み〜

「風と共に去りぬ」以前のヴィヴィアン・リー出演作。 この頃の彼女の出演作は他に「茶碗の中の嵐」「セント・マーティンの小径」があるが、どれも可愛い小娘という感じの役柄だった。 この「間諜」は文字通りスパイの映画で、ヴィヴィアン・リーはスパイの役だ。 表向きは洋装店を営むマダム。 可愛いというより、聡明で賢い美女といった役柄。 それがぴったりはまっている。

そんなスパイが恋に落ちる。 (とはいってもベタベタに甘いラヴ・ストーリーにはなっていない。) 恋する女性になった時のヴィヴィアン・リーの表情がまたいい。 スパイでもなく店の女主人でもなく、非常に柔らかい良い表情をする。 「哀愁」でヴィヴィアン・リーの表情が良かったが、それと同じ、白黒のシンプルな映画が彼女の表情の良さをひきたてる。

スパイ映画だけあってストーリーはスリリング。 昔の映画は冗長な部分が無かったのだなぁと思わせるシンプルさ。 しかし、歯切れの悪い結末はなんだか…。

フジテレビ版「西遊記」をちょっと観てしまった。 何かのバラエティ番組の中のドラマかコントかと思ってしまった(苦笑)。 ロケ・シーンはいいとしてもセットがチャチすぎ。 ビデオ撮りでなくフィルム撮りすればあれでも少しは見られるようになるのでしょーか(爆)。

で、結局お手本は、堺正章版西遊記なわけね…。 というか、それで育った世代が作っているからしょうがないといえばしょうがないのかもしれない。 しかし、いったいスタッフのうち何人が、西遊記の訳本をきちんと読んだのだろうか?

西遊記(上)福音館文庫

現存する最古のテキストに拠ったという翻訳版が福音館書店版の「西遊記」。 まるで辞書のようなヴォリュームの上下巻だった。 他の訳書では端折られてしまうエピソードも網羅されている。 (現在では文庫版が出ている。) これを図書室から何度も何度も借りて何度も何度も読んだ。 これを愛読してきた者の目から見れば、堺正章版西遊記というのはかなり個性的な(キャストの持ち味を生かした)味付けと感じた。 あれはあれで西遊記の一つの形だと…。 しかしそれがいつの間にかスタンダードになってしまったとはねぇ…。

ちなみに西遊記は元となるテキストが複数あるので、どれをもって完訳とするかは難しい。 完訳版とされているものは、平凡社版(太田辰夫・鳥居久靖訳)と岩波文庫版(小野忍・中野美代子訳)があるようだ。

【このトピックへのコメント】
  • ども。
    いや私も久しぶりにちゃんと西遊記を読みたいと思い、Amazonに行ってみたらば、600種!(ガーン)
    どれっ、どれを買えばいいのっ!と思っていたところだったので、参考にさせてもらいました。岩波文庫版を買うつもりだったのですが、福音館版も良いかしらん。
    (2006-01-18 00:32:35)
  • み〜ども〜。
    福音館版は“児童書”の分類(小学校高学年〜)になるようです。が、子供向けというイメージはなかったんですけどね…(今読むとまた印象が違うかも)。で、私は最古のテキストによる完訳と記憶していたのですが、似たようなエピソードはいくらか端折っているそうです。
    (そういえば解説文にそんなことが書いてあったような気もする…)
    岩波版の全10巻というのは文庫サイズとはいえヴォリュームが、が…。
    個人的にはもう一度、福音館版を手にしてみたいです。岩波少年文庫版は持っているんですけどね。
    (2006-01-18 06:46:50)

ワインを買ってきた。辛口の白の小さなボトル。 (ついでにシャンパンまで買ったのは想定外(笑)。) 小さいから安かったけれどフルボトル換算にすると…やっぱりそんな高いものではないか。 プロシュート(生ハム)は食塩のみ添加のものをみつけて購入(こちらはそれなりのお値段でちょっと贅沢)。 こうなったらやっぱりフランス・パンも欲しい。 ちょっと妥協してスーパーで購入(近所にはここぞというパン屋がない…)。 これにサラダを加えれば立派なお夕食。 ルルルン。

