海月玲二

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マレーシア名物にホワイトコーヒーというものがある。去年おみやげに買ってみたところ、我が家でわりと人気である。ただ一つ問題があって、東南アジアで売っているインスタントコーヒーは普通3in1、すなわち砂糖が元から入っているスタイルなのだ。こっちなら日本amazonでも手に入らないことはないのだが、我々が好きな2in1(砂糖が入っていないやつ)はかなりレアである。
今回はマレーシアには行かないが、シンガポールで18時間ほど乗り換え待ちがある。この間に大規模スーパーに出かけて、無事2in1のホワイトコーヒーを入手することに成功した。やったぜ。
あとマレーシアでよく売ってるLOT100とかいうグミキャンディも日本で入手しにくい(というか無茶苦茶高い)ので、これも買いこんできた。レジでマンゴーグミを3つぐらい並べて会計を待っていたら、ひとつ前にいたじいさんが「何それそんなマンゴーばっか買うの?」みたいなことを(たぶん)言ってきておもしろかった。そうだよ買うんだよ。

しょうもないお菓子ばっかり買っていたら、荷物は重くなるし金はかかるし大変だ。ふだんこんなにおみやげを買うことはないのだが。

あと、シンガポールの空港というのは今回初めて使ったのだが、わりと評判がいいらしいね。確かに使いやすくて感心した。
ここが使いやすいのは、

・でかいけど単純な構造
・イミグレーションや荷物検査での行列が少ない

あたりがポイントではないかと思う。
まず、到着・乗り換え時と出発時に通るエリアが分かれていない(全利用客が同じエリアを通る)ので、似たような店をいくつも作る手間も少なくなるし、動線が複雑になることも少ない。あと行きと帰りで同じところを通るので覚えやすい。
それから、なんと荷物検査が制限エリアの入口とかではなく、各搭乗口の前にある。これは他で見たことがなくてびっくりした。全員が必ず通る荷物検査場というものが存在しないので、列が長くなりにくいし、これまた動線を単純にすることにも役立つ。普通は、特に乗り換え客の動線が複雑になるのだ。

イミグレーションはかなり機械化されていて、多くの国籍の乗客が自動ゲートを使える。そしてここが重要な点だが、自動ゲートを20個置いたら、基本的にずっと20個動いているのだ。人間と違って食事に行ったり用事でいなくなったりすることがない。イミグレーションのカウンターがひとつしか開いてなくて長蛇の列になってる、というのはいろんなところで見る光景である。

まあ、しかしこういう構造にできるのは、基本的に国際線しか存在しない(全フライトでやるべきことが同じ)という事情も大きいのかな。


「かつて首都だったけど今では政治的にも経済的にもそれほどではなくなっていて、でも芸術文化方面ではまだ勢力を保っており、わりとデカい顔をしている町」ということを、日本では「京都みたいなところ」の一言で表せる。
ジョグジャカルタは京都みたいなところである。

ここは伝統工芸を元にした着倒れの町だし、大学が多い学生の町でもある。さらに、おみやげとして有名なお菓子まであり、各ブランドが競って店を並べ、有名店には観光客を満載した大型バスがどんどん来たりする。
このお菓子(Bakpiaという)、原型のサクサク型に対して最近開発されたしっとり型があり、観光客にも人気らしい。でも俺は試してみたところ古いタイプのほうが好きだった。新しいほうは、なんか萩の月みたいであんまり独特さを感じないんだよなあ。

この町には平日も滞在していたので、有名大学を見物に行ってみたりした。なかなかでかくて活気がある。学生食堂は、余所者が入っても大丈夫なタイプなのでありがたい。ありがたくあたりを眺めながらのんびりした。
あと、研究室周辺の、あの研究紹介パネルとかシンポジウムの案内とか貼ってあるあたりの雰囲気って世界共通だよね。

えーと京都の話ではなくてジョグジャカルタの話だ(俺は別にオリジナル八ツ橋は好きではない)。ジョグジャカルタでひとつ感心したのは、歩道がそこそこ使いものになる、という事実である。まあ先進国みたいに完璧な状態で維持されてるわけではないが、それでも、だいたいの道は歩いて移動するのに大きな問題はなかった。
いやつまりアレだ、問題だったのはバンドンだよ。でかい町なのにアレはねえと思う。担当者はもう少しがんばってくれ。



ジョグジャカルタの東にある遺跡で、観光ガイドの類ではボロブドゥールとセットで紹介されたりするやつだ。まあ、超でかい宗教施設の遺跡ということで同じようなポジションではある。こっちはヒンドゥ教であるので、なんかとげとげした上方に伸びるかんじの形状をしている。でもアレだな、外側の飾りがメインで内部は重要じゃないところは共通してる(むしろボロブドゥールが仏教建築としては例外なのか?)。

観光客的には、ボロブドゥールと違って来るのも簡単だし、2024年3月現在ややこしい制限もほぼ無い。強いていえば、お堂に入るときに人が集中しすぎないように係の人が調整するぐらいかな。
アクセスは市バスでも近郊電車でも超簡単なのでありがたいねえ。しかも二種類あるから、どっちかがばくはつしたりしてもなんとかなる。まあ、この遺跡の名前は "Prambanan" なのに、鉄道駅の名前が "Brambanan" になってるのはまぎらわしいな、とは思う。
そしてプランバナン遺跡も事前にネットで入場券を買うことはできるけど、買わずに行ってその場で現金を出しても特に問題はなかった。

というか、ボロブドゥールと比べてそもそも外国人が少なすぎるので、管理するほどのこともないのかもしれない。来てる客で多いのはだいたいインドネシアの学校の修学旅行とか遠足とかそういう感じで、外国人と気付かれると一緒にセルフィーを撮ってくれとか言われる始末だ。国外ではあんまり知られてないのか?

