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ヤア!ブロード・ストリート MoviePlusで放映していたのに気付いて、急に、観てみる気にになった。 実は、公開当時(1984年)、映画館まで足を運んで観ているのだが、見事なほどに内容を覚えていなかった。 それもそのはず、きっと映画館で観たら寝てしまいそうな内容(笑)。 とはいったら、マニアックなファンやコアなファンに怒られるかもしれない。 ポール・マッカートニー、リンゴ・スター、ジョージ・マーティンが出演しているのだから。

1984年といえば、MTV全盛期。 4〜5分のミュージック・クリップに起承転結なストーリーを詰め込んで、内容的にも映像的にもグレードの高いものが量産されていた頃だ。 この映画は、その4〜5分に凝縮できるような内容を、ダラダラと引き延ばしてしまったようなもの。 ポール・マッカートニーのミュージック・クリップ集だと思えばそれはそれで納得できるのかもしれないが、だとすると、一つ一つのクリップはむしろ物足りない。 ストーリーもたいしたことないしBGVにしておくのが丁度良い。 英国情緒たっぷりな映像は、ハリウッド作品とは違った趣があるし、 19世紀(?)をイメージしたコスチューム・プレイも妙にはまっている。 リンゴ・スターはすっかりコメディ役者しているが、それはそれで面白い。 そして、やはりポールの作る曲は素晴らしい。

もうちょっとテンポよく見せてくれれば映画でも良かったのかもしれないが…。

しかし、相変わらず邦題ってヤツは…(苦笑)

勝手にしやがれ 「勝手にしやがれ」は映画の題名としてより、沢田研二の古いヒット曲として方がピンときたりして…。(歳がばれるか?)

映画はcinefil imagicaでこの7月、放映している。 1959年フランスの白黒映画。 ゴダール監督の長編デビュー作で革命的傑作ということなのだが、今まで観たことがなかった。 低予算映画らしいが、ベルリン国際映画祭 監督賞、ジャン・ヴィゴ賞の受賞作品ということで、当時は評価されたようだ。 その頃は、非常に斬新だったのかもしれないが、今、見ると、どうなんでしょうねぇ〜。 白黒なのがかえって救いかも。

ジャン=ポール・ベルモンド演じるミシェルはそんなに魅力的に見えないし、ジーン・セバーグ演じるパトリシアが最後に裏切るのももっともという感じ。 …というかなぜもっと早く手を切らないの、と思ってしまう。 人物よりも、パリという町がいかに絵になる所か、という方が印象的。

指揮者のカルロス・クライバーが死去した。 最近、話やら噂やらちっとも耳に入ってこないとは思っていたのだが、突然の訃報にびっくりした。 クライバーと言っても、クラシックに馴染みの無い人にはピンとこないかもしれない。

初めてクライバーの指揮する交響曲を聴いたのはFM放送だった。(つまり随分前のこととも言える) そこで聴いたベートーヴェンの交響曲の第4番と第7番は、耳から鱗とでもいうのだろうか、深く感銘した。 ベートーヴェンの交響曲と言うと、第3番「英雄」や第5番「運命」のように派手なイメージがある。 交響曲に初めて合唱をつけた第9番「合唱付き」は日本では年末の風物詩で、これもにぎやかな感じがする。 第6番「田園」はのどかな田舎をイメージしたものだが、嵐を描写した部分はベートーヴェンらしく派手。 そう、ベートーヴェンって派手で尖っているイメージなのだが、 交響曲の中でもマイナーな第4番と第7番は違った。 クライバーの指揮するその曲は「優しい」とでも表現したらいいのだろうか。 でもやはりベートーヴェンなのだ。

追憶 NHK-BS2で放映していた。

「追憶」は映画館で観ている。 …といっても、ロードショーでもリバイバルでもなく、名画座で、「スティング」と二本立てだった。 目当ては「スティング」だったのだが、それだけしか見ないなんてもったいない。 もちろん両方観た。 そんなわけで、ほとんど基礎知識0、ロバート・レッドフォードが出ている、くらいしか知らない状態で 観たのだったが、映画が終る頃には、すっかりバーブラ・ストライザンドに魅せられていた。 バーブラ・ストライザンドとドナ・サマーとデュエットした No More Tears の大ヒットが まだ記憶にそう古くはなっていなかった頃で、その頃は歌手のイメージが強かった。 お世辞にも美人とはいえない顔立ちなのだが、内面からにじみ出てくる美しさを感じさせる演技を、 「追憶」では見せていた。 正直言うと、初めて観たときは、ストライザンド演じるケイティの反戦やら言論の自由の主義主張は、 よくわかっていなかった。 だが、それがケイティにとってとても大切なことで譲れないことというのは伝わってきた。 ケイティが自分の信念を貫こうとするとき、彼女は輝いていた。

