ向かいかけた。途端、「お客様〜! カウンターへ〜!」とさらに大きな声。さすがに気づいた彼、昼なお薄暗いカウンターへ踵を返した。

私の言いたい事はもう察しがつくだろう。

客を効率よく配置して座らせるのは飲食店の基本だというのは良く分かる。女性スタッフもそれをマニュアルとして十分心得ているのだろうが、それは繁忙期の対処であって、ガラガラの時まで無理やり通すのはいかがなものだろうか? 

誰だってゆったりと食事したいのである。だが、混雑時にテーブル席を一人が独占するのは忍びない、もちろん相席も覚悟の上だし、グループで来る客にテーブル席を優先するのも納得できる。それは十分分かった上で言っているのである。

だからこそ、せめて空いている時ぐらいはお一人様でも好きな席に座らせたらどうだろう。こんな事は、一度でもマニュアル抜きで客の気持ちになってみれば、すぐにわかると思うのだが。臨機応変、それが客商売のホスピタリティというモンだろうに。

それさえなければ、この店にはもっと足繁く通っていただろうなと思う。

ミクシィ(mixi)のようなソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)で最近問題(?)になっているのが、お互いを仲間だと認め合った(マイミク)同士で、相手のページに訪問して日記を読むもコメントを残さない、言うところの「読み逃げ」「踏み逃げ」なのだそうだ。

私も最近知ったのだが、mixiには「足あと機能」とやらがあり、これは自分のページにアクセスしたmixi会員のニックネームが一覧表示されるのである。いわばアクセスログの個人名版である。私にはどうでもいい機能だと思うのだが。

その中にマイミクメンバーの名前があれば、その人の訪問が分かるという仕組みだ。問題は、訪問したにも関わらず日記に対するコメントを残して行かなかったのが悪いと言うのである。掲示板では、他のメンバーから「そんなの許されない」だの「常識のない人だ」とまで罵られる始末である。

いつからネット世界はこんなに見えないヒモで縛られるようになったのか?

ネット上に公開した日記(ブログ)は、実社会で言えば本や雑誌や新聞みたいな存在である。アクセスしてきた不特定多数の目に晒される事は百も承知だし、逆にそれが公開する目的でもある。それなのに、たとえマイミクという仲間内にせよ、都度コメントを残さないと、陰で常識や人格さえも疑われたりするのである。

だったらそういう連中は、他のブログを読む度に必ずコメントを残しているのか? 例えば本を買うと付いてくる出版社宛の感想・アンケートハガキを必ず書いて出しているのか? ネット上であれ実社会であれパブリッシュされたものは、メンバーだろうが通りすがりだろうが、レスの義務などないという事こそ「常識」じゃないの?

私もwebsiteを通してエッセイやコラム、日記などを公開している。これがその日記である。もとより訪問者・読者にコメントを求めてはいない。だが、寄せられたコメントには必ず返信している。それで十分ではないか。

そうこうしているうちに、今度は「アク禁」、すなわち特定のメンバーのアクセス、書き込み等を一方的に禁止してしまう措置となるらしい。そもそもmixiは、参加するために既メンバーからの招待が必要だし、マイミク登録にも全くの初対面でいきなりは稀だろう。すなわち、一部の例外を除いて多かれ少なかれ「既知」の間柄で成立する関係である。

お互いにマイミク登録を認め合ったというのに、ある日突然アク禁にされたのでは、日記のコメント問題同様、何がなんだか分からんうちに悪者にされたという事になる。実社会で友達と思っていた人からいきなり「絶交宣言」されたようなものだろう。明らかな迷惑行為でもしたのならともかく、理由さえ明かされぬままやられた方はショックである。

実社会の人間関係ではなかなかできない事も、こういったバーチャル世界ではいとも容易く偏ったルールが認知され、極端な行動をとりやすくさせてしまう。すべては相手と直接相対しないがゆえと思われる。すなわち自分の身は安全な場所に置いておき事に及ぶ。イヤなら相手との関係を切ってしまえばいいし、自分の立場が危うくなったら消えればいいだけのコト。実社会では到底許されないが。