遠足の子供たちは写真を撮ったりお喋りしたりするのに忙しく、そもそもたいして見てはいない。まあそれはそうだ。俺だって子供のころ修学旅行でそんなに真面目に見学した覚えはない。でも、ボロブドゥールのところでも言ったけど、それでも別にいいんだ。ちなみに、写真はほとんどの人にスルーされてたドゥルガー像だ。

ところで、みんなお堂の入口だとか横だとかで記念写真を撮ってたけど、そういうことをするなら、遺跡公園の奥のほうにある別の遺跡でやるといいと思った。なにしろこっちまで来る人はほとんどいないので、邪魔が入らないぞ。まあメインの遺跡のほうがでかいけど、そんなことたいして重要じゃないと思う。それに奥のやつのほうが、お堂や瓦礫が大量にあって見ためもにぎやかだ。

ところで、ボロブドゥールに行ってくるのにはわりと苦労した。
ネットで調べた情報によると、基本的には、ジョクジャカルタの北にあるバスターミナルまで行き、そこからバスに乗る、というだけのはずだ。バスターミナルまでは市バスで行けばよくて、市バスは定額制なので外人でも普通に使える。ここは問題ない。

さて俺は水曜日の午後にバスターミナルについてみて、しばらくようすを見てみたが、ボロブドゥール行きのバスというのがちっとも見あたらない。というかそもそもここはなんだかバスターミナルのくせにバスが少なくて活気がない。
もしかしたら午後にはもうバスはないんじゃないかと不安になり、関係なさそうなバスの呼び込みをしているおやじに聞いてみたところ、このバスに乗って乗りかえろなどと言われ、そのまま乗りこんでしまった。

乗ったバスはスマランという町に行くらしい。
地図を見ながら考えたところ、つまりジョグジャカルタとスマランを結ぶルートが幹線でバスも多い。そしてボロブドゥールへはこの道の途中で分岐して10キロ行ったところにあるので、その分岐点で降りろということらしい。
そんな何もなさそうな交差点で乗り換えたりできるのかと思ったら、ちゃんとバイクタクシーのおやじが待ちかまえていたのだった。やれやれ。

帰りは帰りで、ボロブドゥールのバス乗り場でジョグジャカルタ行きに乗りたいと行ったら、今はバスのトラブルでやってないなどと言われる。してみると、昨日いくら待っても直通のバスが来なかったのもこのせいだったんだろうか。
結局、来たときと逆に、交差点までバイクタクシーで戻り、スマランからジョグジャカルタに行くバスが通るまでじっと待ったのだった。

だいたい俺はタクシーが嫌いなのだが、あのバイクタクシーというやつは特に苦手だ。よくあんな不安なものを日常的に使っていると思う。 今回は事故など起きなくてよかった。運転手も比較的穏当だったし。帰りはバスが来るまで一緒に待っててくれた(関係ないバスに乗ったりしないか心配してくれたのか?)。

でも後から考えると、問題だったのは要するに「ジョグジャカルタ←→ボロブドゥールのローカルバス」というのが今は動いていないらしい、という一点だったんだな。

インドネシアでは必見とかいう観光名所である。せっかくなので見にきてみた。
ネット等に情報があるとおり、今は

  • 事前にネットでチケットを買う
  • 時間指定制
  • 人数制限あり
  • 必ずガイド付き

という条件で、上まで登れる。ローシーズンの平日だったのでチケットは前日でも普通に買えた(当日入口に着いてから携帯で買ってる人もいた)けど、ハイシーズンは売りきれたりするらしい。

まあとりあえずアレだ、ガイド必須というのはちょっとね。イスラム教徒で仏教の説明に興味がないインドネシア人には不評だそうだが、俺にも不評だ。
というか、観光で何かを見るというのは、それをネタにして何か勝手に考えたり想像したりするということであって、説明的な知識が欲しいわけじゃないんだよ。そういうことは別にちゃんと調べればいいんだ。芸術作品を見るときと同じだな。
ボロブドゥールを見た感想が「でかーい」とかでも別にいいんだ。
ただまあ、ガイド強制というのは、制限時間を守らせたり遺跡の損傷を防いだりという面があると思うので、ここではある程度やむなしというのもわかる。なにか想像するネタになるポイントを指摘してくれるといいんだけど。

あと、時間制限というか同時入場者数を制限するのは、けっこうよかった。混雑しなくなるわけだし。タイミングによっては、ほとんど他人のいない光景も見れたほど。
でも、人が多い時期はすぐ売り切れてたいへんだろうなあ。あと時間指定なので、たまたま雨だったらがっかりだな。今日は晴れてよかった。


