くりす
AERA今週号の記事「ほめられたいバブル世代」。

30代-40代にかけて、「上の人に」ほめられたり叱咤されたりすることが自分の行動原理となっている人が結構いるという記事だったのですが、それを読んで、友人に聞いたこんな話を思い出しました。

友人は、仕事でコミュニティサイトの運営をやっているのですが、そこで最近30代後半-40代の会員からの個人的な人間関係のもつれについての調停をサポートに依頼するメールが増えてきているそうなのです。

「AさんがBさんにメールで私の悪口を言っています。どうにかしてください」みたいなやつ。

なんで30代後半にもなって、そういう人間関係を自分でどうにかできずにサポートにどうにかしてもらおうとするのかねえ、と友人は嘆いていましたが、「自分でどうにかしようとせずに上に依存する」という点で根っこは同じところにあるのかもなあと思ったのでした。

それと比較すると、20代以下の若い世代では、「上の意見」をあてにせずに自分の判断で行動するある意味「自立した」人が増えてきているような気がします。

ただし、それはそれで、非常に狭い視野で培われた判断であり、「自分が知っているところが世界の全て」という感じの人も少なくありません。ReadMe!登録サイトの中でよく交わされている「テキストサイト論」とかを見ていると、「おまえらReadMe!に登録されているサイトだけがすべてだと思ってるだろ」と思うことがしばしばです。(『ろじぱら』は日記サイトの元祖であるという意見を見かけたときには失笑しました)

これが若さなのかなあとも思うので、ある意味微笑ましいですけど、せめて高校生ぐらいの歳には、「外の世界」の存在にも気づいて欲しいなあ、と思うのでした。
2002-02-26(Tue)

結婚願望

27歳ぐらいまでは、結婚願望っぽいものが一応ありました。パートナーが9歳も下でしかもまだ十代だとどうしても真面目な関係と見られないこともあったので、いつかきちんと社会的に認められたい、という気持ちからでした。

その当時も法律婚はしないつもりでしたが、その理由は、どちらもが苗字を変えないで済むようにというアイデンティティの問題からでした。

それから5年経ち、年下の男性と付き合うことはめずらしいどころか働く女性にはお勧めとまで言われるようになり、9歳下といってもそんなに驚かれなくなりました。そういう時代の変化を経て、わたしの中でも結婚制度に対する考え方が変わってきつつあります。

夫婦別姓も選択できる制度の成立が見えてきました。以前のわたしはその制度が成立し次第、法律婚を行うつもりだったのですが、今はそういう制度が成立してもあまり法律婚を行うつもりがありません。

法で規定された結婚制度は、婚姻関係を保護し、継続しやすくするためにあるものです。それ自体はいいことだと思います。けれど、法律で保護されることで、一番基本の「好きな人と一緒にいたいからいる」という意味が薄れてしまうような気がするのです。

子供っぽい感傷だと我ながら思いますが、「愛している人と共に生きる」というプライベートなことを法律で規定されることに今は違和感を感じています。どうせ生計は別々に立てているのですし子供も作る気はないので、法的に「この2人は家族です」と保証されることによるメリットが思いつかないのです。

共同で使用するものについては折半していますけど、そんなのいちいち法律でどうこう言われなくても2人で決められることですし、その義務を負いたくないという相手に対して法律を盾にとって義務を負わせるぐらいならそういう相手とはそもそもお付き合いをする気にはなれませんから。

メリットがないから制度に乗らなくてもいいということにはなりませんが、「婚姻制度」ってなんなんだろうと疑問をもつようになってきた最近のわたしなのでした。
しにちすん経由でゲーム業界でモテる女(2/21)

オタクにモテる女は容姿的にも敷居が低く話しやすい女だというのには同感です。だけれどなぜそれで「この狭い世界の中だけで判断して『自分はモテる』と思っているゲーム業界、またはゲームの専門学校の女性は、大きな勘違いでしかない」となるのでしょうか。

実際にその狭い世界の中でモテるのは確かなのだから勘違いも何もないのではないでしょうか。オタクにモテたからといってオタク外にもモテるなんて思ってる女性はそうはいないでしょう。なぜなら最初からオタク世界にいるなんてことはほぼあり得ないので、それまでの間に「外」は知ってるはずなんですから。

