CS放映で映画「秘密」を観た。 広末主演作品としてのみ、レッテルを貼られてしまうのだとしたら、それはもったいないと思う。 私が予想した以上に広末涼子は好演していたと思うが(二十歳前後の者が演じるのだったら誰がやってもかなり難しい役だ)、むしろ、母親役に岸本加世子を配したのが上手い。 ただ映画としては、直子が永遠に別れを告げる最後のデートのシーンで終わったほうが、美しくまとまったのではないかと思う。 実際、あそこで映画が終わるのかと思ってしまったし。 それでは物語(原作)の半分しか伝えていないという意見もあるだろうが、 過去に物語(原作)の半分しか映像化していない映画作品はある。 「嵐が丘」「Neverending Story」... また、原作と映画とラストを微妙に変えてあるようだが、文章的な表現と映像的な表現では異なるのは当然。 絵としては良かったのだが、それが物語として本当に良いのかはまた別の話。
アニメ「ONE PIECE」の新作を観に映画館まで足を運んだ。
小さい場所だったらどうしようと心配したのだが、蓋を開けたら、かなり大きな劇場だった。
(東宝系の洋画の本命がかかる場所)
「ドラえもん」より広い劇場をあてがわれていたのは意外だった(先週末のランキングでは「ドラえもん」の方が上だったので)。
かといって、夕方になっていたせいか混雑というわけでもなく、ゆったりと、
本来だったら指定席になるであろう場所でゆっくりと観ることができた。
スクリーンが大きいと、細かいところを描きこんでいないのもよく見えてしまうわけで、
良かったのだか悪かったのだか…(苦笑)。
ありとあらゆる意味で前回の「デッドエンドの冒険」ほど力が入っていないのはミエミエで、出来もその通り。
映画「犬夜叉3」も剣だったし、これも剣…という話は以前にも書いたが、妖剣が剣の使い手をのっとるなど、
どこかで聞いた様なモチーフを継ぎ接ぎにしたようなストーリー。
それが悪いというわけではありませんが、「ONE PIECE」の映画としてではなくても成り立ちそうな話なので、
「ONE PIECE」映画としては面白みに欠ける。
また、ゲストキャラにいわゆる声優さんとは呼ばれない人ををキャスティングしているのだが、ミスマッチ。
マヤのおばあさんは、やはり、おばあさん役を良くやっているベテランさん(具体的には名前を挙げないがパッと思いつくだけで数人…)を配したほうがずっと良かったと思う。
それから、トウマは不要なキャラだと思った。
トウマはサガの意思を次ぐ者として生き残り、
サガが死んでしまうのかな、と一瞬思ったのだが、それではハッピーエンドにならない。
敵というわけではないので「ONE PIECE」の映画としては死なせるわけにはいかなかったのだろう。
…となると少々キャラが多くないか?
映画の存在は、公開時からとはいわないがわりと前から知っていた。 ジェラール・ドパルデューをシラノに配す、なんて随分ベタ(笑)な配役だと思っていた。 最近になって初めてCSで視聴した。 ドパルデューがつけ鼻までつけて頑張っていた! なんてことはどうでもよいのだが、この映画はお薦め。
ハリウッド的エンターテイメント作品を期待して観るとがっかりするタイプの作品かもしれない。 戯曲を戯曲らしく映画化しているからだ。 アメリカでは設定を現代に置き換えて作った映画「愛しのロクサーヌ」(1987年)の方が、この正統派で作った映画よりも興行成績が良いようだから…。 シラノ演じるジェラール・ドパルデューがアカデミー主演男優賞のノミネートされているのだから、映画として認知されていなかったということはないだろうに…。 つまり、現代的お気楽娯楽映画、ではないのだ。 だが、むしろ、それがこの映画の良さだと思う。 素材である戯曲「シラノ・ド・ベルジュラック」の魅力を損なわせず、それに映画ならではの映像美と音楽を加えた。 ジェラール・ドパルデューの熱演あってこそなのだが(ほとんど台詞しゃべりっぱなし)、原作の戯曲の出来の良さを感じる。
戯曲というと、堅苦しいイメージがないでもないが、この作品は笑いあり涙あり、充分エンタテイメントしている。 ハリウッド的な娯楽映画ではないというだけだ。 主人公のシラノは17世紀に実在した人物をモデルにしている。 シラノ自身も著作を残しているのだが、彼をモデルにした戯曲の方が有名になってしまった。 劇中の登場人物、ロクサーヌ、ド・ギッシュ伯爵、クリスチャンにもそれらしき人物が実在するようだが、戯曲の話とは大きく異なっていて、とてもモデルとは言えないようだ。