パガンダランというのはジャワ島南側のビーチリゾートである。
であるが、かなりマイナーだ。基本的に国内の客がほとんどのような雰囲気だった。シーズンオフの平日だからというのもあるが、そもそも観光客が少ない。リゾートというより漁村に近いのでは。じっさい東側では漁師の人達が活発に船を出していた。
人が少ないので、海も砂浜もけっこうきれいだと思う。波が高いのであんまり泳げなそうだけど、まあ俺はどのみち泳いだりしないので問題はなかった。

不思議なのは、観光客も少ないのに、物売りとかが全然いなくはないことである。町の中に多少ある飲食店なんかもそうだが、見ていてもほとんど客が来ている様子はない。あれで生活が成り立つんだろうか?
前から思っているが、携帯電話の普及に伴い、全人類が「何もせずに長時間待つ」ということを全然苦に思わなくなっているようだ。

あんまり人のいないレストランとかに思いきって入ってみて、てきとうに魚のスープとか頼んでみたら、思ったよりうまくて驚く。

あとこの町の名前は日本人には発音が難しいと思う。Pangandaranというつづりで、最初のnganが厄介だ。ngとnを続けて発音する必要がある。
まあ、周りに似た名前の町はないので、ngがちゃんとできなくても意図は通じるけど。



世界史ではおなじみ、いわゆるバンドン会議のバンドンである。

どうもアレだ、旅行の最初に滞在する町というのは、まだその国の様子がよくわかっていないので、ぴんとこない感じになりがちだ。

今回はとくに食事するところで悩んだ。
べつにレストランがあまりないというわけではなく、むしろいっぱいある。俺はおいしいお店に対する嗅覚がイマイチなので、いっぱいあってもどこに入ればいいのか見当がつかないのだ。こういうときはYが同行してると心強いのだが。
結局、激辛料理の店に入ってしまい往生したり、同じ夜市で二度食事をしたりした。まあおいしくないことはなかったので、それでいいのかもしれない。

それとバンドンは高原にあるので涼しいとかいうのはマジなのでびっくりした。ジャカルタでは、曇りでも少し歩くだけで汗がふきででくるのだが、このへんは晴れてなければ一日歩いててもたいしたことはない。無意味に坂を登ったり降りたりしなければね。

あとドコモショップ的なところでsimカードを買ったのに、どうやっても動かなかったのは無念である。いいかげん5年もののsense3はアレなのか、それともインドネシアの携帯電話登録制度がアレなのか。
いずれにしろバンドンとは直接関係ないけど。SMSは届くようなんだけどなあ。


今回の旅行ではインドネシアに来たので、高速鉄道とやらに乗ってみた。日本人的には、途中まで話を進めてたのに中国に負けたことでおなじみのアレである。

とりあえず、完成分は普通にちゃんと運用されてるようだ。けっこう混んでたし。ジャカルタからバンドンに行けるだけにしては人が多いので、単なる娯楽として乗ってる人もいるんじゃなかろうか。バンドンまで3時間だったのが、バンドン中央駅までの連絡列車を入れても1時間なので、便利になってはいるけど。

まあ結局、話は計画部分全体が出来てからなのかね。ビジネスクラス以上ではお茶やおやつが出るとかいう話も聞いたけど、30分で何か出されてもしょうがない。

ところで、ジャカルタの空港から高速鉄道の駅まではけっこう離れている。でも、試してみたら公共交通機関を使ってもちゃんと移動できた。まず空港から空港鉄道でBNI cityなる駅まで行き、そこでLRT(モノレールみたいなやつ)に乗りかえてHalim駅で降りればよい。小一時間はかかるけど、わりに安くあがる。
Halim駅での乗りかえはかんたん(専用通路がある)だけど、BNI cityでの乗りかえは若干めんどうなので注意。駅の名前も違うし。


今回はウィーンin/outの航空券だが、実際にウィーンに滞在したのは1日ほどである。

しかも中心部の旧市街にはあまりおらず、周辺地区のホテルに泊まったりスーパーで買い物したり、特にどうということもない通りを散歩したりしていたので、なんか観光名所とか有名なお店とかそういうやつの体験があんまりない。

でも、ホテル近くの市場でちょっとした軽食を食べたら「オールドスタイルウィーン風スープ」とかちょっと見たことない感じのソーセージとかが出てきたり、軽食なのに二人で3500円ぐらいかかったりして、まあそれなりにウィーン感はあったとおもう。観光客はあまり来ないらしくメニューが全部ドイツ語のしかなくて、google翻訳のカメラ機能が役に立ったのは初めてである。

あと、空港の免税店コーナーで、町のお店であんまり売ってないおみやげが売っているとか、ヘタにスーパーでおみやげを買うより安いとか、そういうケースを実際に見たのも初めてな気がする。というかまあこの町はスーパーでもけっこう高いことがあるけどな。でもウィーン空港は免税店コーナーや飲食店がどれもちゃんと充実しててすごい。そして、こんな超スーパー観光地の空港ですら一部工事中だったり閉鎖されていたりして、2020年からのダメージは大きかったんだなあとも思った。


「チェスキー・クルムロフにはオーストリアから来れる」みたいなことを書いたが、俺らは今回さらに、ミュンヘンから直接(乗り換えなしの)バスで移動した。FlixBusとかいう会社が、「ミュンヘンからオーストリアを通り、チェコに入ってさらに東進しZlínまで行く」という長距離バスを一日一便運行していて、これを途中下車すれば可能のようだった。

