昨日は真夏日。台風以外で風がこんなに強い日も珍しいというほど強かった。しかも暑い。

会社へ行く時にすでに上着を脱ぎ、オフィスではネクタイもはずし、帰りもまっすぐ帰ろうかと思っていたのに駅までの道の途中で挫折。ビールグビグビになってしまった。いやぁウマかった。

一転して今日は梅雨。気温も10℃下がったらしいが、湿気が多く、体感温度的にはそうは感じない。でも、やっと東京も梅雨入りかな。

いくつかの 水たまりを残して
梅雨が 駆け抜けてしまえば
湿った風の 背中越しに
君の好きな夏が来ます

「ほおずき」(byグレープ)の歌詞が思わずよぎった。

昨日とは一転して晴天。天気予報でも梅雨入りはまだとのこと。

ウチの社員のご主人(42歳)に食道癌が。来週にも最終検査結果が出、オペのため転院の予定。今朝、執刀医についての相談を受けた。彼女とは所属を越えた飲み仲間であるので、悲しませてはならない。早速アクション開始。

商売柄、こういう時は強い。候補Dr情報はメール一本で瞬時に集まり、会社や担当者とのコンタクトの強さも把握できる。たちまち日本の最高権威の一人のDrが絞り込まれ、ダイレクトにコンタクトできるよう手配。たぶん、うまくいくだろう。

食道癌でオペが必要な場合、重要なのは一にも二にもDrの腕である。「白い巨塔」の財前五郎をにいかに見つけ出し、個人的にアクセスできるかが結果を左右する。それが可能なのもこの業界ならではのメリットである。

それにしても42歳というのはいかにも若い。食道癌のオペ後の5年生存率はまだ60%に届かない。

最高の結果を望むばかりである。

長崎の小学生殺人事件に思う。

事件の経緯・結果はマスコミに譲るとして、きっかけになったチャットとかBBSについて。今回の件では、これらが改めてコミュニケーション手法として欠陥がある事を浮き彫りにしたと思われる。

通常、良好なコミュニケーションには複数の要素が必要とされる。例えば、フェイスtoフェイスの場合は、相手の言葉+口調+表情で意思疎通が行なわれる。電話の場合は、言葉+口調、手紙の場合は文章+筆跡である。いずれの場合もそれぞれの要素が互いに影響し合って、発信者の意図を補足する。相手もそれらの要素を総合して、相手の真意を量る。

ところが、e-mailにも一部言える事だが、チャットやBBSはどうだろう。電話のように速やかに伝わるが、相手の口調はわからない。手紙のように文章を読むが、それは感情の無いフォントである。真意を伝えようにも推し量ろうにも要素が足りなさ過ぎないだろうか。

そんなコミュニケーション手段であるチャットやBBSの唯一のメリットは匿名性である。相手はHNのみの存在であるから、例え大きな誤解が生じても、どちらかが消えてしまえば終わる。

今回の事件は、メリットであるはずの匿名性が無く、かつ不十分なコミュニケーション手段であるがゆえに、最悪の引き金が引かれてしまった気がしてならない。

いよいよ梅雨空の到来である。昨日と打って変って、湿度の高いムシムシした一日である。それでも雨が上がったわずかなスキに昼飯に出た。

九州出身の部下のすすめに応じ、トンコツラーメン屋に。彼いわく、東京で一番おいしいトンコツラーメンかもしれないとの事。ところが店に入ったときの強烈なトンコツ臭さに早くもイヤな予感が。出てきたラーメンは、確かに九州人には故郷のそれに近くなじみのあるものなのだろうが、以前鹿児島で強烈なラーメンを食べて食傷した私には、それがリマインドされ食べ終えるだけで精一杯だった。

セットの半チャーハンも、高菜はいいにしてもキライなザーサイ入り。ただでさえ夕飯はヘルシーローカロリー食にしているため、昼飯は大きな楽しみだったのに、さんざんなモノとなってしまった。

梅雨空ドンヨリ、腹もドンヨリ。

おかげで今夜は、いつもの居酒屋で口直しをしなけりゃならなくなった。どうしてくれる…。

外国で育つうちに日本と外国の関係が自然に見えてきた。
やがて日本外交の一翼を担いたくて外交官になった。
外交官としての毎日はやりがいもあり、さらなるキャリアアップも目指していきたい。

ある時、ひょんなことから、皇室へ嫁ぐ話が持ちあがった。
晴天の霹靂、私にはその気は毛頭無い。
私は今のまま外交に携わっていたい。
でも事態は私に関係ない所でも、勝手に進んでゆく。
もはや一方的に固辞できる状況ではない。
皇太子は私に愛情を示してくれ、私を理解してくれているようだ。
宮内庁も私の希望に添えるようにと言っている。
そうだ、今後は皇室から外交活動をすればいい。
それもひとつの道だ。

なぜ外国訪問ができないのだろう。
もっともっと外国と交流したいのに、その機会はほとんどない。
私の希望は伝わっているはずなのに、ことごとく叶っていない。
いったいいつまで我慢すればいいのだろう。

なぜ世継ぎの事ばかり言われるのだろう。
私は子供を産むためにここに来たんじゃない。
それでもがんばって一人産んだ。
でも、女の子じゃいけないらしい。
皆は外国訪問より男の子を産めと言う。
世間も宮内庁も天皇皇后すらもそれが大事だと言う。

私って何?
私は何のためにここにいるの?
私の幸せって何?
私の人生って何だったの?

梅雨が去ってしまったと思えるような快晴。気温30℃ながら湿度は低く、まだまだ過しやすい。ここらへんが、同じ気温でありながらも名古屋と違うところか。今ごろ名古屋はムシムシ状態だろう。

6月も半ばになり、大規模人事異動のANNOUNCEMENTの第一弾がイントラに掲載された。単なる異動や栄転する者、やっと故郷へ異動できた者、組織改定で所属が変わる者などに混じって、明らかに退職前提で所属名が変わった者がいる。

いつもながらの事ではあるが、彼らは決して定年退職ではないし、年齢もいいとこまだ50代である。何がしかの意志を持っての退職であれば結構だが、必ずしもそうではなかろう。この年代で今の収入を保証してくれる先は皆無に等しい。内心じくじたる思いの退職かもしれない。

約3000名いる社員の誰もが、いずれは突き当たる事だろうが、はたして心から満足し、笑って去れる人はどれくらいいるのだろうか。

転職という選択肢を前向きに選べる年代を過ぎ、良くも悪くも今の仕事に残りの歳月を費やさねばならないのは、自分を振り返ってみても同じである。

いつのまにか現在の仕事のステージという枠が、どうしようもなく自分を囲い込み、そして自分を縛っている。