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「キャンディ・キャンディ」の著作権をめぐる裁判の話は比較的記憶に新しいが(最高裁判決は出ているが、個々のグッズなどに関する業者裁判がまだ進行中)、25日、「宇宙戦艦ヤマト」の著作権を巡る訴訟の判決が東京地裁であった。 いずれも、漫画家の方が全面的に敗訴している。 だから、「絵(漫画)」って著作物として弱いのね、なんていうことを言うつもりはない。 それぞれの作品が成り立って行く過程は全く異なっている。

そもそも、著作権を巡り、争いが起きた背景には、「キャラクタービジネス」が密接に絡んでいるように思われる。 当たれば、キャラグッズ商売というのは大きい。不況知らずだ。 私のようについついキャラグッズには踊らされやすい(苦笑)人々あってこそだが、ロゴやキャラ(「ヤマト」だったらメカかもしれない) を付けるだけでいい。 簡単だ。 うまくいけば、版権者は左ウチワだ。

しかし、日本の法律・判例では、「キャラクター」そのものは「著作物」としては認められていない。

「キャラクター」そのものに何らかの権利を主張するとすれば、それはキャラクター・デザインに対する「意匠権」になるだろう。 ついでに言うと、書物のタイトルやキャラクターの名称にも著作権は発生しない。 それを保護するのは商標権だ。 言葉(単語)そのものに著作権があるように勘違いされている人が、決して少なくないように思われるのだが、どうだろう?
…のだが、「キャラクター」の背景には、物語や漫画などの「ストーリー」があったり、基盤となる「イラストレーション」が存在する。 その物語なり漫画なり、イラストは著作物なので、「キャラクター」の無断使用は著作権侵害になる、と考えられる。

著作権、意匠権、商標権…とキャラグッズにまつわる版権はいろいろある。

「〜ヤマト」の裁判も「キャンディ〜」の裁判も、著作権を巡る裁判だった。 デザインやアイデアというのは、著作権として保護されない。 個々のケースは、簡単に調べられるだけでも、まったく違うのだが、いずれにせよ、キャラ・デザが著作権と認められないのが枷となって、 漫画家に著作権が認められなかったように思える (もちろん、それだけではなく、理由は複合的なはずだが)。

もう一つ思ったことは、なぜ著作者をどちらか一人にしなければいけないのだろう…ということ。 特に「〜ヤマト」の場合は、当初からTVシリーズアニメとして企画された ということもあり、製作には様々な人が関わっている。 著作権者を一人にしてしまうことは、現状と合っていないのではないだろうか。 詳しくは知らないので、あまり深入りしたことは言えないが、このような著作権を巡る報道を聞く度に、法律が現状に追い付いていないと感じる。

デビッド・コパーフィールド イギリスBBC製作の長編TVドラマ。 日本で2001年1月にBBCクラシックドラマシリーズの一つとしてDVD発売された時は地味な売行きだったそうです。 映画「ハリー・ポッターと賢者の石」の大ブームを受けて、宣伝コピーを変えてアピールしたら、1週間で1万5000枚を超える出荷となり大ヒット。 …というのも、「ハリー・ポッター」役のダニエル・ラドクリフ君が幼い頃の主人公デビッド・コパーフィールドを演じているのです。 さらに、映画「ハリー・ポッターと賢者の石」のコロンバス監督は、この番組を見て、ダニエル君にハリー役の白羽の矢をたてたというおまけ話付き。 (最初に発売した時点で、この話は既に知られていたことですが、発売元のIVCはここまで「ハリー・ポッター」の映画がヒットするとは予想していなくて、特に映画にからめた宣伝はしなかったそうです。)

映画「ハリー・ポッターと賢者の石」では、マクゴナガル先生を演じていたマギー・スミスも出演しています。 クレジット・ロールで気付いたのですが、フーチ先生役のゾーイ・ワナメイカーも出演しているではありませんか。 Harry Potter ファンなら気になってしまう作品です。 しかし、高〜い! クラシックな名画作品ならば2000円でDVDが買えてしまうというのに、この DVD は5800円…。 興味本意や気になるくらいで買ってしまえるお値段ではなく、ひるんでいたところ、LaLaTVで放映されるという吉報が…。 これは、1ヵ月だけLaLa TV を契約してしまった方が DVD より安上がりということで早速実行に移したのでした(笑)。

さてさて、作品としては、NHK総合でひょっこり放映するのが似合いそうなイギリスBBCらしいドラマです。 (最近はそういうのは総合ではなくて BS で放映するのでしょうか。) 原作はチャールズ・ディケンズ。 そしてその自身自叙伝と言われている物語です。 これがまた、まさにディケンズの雰囲気の映像です。

