今回の新薬専任部隊の研修は、明日から長崎で実施する。関連領域の学会が開催されるので、その聴講も兼ねての気分転換になるだろう。但し、説明会スキルのアセスメントなど、彼らをシゴくプログラムも満載である。

研修は17日〜18日、学会聴講は19日〜20日だが、本日午後から前泊移動、さらに私だけ21日まで延泊し、長崎市内観光でもするつもりでいる。何せ長崎は初めて訪れる地なので、平和公園や原爆資料館などを見ておきたいと思ったからだ。広島の資料館は2回ほど行ったが、長崎では何を感じさせられるだろうか。有名なグラバー邸などの外人住居跡は、神戸の北野も有名だが私はあまり興味がない。

ちなみにさだまさしの歌にもある「オランダ坂」には行ってみたいと思っていたものの、ユニークなコラム形式の観光サイト「長崎ガイド」によれば、札幌の時計台、土佐のはりまや橋、首里の守礼門の「日本三大ガッカリ名所」に数えられてもいい位の「ただの坂道」だそうだ。

天気を調べると連日26℃以上と夏日である。スリーシーズン用のジャケットでも暑いかもしれない。その気温の中でも、毎日の昼飯は「長崎ちゃんぽん」と決めている。研修会場がちょうど長崎中華街のある新地という所なので、いろいろな店で食べ比べができるのが楽しみだ。

長崎は九州の中でも私にとってかなり強いイメージが先行している街だが、初めての景色と食べ物と空気をたっぷり味わってこようと思う。

前半2日間の研修が終わり、後半2日間の学会聴講の合間を縫って出かけた長崎観光第一弾、希望者多数だったので、さほど興味の無かった「グラバー園」へ。全線100円均一という驚異の安さの路面電車を乗り継ぎ、長崎一と言われる土産物屋の並ぶ坂道を登って行く。依然夏日の昼間なのでキツくなりそうである。

ところが歩き始めて20mも行かないうちにメンバーの一人が早くも土産物屋へ消えた! 見るとそこは蜂蜜店。若めのお姉さんに引き込まれたそのメンバー、そのまま蜂蜜お買い上げ〜! キャッチバーじゃあるまいし、せめて帰りにせいっ! 

その反対側にはソフトクリームや飲み物を売ってる店が! そこで「恋のオランダ坂」という地ビールを見つけた別のメンバー、そそくさとサイフをまさぐり始めた。しょうがないので休憩にして飲む。まだ20mしか登ってないのにこの体たらく。あ〜あ、立派なOYAJIばかりだわ。

修学旅行の女子学生目当てのファンシー土産物屋、意味不明のキャッチコピー看板の怪しい土産物屋などを見ながら、ついに園の入り口へ辿り着いた。入場料600円也を払ってさらに上へ。ここからはエスカレーター付なので楽だ。すでに汗だくで息切れしていた超太目のメンバーもホッとしている。

山の上には絵はがき等で見たグラバー邸が。この主がキリンビールの創立者とは知らなかったが、今も昔も金持ちと煙は高い所にのぼりたがるのか。今夜は閉園後から学会の懇親会が開催されるため、ガーデンスペースにはケータリング業者が忙しそうにセッティングしていた。ここからの長崎の景色は出色だ。三方を山に囲まれ、湾で二分された町並みが川になると同時に一つになり、この稀有な地形が実に絵になる風情を醸し出す。反対側の稲佐山展望台からの夜景の美しさも十分納得できよう。

この、山を丸ごと買い占めて作ったような庭園と住居のすぐ外に、驚いた事に一般の家々が建っている。このパノラマを共有できるのはうらやましい限りだが、どの家もグラバー園からみえる高さに窓を作っていない。そりゃ観光客に覗かれるのはイヤだろう。でもそのおかげで十分にパノラマが見られないというのもかわいそうな気がした。

下り坂の途中でに「大浦天主堂」へ。正式名称を「日本二十六聖人殉教者天主堂」といい、秀吉のキリシタン弾圧により6名の外国人宣教師と20名の日本人信徒が長崎で十字架に掛けられたエピソードに基づき、彼らに捧げられたもので、国宝だそうだ。