なお、ミュンヘンのバスターミナルで、細かいことを言わずに聞くと「チェスキークルムロフ行きのバスというのは無いよ」とか言われる場合があるので注意が必要だ。当日のやつは無い、という意味だったのかもしれないが、それならそう言ってくれないとわからん。
そもそもFlixBusはネットで買うのが基本で、人間がいるカウンターはオマケみたいな扱いのようだ。そのわりには日本のクレジットカードの決済がはねられたりするので困る。

というか、チェスキー・クルムロフは別に重要な町ではないので、もともと交通が不便なんだよね。鉄道にしてもバスにしても支線なんだよ。今回、帰りはすぐそばのチェスケー・ブジェヨヴィツェにまずバスで移動し、そこからリンツまで鉄道に乗った。チェスケー・ブジェヨヴィツェはでかい町なので、交通機関もたくさんある。問題は、この町の名前が日本人には発音しづらい( = 切符を買うのがめんどう)ということだけだ。

チェコ南部の観光名所である。いわゆる旧首都ジャンルの町だ。
チェコ南部には違いないが、オーストリアのリンツから1〜2時間で来れる(むしろプラハから来るより近い)。この町ではユーロの現金で支払いできるところが多かったけど、おそらく、近隣の国からついでに来ていて、チェコの他の町に行っていない観光客がわりといるのだろう。

さて、旧首都(というかまあ、支配者の城があった町)ではあるが、王城が移転した後は特にこの町の重要度が戻ることがなかったようで、現在は観光で食ってる町である。それはもうコロナウイルス騒ぎで打撃を受けたことだろう。どうも宿泊施設や観光客向けレストランの数が過多な気がするが、これも2019年までは適切だったということなのかな。
しかし、今でもそれなりに観光客はいた。もし「本来期待される人数」が来たとすると、相当混雑する気がするな。今はお得なのかもしれん。

この手の町に共通することだが、旧市街が観光客向けの店ばかりで、現在の住人の生活とは別れてしまっているのは少し残念なところである。眺めて格好いい町並みには違いないが、町というのは鑑賞用のモニュメントではないと思うんだよ。
なお、スーパーの類も外周部にしかないけど、旧市街はコンパクトなので、外周部まで買い物に行くことも無理ではない(たぶん南側にある二軒が比較的行きやすいと思う)。中心部の売店と比べてみると、値段が露骨に違ってておもしろかった。

ごちゃごちゃ文句を言ってはいるが、ここに滞在した二日は晴れていたので、それなりに散歩して楽しんだ。調子こいて南の丘にある八角形の教会のところまで行ってみたりもした。実際にはなにか巡礼的なことをする場所らしいが、観光客的には要するに眺めのいい場所である。もし登ってみようという人がいたら、東側からのほうが道が整備されてて楽だよ。

ウィーン空港でY氏と合流したあと、我々は西へ向かってみたわけだが、なんだかどうにも天候に恵まれなかった。

我々が滞在している間、何故かドイツ南部では一週間ぐらい雨が降り続いており、ミュンヘン滞在の最初から最後までずっと冷たい雨だった。雨だけならともかく、8月なのに気温が12度とかいうので全くかなわない。
夏の旅行でこんなに雨ばかりだったのは初めてではなかろうか。そもそもヨーロッパの夏でこんなに雨が降り続けるってあるのか? 異常気象の類?

しょうがないので、博物館を見たりデパートをひやかしてみたりして、あとはレストランでビールを飲んだりスーパーでビールを買って部屋で飲んだりとかそんな感じだった。ミュンヘンは大都会なので、こんな天気でもやることが全然なくなったりはしないが、俺の旅行の主目的である「てきとうに散歩する」というのが全くできないのは残念だった。
まあ、品揃え豊富なスーパーはあちこちにあるので、部屋でビール飲み会をする的なことはいくらでもできた。なにしろここは先進国なので、毎回レストランに行ってるとガンガン金が出ていくしな。というか、ドイツではスーパーのビールが非常に安くてうまいので、ビールにあまりうるさくない奴(俺)にとっては部屋飲みでも十分なのではないだろうか。

ところで、ドイツはわりと犬フレンドリーな国だと思う。なんか住宅街の中にあった家族経営的レストランで食事をしていたら、すげえでかい犬が二匹歩いていてびっくりした。どうもそのレストランの犬らしい。
他の客はほとんど常連なのか、食事中に犬が挨拶に来てもぜんぜん気にしていないようだった。


ブラチスラヴァというのはスロバキアの首都であるが、日本ではほぼ知られてないと思われる。

この町に住んでる人たちは、自分たちの町についてどう思ってるのだろうか。周囲にはウィーン・プラハ・ブダペストをはじめメジャーな町がいくつもあり、観光地的にも商業都市的にも激戦区である。というか、チェコの首都プラハと比べて規模も知名度も違いすぎる。
この町にもそれなりに旧市街というものはある。観光客として路地をてきとうに散策したり、オープンカフェでのんびりコーヒーやビールなど飲んだりするぶんには、別にどこの町でもそんなに違うもんかな、という気はしないでもない。
ネットでおなじみのラーメンハゲ的に言えば、「あいつらは名建築や芸術自体を観光してるんじゃない、『情報』を観光してるんだ」ということだ。

まあアレか、観光客が大量に来たらいいというものでもないか。

今回はせつやくしてドミトリーに泊まったので、予算に余裕ができ、展望レストランで高級なメシを食べたりしてみた。西洋人の国で西洋料理に金を払えば、もちろんいいものが出てくるのだ。