…やっぱりパンを妥協するのではなかった...。 やっぱり神戸屋キッチンで買ってくれば良かった…(バケットを持って混んだ電車に乗るのを避けたばっかりに…)。 今度こそ…って、チーズ以外の散財が〜。

お財布の中もサビシくなりそろそろお金を引き出しておく頃。 ところがATMは無情にも「このキャッシュカードは使えない」と吐き出してくる。 念のためとなりのATMでもやってみるが同じ。 通帳記入はできる。 口座がおかしいことになっているわけではなさそうだ。 改めてカードを眺めてみる。 これって銀行合併前のキャッシュカードだ…。 通帳ではあるまいし、まさか古いカードだから使えなくなったなんてことはないだろうか、と不安がよぎる。 でも3日前には普通に使えたのだ。 ひょっとしてオンライントラブルか? ネットで銀行のページやニュースを見てみたがトラブルなどの気配なし。

またカードを見てみる。 磁気部分が擦り切れているといってもいいくらいだ。 再度挑戦してみるがやはりダメ。 カードの老化か?

ATMの電話から問い合わせてみる。 どうやらオンライン系のトラブルではなさそうだが、カードを窓口に持っていって見せなければならないらしい。 3ヶ月くらい銀行(窓口)に行くのをさぼっているのでいい機会かもしれない。 溜めていた用事を一気に済ませるチャンス。 …なのだが、どうやって窓口に行く時間を作るかが問題だ。 カードの再発行になったら一週間ほどかかるらしい。 が〜ん。 今自由に使えるお金が入っているのはこの口座だけなのに…。 お給料が振り込まれる口座でもあるのに…。 どうやって暮らせというのだ? そうだ、窓口に行けば印鑑でお金を引き出せるのだ。 でもいつ行く? はぁ〜困った。

ちなみに、通帳と印鑑、身分証明になるものを一緒に持参した方がいいらしい。

雪化粧2006

とうとうここも雪化粧。 ベランダというか窓から見た(だって寒いんだも〜ん)風景をパチリ。

朝はサラサラ粉雪だったが、午後になったらベタベタな水を含んだ雪になってきた。 夜になったら霧雨のような…。 それでも雪明かりで明るい夜。 見慣れた風景がいつもより綺麗に見える一日だった。


やっぱりねぇ、スライが裏切って復讐に走るなんてピンとこない。 そういう意味ではパリの一件とうまくからめて収める方向にいった。 それにしても登場人物が多すぎないか? クリフとリズの話はかなり浮いている感じ。 クリフと言えば先週から老けっぷりに吃驚。 なぜリズがくっつく?のか少々ナゾ。

ジェームズが賭けで一文無しになった話は、J.R.が裏で根回しする話につながるのかと考えると納得。 この親子、どういう方向に向かうのだろうか?

去年の年末…というか10月くらいからやたら忙しくて、郵便物がどんどん積み上がっていく一方の生活だった。 そのツケに今気付き、愕然とする。 いったい、いつからスカパーのパックセットが変更されたんだ〜。 「スカパー!よくばりパック」「スカパー!えらべる15」って何それ?

見たい番組があるたびに契約チャンネルを追加したり減らしてきたりしたのだが、最近すっかりサボり気味で…ってもちろん追加するときはすぐに追加するのだが、減らす方がどうもお留守で、視聴料が無駄に膨れ上がっていた。 なんとかしなくては…と思いつつ月日は過ぎ…。

で、この新しいパックを活用すれば月々かな〜り減らせるじゃない。 えぇ〜ん、なんでもっと早く気付かなかった…。

久し振りに夢をみた。 …というか、久し振りにみた夢を覚えていた、というべきか…。

最近では夢をみたことすら記憶にないことがほとんどなのだが、それでもたまに「夢を見た」と記憶していることがある。 目が覚めた瞬間はおぼろげながら夢の内容まで覚えているのだが、起き上がると忘れてしまう。 夢をみたはずなんだけど、どんな夢だっけ…? いつもその調子だから、たまに夢の内容を覚えているときは、身体を起こす前に復習してみるのだが、それでも起き上がると内容を忘れてしまうのだ。 かろうじて登場人物くらい覚えていることもあるのだが、良い夢だったのか悪い夢だったのか内容まで覚えていられることはほとんどない。

