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Room at the top SUPER CHANNELで放映されていたのを観た。 英国の作家ジョン・ブレインの原作を、ジャック・クレイトンが監督した1958年の白黒作品。 映画「愚か者の船」にも出演していたシモーヌ・シニョレの演技が高く評価され、 その年のオスカーとカンヌの主演女優賞を受賞している。 …といってもこの話の主人公は立身出世の野望をもつ青年ジョーである。 このジョー演じるローレンス・ハーヴェイがもっと良い味を出していればねぇ…。 それから、「年上の女」という邦題もどうだか。 確かに『年上の女』アリスを演じたシモーヌ・シニョレが良い味を出しているのは事実だが、 原題の「Room at the Top」の方がストーリーにはマッチする。

舞台はイギリス北部の都会ウォーンリー。 都会、といっても小さな町で町の中のことはすべて筒抜け。 そして、階級社会。 この階級社会というのがピンとこない。 階級ごとにコミュニティができあがっているのかというと必ずしもそうではなくて、 この町の住民で構成される素人劇団は階級とりまぜのグループになっている。 野心家のジョーは、有力者ブラウン氏の娘スーザンがこの劇団の所属することから、 逆玉の輿の機会を狙うため入団する。 真面目に観ていなかったせいか、最初は、本気でスーザンに惚れたのかと思ってしまった。 この辺がわかりにくので、…というかわかったところで主人公に共感できるわけではないのだが、 何がどうなるのやらさっぱり…。 スーザンの両親は、ジョーの接近を快く思わない。 ジョーに魅力があるとも思えないのだが、反対されるとかえって反発するのか、 それとも階級の壁を乗り越えてアプローチしてくるジョーに好感をもったのか、 スーザンもまんざらではない様子。 この辺のスーザンの気持ちもよくわからない。

スーザンにアプローチする一方、ジョーは同じく劇団の所属する人妻アリスと親しくなる。 彼女が不幸な結婚に苦しんでいることは、皆口に出しては言わないが、 町の中ではよく知られている事実のようだ。 なぜ、ジョーはアリスにちょっかいを出す気になったのか。 その辺の心の動きもいまいち理解できない。 最初から妻と恋人は分けて考えていたのか? それとも成り行きなのか…。

スーザンの両親は、スーザンをフランスへ旅行に出し、ジョーから引き離す。 この間にジョーとアリスの関係はますます深くなる。 …といってもジョーはスーザンをあきらめているわけではなく、無視することにより、 スーザンの気を引く作戦なのである。 そして、ジョーはフランスから帰国したスーザンと関係を持つ。 …とはいってもアリスもあきらめられない。

ジョーとアリスの関係も町中に筒抜け。 スーザンの父親ブラウン氏は、ジョーを町から立ち去らせようとするが拒否される。 すると一転、ジョーにアリスと手を切ってスーザンと結婚するよう申し渡す。 スーザンを妊娠させた責任を取れ、ということ。 これで、それで幸せになれるかどうかはともかく、ジョーは野望を果たしたことになるのだが、 アリスとの関係を清算しなければならない。 放心状態のアリスが運転する車は事故を起こす。 アリスは死んだことを知り、ジョーは後悔する。 後悔するくらいなら、最初からアリスとの関係はほどほどにしておけばいいのに…と思う。 野心家のわりには器が大きくない。 アリスの死を嘆いて、ジョーも自殺するのではないかと思ったが、結局 ジョーとスーザンとは結婚式を挙げる。 幸せな結婚生活が待っているとはとても思えない複雑な結末。 なんだかね…。 登場人物(特にジョー)の心の動きをもっと見せて欲しかった。

それにしても、なんでもかんでも筒抜けなこの町、そして、階級の壁、とても私は住めそうにない…。

愛情物語

1956年の作品。 今年の4月くらいにBSで放映されたのを録画しておいたのだったと思う。

この映画でピアノに魅せられる人も少なくないようだ。 キーボードプレイヤーのミッキー吉野もこの映画に影響を受けたことを語っていたと記憶している。 カラーということもあり、映像からそれほど古さを感じさせないが、やはり内容は50年近くも前のもの。 今風の味付けに慣れてしまった目から見ると、お話を綺麗にまとめあげているところがかえって気になってしまう。

内容は、「グレン・ミラー物語」のピアニスト版といったところか。 しかし、ピアニスト、エディ・デューチンの成功物語というよりは、どちらかというと彼の 恵まれなかった私生活に焦点をあてている。 実力あってこその成功には違いないが、そこに至る過程については、映画を観る限り、 ラッキーだったしか言いようがなくそこに感動はない。 一方、私生活では、妻が我が子を出産した直後に亡くなってしまい、そこから悲劇が始まる。 妻を亡くしたショックで生まれた子供に愛情を注げない、というのはよくある話。 映画の後半は、いかに子供を受け入れられるようになったかを描いている。 そこはもっと壮絶であるべきなのだが、葛藤はあるものの、リアリティに欠ける。

