昨日の異動先の歓送迎会を経て、本日正式着任。家からは地下鉄と地下道で20分もかからず着いてしまった。気候が良くなったら自転車通勤だな。

事業所が変われば別会社とよく言われるが、ここも例外ではないようだ。PCのファイルシェアから独自のデータベースまで、今まで知らなかったものがいろいろとある。

それでも現場にいると空気が気持ちいい。現場から遠ざかれば遠ざかるほど空気が澱む気がする。それを吸っている自分の感覚も鈍くなっていたと思う。

営業の連中や得意先からの電話や依頼事に触れていると、気持ちに張りが出てアドレナリンが吹き出してくるようだ。この何とも言えない緊張感と共に、この思いをずっと持ちつづけていきたい。

たった今、無事に帰宅してこれを書いている。宿泊組は大人10名、子供1名という参加だったが、泊りのカラオケは今までに無い盛り上がりで、OYAJIパワーをいかんなく発揮した。

諏訪湖半に13時に集合。ビーナスラインで美ヶ原高原へ。山を越え峠を下って16時半にチェックイン。宿泊地である鹿教湯温泉ホテル東急へわざと遠回りして、山道峠道を選ぶところはさすがに走り屋OYAJI連中である。もっとも、少しは疲れないとこの後歯止めが効かなくなるし。

食事は広間で18時から始まった。まずはビール10本と焼酎ボトル2本を平らげ、雑談なぞをしながら隣のカラオケスナックが開店する20時を待つ。開店直後に全員飛び込むと、店内は我々にはちょうど良い広さ。店内のほとんどを独占したと思いきや、なんと我々より先に怪しげな年配のカップルが! 明らかに夫婦には見えない。しかもすでにデュエット状態。肩を抱いてほっぺにチューまでしてる。絶対に不倫OYAJI&OBANに違いない。

当たり前のように飲み放題・歌い放題コースを選択し、ウイスキーボトル2本を用意させ準備完了。いよいよメインイベントの始まりである。第二次乾杯直後の「ガッチャマンの歌」でその火蓋が切られた。そしてOYAJIたちのリクエストが始まった。9曲しか予約できないのですぐに満杯。何でエントリーできないんだと文句が出る。私も口慣らしに「アリスメドレー」を。それが終わる頃には不倫カップルも退散し、ついに貸切状態。さあ、もうどうにも止まらない!

OYAJIカラオケは、1960年代からせいぜい1980年代までがお約束。たまに新しい歌を歌おうものなら「知らねぇゾ〜」のヤジ攻撃。知ってる歌には勝手に合いの手が入り、我慢できずにもう1本のマイクを取ってツインボーカルもしばしば。閉店の23時までに、覚えていないが50曲近くは歌っただろう。定番のおふらんぷ氏「ハイウェイスター」、Kurimi氏「傷だらけのローラ」ももちろん出た。あまりの絶叫に店長は耳をふさいでいた。我々を知らない人には、さぞやつらかった事だろう。

カラオケ後は再び露天風呂へ。お湯に浸かって泳いで部屋に戻る。このまま寝ると思ったら大間違い。部屋でさらに宴会。床に就いたのは午前1時過ぎだったか。なのに翌朝6時に露天風呂に行ったOYAJIがいた。普段朝が早い連中とはいえ、このパワーはどこからくるのか? 我々の部屋の3人は当然爆睡だったのは言うまでもない。

2日目から合流したメンバーも加え、総勢10台のプジョーは駐車場でも走行中でも圧巻であった。この日は朝から雨に祟られたが、前日の酒が抜け切らないOYAJI達には、ワサビ農場のワサビソフトクリームが身体に浸み込んで、しばしのリフレッシュとなった。その後、松本のイトーヨーカドーの屋内駐車場を占拠し、店内で「まったり丼」「ザブザブ丼」という不気味なメニューのあるソバ屋で食事。なぜか全館中日優勝セールもしていた。ここは長野県だろうが。