ところが珍しくみた夢を覚えている。 そして、間違いなく同じような夢を何度も見ていることまで思い出した。 そこは、とても居心地の良い大好きな空間で、そこにいた人たちは…。

こんな夢を何度も見ていたのか、ということになぜか吃驚する。 だってまったく覚えていなかったのだから。 なのに、何度も見ていると思ったのはなぜだろう? そう思ったことまでも夢による錯覚か何かなのか…。

よく言われるんです。 「小学校の時同級生だった△△に似てる」という類のことを。 つまりありふれた顔ってわけですな…。

今日も真顔で見ず知らずの方から「静岡の方でしたか?」 はぁ〜? その他にも他の方から話しかけられたりしましたが意味不明。

私がカメラを趣味とし始めた頃、ニコンが憧れのブランドだった。 しかしそこにαショックがやってくる。 私が大の苦手とするピント合わせを自動でやってくれる一眼レフ…。 憧れのブランドはαシリーズに変わった。

そんなわけで私の中のイメージではミノルタってオートな一眼レフなのだが、そもそもは、レンズが売りのカメラメーカーだったようである。 私の趣味としてのカメラは中途半端なので、そんなことを知ったのは最近だったりする。 まぁいいじゃないか。 レンズが売り、といっても近頃ではズーム全盛。 一眼レフに手が伸びても入門者向けズームレンズ止まり、というのはよくあること。 一部のマニアックなカメラユーザ以外にはレンズの良さはアピールできない。 そういう点に関しては、EOSで後を追う形になったキヤノンが上手かった。(のだと思う。)

αショックでつけた体力を失う事件がミノルタに起きる。 AF式一眼レフの自動焦点機構(つまりオートフォーカス)の特許の件で、アメリカのハネウェル社に負ける。 この件は調べるとなかなか難しいというか微妙な問題だ。 私の理解では、ハネウェル社が中途半端な特許(しかもそれを“発明”と言っていいかどうかも微妙)を持っているが為に、オートフォーカスを実現する技術の製品化は滞っていたらしい。 そこを切り開いたのがミノルタのαシリーズだった。 切り開いた、というとカッコいいが、特許という知的財産権への認識の甘さがあったのかもしれない。 その甘さにより、莫大な額のロイヤリティを払う羽目になる。 (そこを後追い組のキヤノンは上手く立ち回った。)

そしてデジカメ時代がやってくる。 失われた体力は競争力にも影響した。 アンチシェイクという刺客を送り込むが力及ばず…。

なんとなく予期していた事だ。 銀塩が消え行こうとしている今、デジカメがどうなろうと今更どうこう思うことは少ない。 今愛用しているカメラ達が壊れるのと、フィルムを現像するラボが身近になくなるのと、どちらが早いだろうか…。

ある程度は覚悟をしていたことなので、自分の趣味をどうやって永らえさせるか(あるいは止めちゃうか他へ行っちゃうか…)、どちらかというとそういう方向で考えている。

35mmF1.4G(D)は出るのか? これはかなり重大だ。 このレンズが入手できないのならば、ミノルタ止めちゃえ、とまで思っている。 普通に店頭に並んでいる頃になぜ食指が動かなかった、と後悔しても後の祭り。 中古で同クラスのレンズを入手する、というのも選択肢の一つだ。 とはいえ中古も希少品で入手困難になっている。 中古品を見る目があるわけではないので、例え入手できたとしてもかなりの賭けになることは避けられない。

もう一台ボディ、いっとこぅか…。 今あるレンズとカメラでしばらくは充分遊べる。 問題なのは壊れたときだ。 保険のつもりでボディを確保しておこうかと思う次第。 α Sweet Digital いったいどれくらい値下がりしているのかなぁとカメラ屋を覗いて見た。

…!“α7Dの値段”が私が“α Sweet Digitalを買った値段”!?え〜!
α7Dいっちゃおうかな…(爆)。 いやいや、これはもともと大きすぎて(&重すぎて)見送ったもの。 やっぱりここはα Sweet Digitalで…。 ブラックを持っているから今度はシルバーにしよっと…。 って2台も持っているなんて…やっぱりばかばかしいかしらん。 深みにはまらないようにはまらないように、写真を楽しんできたはずなのだが、こういう発想をする時点で既に深みにはまっているのかもしれない。

アマデウス

今日はモーツァルトの生誕250周年。 私としたことが、まだこの映画を取り上げていなかったとは!