2023-08-26(土)

NightJet

北海道とか東北とかでは、昔はそこまで暑くならなかったのでエアコンの無い家がときどきあり、現代では問題になっているという話あるよね。あれと同じようなことはヨーロッパでもあるんじゃないだろうか。

つまり、今回ヴロツワフからブラチスラヴァに移動するために夜行列車を使ったのだが、少なくとも俺の乗った車両にはエアコンがなくて、わりにつらかったという話である。
夜行バスよりはまあ楽だろうと思って列車にしたわけだけど、もし夜行バスは温度が快適だったりしたら、どっちが楽か微妙だな。さすがに「横になって眠れる」という点のアドバンテージは大きいだろうか。
というか、夜行列車には2等寝台よりさらに安いランクの、座席車という切符もあったのだが、これはよっぽど安くなければバス一択じゃないかしらん。

ところで、今回乗ったやつはオーストリア国鉄が運行してる便なので、運営自体は比較的ちゃんとしてて安心である。何も言わなくても降りる少し前に起こしてくれるし。
オンラインで発行される切符がぜんぶドイツ語でちょっとわかりにくいけど。このオンライン切符、俺はA4の紙に印刷して持っていったら、降りるまでこれを保管されて、なにかあれこれ書きこまれていた。オンラインのまま提示する場合はどういう処理になるんだろうか? 書きこまれてるのがドイツ語の手書きなので、大事なことなのかそうでもないのかすらわからん。


ヴロヅワフはポーランド南部の主要都市で、いわゆる大学町だ。
欧州の大学町では、「旧市街に大学の建物がいくつか点在している」というなかなかおもしろい作りのやつがある。こことかサラマンカとかそうだな。うらやましいことだが、日本ではまず無理だ。なにしろ日本の旧市街に3〜5階もあるような大きな建物はほとんどないからな。
というかまあ、中世っぽい見た目でも中身は現代人が生活できるように改修してあるわけである。ということは、日本でも復元した建物の中身をいろいろ工夫して違う目的に使えばいいのでは?

こういう欧州の古い大学は近代、へたすると中世からあるので、建物とか講堂自体が派手で、現代では観光名所である。
というかアレだ、要するにつくりが教会と同じノリなんよ。結局、昔の大学というのは教会と似たようなもんだし(暴論)。
これは日本でもアレじゃん、名刹古刹で講義とかやったらよくない?

まあついでというかなんというか、古い建物に大学博物館も入っている。展示を見ていて、残ってる資料自体が歴史的資料だからそれだけで面白い、とかズリーなと思った。
でも、科学教育の資料とかもけっこう展示してあったけど、これは本邦でも条件はほぼ同じだな。

大学を見物する以外は、ヴロツワフでもいつものようにあちこち無意味に散歩した。というか夏だと大学の機能してるところはあんまり見れないしな。欧州の町に出かけて散歩すると、多かれ少なかれ「教会連発タイム」が入ってくるので、そろそろ細かい違いとか発展の流れとかそういうことがわかるようにしとくと面白そうだなと思った。

オーストリアからチェコを通ってポーランドに行くとなると、普通に検索するとチェコ北東部のオストラヴァを経由するルートが出てくる。
でも、そうではなくて、ブルノからそのまま北上して行けないこともない。このエリアには、もはやチェコ国鉄は走ってないのだが、leo expressなる私鉄がいちおうあるのだ。

というわけで、今回はこれに乗ってみた。外国人がこいつに乗るとなると、だいたい南端のÚstí nad Orlicí駅から乗ることになると思う(ここまではチェコ国鉄で来れるので)。微妙に罠もあるので注意だ。

  • Ústí nad Orlicíと名のつく駅は2つあり、町はずれにある本駅のほうに行く必要がある。間違えると、俺のように歩いて行くはめになる。
  • Ústí nad Orlicí駅の2番ホームは何故か2つあってわかりにくい。

また、leo expressの切符はチェコ国鉄では買えない。さらにÚstí nad Orlicí駅はあくまでチェコ国鉄の駅のようで、ここでもleo expressの切符を買うことはできず、乗車後に車掌から直接買うしかない。カードも普通に使えたが、タッチ決済に対応してない場合も大丈夫かは不明。
日本の大都市でよくある鉄道会社の相互乗り入れってすごいよな。

ところで、「もはや」チェコ国鉄は走っていない、と書いたのは、たぶん前はあったらしいからだ。乗り換えのLichkov駅の駅名標を見ていて、チェコ国鉄のマークが消してあることに気づいた。
これは本邦で言うとこの3セクというやつなのか?