食事の後は、しげドンお得意のアーシングを2台に施し、ダラダラと雑談。15時を回ったところで、塩尻経由で帰路についた。

1泊2日でこれだけやりゃPOOBの面目躍如だろう。次回もさらにパワーアップするに違いない。

POOBオフ会の2日目からまだ雨が降り続いている。前線の影響というが、季節はずれの梅雨という気がしてならない。

イチローのシーズン最多安打記録は262本で終了した。84年前の258本の記録を更新したのはスゴイとしか言いようがない。TVの解説で何度もやっていたが、しなやかな肉体と強靭な筋肉による絶妙のバットコントロールが最大の武器だそうだ。ピッチャーの変化球をスイング途中で修正しつつ芯で捉え、広角に打ち分ける。加えて俊足が内野安打を量産する。彼であるからこそ成し得た偉業であると言える。

メジャーリーグのヒーローは長い間ホームランバッターであった。力で投げてくる相手の珠を、力で打ち返しスタンドに運ぶ。あるいは逆に、剛球で彼らを押え込むピッチャー。そんなダイナミックな戦いがファンを魅了し続けてきた。いつのまにか選手は筋骨隆々となり、その点が日本の野球と選手がメジャーでは通用しないと言われた所以でもあった。

ところがイチローは違った。メジャーのパワーとスピードに負けない筋力増加を図ったものの、持ち前の技術と足は殺さない。外観はあくまでスリムな印象でありながら右に左に打ち分け、足でヒットを稼ぐ。守備でも強肩を生かし、レーザービームのバックホームでクロスプレーを演出する。アメリカ人がそれまで想像していたヒーローのイメージとは全く違うヒーロー像を具現化した。だから新鮮であったし、賞賛されるのだ。

今まで日本人選手は、メジャーのパワーに対処できるか、メジャーのようなピッチングができるか、メジャーのようなバッティングができるかという事が、メジャー行きを左右してきた目安であった気がする。それでも何度も破れ、挫折してしまった歴史がある。

イチローのメジャーでの生き方は、これからメジャーを目指したい選手にとって、とてもいいヒントを与えてくれたと思う。

昨日めずらしい人と再会した。4年半前に私が名古屋に異動した時、彼は岐阜にいた。もともとは大阪出身だが、その当時の会社の雰囲気にイヤ気がさして、PC関係の専門学校に入るべく20年以上勤めたこの会社を退社した。

専門学校を卒業した彼は、患者さんの薬の飲み忘れを防止するためのメールサービスの会社を立ち上げた。服薬時間になると携帯にメールが送られるというシステムで、街の調剤薬局の顧客サービスとして大きな需要が見込めると判断したのである。

しかし現実は甘くなかった。銀行は事業計画書を見ても融資を渋り、薬局を回っての営業も振るわない。理由は「ほとんどの薬剤は1日1回か2回なので飲み忘れは少ない」「飲み忘れで大きな影響のある疾患は限られている」「高齢者の携帯所持率は低いし、メール活用度も低い」などなど。

結局、借りているサーバー代にも窮し、やめた会社の門を再び叩いたというわけである。これまで孤軍奮闘してきて、改めて定収入の見込めるサラリーマンのありがたさを痛感したという。

確かに自営業は誰にも指図されず、定年もなく、自由だという印象を持つ。だがそれはすべて自らの手で結果を出し、責任を持つという事の裏返しである。軌道に乗るまでは決して平坦ではないし、脱サラの成功率は10%程度である事からも、サラリーマンが如何に自分で全てをこなす事ができないのか、あるいは如何に自分に甘いのかの証左でもあろう。

彼が復職した部門は以前の営業ではなく、PCを使った情報システムの管理・推進である。そこへの求人情報を彼にもたらしたのは、昔かわいがっていた部下だった。

彼の残していったその財産が、今度は彼の身を救った。

昨夜、私のいた部署の歓送迎会がやっと開かれた。私は送られる側の主賓の一人である。会場は、会社帰りにさんざん通った駅前の洋風居酒屋「沙蘭亭」、値段が安いのが何より取柄の店である。今更そんな店でやるなんて我々への扱いの程度が知れるってモンだ、と最初は思っていた。