凄い、面白い、素晴らしい…。 もし観ていない人がいらっしゃるならば、とにかく一度は観ることを強くオススメする。

今更解説するまでもないことだが、サリエリの告白によりモーツァルトの後半生を描いている。 モーツァルトはその名前と音楽を知らない人がいないであろう有名な音楽家。 クラシックは聴かない…という人でもどこかでモーツァルトの音楽を耳にしているはずだ。 …が、サリエリとなると、クラシックファンでない限り、その名前を知らなかったり、せいぜいモーツァルトと同時代の音楽家である、という程度しか知らないのではないだろうか。 サリエリ作の音楽…私もほとんど聴いたことがない。 けれども当時はむしろ逆だったようだ。 サリエリは宮廷音楽家として皇帝に仕え、不自由なく暮らしていた。 一方、モーツァルトは、天才児としての名声は得たが、晩年は悲惨だったというのは有名な話。

晩年、経済的に困窮していたことも関係して、モーツァルトの死については謎が多く、今となっては真相は闇の中だ。 映画「アマデウス」では、サリエリが殺意を抱き、最終的には過労に拍車をかけ死に至らしめたようなストーリーになっている。 サリエリのモーツァルト毒殺説というのは、モーツァルトの死後、サリエリの存命中に既にウィーンで噂になったことだそうだ。 耄碌したサリエリがそのように口走ったという噂もあるのですが、この説については、サリエリ自身も否定したそうだし、噂に過ぎず、あり得ることではない、というのが現在の通説。 …というわけで、映画「アマデウス」は、フィクションだらけのストーリーで、史実とは大きく違うということを一応認識していた方がいい。 昔の話だし、あまりにもドラマチックな展開だから、これがすべて本当のことだと思う方が勘違いも甚だしいと言えるが…念のため 。 サリエリ(1750-1825)は当時としてはかなり長寿で、晩年は、老衰のため、ウィーンの病院で過ごしたようだ。(映画のように、自殺未遂で運ばれたというわけではない。) 映画は、サリエリの告白、というスタイルをとっているから、サリエリが本当のことだけをしゃべったとは言い切れないわけで、半分モウロクであることないことを話したストーリーと解釈できる。 この映画のうまいところは、フィクションでありながら、史実をうまく織り混ぜている所。 その微妙なさじ加減で、フィクションでありながら、リアリティを感じさせる。 そして、モーツァルトとサリエリを描きながらも、ドラマは、天才と不幸にして天才を理解する能力だけ備わってしまった凡庸人を描いていく。 映画の下敷となったドラマ(戯曲)がそのようなテーマを持ったものだったようだ。 サリエリの気持が手に取るように描かれているのが、この映画の魅力となっている。 モーツァルトを憎みつつも、その音楽を誰よりも愛していたのがサリエリ。 疲労困憊して倒れたモーツァルトに、中途になったままのレイクエムの作曲を続けるよう手伝うのも、自分の愛するモーツァルトの音楽を誰よりも早く知りたい、という、純粋な音楽への愛情故。 憎しみが激しく殺意を抱くほどであったとしても、結局は、モーツァルトが美しい音楽を創造し続けて行く限り、サリエリにはモーツァルトを殺せるわけがない。 そんなサリエリの心情が丁寧に描かれている。 この映画で、サリエリという人物が誤解される、と危惧しているクラシックファンの方もいらっしゃるようだが、実際に映画を見たら、そんなことはないのではないかと思う。 (映画の筋だけ聞いて誤解する人はいるかもしれないが。)

実際、サリエリは指揮者としてモーツァルトの音楽を演奏する機会があったようだ。 (好んで選んだのか、職位上、必要だったのかはわからない…)

