2002年のクリスマスに全米で公開された映画。
スピルバーグ監督、トム・ハンクス、レオナルド・ディカプリオ共演ということで話題を振りまいた映画。
公開前にさんざん話題を振りまいたわりには、興行成績的にはひょっとして地味だった?という印象だったのだが、ニュースになるような記録を出さなかっただけのようである。
レオナルド・ディカプリオとしては、「タイタニック」に次ぐヒット作。
同時期に出演した「Gangs of New York」よりも、やはり近い時期にハンクスが出演した「Road to Perditon」より興行成績としては成功している。
では、なぜもっと派手な結果を残せなかったのか…。
面白いのだけど…いまいち…、という感じ。
詐欺師フランク(ディカプリオ)と捜査官ハンラティ(ハンクス)の追いかけっこはまるで「ルパン三世」を見ているかのようで面白い。
スリル満点でハラハラさせられるが、これが全部、実話だというのだから凄い。
逆に言えば実話だと知らなければ「どうせ作り話」と思ってしまい、かえって面白み半減かもしれない。
実話といっても、原作である「世界をだました男(新潮文庫)」の内容を大幅に脚色して組み替えている。
原作のエピソードを大胆に切り刻んで再構成しているのだが、オリジナルのストーリーの雰囲気を損なわず、かつ、映像向きに見事にアレンジされているのはさすがだと思う。
これは、ベテラン・ヒットメーカー監督の手腕だろうか。
フランクが豪勢に贅沢に過ごす一方で、ハンラティがコインランドリーでシャツを全部ピンクにしてしまう場面など、追いかけっこだけでなく両者を対比しているのも面白い。
これは実は、原作にはないエピソードだ。
というかそもそもカール・ハンラティという捜査官は映画でのキャラクター(モデルになった人物は実在する)。
実際のフランクもFBIの捜査官に執拗に追われている。
映画ではそれをふくらませ、堅物で一本気で、でも人情味も感じられる一癖あるキャラクターに肉付けし、ハンクスが好演した。
ギリギリでスルリと逃げられてしまい、上司には出世のためにもっと検挙しやすい仕事を優先してやれ、と言われてしまう。
海を越えて、フランスまで追いかけるが、フランス警察からはまともに扱ってもらえない…。
それでもあきらめないで、逃亡者からなんとなく慕われるようになるってまさにルパン三世を追いかける銭型警部なんですが…。
詐欺師と捜査官の追いかけっこだけでも充分面白いストーリーなのだが、映画ではさらに事実とは違う味付けをしている。
追いかけっこというより、あくまでも詐欺師フランクを主役として描きたかったのだろう。
フランクが詐欺に手を染めるようになる背景も描いている。
成功者であった父親の事業が、ある日、下り坂になり、家族の暮らしは180度変わる。
両親が離婚する、という段階になり、フランクはそれに耐えられず、家出する。
フランクは、お金さえあればまた元の家族に戻れるのではないか、と考えるが、高校も卒業していないティーンエイジャーが金を稼ぐのは容易なことではない。
ひょんなきっかけから、詐欺に手を染める…という筋書きだ。
実は、フランクは詐欺の手口を父親の行動からから学び取っていると言えなくもない。
この辺は映画として脚色されているようで、この成功者である父親はかなり危ない橋を渡って成功への道を駆け上り、それ故、目をつけられたのか、グレーな部分を突かれて失脚したのかと思ってしまった。
原作を読む限り、実際には「危ない橋を渡って」というようなことはなかったようだし、アバネイル氏へのインタビューでも「honest man」だったと言っている。
フランクが詐欺の道へ走った動機にしても、ただ女の子と遊ぶお金が欲しかった、とそれだけのことのようである。
でも、詐欺の基礎になる下地は父親から教わった、くらいの方がフランクの行動を理解しやすい。
そして、詐欺の動機としても、お金さえあればまた元通りの家族になれる、という方が、主役に感情移入しやすい。
フランクは、詐欺で稼いだお金で父親にプレゼントを贈るが、拒否されてしまう。
年を10歳サバを読んでも中身はティーンエイジャーのフランクと、
酸いも甘いもすべて噛み分け、おそらくはすべてお見通しの父親。