「茶碗の中の嵐」「セント・マーティンの小径」ではレックス・ハリソンが出演しているのだが、この人が後年、「マイフェアレディ」のヒギンズ教授を演じるとはちょっと思えない優男ぶりで、特別良い演技をしているとも思えない…。 ヴィヴィアン・リーも、ちょっと勝気なお嬢さんをキンキンと演じているだけで、とりたててどうということはない。 あまりにお手軽なハッピー・エンドもいただけないが、テレビのない時代の作品だ。 量産されるテレビドラマと同じ、と思えばこんなものなのかもしれない。
「風と共に去りぬ」の翌年1940年のヴィヴィアン・リー出演作。
いかにもハリウッド的なメロドラマ。
悲劇のヒロインを演じるヴィヴィアン・リーが、例えお人形さん的に美人を演じるだけだとしても、それなりに通用してしまいそうな仕立てではあるのだが、ヴィヴィアンはヒロインの浮き沈みを実に細かくさりげない表情で演じている。
瞳に吸い込まれそうな迫力があって、それがまた綺麗に撮れている。
彼女をスターダムにのしあげたのはカラー作品の「風と共に去りぬ」だが、むしろ白黒作品の方が、ヴィヴィアンの美しさをひきたてるかもしれない。
英仏の合作。 フランスのお話なのでいっそのことフランス語の方が良かったのではないかと思うのだが、英語。 『マダム』『ムッシュー』なんていう語はそのまま使われているのですが、なんだかねぇ…。 “宮廷料理人”というのは日本でつけられた邦題のおまけ。原題は「Vatel」。 映画を見終わって思うことは、原題そのままの方がよっぽどよかったのでは…。 とはいっても「ヴァテール」という人名にピンとくる日本人はほとんどいないだろうし、 難しいところ。 ホイップ・クリームの考案者だなんて知らなかった。 ヴァテールの料理人としてのこういったエピソードはさりげなくストーリーに織り込まれている。 宮廷料理人というおまけが余計、と言ったのは、映画で描かれているストーリーでは、ヴァテールは 料理人というよりもむしろイベント・ディレクター。 イベントの中心となる料理のメニューを考えてはいるが、実際にそれを作っている暇などほとんどない。 料理と共に楽しんでもらう余興まで全て計画、実行しなければならないからだ。 そして裏方のトップとして奮闘する姿をえがいているのがこの映画。 そして「ヴァテール」は「シラノ」とはまったく違った雰囲気をもつ人物で、 同じドパルデューとは思えないくらい。 とはいってもあの特徴ある顔はドパルデュー以外の何者でもないけれど。 こんな役も難なくこなしているところがドパルデューの上手いところなんだが、 「お茶目さ」がないのが残念。そういう役なんだから仕方ないのだが。 映画を観ると、 当時の貴族っていうのがいかに嫌なタイプの人間かというのはよくわかるが、 「ヴァテール」がなぜ自殺したのかは…はてさて何と言ったらいいのやら、すっきりしないものが残る。 恋愛話がからんでしまって、むしろ、本質から遠ざかってしまったのではないだろうか。
この邦題は何といっていいのやらかなり頓珍漢。 オードリー・ヘップバーンが「ローマの休日」に出演する前の映画。 主役のヒロインを演じる妹という役で出演しており、それなりに出演シーンはあるのだが、 おそらくバレエができるということでキャスティングされたのだと思われる。 台詞よりバレエで踊っているシーンの方が多いかも…。 「初恋」という邦題から甘い話なのかと思ってしまうが、まったく違う。 独裁政権打倒のための秘密組織のボス的存在である昔の恋人に、 主役のヒロインが利用され苦しみ悩む、というサスペンスタッチありのストーリー。 思うのは、主役のヒロインにもうちょっと若く見える女優さんをキャスティングしなかったのはなぜ? あるいは、なぜメイクなりなんなりでもう少し若々しい感じにしなかったのはなぜ? 終盤で、髪を染めて美容整形した後はそれなりに華やかな感じになったが、 ほんとに整形までせずに(ストーリーでは美容整形と言っているけどそこまではたぶんしていない) メイク技術で変身させるために、最初があんなにやぼったい(!)感じなのだろうか…。 役柄は、演技として難しい部分もあると思うので、 誰でもいいから美人、というわけにはいかないのだろうが。 ストーリーを100分程度にうまくまとめたのはなかなか。