旅行というのは短期間しか滞在しないので、その町の流儀がよくわからなかったりするものだ。
今回、ここで夕食を食べようと思ったらどうもうまくいかなかった、という話である。なんか人がたくさんいる飲み屋みたいな感じのところに入ってみたのだが、2件続けて「食べるものはないよ」と断わられてしまった。
改めてよく見てみると、確かにみんなビールだけ頼んでダベっているだけだ。ほかの店もだいたいそんな感じである。
「18時台は夕食には早すぎるので準備がない」という話なのか、「ふつうの日に夕食を外で食べたりしない」という話なのかは不明だ。
いずれにしろ、小さい町ではもともと選択肢が少なく、例外的行動もあまり対応できないだろうからどうしようもない。仕方がないので、コンビニ的なところでサンドイッチ的なものを買って帰った。
というか、そうと知ってたらスーパーでいろいろ買って自分で料理してもよかったな。

ところで、なんでこの町に泊まったかというと、単に途中だったからである。飛行機はウィーン往復なのだが、なんとなくポーランドに行ってみたくなった。しかし、ウィーンからヴロツワフまで一気に行くとそれだけで丸一日かかるので、途中で休んだ次第。


ここから夏の旅行エントリ。

さて今回はなんとヨーロッパに行くのだ。諸般の都合で台北乗り継ぎとなったので、せっかくだからちょっと余裕のあるスケジュールにして、すこしだけ入国してみた。
噂通り、台湾入国はもうほぼ制限なしであるので、こういうことをしても特に問題はない。台湾を散歩するのもひさしぶりで、なんか嬉しい。
ただ、今は家畜感染症かなにかを警戒しているらしく、日本その他の「低リスク国」から来た便の乗客は「低リスクですよ」カードをもらって区別する、という運用をしている。うっかりカードをもらい忘れると荷物をチェックされたりするかもしれない。
台北(というか桃園市だな)では、マスクをしてる人はしていて、同行の家族や友人がマスクをしてなくてもそこは気にしない、という感じ。日本と同様だ。

ところで桃園市にある中櫪(字がちがうかも)夜市は、ずいぶん地元向けの素朴な雰囲気で面白い。ゲーム機(コリントボールみたいなやつとか)の屋台がけっこうたくさんあって、しかもわりに客が来ていてびっくりした。


ペナン島は、大陸に面した側が主な町になっていて、山を越えた反対側は建物も少ない田舎のようである。香港島にちょっと似た構造だ。そして町側の部分の中心部をジョージタウンと呼ぶらしい。

ペナン島は島だけども橋が2本あって、普通にバスとかで来れる。ただ、対岸のバタワース鉄道駅のすぐそばから渡し船も出ていて、せっかくなので乗ってみるのもいいと思う。現在の注意点は2つある。

・コロナ関係で減便が継続しているようで、昼間は1時間1本しかない
・バタワース鉄道駅からフェリー乗り場までに両替所がない

特に両替所がないというのが観光客的には微妙に不便で、パダンベサールからそのまま来てマレーシアリンギットを持っていないという可能性がある。しかし渡し船の切符(1.20RM)は現金でしか買えないのだ。いちばん簡単なのは、パダンベサール駅でジュースとかをタイバーツで買っておつりをマレーシアリンギットで貰っておくことだと思う。もちろん、ジョージタウンに入りさえすれば普通に両替所があるのでその後は大丈夫。

船で入ってくると、町並みを見て一瞬「エッ西洋風?」みたいになるけど気のせいだ。いや気のせいってことはないが、コロニアル建築が残っているのはすみっこのごく一部で、基本的には中華長屋というかショップハウス形式の町並みである。地区ごとの多数派の文化によって飾りや雰囲気は変わるけど。西洋風のでかい建物は見栄えがするので、普通の観光客だけでなく、結婚式の記念写真を撮っている人達がたくさんいた。あんなにいては順番待ちとか大変だろうなあ。

さてジョージタウンはこれまで通った町と違って大観光地なので、初めて来た町だけどはっきりわかる。ここはコロナウイルス騒ぎから復旧している途中なのだ。交通手段、宿泊施設、飲食店など一旦なくなっていたのを整備が進められている。求人広告もそこらじゅうに貼ってあった。「レストランスタッフ、コックとウエイターと掃除係と会計係とフロアマネージャー募集」みたいな、じゃあ今は誰もいねえのかよみたいな広告もよく見かけたほど。

あと「中心部は主に観光業のみ、ふつうの市民生活はもうちょっと郊外が中心」みたいなタイプの町(京都みたいなやつ)だと、コロナウイルスの影響でドーナツ化現象が進んだんだな、というのも感じる。ハジャイでもそんな気がしたがこっちはさらに顕著だ。中心近くにあるモールは半分以上シャッターがおりてていかにもヤバそうだったのに、3〜4kmはなれたところにあるモールは普通に賑わっていたし、住宅街にある夜市に行ってみたら人でいっぱいだった。

実際、観光客は戻りつつあるようだった。ここだけは、西洋からの観光客らしき人々や日本人観光客でさえもときどき見かけたぐらいだ。また皆が気軽に旅行とか行くようになるとよいと思う。


タイ南部とマレーシア北部をつなぐ国境はあと2つあって、(マイナー国境はあと何箇所かあるようだ。) 今回は西側の国境を通ってマレーシアに戻った。
3つの中で、この国境はたぶん一番簡単である。なんと国際列車があり、列車に乗ってるだけでそのまま越えられるのだ。ペンカランフールーのことを考えるとマジ雲泥の差。
ちなみに一番東のスンガイコロク国境もけっこうめんどうらしい。そもそもそこまで行くのがかなり面倒。

ただ、国際列車と言っても、国境を越えたすぐのところで終点で、そこからはマレーシアの別の列車に乗りかえないといけない。バンコクからクアラルンプールに直接行ける列車みたいなものは、かつてあったかどうかよくわからんが、少なくとも2023年3月現在そういうものは存在しない。