意外なのは、それに芯から慣れきった連中でも、実社会においては逆に受身一方、周りに叱咤され時にはバカにされ相手にされない立場をじっと堪えている人が多いという。むろん一概には言えないが、彼らにとっては、そんな実社会とネット世界は相反する鏡のような関係なのかもしれない。

【このトピックへのコメント】
  • ごんぞ[URL]←ちょうど一年ちょっと前にこんな日記がありました。 ある意味、一年経ってもなーんにも変化は無いようですね、mixi。(2007-05-20 18:59:57)
  • Chaieごんぞさん、ブログ拝見しました。そんな前から、こんなにたくさんの問題が起こっていたとは・・・。規律がイヤだから学校や社会から逃げ出し、自由を求めて暴走族やチーマーに入ったら、もっと厳しい規律が待っていた・・・なんて話に似てるな。
    いずれにしても何とも哀れに思えます。
    (2007-05-20 22:22:51)

研修ツアーも2週目に入り、今週から大阪、京都、神戸の三都物語シリーズが始まった。日曜日から前泊し大阪を終えた昨日、京都へ移動した。

今回の夕食を兼ねた飲み屋は、いつも行く町屋風居酒屋ではなく、敢えて探索しに出かけた。着いた先は河原町。目指す刺身居酒屋が残念ながら定休日だったので、そのまま風に吹かれて「富士の高嶺に降る雪も〜、京都先斗町に降る雪も〜」の先斗町へ。だいぶ観光地化されたと言うものの、肩が触れ合いそうな道幅2メートルちょっとの路地は、下町育ちの私の琴線に十分に触れ、極めて心地よい散策になった。

同僚曰く、このあたりも昔は「一見さんお断り」の店も多くあったとか。さらに、レベルの高い良い店は木屋町通りにつながっている路地に多いとか。見ればまだまだ料亭風の店も軒を連ねている。でも表にメニューすら掲げていない店は少ない。きっとそういう店が、今でも「一見さんお断り」なのだろう。

店々を覗き込む観光客を追い越しながら、路地に出逢うたびに覗き覗きウロウロし、辿り着いたのが「しし蔵」という小さな店だった。

いかにも京都のしもた屋といった雰囲気で、さっそく男二人にはチト狭い小上がりに陣取った。このサイズも京風なんだそうだ。まずは生ビール、間髪入れずツブ貝とよこわの刺身を注文した。なんとこれが大当たり! ツブ貝はまるで北海道品質と見まごうばかりの新鮮さで、それ以上に出色だったのは初体験のよこわの刺身だった。

体長90cm以下の鮪の幼魚を関西では「よこわ」と呼び、関東では「めじ」と呼ぶ。その身の特徴は、トロと赤身が程よく融合した色と柔らかい食感である。ご主人によれば、それでも赤身、中トロ、大トロと区分けされて売られているのだと言う。そのご主人渾身のチョイスによる日本酒がメニューに並んでいる。もちろんこんな高レベルの刺身には日本酒でなければ失礼なので、まずは「奥播磨」の純米吟醸をいく。

さすがに評判の高い酒で、のど越し後に吟醸香が広がってくる感じがいい。ウン、今度はこの四合瓶をコレクションに加えよう。お次は、定番「松の司」の吟醸である。この酒は、蔵出しから半年以上寝かせると独特の酸味が落ち着き、実にふくよかになる。これの純米吟醸が我が家のワインセラーで眠っている。この店では一升瓶のちょうど最後の一杯だったのが幸いし、いい感じで丸くなっていた。さあ、こうなったらもう止まらない!

ツマミも甘鯛塩焼き、メゴチ天ぷら、地鶏塩焼きなどの焼き物揚げ物を追加。酒もいつしか山形正宗の純米吟醸へ。その後、何種類か杯を重ね、さらに追加のツマミも注文したらしい。当然覚えてないが、大満足でお開きを迎えた事だけは確かだ。この時点で明日の研修なんて正直ブッ飛んでいた。

その後、同僚の大好きなシメの定番、ラーメンへ。例によって、すでに悪魔のささやきが始まっていたが、もはやそれに気付く理性も失せていた。ラーメンを完食してなお、悪魔はささやく。そのお導きに従い、わざわざ案内所で紹介を受けてまで行った先が小さなカラオケスナックだったのである。