天才は、実生活面でも、紳士あるいは聖人だったかのように思われがちで、この映画によって、モーツァルトの下品な面を見せたことに対する批判もあるようだ。 公衆の面前で横柄で下品な態度をとったかどうかは定かではないが、身内に対する書簡には下品な言葉使いをしたものが残っているのは有名な事実。 歴史上、偉業を成し遂げた人物を、美談ばかりで飾る時代でもないし、サリエリの嫉妬が際だつという意味で面白かったと思う。

映画のサリエリが愛するモーツァルトの音楽が、実に効果的に使われているのもこの映画の大きな魅力だ。 このサントラとしての使い方はウマイ、見事としかいいようがない。 エンディングロールのバックに流れる音楽までが映画の一部として溶けこんでいる。 残念ながら、この作品を映画館で観たことがないのだが、エンディングロールになってもなかなか席を立てないのではないだろうか。 テレビやDVD(LD)で観ても、最後の最後までモーツァルトの音楽を聴いて余韻に浸りたい、と思わせる。

【このトピックへのコメント】
  • tomo私もこの映画、大好きです。BGMも本当にいいですよね。交響曲第25番(だったかな?)とか。

    この映画を舞台化したものを観に行ったことがあります。
    サリエリが松本幸四郎さん、モーツァルトが市川染五郎さんでした。でも、やっぱり映画のほうがよかったかな〜。
    (2006-01-29 02:04:46)
  • み〜私も舞台版、観ました。同じく、サリエリが松本幸四郎さん、モーツァルトが市川染五郎さんで。舞台には舞台なりの良さがありますが、アマデウスに関しては、映画の出来が良過ぎですね。(2006-01-29 13:08:02)

数日前のこと、退社しようとエレベータ待ちをしている時に、腕時計をしていないことに気が付いた。 出社するとすぐに腕時計を外してしまう癖があり、たまに自席の机の上に忘れたまま帰宅してしまう。 忘れるくらいなら腕時計をしなくても不自由しないだろうと、腕時計のない生活をしていた時期もあった。 電話を見れば時刻もわかるし、街の中には時計があふれている。 一分一秒を争うような状況でなければ、さほど不自由しないものだ。 裏を返せば、腕時計をしないことにより、一分一秒にこだわらなくなる。 ルーズになるというのとは意味が違う、念のため。

とはいえ、そうも言っていられないケースもあるのだ。 日頃、腕時計をしていないと、肝心なときにも忘れてしまう。 これは癖にしないといけない、と考え、最近は腕時計をするようにしている。 (せっかく入れた電池ももったいないし)

自席に戻るが、外して置きっぱなしにしているはずの腕時計はない。 …朝から忘れていたか…? それすらも記憶にない。 ちっとも癖になっていない(爆)

いつの間にか外してしまった腕時計がポケットから発掘されたこともある。 習慣への道は遠い。 本音は時間に追われない生活をしたいのだが…。

Minolta のカメラの価格が大暴落。 α Sweet Degital が突如品薄の気配らしい。 やっぱりいっとくしかないでしょ?

Sad だった iPodをやっと修理依頼した。 iPod は福山通運経由で引き取られて行った。 ドナドナ〜じゃない!(笑) 日曜日でも取りに来てくれるのね。助かった。 早く“帰って”くるといいなぁ…。

昨日撮った大量の写真(ざっと200〜300枚)を iPhoto に取り込もうとした。 何回やっても最後の最後で iPhoto が落ちる。 きぃ〜! こんなときはバージョンアップ。 私にはiLife '06があるさ… ふっふっふっ。 最後に撮った写真を取り込んでから iPhoto をバージョンアップするつもりだったが、こうなったら先にバージョンアップしてみよう。 インストールで30分もかかるのかい!