この文章、「美人でない女がモテるのはケシカラン。分不相応だ」という考えが根本にあるような気がします。男性だって容姿だけでなく経済力という物差しがあるのに、女性だって容姿以外の物差しでモテたって蔑まれるようなことではないと思うのですが。

「オタクと普通に話ができる」というのも立派な才能のひとつですぞい。
2002-02-27(Wed)

Re:モテモテオタ女

何にしても、そういう意見が男性から出るというのは少し意外。
そうですか?ウェブでもパソ通でも古くはアマ無やってた頃から何度となく見かけた意見です。

オタ女に群がるオタ男を横目に見ながら「自分はそんなにココロザシは低くないぜ」と斜に構える彼らの姿に「そんなに自分がオタクであることがコンプレックスなのかなあ。潔くないなあ」と思ったものでした。まあ気持ちはわからんことないですが、失礼なヤツですよねえ。

散々バカにしていたオタ女と別れたあとでオタでない女性と付き合うことになった暁に晴れ晴れとした顔でこういうことを言ってのける輩は正直かなり感じ悪いと思います。ちなみに若かりし頃こういう輩が「妥協」してオタ女たるわたしに告ッてきたときなぞは「オタ女は相手にしないんじゃなかったの?」とイヤみをかましていたものでした。(←性格悪ッ)

逆に女性からあからさまにそういう発言をされたことはないですね。思ったとしてもそれを言ったら負けを認めるって感じになるからじゃないでしょうか。それとも陰ではそういうことを言われててもわたしが気づいてないだけかな。
2002-02-28(Thu)

「勘違い」の正体

確かに内心そう思ってそうな男性はいたが、そういう人は皆オタ度が低い人だったので、特にオタ女をというよりは、濃いオタな人全部を見下してるのかなという印象。
なるほどなるほど。言われてみれば特にオタ女をというよりは、オタな人全部を見下している人だったかも。自分も傍から見たらオタの範疇に入ってるのだけれど、そう見られるのをいやがってるような感じの人でしたわ。

しかし、容姿なんて鏡見ればはっきりわかるんだから勘違いしようがないし、自分の神通力(?)がオタの世界でしか通用しないということは、当人は冷静に把握してるものだと思います。だってちょっと外に出ればオタ女って罵倒と軽蔑の対象なんだもん。(少なくともオタ男と同じ程度には)

「勘違い」というのは、文字通りの勘違いじゃなくて、天狗になっている(ように見える)のが感じ悪い、ということなんでしょうかね。「勘違い」と言われるほど天狗になってるように見える例ってこういうの(回答の方)しか見たことないですが、オタ女でもそこまで極まってる人っているのでしょうか。

「普通に話してる」だけなのに勝手に好意を持ってると受け取られて困ってる例なら結構見ましたけどね。ああ、でもそこで「困ってる」という言い方をすること自体がある種の人にとっては傲慢と受け取られるのかも。
テキスト風聞帳にて初めてコメントをいただきました。
→でも、オタクかどうかは関係無く、ちょっと高めの女の子より、敷居の低い女の子の方がもてる気はします。女の子に優越感持ちたい男の人って意外と多いんじゃないかと。 (凛々, 02/27, 21:39:37)
そういえば「だめんずうぉ〜か〜」にも、容姿レベルも高すぎるとかえって男の腰が引けてしまうという話が書いてありましたねえ。

ただまあこの場合「ちょっと敷居が低い(上の下、もしくは中の上)」あたりでなく、もっと社会的に恋愛ステイタスが低いと思われるオタ女がモテているのが面白くないというところがあるんじゃないかと思います。

世の中の人口比と恋愛におけるステイタスってこういう風になっているのではないかと思うのです。

エリート男>非オタ女>非オタ男>オタ男>オタ女

エリート女がなんでないのかとかエリートとオタ・非オタというのは物差しが違うだろというのは今はナシです。

自分より向かって左側の存在とは付き合ってもいいけど、右側とはあまり付き合いたくないという風潮があるんじゃないかと思います。(もちろん例外はありますよ)

高いのもダメだけど、低過ぎるのもダメなのですよ、きっと。だからああいう風に蔑まれるのではないかと思う次第です。