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iTalkを得て、そもそも iPod を買うきっかけとなった「録音する」ことが可能になり良かった良かった、と思ったところへ、またもや録音に関わる新製品が出てきた。 Belkin Universal Microphone Adapter だ。 iTalkで一応の目的は達成されたので、ここで新たに投資することもないのだが、 そんなに高いものでもないので、この際、比較してみよう、ということでポチっとしてしまった(笑)。

外部マイクヘッドホン録音時の音量調整内臓スピーカー
Belkin Voice Recorder×××
Belkin Universal Microphone Adapter必須3レベルの調整
iTalk自動

Belkin Universal Microphone Adapter F8E478QE

Universal Microphone Adapter はスピーカー機能は無いが、ヘッドホン用の端子が別についているのはなんとなく魅力。 iTalkではマイク端子にイヤホンをつけることもできるようなのだが、それでは、マイクで録音しつつその音を聞くということはできない。 私はあまり気にならないのだが、外部マイクを使って録音しないと、iPodのHDD音を拾って一緒に録音してしまうらしい。

さて、Universal Microphone Adapter を使ってみた結果だが、私の使いたい用途としてはOKなことがわかった。 iTalk は音量調整が自動なので、そう思って録音されたものを聞くと、音の大小というか強弱とかが不自然なような気がする。揺れている感じ、とでも言うのだろうか。 Universal Microphone Adapter はそのような「揺れている感じ」はないように思う。 ただし、同じものを録音して比べたわけではないので、先入観だと言われてしまえばそうかもしれない。 Universal Microphone Adapter は音量の自動調整はしてくれないので、レベルの調整に最初は悩むかもしれない、というか、これって一番小さくなるように録音する以外、用途あるのだろうか…。(私の使い方ではないような…)

さて、録音できるようになったのは良かったのだが、別に問題がある。バッテリーだ。 聴くのに使う分には、公称8時間(実質もう少し短い?)でまったく問題ないのだが、 録音で使うとその半分かそれ以下しかもたないのはネック。 Belkin が外部バッテリーパックを出しているのだが、安くない。 単三乾電池4本で12〜15時間なのだそうだが、単三2本でいいからもう少しコンパクトに作れないのだろうか。 外部バッテリーパックも、もっとバリエーションあってもいいと思うのだが。 今後に期待。

Abbey Road 先日「Beatlesの魅力の原点はライブ」と書いたが、後期の魅力にもはまりつつある。 なぜかというと、理由はやはりビートルズのコピーバンドのライブ。

Beatlesのコピーバンドがライブで後期の曲をレコードそっくりに演奏するのは前にも聞いたことがある。 できるだけ、レコードに忠実にコピーするのが、Beatlesのコピー・バンドの使命だ。 カバーではなくコピー。多重録音を駆使できるレコードとライブでは、同じ曲でも、違うのが当たり前なのだから、 むしろライブなのにレコードを再現する演奏を披露しているのに、感動・感激というよりは、 感心・びっくりしてしまった。 決して悪い意味にとって欲しくないのだが、「よくやるなぁ…」と。

ところが先日は、すっかり感動・感激してしまった(ちなみに以前後期の曲を聞いたバンドとは別のバンド)。 その曲目は「Golden Slumbers 〜 Carry That Weight 〜 The End」の俗に言うAbbey Roadメドレー。 ライブの音に釘付けになってしまった。 感動を再現すべく、翌日から iPod でヘビー・ローテーション。 今までなぜこの良さにきづかなかったのだろう、と後悔した。 その理由は簡単、Beatlesのレコード(CD)なんてずっと持っていなかったから、このメドレーを通して聴くことなどなかったからだ。 iPod に入れるために CD を買ったのはつい最近だが、買ってきてすぐエンコードして iTunes、iPod に登録してしまったら、尚更。 シャッフル機能で聴く事がほとんどだから、せっかくのメドレーも切り刻んでバラバラに聴いていたのだ。 バラバラに聴いていたのではこの良さはわからない。 しょうがないので、このメドレーをトラック統合して入れなおした。

そして、改めて、というか、ほとんど初めて「Abbey Road」というレコードを通して聴いてみた。 これは通して聴かないと良さが伝わってこないアルバムだということを実感した。 そして「Abbey Road」をヘビー・ローテーションで聴いている。

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今年のカンヌ国際映画祭でマイケル・ムーア監督の新作映画「華氏911」が最高賞パルムドールを獲得した。 この題名を聞いてピンとくる人は、そう多くはないと思うのだが、 明らかにレイ・ブラッドベリ作のSF「華氏451度」をパクっている。 ムーア氏はブラッドベリ氏に「敬意を表して」題名をつけたということらしいが、 ブラッドベリ氏の方は「題名を盗まれた」とカンカンだそうだ。 「華氏911」がブッシュ米政権を批判する内容であり、911はテロ事件の起こった9月11日である。 一方「華氏451度」は、思想統制の焚書(ふんしょ)を描く近未来小説で 本の存在しない未来の管理社会を批判している。 1966年には、オスカー・ヴェルナーの主演で映画化されているが、イギリス/フランス製作なので ハリウッド作品に比べていまいちマイナーか…。