物語 個人的なつぶやき

第一部

主人公のデイビー(デビッド・コパーフィールド)の両親は周囲の反対を押し切って結婚したようですが、父親は、デイビーが生まれる前に亡くなっています。 その後は、母と子、そしてメード(乳母)の3人で暮らしていました。 いまひとつ、コパーフィールド未亡人の収入源が不明なのですが、自分の家を持って住んでいて、さらに使用人まで雇っていたということは、デイビーの父親はそれなりのものを残して逝ったのでしょう。

それなりに幸せに暮らしていたのですが、悲劇は母親の再婚から始まります。 なぜ、再婚したんでしょうねぇ、あんな奴と…。 とりあえず、現在の生活には不自由していないけれど、将来的な不安とか、いろいろあったんでしょうか。 デイビーの義父となる男は、家に乗り込んできて、すべてを支配します。 時代背景を考えると、ある程度は当たり前かな、と思うのですが、たちの悪いことに、この義父の姉まで乗り込んでくるのです。 ここまでくると計画的としか思えません。 デイビーの義父が、デイビーの母に対して本当に愛情を持っていたのかどうかかなり疑問を感じます。 義父によって、デイビーはかなり辛い目にあうのですが、口出し出来ない母親はそんなデイビーを黙って見ていることしかできません。

この辺りの不幸な境遇は、ハリー・ポッターの生い立ちと重なって見えます。 こういう、可愛そうな境遇の主人公に、読者は弱いんですよね。 ハリーは、不幸な境遇ゆえ、小柄でやせっぽちのヒョロヒョロという設定なのですが、このダニエル君、このデイビー役の頃は、ふっくらほっぺがコロっとしていて可愛いです。

そんなある日、デイビーは、寄宿学校に入れられることになります。 義父とその姉の支配下にある家に住むよりましだろう、とホッとしたのもつかの間、この寄宿学校が結構とんでもないところ。 時代を考えるとひどいというわけではないのかもしれませんが、義父と面識のあるという校長は、デイビーに辛く当たります。 涙なくしては見られません。 そして、同じ学校の生徒からもいじめに遭うのかとヒヤヒヤしてしまいましたが、そんな悪いことばかりではありません。 同年代の子供と一緒に暮らせることは、ちょっとした幸せだったかもしれません。 でもやはり想うのは母の面影。 休暇に入り、家に帰ると、なんと弟(たぶん)が生まれていました。 デイビー少年は、さぞや、複雑な気持だったとと思われます。 それでも、母との再会は嬉しいもの。 でも義父の登場でその雰囲気はぶち壊されます。 さぞかし理不尽な想いをしたことでしょう…。 休暇が終り、学校へ戻りますが、間もなく、母が亡くなったとの知らせが入ります。 せっかく生まれた弟(たぶん)も亡くなっています。 そのため、義父は余計にデイビーに辛く当たります。 仲の良かったメードはヒマを出され、デイビーは帰る家を失います。

…とここまでが第一部。 ゾーイ・ワナメイカーはフーチ先生とまるで違うタイプの役柄で出演。 意地悪な義父の姉の役です。 そう思って見ていないとわかりません。

第二部

義父に、ロンドンに出て働くよう言われたデイビー。 冒頭は環境の悪そうな工場で働かされるデイビーの姿で始まります。 いきなり涙をさそわれるようなシーンです。 時代を考えると、小さな子供がこんなふうに働かされるのも、決して珍しくはなかったのかもしれませんが…。 工場で働くデイビーの元へ、義父の知り合いだという男が現れます。 この男の家はデイビーを下宿させてくれるというのです。 なかなか愛想の良い男ですが、義父の知り合いということでつい警戒してしまったのは見ていた私の方です。 結論から言うと、なかなか良い人でした。 ただ、借金取りに追われているという生活をしていて、それ故、デイビーを下宿させることになったようです。

デイビーの下宿代ってやはり、デイビーが工場で稼いだお金から払っていたのでしょうか? ちょっと謎。

工場での労働は辛く厳しいものですが、この下宿先の家族は貧しいながらも暖かい雰囲気をもった家庭で借金取りに追われハラハラさせられますが、ホッとさせられもします。 借金を全て返すことができると、この家族は引っ越して行きます。 再びデイビーは一人ぼっち。大伯母を訪ねることにします。 この大伯母は、デイビーが女の子だったら、自分が引き取るつもりだったという、男嫌いの風変わりな人です。 この大伯母を、マクゴナガル先生を演じたマギー・スミスが演じています。