キリシタン弾圧といい原爆投下といい、長崎はいち早く海外と先進的な交わりをした半面、言いようのない災いにも遭っている場所だ。

さて、本日の夕食はタクシー運転手お勧めの思案橋にある餃子専門店「雲龍亭思案橋本店」へ。一人前300円の一口餃子を8人で瞬く間に12人前、レバ焼きや肉ニラ玉とじを4つずつ、生ビール10杯に紹興酒ボトル2本で一人1800円! 観光客用の店じゃなければこんなに安いのだ。

続いてその隣りにある「クッキングパパ」というマンガにも登場した「天天有」で角煮とちゃんぽん、皿うどんをシェア。ここのちゃんぽんはとんこつダシが中心で他とはちょっと異なる。コラーゲンたっぷり感でチャンポンの原型を思わせる味がウマい。当然、紹興酒も飲んだが、それでも一人800円!

とは言え、中華料理のハシゴはキツい。ホテルに帰ってもハラが張ってなかなか眠れなかった。思えば長崎に来て毎日必ずちゃんぽんか皿うどんを食べてるが、不思議と飽きるという事がない。同時に全国チェーン「リンガーハット」が安価でレベルも決して低くないと再認識できた。新地の中華街の有名店と比べてもそれほど遜色が無かったからである。

中華街と言えば、研修初日は「江山楼」の特製ちゃんぽん(1500円)を狙って行ったが、特製はフカヒレ入りと聞き、ちゃんぽんにフカヒレまでは不要と上ちゃんぽん(945円)にした。それでも評判通りのクリーミーで十分なコクだったし、二日目の「会楽園」の太めん皿うどん(1050円)は、麺が甘めのスープを良く吸っていて旨味満点! この麺の味はなかなか他店ではお目にかかれないだろう。ただ、観光客相手の店のせいかどこも値段は高めだった。

明日はもう一つの災いである「原爆資料館」と「平和公園」を巡ってみようと思う。但し、メンバーのほとんどは午後の早い便で帰路に着く。土曜日まで延泊するのは私一人である。だから明日からは単独行動となる。

〜つづく

さて、あくまで学会聴講の「合間」を縫っての長崎観光第二弾は「原爆資料館」から始まった。ここにも修学旅行生のグループが来ていたが、平日という事もあって観光客の人数は少なかった。

施設の規模こそ広島より小さいが、ここに落とされた原爆は広島型の2倍の威力を持ったプルトニウム弾だった。当時の人口が約24万人の長崎市で、被爆5ヶ月後までの死傷者数は15万人に達した。当然、放射能によるその後の死者は増えている。しかも海と山に囲まれた狭い地域に広島型の2倍の威力が炸裂したのだから、その熱線、爆風、放射線は史上最大のものだったと想像できる。

じっくりと資料館を見学した後、昼食を爆心地に近い「宝来軒別館」にて半盛ちゃんぽんとエビ玉丼のセットを食べた。地元でも評判の店だとあったが、確かに典型的なちゃんぽんで味もいい。わずか60年前に上空500mで原爆が炸裂した同じ場所とは思えなかった。

平和の泉と平和祈念像のある「長崎平和公園」を通って、長崎医科大学の医師であり被爆者の永井隆氏の住居兼執筆活動の拠点「如己堂」を散策。そして「浦上天主堂」へ。

ここは入場無料なのだが、大きなカテドラルを最後部から見る場所しか入れなかった。それでも祭壇正面の荘厳なキリスト十字架像やすべての窓がステンドグラスというなんとも見事な美しさに目を奪われた。明治維新を経ても弾圧を受けていたとの記述を見て、キリシタン弾圧は江戸時代のものとばかり思っていた自分の見識を恥じた。弾圧に耐えた信者たちが30年以上の年月を掛けて築いた東洋一の大聖堂も原爆で一時崩壊したが、残った信者たちによって再建されたという。

ここまで歩いてきたらもう長崎ぶらぶら節の気分だ。さらに足を延ばして、原爆の爆風に残った一本鳥居で有名な「山王神社」へ。ここの境内にある2本の巨大な楠も原爆で上部を破壊されたが、互いに枝を延ばしあって生きている。ただ、爆心地方向の樹木面だけが黒く焦げていたのが痛々しい。足取りも自然と重くなる。