「華氏911」がらみの醜聞というより、オスカー・ヴェルナー主演ということで、 今回ムービープラスで放映されたのを機に観た。 オスカー・ヴェルナーは白黒作品の「愚か者の船」で好演していたが、 カラーより白黒映画の方が似合うように思う。 ヴェルナーが出演した「刑事コロンボ」(もちろんカラー)も見たが、なんか…ね。

まぁ、そんなことはともかく、1960年代には充分近未来社会だったのであろうが、今見ると陳腐である。 思想統制の焚書を批判することを描きたいのであれば、時代を近未来に置く必要もなかったのではないか、 と思ってしまう。 ここで描かれる思想統制の道具としてテレビが使われているのだが、 テレビ VS. 本(書物、活字)という構図を意識していたのだと思われる。 1960年代といえば、テレビがカラー化した時代。家庭への普及率もかなりのものになった頃だと思う。 今、同じようなことを描くのであれば、インターネット VS. 本になるのかもしれない、とふと思った。

そのテレビの象徴として、各家の屋根にはアンテナが立っている。 アンテナが立っていない家は「普通でない」ということで怪しまれてしまうのだ。 このアンテナが近未来社会としては陳腐。 もちろん1960年代には、ケーブルTVや衛星放送の普及は予見できなかったことだろうから仕方が無い。 それから、電話が妙にクラシックだったり(同じく携帯電話の普及など予測不可能だったはず)、 街や住宅地の光景がのどか(どう見ても人口が増えたようには思えない)で、 近未来的というより牧歌的である。 原作小説では、近未来的な自動機械がもっと出てくるようなので、 映像化の際にわざとそうしたのかもしれない。 で、あれば、思い切って近未来社会という設定をはずしても良かったのではないか、と思うのである。 …とはいえ、近未来に設定しなければ、インタラクティブなテレビ(ほんとにインタラクティブだったのか、 というと疑問を感じるが…)は説明つかないかもしれないが…。

読書が禁止されているこの社会で、本を持っていたらどうなるか? 消防士たちによって焼き捨てられる。 本来、火を消すのを仕事としてきた消防士が、本に火をつけるのだ。 オスカー・ヴェルナー扮するモンターグはその消防士の一人。 近未来では住居はすべて耐火になったので、消化の仕事はなくなったという。 その辺はSFでないと説明つかないだろうが、牧歌的な風景の映像を見ていると、 建物以外にいくらでも燃えるものがあるだろう、と思ってしまう。 まぁ、そこは置いておこう。

本を焼く仕事を職業としているモンターグだが、彼自身は、 テレビで洗脳されているかというとそうでもない。 淡々と仕事をこなしているに過ぎない。 一方、モンターグの妻リンダは、すっかりテレビに洗脳されてしまっている。 クラリスという女性はそんなモンターグに目をつけた。 実は読書家の彼女、影響されてモンターグが本を読むようになるのは時間の問題だった。 …とあらすじで書いてしまうと、当然の展開のようだが、 モンターグが危険を冒してまで読書をしようと思った心情の変化を、 きちんと描いて欲しかったように思う。 そもそも本を入手することだって難しいはずだ。 それに、一方的に話しかけてきた(接近してきた)クラリスに、 もう少し警戒心をもってもいいのではないだろうか。一応妻帯者なんだし…。 昇進を控えているのだし。

読書を始めたモンターグはその魅力に取り付かれた。 ちなみに初めて読んだ本はディケンズの「デイヴィッド・コパフィールド」。 表紙に印刷していある出版社の名前から何から全部、読み上げていくのがなんとも…。 今まで本を読む習慣がなかったのだから、一字一句全部読んでしまう、というのが細かいところ。 だが、いったい文字(単語)はどうやって覚えたのだろうか? 本どころか、新聞にも活字は印刷されていなかった。

モンターグが読書をしていることは、やがて妻のリンダの知るところとなる。 リンダはしばらくは我慢していたが、とうとう密告する。 同じ頃、モンターグは消防士を辞職する決意をし、上司に申し出る。 最後の出動命令に従って行った先は、なんと自分の家だった。 妻はもちろん出て行った後。 上司は、モンターグに隠した本を出し焼くように命令する。 モンターグは隠した場所から取り出すふりをして、 ひそかに1冊だけ懐にしのびこませるがそれも見つかってしまう。 本を取り出したのはいいものの、モンターグにはどうしても焼くことができない。 とうとう彼は上司に火焔放射器を向ける。 この辺は映画ならではのクライマックス。