まあ、超長距離複数国移動列車というのはロマンがあるけども、警備・管理する側からするとやってられん面はあるだろう。
実を言うと、現在の国際列車もつい最近再開したばかりである。 昨年末に爆弾テロがあって止まっていたのだ。
というわけで、少なくとも動いてることに感謝しつつ、ハジャイからパダンベサール駅まで乗る。そしてパダンベサール駅で時計を1時間進め、さらに1時間ばかり待って次のバタワース行きとかに乗るのだ。
今のところ、パダンベサール→バタワースはタイバーツで払うと117THBだった。出国時残金使い切りチャレンジをしたい人むけ情報。売店のジュースとかもタイバーツで払えるぞ。

スケジュール的には、バンコクから来る列車が8時50分にハジャイを通るので、そこから乗った。というか、駅に行ってみると客車が1両だけ待ってるので何かと思ったら、ハジャイから乗る連中はここに乗り、バンコクからやってきた寝台列車に増結するシステムだった。
バンコクから直接パダンベサール国境を越える列車は、今はこの一本しかないはずだ。
ハジャイから行きたいだけなら、7時半と14時にもハジャイ〜パダンベサール間を往復するだけの列車というのがあるので、こっちでもいい。でもどっちも時間が微妙なんだよな……

さらに微妙なトラップの話。「パダンベサール駅」というのは実は二つ存在する。タイ寄りのやつはまだ国境の手前であって、マレーシアに行きたい場合ここで降りても無意味である。よくわかってない観光客が降りそうになって、まわりの人に止められるのがこの路線あるあるだ。


ハジャイはタイ南部の中心都市だが、日本人観光客的にはあんまりわざわざここで降りたりはしないかも。でも中心都市なので、でかいビルも並んでるしそれなりに設備も整った大都会だ。
……なんだけど、どうもなんだか妙に人が少ない。シャッターを閉めてる店も目につくし、これはやはりコロナウイルス騒ぎで観光客激減とかそういう影響なんだろうか。
……と思いながら、中心から少しはなれたショッピングセンター地区に行ってみると、けっこう人がたくさんいるのでびっくりした。どこからこんなに出てきたんだ。
いわゆる都心部ドーナツ化現象ということでもあるんかな。

ショッピングセンター「地区」というのはどういう意味かというと、でかいショッピングセンターがせまい範囲に3つもあるという意味だ。しかもちゃんと住み分けがあっておもしろい。
地元民が多め、売ってる服や雑貨が安めでターゲット年齢層低めの「ナイトマーケット」と、ちょっと高めで観光客向け商品が多めになっている「バザール」、ブランド品も並んでいるちゃんとした「モール」の3つだ。まあ俺はどうせ買わないで見てるだけなので何でもいいんだが。迷惑な客だ。
なお食事コーナーは大差ない。屋台で売ってそうなものを小綺麗に並べた感じ。

あと都心部でも、人気の飲食店にはちゃんと人がたくさんいた。ちなみに、ここもわりと中華系の勢力が強いので、有名店は中華風が多い。俺も朝から点心屋に行って肉骨茶頼んだりしてご満悦だ。
日本人は行かないだろうが、日本食の店もけっこうあった。いやまあ寿司とかおやつとかはそれなりにタイ風になったやつだが、日本食がジャンルとしてそれなりに需要はあるらしい。単なるイメージとしで日本語を使ってる店もかなりあって意外だった。
タイ南部でも日系企業の人達がそれなりにがんばってきたんかね。やよい軒とかヤマザキパンの店まであった。

ところで、実際今はそれなりに観光客がいるようではあった。明らかにタイ語を話せない人とか、有名飲食店にグループでやって来て記念写真を撮る人とかをときどき目にしたのだ。
でもシャッターを降ろしてる店が多かったりするのは「まだまだこんなもんでは足りない」という話なのか、3年の間に事業が継続できなくなってしまった人がたくさんいるのか。
去年ホーチミンシティに行ったときも思ったけど、初めて来る町は2019年以前どうだったかわからないので、今どれくらい変なのかわからないな。もしかして単にのどかな雰囲気の町なんだったり、とかはないか。


2023-03-01(水)

ベトン

ペンカランフールーから国境を越えて、タイ側にある最初の町がベトンだ。

この町はいわゆる陸の孤島である。タイの最寄りの町からは車で一時間以上山を越えないと来れない。たぶんマレーシアから来たほうがまだマシだ。
そのわりに、そこそこちゃんと町なのが不思議である。どうやって経済が成立しているんだろうか。マレーシアからの観光客に依存しているのか、特産の鶏肉とかをバンコクに売るのは意外ともうかるのか。
というかそもそもなんでこんなところに町があるんだろう。タイ北部にある中華系の落人村みたいなもんだろうか。

それとこの町は中華色が強く、文化的にも独特であるとよく言われるようだ。でも、俺としてはここに来たときにあんまりそういう感じを受けなかった。なんでかというとイポー中心街と少し似ていたからである。食文化的にも共通点があると思う。
そして帰るとき、こんどは北に向かってタイ国内を進んでみたところ、ヤラーとかの周辺の町と比べたら確かにだいぶ雰囲気が違うな、と納得した。ガチムスリムの服装の人がたくさんいるとか、中国語をあまり見かけないとか、そういうことである。
つまりここは「タイ南部としては異常なぐらい」中華色が強い、ということなんだろうか。