実際に行くと、テーブルにはピンクのテーブルクロスが、焼酎「百年の孤独」のボトルが花瓶になっていた。こりゃいつものこの店のしつらえとまるで違う、気合が入っているなと驚かされた。さらに普段見かけない大皿でサラダやオードブルみたいなものが。まるでマトモなレストランのようじゃないか。

極めつけはマカロニグラタン。私は子供の頃からホワイトソースが大好きで、ポタージュとかカニクリームコロッケも好きだったが、特にマカロニグラタンには目が無かった。この店にも以前から定番メニュー収載の要望はしていたが、ついぞ叶わなかったのだ。それが今夜大皿で登場した。特別な仕込みが要っただろう、店長の心遣いの一端である。参加者がそれぞれ取り分け終わるのを待ち構え、残りを全部一人でたいらげたのは言うまでもない。でもお替りができなかったのはちょっと残念。

もう一人の異動者、実はそれまで私の部下だった男だが、パーティー衣装のセーラー服を着せられた。彼は185cmの長身だが、なぜかサイズはピッタリ。でも絶対見たくない光景に加え、彼独特の異様なオーラも振りまいていた。このまま新宿2丁目に異動した方がいいかもしれない。

ともあれ、こうして歓送迎会の夜は更けていった。記念品はお決まりの花束と「上司は思いつきでモノを言う」という本、それに店長から「十四代」の一升瓶キープ権。もちろん、これが一番うれしかった。

パリーグのプレーオフは、西武が最終戦でダイエーを破って日本シリーズ出場を決めた。マスコミでは、レギュラーシーズンの135試合で2位西武に4.5ゲーム差をつけていたダイエーの成績がフイになったと伝えていたが、これがプレーオフの醍醐味でもある。

メジャーでもワールドシリーズ出場をかけたプレーオフがあり、ファンは熱狂する。同一リーグの中のチャンピオン決定戦で、勝てばワールドシリーズ出場権獲得なのだから当然だ。パリーグでも毎試合通常ではあり得ない観客動員があり、たぶんTV中継の視聴率も巨人戦より高かったと思う。短期決戦ならではの緊迫感がそれに拍車をかけている。

だが、メジャーと決定的に違うのは、メジャーではワイルドカード出場チーム以外は、同一リーグといえども普段戦わない他地区のチームの中での出場権争いであり、パリーグはついこの前まで優勝争いをしてきたチーム同士だということだ。だからプレーオフで下克上が起きれば、それまでの成績は何だったんだという議論が出る。

パリーグはかつて2シーズン制をとった事もあるが、その時はあまり盛り上がらなかった。前期優勝してもそれは真の優勝ではなく、結局後期優勝が決まるまで実感はない。後期優勝チームが別のチームだった場合、初めてプレーオフとなり盛り上がるが、同じチームだったらそれで終わり。だったら1シーズン制でいいじゃないかという事でまた元に戻った。

それでも今回のパリーグの企画は評価できると思う。対戦はすべて上位チームのホームゲームとした事で、上位チームの利益が増加するし、下位チームへのアドバンテージともなる。とっくに優勝が決まったセリーグを尻目に、全国の注目を集められる。実際、私もプレーオフの試合中継を通して初めてパリーグの優秀な選手を見られた。

いっそのことチーム数をもっと増やして地元密着型にし、全国に4地区以上のリーグを作りプレーオフ制を取り入れたら、最後の日本シリーズまで盛り上がり続ける事まちがいなしだろう。とりあえず今の12チームを3つの地区リーグに分けたっていい。地区にチームがなければフランチャイズを移動したって、新たに作ったっていいじゃないか。ライブドアや楽天だって救われる。シダックスだって参入できる。ファンも地元のチームに根付くだろうし、本当の意味でのフランチャイズができる。

何より私が大嫌いな「全国どこ行っても巨人ファン状態」が解消される。

まるでカラ梅雨の帳尻合わせのように雨の日が続く。昨日書いた「12球団3地区リーグ案」がSANSPO.COMにも書いてあったのには驚いた。プロのスポーツ記者も同じ考えを持っていたんだな。