居合わせた数人の年配客の年代層に合わせた選曲で何曲歌ったろうか。焼酎ロックをしこたま飲んで、ようやくホテルへ帰還した時には日付変更線を越えていた、と思う。

翌朝。朝食の和洋バイキング会場に行って驚いた! 30〜40人いた客の8割以上が外国人だったのである。しかもほとんどが白人系で、やかましい中国系はあまり見かけない。少々二日酔いの身体が、まるで外国のホテルにワープしたような一種異様な感覚に襲われた。さすが国際観光都市である。

9時過ぎから15時過ぎまでの私の担当パートが終わり、後は神戸に移動するのみ。今夜はマジメに「食事」しよう。

神戸に着いてさっそく専任営業担当者の会議&研修。今回の会場となったここ神戸の支店では、専任営業担当者の他に3名のプロモーターが独自に任命されている。全国でも珍しい例なので、彼らの活動発表の時間を設けていた。

彼らは専任営業担当者と共に担当製品について今までに240時間の自己学習を積み、この製品を担当する30人程の営業担当者の活動をサポートしているという。最終合併後のウチの会社では組織の簡素化が進み、このような中間職がなくなっていたので、この体制が有効か否かについては改めて全国的に検討する必要があると思われた。

だが、発表の時に彼らの口から最初に出た言葉は「管理職を目指すためのキャリアアップにしたい」だった。さらに発表内容やスライドに「頼りない専任営業担当」を意味する言葉が出てくる。初対面で、なおかつ専任営業担当者会議の場でそんな事をいけしゃあしゃあとしゃべる彼らの姿に、居合わせた誰もがその活動内容よりも先に「?」を感じた。

翌日、同じ支店の営業部隊の研修をかの有名な生田神社会館で行なった。その場に支店長が来て、やおら「3分時間をくれ」と言う。彼は部下である受講者に向かって、先日の会議で指示したにもかかわらず、その後の販売活動にかなりの個人的温度差があり、それならもはやオレは土下座して頼むしかないのか? とブチ上げた。そして去って行った。

これで会場の雰囲気は一変、意気消沈した受講者に行なう研修ほどやりにくいモノもない。だがそれでも効果的な研修をやるのが研修職人の務めである。私はできるだけツーウェイコミュニケーションを心掛け、受講者への投げかけ、問いかけを多用しながら研修を進めていった。

すると意外な部分が目立ってきた。受講者は全体的におとなしく、質問もあまり出ない。プロモーター制で取り組んでいるはずの製品なのに、基本的知識が極めてプアなのだ。この受講者達への研修は偶然の巡り会わせにより今年初めてだったのだが、それにしても他会場の受講者と比べて顕著である。即答できるはずの事も口ごもる。やってて脱力すること甚だしい。

他支店の専任営業担当者も研修を受けていたが、彼らも口々に「これヤバくない?」「ウチの支店の連中も個人差はあるけど、ここよりはマシ」などと言ってくる。彼らに言われるまでもなく、発売を翌月に控えてこの有様ではどうしようもなかろう。いったい専任営業担当者とプロモーター連中は何をやってたのか? 自分達だけ一生懸命に勉強していただけだったのか? 他支店の専任営業担当者の中には、少人数ずつ集めては集中トレーニングを行なっている者さえいるというのに。

そう言えば、この製品に限らず、この支店は去年発売した製品の進捗も全国最下位クラスだ。どうも支店長を筆頭に組織がうまく機能していないようである。檄を飛ばすだけじゃなく、もっと根本の部分から考え直さないと、やがてとんでもない事態になってしまうかも・・・。それにはまず、この現状を知るべきだな。

さて、そろそろポートピアホテルまで学会聴講に行くとするか。

一週間出ずっぱりの出張を終え、金曜夜に帰京。すぐさま会社に電話を入れ、週明けのスケジュールを訊き、特に何もない事を確認して休暇にした。そのワケは、かねてよりカミさんの休みが日曜・月曜なので、リフレッシュのために温泉旅行を打診されていたからである。まあ、自分へのご褒美も兼ねて、だな。