最後はホテル近くに戻って「日本二十六聖人殉教地」のある西坂公園へ。命さえ厭わない信教の強さ、殉教者には子供までいた事にしみじみ考えさせられた。

長崎はさまざまな「平和」を自然に意識させ、考えさせる街だ。

最後の夕食は、ホテル近くの「飛龍園」でエビ入りちゃんぽんと焼き餃子、それにキリンクラシックラガー。巨大な皿うどんのオブジェが並ぶ黄色く目立つ店で、評判通りのちゃんぽん。しかし特筆すべきは餃子だった。昨日食べた一口餃子も秀逸だったが、ここのひし形に作られた小型の餃子も、香ばしい上に中から旨味が飛び出して来てかなり幸せになる。これは意外な穴場じゃなかろうか。

明日の土曜日、午後には空港に向かわなくてはならない。長崎最後の空気はどこに行って吸おうかな?

〜さらにつづく

「ひとり延長戦」の土曜の長崎。昨日まで宿泊していたウチのメンバーたちや出張ビジネスマンがいなくなって、代わりに観光客のチェックインが目立つ。ゆっくりと朝食を食べて最後のぶらぶら節に出発。

一番近いのにまだ行ってない場所だった「出島」へ。そういえば長崎では今月29日まで日本初のまち歩き博覧会「さるく博'06」が開催されており、至る所にロゴが溢れている。ここ出島も賑わっていた。

今や周りが埋め立てられて海岸線も遠くなった出島を復元させるプロジェクトが進行中で、当時の半分くらいの建物が同じ工法、内装で蘇っていた。いくらボロ儲けの貿易商でも最低1年以上の単身赴任を余儀なくされた商館長(カピタン)を始めとするオランダ人商館員たちは、ここから殆ど出られずに過ごしていたという。せめてもの慰みは遊女たちだったそうだ。

ざっと廻れば1時間程度のところを3時間近くのんびり彷徨った。ホテルに戻って荷物を受け取り空港バスに乗る。予定より90分ほど早い便に変更して帰京した。土産は、サイトで目星を付けてた「南蛮おるごおる」を空港でやっと見つけたが、木箱のパッケージのはずが紙製になっていてガッカリ。しょうがないけど一番小さいヤツを買った。

さて、食べたもの全てではないにせよ、ちゃんぽんや皿うどんの感想はいくつか書いたが、実は長崎の良さはそれ以外にもある。それが「魚介類」である。長崎では魚介類が新鮮である事は当たり前なので、それを宣伝文句に使えないほどだそうだ。それだけ居酒屋のネタのレベルが高いのだ。

その中のお勧めを一つ。その名を「まつなが」といい、前泊で長崎入りしたメンバーが偶然入って大満足したと言ってた店である。それならという事で、3日目の夜に同じその店で懇親会をやった。結局参加者が20名前後に上ったため、幹事は定番の刺盛りだけでなく、その日の朝に揚がった魚を商社よろしく次々と買い占めたそうだ。

その成果もあって、旬の魚介類の刺身だけでも、キビナゴ、うちわエビ、シマアジ、イサキ、メダイ、サーモン、真タコ、サザエ、アワビ、珍しいサメの湯引き、ミズイカ姿造り、五島名産ごんアジ刺、名前は忘れたが赤いオコゼのような白身魚などが勢ぞろい! 他にもいろいろ料理が出たと思うが、それは覚えてない。

乾杯の生ビールもそこそこに、例によってこの刺身を前にして焼酎じゃ失礼とばかりに淡麗系「賀茂鶴」四合瓶から注文。たちまち売り切れて、店にあった同じ値段の日本酒を次々に開けてもらう。もちろん焼酎派は勝手に一升瓶でやり始める。気が付けば開宴から3時間以上が過ぎていた。口やかましい連中も大満足!