こうして、モンターグは殺人犯として追われることになった。 モンターグは、クラリスが話してくれたことのある「本の人々」が住む国へ逃れる。 一方テレビでは、殺人犯モンターグが捕まるシーンが放映されていた…。 これ凄いですよね。捕まえていないのに、捕まえたことにしてしまう。 人々は、犯人が捕まる場面をテレビで見ることを望んでいるから。

「本の人々」が住む場所があるというのも凄い。死角です。 彼らは本を愛する人々だが、本を持っているわけではないから、万が一見つかってもいいのかもしれない。 危険を避けるため本を暗記して本そのものは捨ててしまうのだ。 そこは、究極の世界。 …本がこの世からなくなったら、読書が禁止されたら…、なんて考えたくない世の中ですが、 1960年代という時代背景はテレビによる洗脳社会に対する漠然とした不安が存在していたのでは ないだろうか。

ちなみに、この映画の監督トリュフォーは『ある映画の物語』という著作で、 撮影日記を本にまとめているらしい。 それによると主演のオスカー・ヴェルナーとはかなり確執があったようだ。 挨拶もしないほど喧嘩ばかりだったとか。 監督の言い分によると、演出を無視して勝手に演技をしたり、 映画のラストシーンの撮影の日には、無断で髪を短く刈った姿で現れたとか。 そこまでやるとなると、トリュフォーにたいする嫌がらせかもしれないのだが、 ヴェルナーの言い分も聞いてみたい。 相性が悪かったようだが、そもそも監督の意図したキャスティングでは、 プロデューサーのOKが出なかったという事情もあるようだ。 そんな状態で良く映画を撮れたものだ…。

ちなみに「華氏451」は、「本のページに火がつき、燃えあがる温度」のこと。

DIMAGE Scan Dual 4 先日、フィルム・スキャナの体験をしてきた。 フィルム・スキャナとは何ぞや?と思う方もいらっしゃるかもしれない。 よーするにフィルムをスキャンしてデジタル化してくれるものだ。 カメラの話はまた別途書きたいとは思うが、今年になってからカメラ熱が何度目かの再熱! 再熱するくらいだから、デジカメではなく昔ながらの銀塩(フィルム)カメラの方だ。 銀塩(フィルム)カメラで撮った画像はデジタル化するのに、これまで、プリントした写真をスキャナで読み込むか、お店でCD-Rに焼いてもらうとか、していたのだが、フィルム・スキャナはどうかな、と…。 値段的には手の届く範囲になってきたが、自分の満足にいく写真にデジタル化するのは、時間と手間隙をかける必要があることがわかった。 フィルム・スキャナもどんどん良いのが出てくる、と思うと、まだ買えなさそう…。

デジカメを使っていれば、デジタル化するのにスキャンする必要なんてない。 でも、やっぱりまだデジカメでは満足できないのだ。 一番嫌なのが、シャッターを押してから実際にシャッターが切れるまでのあのタイムラグ。 そういうものだと思えばいいのかもしれないが、一眼レフカメラ(もちろん銀塩の)で、カシャっとシャッターを押したときのあの瞬間の楽しさは捨てがたい。 先日、写真を撮っていて本当にそう思った。

とはいえ、今の時代、撮った画像をデジタル化しておくとなかなか都合が良い。 家庭用のプリンターで気軽に印刷(焼き増し)できるから、なんてことは思っていない。 保存性などまで考えたら、やはり、DPEに出して焼いた写真と太刀打ちできるはずがないと思っている。 写真はテレビで見る、というのも一つの選択肢かもしれない。 が、録り貯めたビデオというのは意外に見ないものである。 本の形になったアルバムで見るほうがずっと気軽だ。少なくとも私はそう思っている。 では、なぜデジタル化するのか? ネット上のオンラインアルバムなどを利用して、普段、なかなか会えない友人と写真を共有できるのはなかなか良い。 保存目的の焼いた写真は後で渡すとしても、撮ってすぐ「こんな感じに撮れたよ」と見せることができる。 暑中見舞いや年賀はがきなどに再利用するときも、デジタル化してあれば簡単。

短いスパンで見た場合、デジタルの方が便利なことが多い。 だが、長い目で見たときどうだろう? デジカメはどんどん進化している。高画素化もまだ止まらない。 画像の保存形式も今はJPEGが一般的だが、今後、もっと性能が向上していったら新たな規格が標準にならないとも限らない。 長い目で見た場合、まだまだデジタルには不安が残る。

しょせん趣味なので、まだしばらく銀塩(フィルム)カメラと付き合っていく予定だ。 趣味なんだから自分が楽しく撮れる方が良いに決まっている。

でも、デジタル化もしたいからフィルムスキャナも欲しいのだ。 しかし、現在手に届く範囲のものでは、性能的にいまいち。 いろいろ設定をいじればいいのかもしれないが、何より時間がかかる。 フィルムスキャナも発展途上のものなので、今後もっと良くなってもっと安くなるのは目に見えている。 DPEに出して、CD-R化した方が早いし綺麗だという結論に達した。