iLife '06 フルインストールで約30分経過

現 iPhoto Library をコピー。 つまりバックアップ。 バージョンアップの途中で何があるかわからないから念のため。 2時間もかかるのかい! たくさん写真があるんだなぁ…と改めてシミジミ。 (しみじみすることではない。)

iPhoto Library コピーで約2時間経過

iPhoto 6 を起動。ドキドキ(ワクワク)。

iPhoto Library 変換中 … 写真多いので数分で済むわけがない。予想通り

iLife 06

iPhoto 6までの道は遠かった(笑)。

iPhoto 5 が落ちて使えない(きっかけがないとなかなかバージョンアップできなかったりするものである。) → iLife をバージョンアップする。(なんで30分もかかるんだ!) → 既存ライブラリのバックアップをする。(これについてはわかっていたけど2時間…くぅ〜) → ライブラリの変換。iPhoto 5 の時に落ちまくっていたせいか、ライブラリに登録されていないがライブラリ・フォルダ内に存在するファイルがたくさん。それらを救済していたので余計に時間がかかったような気がする。 → 救済したファイルを一部選別。(とても全部チェックする気にはなれない。) → 早速、一番新しい写真をチェック。(撮ったうち2/3を捨てる...メゲッ)

とにかく軽くてサクサク動くので感動。 実は、今まで使ってきた iPod Server 用のとは別の Mac にインストールしたので厳密な意味で比較はできないが、とにかく軽快。 エフェクトの種類が増えた編集機能も面白そう。 真面目に編集するのだったら Photoshop にデータを渡せば良いのだろうが、Element でさえ至れり尽くせり多機能すぎるくらいなので、ちょっとした編集は iPhoto 上でやってしまいたい。 なんといったって撮る枚数が半端ではないのだから、一枚一枚に手をかけられる時間は自ずと少なくなる。 そういうユーザにとっては iPhoto の編集機能が充実するのはありがたい。 新機能のカレンダーやカード作成も面白そう。 これは後日ゆっくり試してみることにしよう。

さて、iPhoto 5 まで重宝していたWeb書き出しがなくなった。「共有」→「ファイル」にメニュー上お引越し。 iPhoto 2 の頃は「ファイル」メニューにあったのだが変更されてしばらく戸惑った。 替わって「共有」メニューに加わったのが iWeb への書き出し。これは一長一短だなぁ…。 テキストエディタでHTMLソースを書く派の私にとって、iWeb のようなソフトは微妙なのだ。 どうせ修正するのだから、iPhoto が書き出すソースが欲しいのだが、iWeb →フォルダに書き出し、という手順をふまなければならない。 ちょっと面倒。とりあえず用意されたフォーマットを使ってしまうのは簡単だが、これでは誰が作っても同じようなページになってしまうのもちょっと悔しい。 結局、メニュー位置の変更に再び戸惑いつつ、Web書き出しを使うだろう。

私はモノを捨てるのが苦手だ。 例えば、包装紙だって綺麗なものはとっておく。 そもそも、ベリッと包装を破いたりはしない。 再利用できるように、綺麗に丁寧に包装紙を剥がさないと気がすまない。 ちらしだって裏が白ければ取って置く。 とはいえ、そういったいつ使うかわからないものは消費するより溜まっていくスピードの方が早かったりする。 そんな具合だからモノが増えていく一方だ。

おまけに、図書室のような家に住みたいと思っていたりするからタチが悪いかもしれない。 本に囲まれて過ごす…いいなぁ…。 で、本だけならともかく、CDもその調子で増えていく。 DVDも…。 そういえば、ほとんど弾かない(弾けない)くせに楽譜も増えていく一方だったりして…。

話かわって、デジカメ写真を取り込むときに、カメラとパソコンを直結するのではなく、カードリーダーを使っているのだが、調子がよろしくない。 カードを認識してくれないことが多々あるのだ。 再起動を繰り返した挙句やっと認識してくれることも少なくない。 カードリーダーなんて決して高くないものなのだが、悔しい。 こんなことならば買わなければ良かった。 ところが、カメラとパソコンをつなぐケーブルが行方不明。 毎回、キィ〜!となりながらカードリーダーを使っていた。

行方不明だったケーブルが、片付けるのをサボっていた山から発見された。 なんでこんな紙類の束と一緒に?という気がしたが、さもありなん…(苦笑)。

しかし、カメラとパソコンを直結させてもうまく認識してくれないことがあったような…。 1Gの大容量高速コンパクトフラッシュという点に問題があるのだろーか。 iPhoto もバージョンアップしたことだし、お願いしますよ>Mac様。