これで一人4500円とは俄かに信じられなかった。つくづく長崎の外食は高レベルでリーズナブルである。正直、住んでもいいなとさえ一瞬思った。

ともあれ、今回の長崎のように一ヶ所に一週間近く滞在したのは近年では殆ど記憶にない。でも少なくとも食べ物で退屈はしない街だという事がわかった。

次回の課題として、その地名に何ともいえない情緒を感じる「蛍茶屋」辺りの散策と稲佐山展望台への訪問を残しつつ、初の長崎行は終わりを告げたのでした。ちゃんちゃん・・・ぽん。

〜おしまい〜

一週間のブランクを空けても事態は変わらなかった。もっとも相手は精密機械だからして変わるワケもない。帰京後、期待を込めて起動しても結果は同じだった。カミさんに訊く。

「ネットとメール、おかしかっただろ?」
「うん。何度やっても接続できなかった」

それだけではない。アプリケーションのショートカットがことごとく動作しない。ならばと本体の起動ファイルを直接クリックしても開かない。もはや開くのはオフィス関連ファイルと画像ファイルだけとなっていた。

以前からノートンアンチウイルスは入れていたのだが、どうもうまく機能していなかったらしい。期限切れをきっかけに「ウイルスバスター」に乗り換えた。このソフトはてきぱきと気持ちよく働く。やっと正常になったかと思いきや、しばらく経ってこれも起動しなくなった。コンフリクトというダイアログが出たが、それが何のアプリのせいかわからない。その間にも有象無象のウイルスやスパイウェアの攻撃に晒されたらしく、やっと新バージョンにアップグレードしてスキャンした時すでに遅く、なんと数百のファイルがウイルス感染と判別され、隔離されてしまった。

感染は必須ファイルらしきものにも及んでいて、それが隔離されたらアプリがまともに動作するはずがない。手動で元に戻してもすぐに再隔離される。終いにはディスクのフォーマットさえできなくなり、最後の手段だったOS再インストールも不可能となった。かと言って、今週みたいに会社のPCでサイト更新するのもおっくうだ。もはやグリコ・・・お手上げである。

「困ったな。幸い外部HDDに主だったファイルはバックアップしてあるから、後はPC本体をどうするか、だ」
「どういうテがあるの?」
「面倒くさいのはオレもイヤだから・・・手軽で一番安いのは本体HDDの交換だけど、OSのアップデート等にどえらい手間がかかるよ」
「次は?」
「いっそのこと、最新のノートPCを買う。これなら今すぐにでも復旧する」
「ふ〜ん。それがお手軽なら、それでいいよ」

という事で、いつもの大型電機店に突入。今まで見向きもしなかったA4サイズのノートPCの売り場へ。本来の機動性などこれっぽっちも考えていないような、見るからにデザイン重視の大型ノートPCが陳列してある。

ノートPCと言えばこんな思い出がある。私がPCをやり始めたWindows3.1の頃、当時では最速CPUだったPentium90とTFT画面を搭載し、メモリを16Mに増設した台湾製のノートPCを、必死にカミさんを説得して40万円超で購入した。まるで天下を取ったような嬉しさに、これさえあれば10年は現役バリバリマシンだろうとさえ思ったほどだった。

そんな妄想はすぐにムダな事だと悟ったが、今改めて見回わしてもA4なら最強機種でも20万円台だ。昔よりはるかに部品が安価になったためだろうか、手軽に部品の替えが利かないノート機より、部品ごとにアップグレード可能なタワー型のデスクトップ機の方が高スペックでリーズナブルだと言われた時代はもう過去のものになったようだ。第一、私はデスクトップ機の部品交換などした事もないし、交換といっても今はマザーボードごと交換しなくてはならないので結局大ゴトになってしまう。

居並ぶノートPCを価格重視で見ていたが、その中で目に入ったのがAMDのデュアルコアCPU搭載機「NEC LaVie LL570/GD」だった。これでメモリを1GBにすればかなりのスペックになる。価格も14万円台だ。わずか2年前に買ったのに、今回オシャカになったDELLの20万円超のデスクトップ機よりも間違いなく強力マシンである。

カミさんに他を見て回らせている間に店員とQ&Aを交わしつつ「今はノートで十分なスペックが得られるし、価格も高くはない。これからはオールインワンのノートPCを丸ごと買い換えていくという時代になるんだな」としみじみ感じた。時代は変わったのだ。

というワケで、半ば衝動買いしたノートPCでこのDiaryを書いている。外部モニタは不要なくらいクッキリ明るい。キーボードもテンキーが無いくらいで大きさも今までのとほとんど変わらない。このままで十分かも。

