10月の信州温泉オフのためのPOOB(プジョー太平洋OYAJIベルト)の関東幹事会が昨日開催された。隅田川花火大会の日とあって、上野駅はごった返していたが何のその。予約していたコジャレた居酒屋にOYAJI5人は突撃した。

最初は当然ビール。でもホントに最初だけで、あっという間に黒糖焼酎。ボトルはなくグラス売りだというので、イヤな予感を覚えつつも5人揃ってロックを注文。2杯目も5人揃って注文。3杯目も。そして4杯目になったら、案の定、在庫が無くなった。しょうがないので大分の麦焼酎に切り替え、なおも続く。

そのうちメンバーの一人がそわそわし始める。「来たな」と思いつつ、わかっちゃいるけど「歌いたくなったんですか?」と水を向ける。ここで居酒屋は撤収、カラオケボックスへ。

「銃爪」を口開けに「傷だらけのローラ」「酔って候」「学生街の喫茶店」「アリスメドレー」「あんたのバラード」「あずさ2号」と続く。さらに「兄弟船」やら「なめとんか」、「悲しい色やね」やら「ガッチャマン」、「とんぼ」に「ジョニーへの伝言」「TSUNAMI」…。

「かもめはかもめ」と「かもめが翔んだ日」に至っては、「OYAJIはOYAJI」「OYAJIが翔んだ日」と替歌にもなった。もうどうにも止まらない〜!

わけのわからない新しい歌なぞ出てこない。どれも皆が歌えるし、安心できる曲目ばかりである。
ああ…癒される。これこそOYAJIカラオケの真骨頂なのだ。またまた楽しく弾けた一夜となった。

打ち合わせ?
ええ、ちゃんとやりましたとも!
最初の10分だったけど。
近々くりみ氏のBBSにて発表だ。

時折雨がパラつくが、今のところ昨日までの夏の一日と変わりはない。

明日から研修3連チャンだ。3ヶ月前に全国を回って行った「研修講師のためのプレゼンテーション研修」の管理職バージョンを3連続でやらねばならない。今度はこちらに集めて行うので多少楽だが、毎日5〜6時間の講義と演習はキツいものがある。

当初「管理職まで受ける必要があるのか」といった反対が当の管理職からあがったが、たいていの場合はそう言ってくる本人が最も受けるべきスキルレベルの事が多い。たとえ管理職であろうが、自分自身も営業職に対する月1回の研修講師をしているのだ。研修の場では一講師なのである。スキルアップを目指すのは当然だろう。

そこで、演習テーマを管理職ならではのものにして、自作のスライドでプレゼンするようにし、さらに討議も加えて全面的に再構築した。演習での評価シートも事前開示して、あえてプレッシャーをかけてみた。

反論した本人のみがさっそく電話をしてきて「けっこうむずかしいねぇ」などと言ってきた。「そんな事はありませんよ。管理職なら当然考えているはずのテーマだし、評価シートも別の研修の時にご自分が評価を下している項目とさほど違いませんし」と返した。

課長以上の現場の管理職には、プレイングマネージャーとしての力量が求められる。部下に対して自分が「やって見せられる」というのが重要な事なのだ。そうであって初めて部下から尊敬され、信頼され、そして育成ができるのである。単に年功序列とか上に覚えめでたい人が自動的になれる時代ではない。

今日も暑い。多少湿気が少ないと感じるだけ、以前よりマシかな。夜は寒いくらいに風が吹き込むので寝やすくはなってきている。

明日からまた後期の営業職スキルアセスメントが始まる。今回は大阪場所が皮切りである。内容もインターナショナルで統一した規格を盛り込むとかで、さらにレベルアップしたものとなっている。

この規格はもともと最後に合併した会社で構築された理論をベースにしている。かなりの金をかけ、オックスフォードの研究室等も巻き込んで作ったものであり、理論としては優れたものだと思われる。

しかし、日本における営業形態は欧米のそれとは当然異なるし、今現在でも日本版セリングスキルは存在する。欧米版に比べ日本版はシンプルだが、それでもこれまでの業界のノウハウより革新的なもので、合併以来、3年かけて定着させている最中でもある。今回の変更で、現場はまた混乱するだろう。

いくら全世界のプロジェクトメンバーが集まった会議で決まったものとはいえ、すべて受け入れる事もあるまい。それより、逆に日本版を世界に向けて提案する事はできなかったのだろうか。そもそも英語が話せるというだけで、十分な営業経験のない人間を派遣するからこうなるのだ。小泉外交じゃあるまいに。

とはいえ、こういう事象を見るにつけ、なんだかんだ言ってもやっぱり植民地的立場がぬぐえていないな、と思うのは私だけだろうか。

三菱ふそう問題が、組織ぐるみの隠蔽による人災だと指摘されているが、またもや人災が起こった。しばらく沈静化していた原発事故である。美浜原発で計画的点検が必要な配管部分を把握しながら放置し、実に28年間も無点検であった部分から高圧蒸気が噴出し、4人が死亡した。

どんなに優秀で堅牢な機械でも、機械であるからにはメンテナンスが必須である。それは誰がするのか? もちろん人間である。機械を作り、それを動かしている人間が責任を持って保守しなければ、破綻を来すのは自明の理だ。