父子が心を通わせられるようになったところで、父親は不治の病にかかっていることを知る。 「時間が足りない」とはなんと残酷な運命。 まぁ、時間を足りなくしてしまった原因はエディ・デューチンにもある。 子供から逃げてツアーで世界を回るような生活をできたことは、彼にとって幸か不幸かわからない。 父が有名な人気音楽家でなく、演奏旅行と言う口実で逃げる場所がなければもっと早く立ち直れたかもしれない、と思わなくもない。

余命が限られていることを宣告されてから、エディ・デューチンは息子の世話係を務めていた 若い女性と再婚する。 彼女にはもっと別の人生を選択する余地もあったのではないかと思ってしまうのは、 少々意地悪な見方か…。

ともあれ、最後に限られた時間ながら父子は母親を交えた家庭をもつことができる。 エディ・デューチンが亡くなった事を暗示するラストシーンのせいか、めでたしめでたし、という ハッピーエンドではないのだが、きっとエディ・デューチンは晩年を幸せに過ごしたに違いない、と思わせる。 ストーリーだけとってみると、物足りないのだが、 そこは実在の人物の半生を描いている、という事実の裏打ちと、映画を彩る音楽の美しさとマジックで補っている。 やはり音楽の持つパワーというのは素晴らしい。

AirMac Express アップルがまた面白いものを出してきた。AirMac Expressだ。 アルファベット表記だがこれは日本名。英語名は「AirPort Express」だからちょっとややこしい…。

これは、無線ベースステーションなのだが、 iTunesと連携する「AirTunes」という新機能をサポートしているのが最大の特徴。 無線のブリッジとしても使えるし、USBプリンタを無線共有にすることもできる。 「AirTunes」以外は「これ(AirMac Express)でなくては」というものではないので、 「AirTunes」目的でなければ意味が無いかというとそうでもない、と思わせる何かがある。

冷静に考えてこれは役に立つのか立たないのか? どちらかといえば役に立つものではないように思うのだが、面白いことは確か。 今まで、無線LANの導入に躊躇していた人や導入を先送りしていた人をグッと引き込むかもしれない。 無線のベースステーションとして考えると、ACアダプター大の持ち運びやすい形状と大きさ、というのはどうだか、と思ったのだが、大きいより小さい方、 持ち運べないよりいざというとき持ち運びやすい方が良いに決まっているので、 この形状と大きさを便利の思えることもあるかもしれない。 ノート型のパソコンを使っていると、時には膝の上で、時にはゴロゴロと転がりながら、と 自由な姿勢で使えるのが魅力の一つだ。 …となると無線LANは必須。 とはいえ、ベースステーションからちょっと遠くなると(別の部屋にあるなど) ネットのパフォーマンスが落ちるのは快適ではない。 有線の口が近くに(同じ部屋などに)あれば、ベースステーションの方を動かしてしまえ、というのはそれはそれで快適な環境を提供してくれる。 既に無線のベースステーションがあるのならば、無線ブリッジとして使ってもいい。 その場合だったら電源さえ近くにあればいいのだ。

では、AirTunesの方はどう面白いか? iTunesをインストールしたパソコンが、オーディオの多機能リモコンになってしまう。 ノートパソコンだとしても随分大きなそして高いリモコンだ(笑)。 実際にはパソコン内の音楽ファイルをステレオに飛ばすのだから、 リモコンという言い方はおかしいかもしれない。 高い(笑)リモコンにならないためには、きちんとプレイリストを作って途中であれこれいじらなくてもいいようにするのだろう。 パワードスピーカーとAirMac Expressをお気に入りの場所に次から次へと移動させて、 iTunesをインストールしたパソコンは動かさずに、どこでも好きなBGMに囲まれる、というのも悪くない。 台所のようにパソコンやオーディオを置きたくない場所に音を飛ばすには最適だ。 …となると iTunes に登録していないDVDやTVの音も飛ばしたくなるのだが、 これは今後のバージョン・アップに期待したい。

実用的であるか、便利であるか、というとはてさて…。 そりゃぁ、無いよりあった方が幅は広がるのだろうけれど、 無くてもどうにでもなってしまうものと言えばその通り。 ある意味、中途半端というか不思議なものを出してきた、という印象もあり。 しかし「面白そう」と思わせてしまったでアップルの勝ち。