今日の反省・・・また安易にお金で問題解決してしまった。ホントに堪え性が無くなった。

一週間近くに及んだ長崎出張を終え、昨日から出社となったのだが、久々のオフィスには地獄が待っていた。

なんと来年早々には承認が下りるはずだった新薬が、3ヶ月遅延される事になったのだ。その新薬のために選抜され組織された専任部隊は間延びしてしまった期間をどう活動していけばいいのか。もっとも、我々の業界ではこんな事はよくある話で想定の範囲内でもあるが、彼らに対する今後の研修も含めた見直しが急務となった事は確かだ。

そうこうしているうちに、マーケティング部門から来週木曜日にリリース予定のe-Learningの原稿が来た。40枚近いスライドを見てみると、文字だらけのスライドが目立つ。これではかなりの手直しを施した後でなければ使い物にならないじゃないか!

こうなったらもはや私自身でやるしかないのだが、私とて明日の晩から福岡出張、来週から連日たった一人の専任部隊の新任メンバーのための研修なのだで埋まっている。しかも、まだその準備もできていない状態だ。

だが、少なくとも原稿からe-Learningコンテンツにする作業に2日は要る。とすれば、完成原稿のホントの待ったなしの〆切は来週月曜日の朝となる。

必然的に勝負は今日と明日半日、福岡での空き時間、そして土日である。原稿と研修準備のすべてをこの間に片付けなければならない。

甚だ不本意ながらも、今日は二度目の日付変更線越え覚悟で来た。
さあ、こんなDiaryなんて書いてないで、やっつけ始めねば!

福岡に来て2日目、地鶏水炊きの博多味処「いろは」に行った。福岡にはそれこそ何度も来ているが、決まって行く店は活イカ刺とゴマサバを求めて「五条八島」など魚介類の店ばかりだった。秋も深まったこの日、もうひとつの博多名物である水炊きにはいい頃合いだろう。

カミさんの親父さんは鹿児島で養鶏を営んでいた。そのおかげでカミさんは鶏を丸ごと一匹使った水炊きは普通の食事だったと言う。文字通り新鮮な内臓などは刺身になる。カミさんはスナギモやレバーは刺身で食べるものだと思ってたそうだ。肉は骨付きで徹底的に煮る。すると見事な鶏ガラ100%の白湯スープが出来上がる。

この白湯スープが水炊きの命なのだが、これが普通の家庭ではまずできない。私が子供の頃から食べてきた水炊きは、単に「水で炊く」ものだった。だから味が薄く、濃い味好きだった私はとても好きにはなれなかった。

この店の水炊きはもちろん「白湯スープ」である。スープが沸騰すると、まず湯呑みに入れてくれる。塩とゆず胡椒を混ぜて飲む。やさしい味が五臓六腑にしみ渡る。同時に、前夜3軒ハシゴして弱った食欲がモリモリ蘇ってきた。このスープにこそ一人前4300円也を払う価値があるのだ。

スープに入っていた骨付き肉と小さく丸めて入れてくれる鶏ツミレがメインだ。これに白菜ではなくキャベツ、春菊ではなく水菜、ニンジン、豆腐、エノキ、春雨などの野菜類が付く。白湯スープで煮られた野菜も絶品である。

それらが3人の胃に収まるとほぼ満腹状態になった。だが目の前には、さまざまなダシが出たスープが残っている。ここは雑炊かおじやで〆るべきだろう。仲居さんを呼んで、注文する時にそれは起こった。

「おじやを頼みたいんだけど、みんなかなり満腹なので一人前くらいでいいんだけど・・・」

返ってきた言葉に耳を疑った。

「一人前だと厨房で別に作るんです。お茶碗も一つしか出ないんです」
「え? それじゃこのスープの意味が無いじゃん」
「・・・二人前ならここでできますが」
「じゃあそれでお願いします」

やがて運ばれてきたのは一人前の量の白飯と浅葱の入った生卵。若い仲居さんは減らしたスープで着々とおじやを作っていく。

「あの〜、そのおじやって、ここに書いてある一人前400円のおじやの2人前ですか?」
「そうです」
「それって、おじやの横に書いてある300円の飯と60円の生卵と同じような量ですかね?」
「そうですね」
「え〜っ? 800円と360円とじゃ、そっちの方が全然安いですよね?」
「そうですねぇ(笑)」
「しかも3人いるのにお茶碗2つしか持ってこないし(笑)」
「二人前ですので(笑)」
「・・・そういう問題じゃない気がするんですが(苦笑とタメ息)」