そんなケイティが、思いを寄せるハベル(レッドフォード)の前では、恋する乙女になってしまう。 一方ハベルの方は、一緒にたむろっている仲間の中ではマシな方だが、お気楽なブルジョワのボンボンだ。 確かにハンサムだけど(若い頃のレッドフォードは本当にかっこいい!)、 いったいどこにどう魅力があるのか…という人柄なのだが、レッドフォードが演じるとそれなりに 魅力的に見えてくるから不思議だ。 こういう役をやらせたらレッドフォードは本当にハマる。 「華麗なるギャツビー」のギャッツビーとか、「愛と哀しみの果て」のデニスとか、 レッドフォード以外でハマる役者はいるのだろうか? それに、白いスーツや軍服姿がこれほど似合う人なんて、他にそうそういないと思う。

今回久々に見て気が付いたのは、キャロル・アンを演っているのはロイス・チャイルズだということに気付いた。 他では、「007/ムーンレイカー」のボンドガール、ドクター・ホリー、TVドラマ「ダラス」でホリーを演じている。 今まで気付かなかった〜。

小さな恋のメロディ Cinefil Imagicaでこの7月放映中。 1971年の作品。 映画館で観たことはないが、テレビで放映されているのを何度か観ていると思う。 …が、まったくと言っていいほど印象に残らない…。 音楽だけは耳に残る。

映画以上にビージーズやCSN&Yの音楽が有名かもしれない。 ディスコ・サウンドの前のビージーズの音楽は、本当に耳に心地よい。 映画のラストがCSN&Yの Teach Your Children というのは皮肉っぽいが(苦笑)。 しかし、ロンドンを舞台にしているのに音楽はアメリカンだし、 映画もなんとなくニューシネマの影響を感じなくもない。

11歳の子供の心情を良く表現している、のだそうだが、いまいちピンとこない。 自分が11歳の頃に観ておけばよかったのか? 似たような作品に後発の「リトル・ロマンス」があるが、そちらの方がリアリティを感じる。 結局、子役がかわいい、というところか。

夜霧のマンハッタン 1986年の米映画。日本での公開は1987年3月。 ロバート・レッドフォードが出演していたので、映画館まで足を運んだ作品ではあるのだが、 内容がどうしても他の映画とゴッチャになってしまう上にどんなストーリーだったか良く覚えていない。 その後、テレビで放映されたのを見ても、すぐに忘れてしまう。 ようするに、感動したり感銘を受けたりするような内容ではなく、ライトに楽しむタイプの映画で、 ミステリーとサスペンスで味付けしたラブ・コメディというかロマンチック・コメディですね。 ミステリーとサスペンスとラブ・ストーリーその他もろもろを詰め込んでいるので、 必然的に内容は薄いし、キャラクターも非現実的。 そこはキャスティングの良さで救われているという感じ。

レッドフォード演じるローガンは、将来を期待された検事補。 ただし生活能力まるで0。そこで笑いを取る。 確かにレッドフォードが家事が得意なミドル・エイジっていうのもイメージに合わないので、 これはいいだろう。 ピカソもわからないくらい美術音痴というのも笑える。 しかし、仕事は有能、そちらはビシッと決める。

デブラ・ウィンガー演じるローラ・ケリーは弁護士。 検事補に弁護士とくれば、もうここで構図が見えてしまう。 ここはあまりにミエミエの展開だが、まぁいいだろう。 やっぱり法廷のシーンは面白い。 アメリカの法廷のシーンが面白いのは、いかに陪審員に訴えるかの話術の部分が大きいからだと思う。

しかし、この二人が後半、刑事か私立探偵のような活躍を見せるのはどうなんだろう。 あまりに自然にこなしているが、弁護士はともかく検事補が日常茶飯事にそんなことをこなしているとは 思えないのだが…。 そして、ラスト、火事の中に突っ込んで行って無事みんな(良い人だけ)生還してしまう、というのは なんとも安直。レッドフォードはスーパーマンか?(笑) まぁ、レッドフォードだから許せてしまう部分が無きにしも非ず。