ところで、ここで観光するというと基本的には食べ歩きである。いろいろあって面白いんだが、まあマレーシア人以外わざわざここまで来ないかなあ。あと腹は一人ひとつしかないわけで、こういうとき一人は不便だ。
あとはおねえちゃんと卡拉OKするとかいう向きも多いそうだが。確かに、カラオケ屋とマッサージ屋は明らかにたくさんある。帰りのミニバンで乗り合わせた日本人の若者が、なんか現地の女の子と飲みに行った武勇伝を話していた。


俺が陸路で国境を越えようとすると、だいたい何か失敗するものである。

そもそも国境なんだから国のはじっこであり、もれなく辺境だ。というわけで、高い確率で「どうやってそこまで行くか」が問題になるのだ。そしてタクシーに悩まされる率も高い。

今回、イポーを出発して朝からバスターミナルに行ってみたところ、国境近くのペンカランフールーとかいう町まで行くバスは、なんと夜しかないとか言う。ネットでは朝からバスに乗って国境に行った的な記事も見かけるのに。そもそもバスターミナルの施設の多くが閉まってるし、やはりコロナウイルス騒ぎの影響で減便しているのだろうか。
そのままバスターミナルで半日待つのもアレだし、だいたい国境の手前でわざわざ一泊することになりそうでいかにも無駄だ。

しょうがないので、国境よりもう少し手前のゲリクなる町まで、タクシーに乗ることにした(ゲリクまでのバスもやっぱり夜しかないらしい)。
本当は国境近くまでタクシーで行こうかと思ったけど、そうすると65RM(2000円弱)ぐらい高くなるので少しケチった。いちおう定額制のようなので、そこは安心である。
これでゲリクから結局タクシーに乗るしかなかったら無意味だが、行ってみると、ゲリクからはよくわからないローカルバスでペンカランフールーまで行けるようだった(150円)。ゲリクの町は小さいが、このへんの交通の要衝のようだ。

まあローカルバスはすごいポンコツで、上り坂のたびに遅くなるのでけっこう時間はかかったけど。
そしてさらに問題なのは、このローカルバスはペンカランフールーの中心部に行くだけなので、そこから国境まで残りの6km弱をなんとかする必要があるということだ。
どうしたかというと、今回は歩いて行ってみた。ここの国境は歩いても越えられるらしい、とネットで見たので。イヤそういううろ覚えの情報で動くから苦労するのだ。

まあ6kmは6kmなので、6km歩けばちゃんと国境についた。入口を警備している人達に怪しまれていろいろ質問されたけど。
そりゃね、一人で歩いて国境に入ろうとする奴がいたら確認ぐらいするよね。警備の人たちは思ったより敵対的じゃなくて、ちゃんと旅程を説明したら納得して通してくれた。

オチとしては、国境を抜けたあとに次の町まで行くのに、また7kmぐらい歩くのは大変だったのでタクシーに乗ってしまい、しかも遠くもないのに1000円近くとられてしょんぼりした、というあたりである。
……あとで調べてみたところ、ここでタクシーに乗ると基本的に高くて、こんなモンらしい。なにかそういう規定があるのか?


2023-02-26(日)

イポー

イポーというのはマレーシアの町の名前だ。クアラルンプールから鉄道でちょっと北に行くと、瀟洒な鉄道駅が突然出てくるので、そこで降りる。
この町の中心は鉄道の東側である。いわゆるショップハウス系のクラシックな町並みで、名物料理の店や夜市などもあり、観光的にも多少は人が呼べそうなやつだ。
しかし鉄道を越えて西側に入るとぜんぜん違う。広い道路に低層大型の建物が並び、歩いてる人はほとんど見ない。商店があるエリアも、街道沿いにそのまま商店が並ぶタイプだ。要するに日本の地方都市と似たかんじのやつである。
こんなにすぱっと「郊外」と切り替わるのはあんまり見ないな。車が普及するまでは、そもそも西側は町ではなかったのだろう。

さて、東側では町のあちこちに中国語が併記されてるし、看板も中国名がほとんど、歩いてる人も中国語を喋ってる人が多い。マレーシアの町ってこんなに中華系寄りだったかなと思うほどだ。
一方西側では中国語を一気に見かけなくなる。中華系の人も見ない。町の中心部(旧市街周辺)は中華系が押さえている、ということのようだ。かつて鉱山の町として発展したときに、開発してたのが中華系だったらしいからな。

ただ西側にはマレー系の人達がそれなりに住んでるわけだし、中心部の飲食店をよく見ると "no pork/lard" だとか "muslim frendly" だとか書いてある店も多かったりする。さらにインド系の地区もあって、ヒンドゥ寺院などではほかの人達は全然見なかった。まあいろいろ大変だね。

ところで、イポーについて調べると「もやし料理が名物」とかいう情報がよく出てくる。というわけで食べてみたところ、「もやしでもうまいものはちゃんと違いがわかる」ということに感心した。
しょせんもやしなので、これだけのために来るというようなものではないが、なにかで立ち寄る機会があったら試してみてもよいと思う。
ただよく挙げられる「老黄」という有名店のゆでもやしは、もやし自体がうまいというのもあるが、かかっているタレが甘辛系で日本人に合うんじゃないかなとも思う。