その後、さっそく宿泊先を検索。軽井沢・プリンスショッピングプラザへ行きたいとの希望もあり、その近辺でワインディングロードを走れる所を探した結果、辿り着いたのが「結婚伝説のプチホテル」の別名を持つ北軽井沢エトワール・アベニューだった。結婚前のカップルでもない我々には、もはや伝説のご利益はいらないが、眺望抜群のロケーションと利用客の高評価が決め手になり、予約を入れた。

まずは7時半に出発、関越経由で一路軽井沢へ。ショッピングプラザが開店する10時10分前に余裕で到着。駐車場もまだガラガラ。開店を待って、まずはカミさんの弟夫婦の2人の娘のために、ご指定のピンクの服をアニエスで数点購入。その後、ニューヨーカーでセール品の秋春物のジャケットと、ブルックスでこれもセール品の半袖のカノコシャツを、これは自分用としてカミさんの勧めにより購入。

いつになく妙に気前のいいカミさんのホントの狙いが判明したのはその直後だった。彼女のターゲットはコーチの皮製の小型ボストンだった。しかも以前東京で見た時よりも2万円ディスカウントされている。こりゃだぶん、明日の帰りに再度寄った時にはゲットしてるだろう。反論の余地、もはや皆無。

中軽井沢以降、国道146号を含む非有料道路ルートに入ると、遅いペースカーに邪魔される事もほとんどなく、右へ左へコーナーをクリアする快感を心ゆくまで味わった。この程度の高低差ならATの206XSと言えど、十分エンジョイできる。瞬く間に40分程走った後、15時半頃ホテルに到着。

目の前に浅間山がドーンとそびえ、その裾野にはキャベツ畑の丘などが連なって一大パノラマを織り成していた。それは信州というより北海道の大地に近い雄大さである。この景色を見ただけでモトが取れた気がした。夕食前に入った展望風呂も、私好みの40℃前後のぬる目の湯で、さらに天然鉱石湯のため、ちょっと浸かっただけでも身体の芯からポカポカしてくる。大きな窓から浅間山を眺めつつ、身体中の節々の部品がレストアされるような気持ちよさ! 極楽極楽。

さて、いよいよ利用客の評価が特に高かった夕食の時間だ。

ピルスナータイプの地ビール「嬬恋高原ビール」をアペリティフに注文し、前菜はローストされたフランスパンとカマンベールチーズという意外性から始まった。ワインはミディアムボディのメドックにし、サラダはホタテとアボカド、なめらかパンプキンスープと続き、魚料理はメカジキの香草焼き、メインは牛スネ肉の煮込みとライス、イチゴ添えのパンナコッタのデザート、コーヒーまで一気に突っ走った。

フレンチと言うと、ついついソースに凝りがちで、コッテリ感がシェフの気合の表れと勘違いしてるケースが多いが、ここのは和風テイストさえ感じさせるスムースさだ。利用客の評価通りの大満足のディナーだった。

この後は、太宰治の「走れメロス」に記された「初夏、満天の星である」を観るために、一番暗いと言う農道を散策した。頭上の天然プラネタリウム(これが本物なのに、ついついプラネタリウムを基準に語ってしまう都会人の悲しさ・・・)に実に久しぶりの一種独特の怖さと雄々しさを堪能した・・・かったが、残念ながら月光が邪魔して天の川は見られなかった。かろうじて北斗七星と夏の大三角が確認できたに過ぎなかった。

だが、これらすべてが「リフレッシュ」か「レストア」かは知らないが、持てるパッションを出し切って2週間以上走った私の心身に、少なくともかなりのいい影響をもたらした事は確かである。

【このトピックへのコメント】
  • @himiko>いつになく妙に気前のいいカミさん

    に、ナゼか笑いました。
    「あるあるある」ってヤツね ^o^


    そんな風にお出掛けしてホテル泊まってディナー、って、羨ましいッス。。。
    旦那は Chaieさんと 3つぐらいしか違わないんだケド、スタートが遅かったから(40直前で転職→派遣→正社員、て感じ)、我が家は相変わらず「じっと手を見る」だわよ ^^;

    (2007-05-28 02:58:54)
  • Chaiehimikoさん
    いろんな夫婦を見てきましたが、若いうちに二人だけで楽しむタイプと早くから子供を作って育て上げてゆっくりするタイプと。そして「いい男」「いいをんな」となるためにじっくり時間を掛けて熟成するタイプは、まさにhimiko家だと思います。
    これからこれから(笑
    (2007-05-28 07:48:22)