質屋(?)でなんとかわずかのお金を得て、駅に行こうとしたデイビーですが、そのわずかなお金とわずかな荷物を持ち逃げされてしまいます。 仕方なく、大伯母の住むドーバーまで、デイビーは歩きます。 この辺は詳しく描かれていませんが、母を訪ねて三千里の世界ですねぇ。 痛々しくて見ていられません。 苦労して大伯母の所へたどりつきましたが、まず最初は、男嫌いの彼女に追っ払われます。 どうなることやらハラハラさせられますが、デイビーが名乗ると、家の中に入れてくれます。 「男の子は嫌い」と言うわりには、結局、デイビーを養子として引き取ることになります。。

不思議なのは、デイビーの義父。 大伯母が自分の所にデイビーが来ている旨を知らせると、一度は、引き取りに来るのです。 大伯母にさっさと押し付けて厄介払いしてしまうのかと思ったのですが、まずは、自分が引き取ることを主張し、最後に「一生面倒を見るんですよ」と捨てセリフを残して去っていきます。 大伯母がデイビーを引き取るように決心する下りもやけにあっさり描かれています。 本で読むともう少し違うのかもしれませんね。

デイビーは再び教育の機会が与えられ、卒業し、仕事に就きます。 ダニエル君演じるデイビーともお別れです。 資産家の大伯母をバックにし、もうこれから先はどん底に陥ることはないだろうと 思われますが、話はどう展開するのでしょうか。

第三部

順風満帆な人生を歩みだしたかのようなデイビッドですが、そこは物語。 そんなうまくはいきません。 過去に巡り会った人達、学友、工場働き時代の下宿先の家族…と再会します。 休暇でかつての乳母の家は遊びに行ったり、過去に出会った人々が次から次へと登場します。 不穏な要素は昔の学友、そして、大伯母の知人に仕えていた書生であった男ユライア・ヒープ。 このユライア・ヒープ、なんとなく怪しい雰囲気だったのですが、やはり怪しい男でした。 謙虚なことを言いつつ、とんでもない野心家。書生からビジネス・パートナーとなり、さらには立場を逆転させています。 婚約を誓うほどの恋人が現れるも、不穏な雲行きが漂います。 当人たちで婚約を誓いあったにもかかわらず、ディビッドの雇い主でもある相手の父親に反対されるのです。 さらには、資産家であった大伯母が、破産したといってデイビッドのもとへ転がりこんできます。 この展開には驚き。 頼りになる人々がみな転落してしまい、かといって、デイビッドはただの事務員に過ぎず、恋人とあうのもままなりません。

過去にかかわりあった人達が、こんな簡単にたぐり寄せられ波瀾の元となるのは、少々安直な展開のようにも思えますが、これからどうこれをまとめていくのか興味あるところです。

第四部

婚約に反対していた恋人の父親が急死。 ディビッドの雇い主でもあったのですが、勤め先である事務所は解散。ここで、収入の道を閉ざされ、苦境に立たされるのかと思いきや、あっさりと文筆で稼ぐ様になります。この辺り、小説ではもっといろいろありそうな感じですが、恋人とも結婚します。 ところが、この恋人、お嬢様育ちで家政能力は0。能力がないというか、やる気もありません。 結婚生活に波風が立ちかけますが、それでも、好きあった者同志ということか、続きます。

一方、ユライア・ヒープが悪人で書類を偽装していたことが発覚します。 ディビッドの大伯母の財産も無事だったのです。 その他、必ずしも良い結果とは言えませんが、暗雲となっていて事柄は次々と解決していきます。 そして、心機一転、新天地オーストラリアに移住する人々…。 かなりストーリーが凝縮されているようで、ハラハラドキドキさせられたり感情移入している暇がないといった展開です。

そうこうするうちに、もともと身体が強くなかったディビッドの妻は亡くなります。 ディビッドは各地を旅しながら執筆を続けます。 やがて、帰国し、ディビッドをずっと待っていた大伯母の知人の娘、アグネスと結婚。 今度は子供にも恵まれます。 オーストラリアに移住した人々はその地で成功し、めでたし、めでたしと結末を迎えます。

前半、ディビッドの子供時代はよく描けているかと思いますが、後半は、かなり詰め込み気味のせいかかなり安直にストーリーが展開する嫌いがあります。 主人公のディビッドが、周囲の人間模様をつなぐきっかけは与えている者の、問題の解決にはなにも貢献していないこと、ディビッドが問題の解決に対してあまり苦労していないこと、など極端のことを言うと、後半は主人公不在の物語になっているかもしれません。 それでも、ディビッドの周囲の人々が、小説でないと絶対ありえないような偶然の元に運命をからませていくのは面白いです。 この小説が書かれた時代背景でも、娯楽小説が求められていた様ですし、高尚な名作というよりは娯楽として楽しむ方が良いみたいです。

※ 新潮文庫は日本語訳がやや古いです。岩波文庫は比較的最近訳し直されたものです。