この父親役のクリストファー・ウォーケンが好演しているので、
父子の場面は映画の中でもなかなか捨てがたいものはあるのだが、
やはりここまで脚色して話を膨らませるのは余計だったのではなかったかと思う。
映画が「いまいち」になってしまった最大の理由。
フランクは、父親にプレゼントを受け取ってもらえず、両親の仲も戻らない、ということを告げられ、
ショックを受ける。
そんなことから、追跡者である捜査官ハンラティを慕うようになる、という図式もわかりやすい。
逃げ続け一人でいることの寂しさをまぎらわすために、フランクは、わざわざハンラティに電話をかけるのだが、これも余計(実際にもそんなことなかったとアバネイル氏はインタビューで答えている)。
クリスマスの時期に公開された(アメリカで)ということを考えると、
「毎年クリスマスになると話しているね」というフランクとハンラティの会話ももって生きてくるような気もするが、それだけのこと。
映画が生き残る、ということを考えてつくってないんじゃないか、と思ってしまう。
誰もがクリスマスに見るとは限らないし、実際に日本では、Gangs of New York とかち合うのを避けたのか、
春になってから封切りされた。
全米でそれなりに興行成績をあげて稼いでくれればそれで良かったのだろうか…。
もちろん公開時にパッと稼いでそれで終わりでいい、という映画もあるだろうが、
「Catch Me If You Can」は素材(原作)も面白いし、集まったスタッフ、役者も悪くないのだから、
(これに関してはディカプリオもなかなかのはまり役だと思う。
10年ほど前に、トム・クルーズで映画化される話が持ち上がったようだが…。)
もう一ランク上を質を狙えたのに…と思うと残念で「いまいち」なのだ。
宣伝文句に使われていなかったので見るまで知らなかったのだが、音楽は John Willimas.
1960年代チックなアニメーションをオープニングにしたテーマ曲は雰囲気ばっちりで、やはりこの人は上手いなぁと思った。
続くいわゆる「ほんものは誰だ(To Tell The Truth)」のテレビ番組をパクった場面も面白い。
1960年代だけのテレビ番組というわけではないが、なんとなくレトロな感じで見せていて良い。
ただのお遊びかと思ったら、実在のフランク・アバグネイル(原作ではアバネイル)氏もこの番組に出たらしい。
ストーリーの中でも、フランクがスーツを仕立て、初代007のショーン・コネリーのジェームズ・ボンドを気取って見せたり、医者のにわか勉強をする場面では「ベン・ケイシー」らしきテレビ番組を見ているところなど、1960年代のエッセンスをちりばめている。
時代背景が1960年代なので当たり前といえば当たり前なのだが、思わずニヤリとしてしまう。
1960年代懐古が流行っている、と言ってしまえばそれまでだが、それならばなぜもっと1960年代の香りを出さなかったのだろうか?
詰めが甘くないか?
映像から、もっと1960年代の雰囲気が色濃く漂ってきたら、フランクの詐欺の手口ももっとリアルに見えたのではないだろうか。
最初のほうで「実話だと思わないと…」と書いたが、フランクの詐欺の手口は前時代的で、ネットワーク時代の現在ではとても通用しそうにない。
(ネットワークで瞬時に照会した時点でおそらくアウトになるのではないだろうか。)
1960年代はサインや裏書一つで通用したのかもしれない。
全編を通して1960年代ということを常に感じさせてくれるような絵であれば、フランクの詐欺の手口ももっとリアルに見えたのではないかと思うのだが、どうだろうか。
「いまいち」と思うもう一つの理由である。
素材は充分面白いのだから、
コメディ中心でもっと短くまとめて気軽に楽しめる(気軽に楽しむためにはやはり2時間越えちゃうと…ちょっと長い)作品に仕上げた方が、むしろ
一ランク上の出来になったのではないかと思う。
あれだけ大胆に原作のエピソードを切り刻んでそれでもエッセンスは損なっていないのだから。
参考 アバネイル氏のページ:http://www.abagnale.com/ (英語)
originally written: 10-Mar-2004