画竜点睛に欠くとはこれを言う。いくらおいしくても、いくら老舗でも、いくら名物女将がいようとも、これは減点である。壁を埋めつくしている有名人の色紙も泣くってモンだろ。誠に残念。もし女将がこの事実を知らなければ大変だし、分かってやらせているならなお大変である。あなたの店の足元は接客の最前線で揺らいできてますよ。・・・どっかの会社みたいに(爆)

たった今、日本ハムが日本シリーズを44年ぶりに制した。そしてSHINJOが涙に暮れた。

明けて福岡最終日。本日の昼食は、たぶん1年近くご無沙汰してた蕎ぐい「いまとみ」へ。初めてこの店で細挽き蕎麦を食べた時の感慨がいまだに忘れられない。福岡で九州でこれほどおいしい蕎麦に出会えるとは想像だにしていなかったからだ。

夜の部になると、酒の肴にもってこいの鴨焼きなどの前菜数品と店主お勧めの冷酒が一合、それに細挽き蕎麦が付く「蕎麦で一献」セット(1700円・2500円)があり、初めて訪れた日の昼も夜も行ってしまったほど入れあげてしまった。後に、例の「クッキングパパ」という漫画にも登場した。

そんな店なので、とっくにこのDiaryでも書いていると思ったが、不思議と探しても出てこない。で、今回改めてここに紹介する次第だ。評判を呼んでいるせいか、今日の遅めの昼時でも広めの店内がほぼ満席状態だった。

相変わらず香りと歯ごたえ抜群の蕎麦、量が少なめなのが玉にキズだが、それも許せる。ランチタイムには鶏ご飯が付いた1000円セットがある。残った付けツユを蕎麦湯で割って飲めば、ホンワカと身体が落ち着いてくる。

蕎麦屋で長っ尻は無粋もいいとこ、スッと引き揚げるのが「粋」ってモンだ。味が変わっていなかった嬉しさと次回訪問を楽しみに帰京の途に着くとしよう。

彼は合併前の同じ会社にいた。関西出身の40代で、本社のマーケティング部門に勤務している。毎朝自宅から自転車で通勤しているが、ほとんど毎日カジュアルシャツに綿パンやチノパンといういでたちである。たま〜にスーツ姿の時があると、得意先への外出か会議での発表があるんだなと実にわかりやすい。断っておくが、ウチは営業主体の会社である。

ある時彼は、ある製品を「自分が担当すればもっと売れる」と言って担当した。前担当者はよく現場へ足を運んでいたが、彼に代わった途端、ほとんど外に出る事がなくなった。すぐに彼は「最も現場に出ない製品担当者」と言われるようになった。製品も自然の成り行き以上に売り上げが伸びた訳でもない。

その製品に今年、強力な競合品が現れた。我々は彼の考えた対策と戦略通りに営業部隊への研修を行ったが、彼らや現場のDrには受け入れられず、今やその製品は、治療の第一選択薬の座を追われ始めている。現場からも、どう見ても彼の認識が甘過ぎたと指摘された。

そんな彼が、来月から新製品部門の部長に昇進するという。私は今週アタマから専任部隊の新任メンバーへのマンツーマン研修をやっていて、イントラに掲載された異動通知など見ていなかったため、人づてにそれを聞いた。

彼はそんなに英会話できたっけ?
そんなに成果を挙げていたっけ?
そんなにゴマすりが上手だったっけ?

・・・訳がわからないので片っ端から誰彼に訊いても、皆から「?」と返される。妥当な昇進理由を教えてくれた者は一人もいなかった。訳がわからないのは私だけじゃなかったのだ。

マーケティング部門にはもう一人、慶應のマーケティングゼミ出身ゆえに重宝がられているものの、なぜか担当する製品をことごとく低迷させてしまう人物がいる。この二人には、感受性にズレがある、約束や時間にいいかげんという共通点がある。生き馬の目を抜く外資系で、彼ら二人がいまだに生き残っているのが七不思議とされていた。その一人が昇進しちゃったのである。

アンビリバボ〜!
ア〜ユ〜キディング?
ギミアブレ〜ク!

・・・ますますこの会社がイヤになってきた。