この二人にミステリアスな美女チェルシーがからんでくる。 悲劇のヒロインのはずなのだが、行動、言動に怪しさいっぱい。 これもダリル・ハンナが演じるからサマになっているし、納得もできる。

これだけはまったキャスティングであるにもかかわらず、イメージの張り合わせなので、 どのキャラクターも映画を通して印象に残るようなことはない。 見ているときは、それなりに面白いし楽しめるが、見終わっても何も残らないどころか 綺麗に忘れてしまえる。逆に忘れてしまえるから、いいのかもしれない。

ちなみに原題の「legal eagle」は「すご腕の弁護士」とか「やり手の弁護士」という意味。 たしかにそのままの意味で邦題をつけてもしょうがないが、どこが「夜霧」なんでしょ?

天国の口 終りの楽園

2001年のメキシコ映画。日本公開は2002年8月。 いわゆるプロによる映画評が良い。 アルフォンソ・キュアロンという人は評論家受けが良い監督なのだろうか、と思ってしまう。 最新作の「ハリー・ポッターとアズカバンの囚人」にしても、やたら評論家受けがよろしいようだ。

最後、人妻ルイサが1ヶ月の余命だったというのはズルイ、と思った。 確かに、彼女が存命であるより、もうこの世にいない、という方がおさまりはいいのだが、 1ヶ月の余命の人があんなに健康的か?という疑問と、 そこまで追い詰められているのならば、彼女はなぜ一人で旅に出なかったのか?という疑問が残る。 彼女が夫を捨てて旅に出る動悸は充分にあるが、それに、年下の従兄弟とその友達を巻き込む必然性はない。 誘われた、といってもそれを本気にする方がどうかしている。 一人で旅に出る勇気がなかったのだろうか。 それとも女性が一人で旅に出る、なんてナンセンスなお国柄なのだろうか?

AirMac Express AirMac Expressがようやく私の手元に届いた。 発表から長かった…。

いろいろ使い道はありそうなのでとりあえず買ってから考えよう、というノリで購入した。 無線LANのブリッジがあると嬉しい、くらいには思っていたので、まったく考えなしだったわけではない。 ところが、既存の無線LANの調子が悪く、最近では全く使い物にならなくなってしまった。 AirMac Express が来るのをあてにしてそちらの方はほったらかし。 結局、届いた途端、ベースステーションとして重宝することになった。 設定が簡単なのには拍子抜けした。 モデム兼ルーターと無線のベース・ステーションが別になるような場合、 ネットの外界に接続するための設定が面倒なような話を聞いていたのだが、 特に難しいことは何もせずつながってしまった。 …というかつなげたらつながってしまった、という状態で…(笑)。 クライアントもAirMacだからだろうか。 つながったのはいいが、これではセキュリティも何もない。 最近ニュースにもなっているが、これでは無線LANのただ乗りをして下さい、と言っているようなものである。 あわてて、とりあえず物理的に外界とのネットワークを切断。 さて、AirMac Express の設定をしなければならないのだが、やっぱりここで CD-ROM の登場となるようだ。 AirMac Expressアシスタントをインストールすれば、あとは指示通り。 これもあっけないくらい簡単だった。

次に試したくなるのが「AirTunes」。これもあっけないくらい簡単。 ただ、どうやって使うかなぁというのは悩みどころ。 もう一つ AirMac Express が欲しくなる…いやいや、死んでいる既存の無線ベース・ステーションを復活させればいいのだが、それはそれで設定に手こずるかもしれない。 無線LANは標準規格があるにもかかわらず、メーカーを揃えないと設定に四苦八苦し、 最悪思うようにつながらない、こともあるらしい。 USBプリンタ利用も試してみた。 つまらないことに突っかかってこれに最も時間を取られてしまったが、無事、使えることを確認。 これで、今までより快適な無線LANライフが約束された。 今の所、AirMac Express を家の中で持ち歩き(こんなところで形状と大きさがモノを言う…笑)、 コードを抜き差しし…という手間が残っているので、これをどう解決していくかが課題だ。 となるとさらなる出費が伴うので、はてさて、どうしよう…。