本日も晴天なり、で朝日に輝く浅間山を愛でつつホテルの朝食に舌鼓。チェックアウト後は、平日なので人も少ないと思われる旧軽井沢へ。案の定、到着した9時半頃は、旧軽銀座の往来もまばらだった。

人の少ない通りがどれほど気持ちいいものか。観光地は月曜に限る。それでも10時を廻る頃になると、観光バスで来た一年中日曜日族のジジババ達が連れ立ってやってきた。群集心理はジジババでも同じ、あっちで呼ぶ声叫ぶ声、こっちで大笑いする声などが飛び交い、静かだった通りは一気にオノボリさんに占領された。話し言葉から中部地方の連中と見て取れた。

お昼近くになって軽く蕎麦をたぐり、再びプリンスショッピングプラザへ。ここの人手も昨日の日曜よりかなり少ない。カミさんの最終ターゲットだったコーチの小型ボストンもしばし迷った挙句、本人自ら決断し購入。さらに食品類をいくつか買って、2日間のすべての買い物が終了。買いも買ったり、車のトランク一杯の量だ。

ちょっと早めの14時半に現地を出発、これまた渋滞皆無の関越道を「ぬあわkm」にてクルージングしつつ、途中で夕飯のための峠の釜飯を仕入れて16時に無事帰宅。めでたしめでたし。

何気にYahooニュースを見ると、二人の有名人の死亡記事が出ていて驚愕した。

一人は「還元水」松岡利勝農水大臣。例の赤坂衆院議員新宿舎の自室で、今日正午過ぎ、自室のドアに紐を掛けて首を吊っているのを秘書とSPが発見。慶應大病院に運ばれたが、14時過ぎに死亡が確認されたという。

またも安易な自死による晩節汚しある。死ぬ事ができるなら、きちんと身を正して責任を全うするのが政治家じゃないのかね? その場しのぎとチャチなプライドを通そうとすれば、結局こうするしかないのだろうが、あなたの死にどれほどの意味があると言いたいのだろうか? こんな最期はまっぴらごめんである。

もう一人はZARDの坂井泉水さんだった。27日、入院していた慶應大病院の外に取り付けられたらせん状スロープから転落したとされ、脳挫傷のため死去した。所属事務所によると、日課にしている散歩から病室に戻る途中、前日の雨で濡れていたため足を滑らせ約3m下へ転落し、後頭部を強打したという。

坂井さんは昨年6月に子宮頸ガンの摘出手術を受け、その後、肺への転移が見つかったため、4月に再入院。秋にアルバムの発売を予定、3年ぶりのライブツアーも計画中で、病室でスタッフと打ち合わせをしたり、詞を書きためるなど再起を目指していたという。まだ40歳だった。

偶然にも舞台は両方とも慶應大病院だが、その死の内容には大きな違いがあろう。

彼女の周囲は分からなかったかもしれないが、たとえば自らのガンとの戦いに心が弱くなっていたとしても、その事が事故の遠因になったとしても、それを誰が責められようか。40代という若い年代ゆえ、子宮頸ガンと転移肺ガンともなれば、その病状の進展、予測される予後は、あまりに苛酷である。

松岡さん、あなたの捨てた命で彼女を救ってあげなさい。

【このトピックへのコメント】
  • ニュース映像で見たけど
    ものすごくお母さんがかわいそう
    に見えたな。
    何故あの母を見て死を思いとどまれなかった
    のか?
    そんなに政治家のプライドって大切なもんなのか?
    死んでまでプライド守ってどうする。
    せめてすべてを失ってでも母を労わるために
    生を全うして欲しかったと思う。
    (2007-05-29 23:13:33)
  • Chaie天涯孤独ならいざしらず・・・自死は残された家族、友人、その他数多くの関係者に多大な悲しみを与える。だから自死は罪悪で、その行き先は決して極楽にはならないと言われます。今回も例外ではありません。
    この世に生まれた奇跡と使命は誰もが持っているはずです。
    (2007-05-30 11:06:17)