「そこまでしなくてもよかろう」「まだ大丈夫だろう」「このままでいけるはず」などというのは状況判断ミスである。機械の関与がそれよりも少ない医療過誤であっても、その最大原因は人間であり、ミスの程度とその対処に問題がある場合が多い。比較的軽度な医療事故やその手前の「ヒヤリ・ハット」は枚挙に暇もないほどある。

ミスを意識的にやったり隠蔽したりすれば、これは明らかにモラルの問題であり、犯罪行為である。そしてそれはいつも何の罪もない犠牲者によって明るみに出る。残念な事は、もっと前にきちんと状況判断さえできていれば、未然に防げたという事例ばかりだという事だ。

大きな事故や事件になる前にいかに食い止めるか。再発させないためにいかに対処するか。現代社会を生きる上で、最も求められる能力のひとつが状況判断力なのだと、改めて声を大にして言いたい。

久しぶりのオフ日。

横浜税関に勤めている息子が仙台空港に転勤になり、おととい東京に車でやってきて我が家に滞在している。仙台空港では麻薬犬の担当だそうだ。

思えばこいつは不肖の息子である。勉強したくないからと技術系高校に行き、地方公務員は落ちたくせに国家公務員になってしまった。それも専攻の電子分野とはまったく畑違いの税関をチョイス。どんな仕事なのか親も知らなかったわ。

自動車免許も必要だろうと大枚はたいて教習所に通わせたものの、ろくに行きもせず、やっとの思いで卒業したと思ったら、試験場の○×テストに3回落ち、結局あきらめたという大バカ者である。金返せ。

その後、やっぱり自力で免許を取り直したというのもマヌケな話だが、なんとMPVの中古を買ったのだ。独り者のくせに我が家の206より大きな車を買ってどうするつもりなのか理解不能である。

そんな彼が今、6年生の弟の工作を手伝っている。10も歳が違う上に、性格も嗜好も両極端な二人が並んで机に向かっているさまには、なんとも不思議なものを感じた。ま、これも家族の風景のひとコマか。

真夏日の連続記録更新中。

昨夜、ついにオリンピック夜ふかし決行。女子サッカーの大金星に触発され、男子サッカーに期待したためだ。試合開始は午前2時30分。久々に深夜番組などを見ながらその時を待った。思ったより長い夜になったが。

でも期待に反し、パラグアイに4−3で敗れてしまった。試合開始5分、ディフェンスのミスであっさり先取点を取られた時は、こりゃダメだとさっさと寝ようと思った。しかしすぐにPK奪取。これで眠れなくなった。日本の攻撃にもリズムが出てきたからだ。

敵もブラジルを破って出てきただけあって、追いつくもまた点を奪われる。2つ目のPKで盛り返すも、最大2点差が最後まで追いつく事はなかった。

先発メンバーとフォーメーションにミスチョイスはなかったのか? 
後半、少し引いた小野は見違えるようなパスが出せるようになり、途中出場の田中の抜群の機動力とゴール前の平山の高さが光っただけに、最初からこのメンバーでこのフォーメーションだったら、勝てた試合だったとつい「たられば」をつぶやいてしまう。

いずれにせよ、残りの対戦相手を考えれば極めてキツい状況となった。でももっとキツいのは、言わずと知れた今日の私だ。

眠いったらありゃしない。

柔道ヤワラちゃんのオリンピック2連覇+4大会連続メダリスト、野村のオリンピック3連覇には、感動と共にその精神力に脱帽した。ヤワラちゃんは直前の大ケガを、野村はどん底の絶不調を克服しての金字塔であった。

たとえ技術的に問題は無くても、勝負の世界では何が起こるかわからない。しかし、それ以上に怖いのは自分のメンタルマネージメントだろう。プレッシャーに飲み込まれれば、本来の実力発揮はおろか、自滅による予期せぬ敗北が待っている。

その好例が女子バレーとソフトボールだった。どちらも普段だったらありえないミスを連発し、攻撃も守備もガタガタだった。試合後、どちらの選手も「初戦で緊張した。カタくなった」と言っていた。

今まで私は、プレッシャーは団体競技よりも個人競技のほうが重く作用すると思っていた。プレッシャーに自分が押しつぶされれば、それですべて終わりだからだ。だから過去、女子競泳チームが千葉選手を中心にことさら「オリンピックを楽しみたい」と連呼していたのには、結果はともかく一定の理解はしていた。

だが、プレッシャーというものは知らないうちに人から人へ伝播するのだろう。そうなると個人も団体もない。雰囲気を構成している人数が多い分、団体競技のほうが厄介か。

ある舞台に立った時、「すごい所に来てしまった」「失敗は許されない」「負けられない」「うまくやらなければ」などと、その舞台と相手と自分にある種の畏れを抱いてしまうかどうかで、得られる結果が決まってしまうのかもしれない。あるいは期待に応えなければという義務感悲壮感を必要以上に背負い込んでしまった事も一因となるだろう。

「みんな、いつものオレを見てくれよ」「オレってこんなにすごいんだぜ」「いいところ見せたら拍手喝采くれよな」くらいでいいと思う。とはいえ、まじめで責任感が強く、謙虚に誠実であろうとする日本人のメンタリティでは、その境地にはまだ遠い。ここいらでラテンの血を少し注入してみたらいいかも。