このところ、悲惨な殺人事件がニュースを賑わしていると思ったら、今度は集団自殺だ。ネットで知り合った数人が、人里離れた場所で車にこもり、睡眠薬を飲んで練炭をたく。しかも、この手が得意な若い世代だけでなく、いい大人の会社員や主婦までもが加わっている。殺人といい自殺といい、問題を解決する手段として、あまりにも「死」を簡単に選びすぎてやしないだろうか。

人は生まれる時も死ぬ時も個体としてはひとつであるゆえ、どちらの場面も一人で厳粛に迎えるべき事なのである。さらに、このどちらも自分の意思で得る事はできない。たまたま人間の知能が、自ら命を絶つ事も可能にしているに過ぎない。残酷な物言いかもしれないが、動物の中で一番知能が発達しているはずの人間が、その知能をそんな余分な事に使う事が許せない。一番卑怯な逃げ方を、それも徒党を組んでする。動物以下である。

放っておいても人はいつかは死ぬ。でも、この世に誕生して以来、死ぬために生きているという人はいないだろう。死はいつか来る。しかし、それを他人からはもちろん、ましてや自分から強制するなんて愚かとしか思えない。自分が今まで生きてきた上で、今まで生きてこられた中で自分に関わってくれた人々にどう答えるつもりなのだ。身勝手にもほどがある。

もう一度言う。人は死を目的として生きるに非ず。生きているからこそ喜怒哀楽のドラマがある。悲しみの向こうに喜びがあり、苦しさの向こうに楽しさがあるから、人は昨日までを生き、今日を生き、明日からも生きてゆけるんだ。それが生きているという事なんだ。悲しみ苦しみの所でピリオドを打ってしまったら、あまりに惜しいじゃないか。

そんなに死にたきゃ、まずひたすらに生きてから死ね!


「そんなに死にたきゃ生きてから死ね!」と昨日書いた。書いた後にBBS巡回をしたら、我らがPOOBメンバーしばやんさんの訃報に触れた。なんという悲しい偶然だろう。

彼は名古屋在住の45歳。HPを持ち、プジョー206オーナーという縁でPOOB名古屋メンバーとなった。当初から、彼は癌と戦っていた。多発性だったため、身体のあちこちに治療が必要で、入退院を繰り返すという日々だった。だが彼はその都度病気との戦いに勝ち続けてきた。原発巣のオペ、骨・関節転移のオペ、化学療法、放射線療法、歩行訓練、リハビリを続けつつ、オフ会に何度も206を運転して参加してきた。そんな彼を我々は敬意を込めて「ターミネーター」と呼んだ。

今月初めのPOOB信州温泉オフも、彼は車椅子訓練中でありながら最後まで参加の意志を持っていた。結局参加は叶わなかったが、すでに彼は次回参加への強い意志をBBSに書き込んでいた。それが彼からの最後のメッセージとなってしまった。彼と最後に会ったのは去年だったか。私が名古屋へ行った時、入院中だったにもかかわらず、なんと病院を抜け出し206を運転して現れたのだ。一同びっくり。そして彼お気に入りのカフェでプチオフと相成った。昼下がりの楽しいひとときだった。

彼には奥さんと耳だれスコティッシュの愛猫がいる。そんな家族を残したまま逝くのはさぞやつらかった事だろう。いや、きっと彼はそんな事は思いもしていなかったに違いない。元気になる事しかイメージしていなかったろうし、そうなるためにつらい治療もリハビリも乗り越えてきたのだ。全身生きる意欲のかたまりだったに違いない。

ふいに「涙そうそう」の詞がよぎった。きっと今ごろ、彼は彼の場所から我々に得意の笑顔で微笑みかけているんだろうな。

世にはこんなに一生懸命戦いながら生を勝ち取ってきた人がいる。それでもたった一度の敗北が、死を意味してしまった。生きている事のすばらしさ、ありがたさをわかろうともせず、あるいは思考を停止し安易に死に走る者達よ。お前達の命と彼の命は同じ命なのか? 同じ価値がある命なのか? そうだとしたら、その答えを示せるのはもうお前達しかいないんだぞ。