出雲眞知子
ウロボロス 2003-10-01 00:26「正直な気持ち。」へのコメント:

多分けっこう長く、ネット上のhirikaさんのことば(のごく一部)を読み続けてきた(つもりな)のだけど、で、そのせいかどうかもわからないのだけど、ちょと感動した。

感動した、と書くと、表現が大げさすぎるかもしれないが、他にいいことばが見つからない。
【このトピックへのコメント】
ピアノは、相変わらず、ドビュッシーの「月の光」。

音がとれても指が動かず、指が動いても音が澄まず。
しかも、一音として、音質にごまかしのきかない曲だ。

で、弾き続けているうちに、ばかばかしいほど当たり前のことを、大発見した。

なぜ暗譜して弾くのか。
それは、全神経を指先だけに集中することができるからだ。
院生が、修士論文のためのデータをとらせて欲しい、と言ってきたので、わたしの講義時間の一部を提供した。

学生たち対して、まずはわたしから、拒否権があることを伝えた上で、なるべくご協力をお願いします、と一言、じゃないな、三言、四言説明をした。

院生は、用意してきた文章を読み上げる形で、このような場面で言うべきことは一通り言った。

だいたい記入が終わってきたところで回収の方法を説明して、学生たちに対して協力ありがとう、と言ったあと、院生に「あなたも最後に何か一言言う?」と聞いたら、「いえ、別に。」という返事が返ってきた。

どうも、わたしが何を促したのか、とんと見当がつかなかったらしい。

30分×160人分の時間を提供してもらったのだもの、やっぱり最後に「ありがとうございました。」ともう一言言ってほしかったな。

が、そもそも指導の先生が、受講生の多い講義で配布すればすぐにデータが集まるから、と言ったらしいのだ。それを聞いて感じるこちらの不快感を、院生にぶつけても仕方がない。

だがこうして、「楽してデータがとれた、ラッキー」と思ってしまうような人を、またひとり黙認してしまったのかもしれない。

一言を聞けなかったために、いや、こちらも不快を伝える一言が言えないために、いやーな気分だけが残った。
【このトピックへのコメント】
  • ブチャ猫不快を伝えると後で何か言われ、イヤーな気分になるし、伝えられないと、これもイヤーな気分が残りますね。聖書によると、人間の心の状態が悪いのは、時代のせいなんですね。(2003-10-03 18:21:52)
  • 出雲眞知子思い切って言ってしまうと、言わなけりゃよかったと思い、言わないで飲み込むと、あの時ちゃんと言っとくんだった、と思い、どっちにしても、精神的に不健康ですよね。(2003-10-03 21:26:44)
  • 出雲眞知子ただわたしは考え方がニーチェ以降の人間なので、人が神を創った、と思ってるんですよ。だから、人間の心の状態が悪いとすれば、それは人間の側に問題があるし、また解決の可能性もそこにしかないと思っているんですよ。もちろん、ブチャ猫さんのお考えや信仰は尊重したいと思っています。(2003-10-03 21:34:26)
わたしが日記に、このことを書いておこう、と思うとき、それはたいてい、誰かの一言や、メールの断片や、目にした光景のワンショットがきっかけになることが多い。

耳に残っている、あるいは目に焼きついている、その一言、その光景を中心に、どうその印象を書き留めようか、それを考えながら文章を構成する。

で、今わたしが切り取った断片は、朝から晩までの長い会議のあと疲れ切って、「今から帰る」という電話を自宅に入れたわたしに、娘が、「早く帰っておいでよ。家でゆっくりしたら、元気になると思うよ。」と言ってくれた一言。

それを聞いて、わたしはそれまでこらえていたものがついにこらえきれなくなって、受話器を握り締めて泣き出してしまったのだが、なぜそんなにつらかったか、ということは、説明しだすと長い、というか、ここに書けるようなことではない。

そんな休日出勤の夜。
もう長く仕事で親しくつきあいのある人に、メールで近況を知らせる。

最後に「また近いうちにご連絡します。」と結んだら、
折り返し、わたしが書いた結びの部分に対して、(何でそんなふうに思ったのか不明なのだが、)
「どこか、島へでも行ってくるような雰囲気が出ていて、いい。」
という感想が届く。

ほんとにどこか遠くの島にでも行けたらいいんだけど。
夏休みに出した課題のレポートの採点をぽつぽつとやっていて(通年科目なので、今全部やる必要はないのだが、旬のうちに)、いろいろ手ごたえがある。

課題は、学生にちょっと過去を振り返ってもらうような感じのものなのだが、一通り終わったあとに感想を書いてもらっている。で、ある男子学生の感想の中に、(クサイ表現だが)面白いのがあった。

「でも不思議なのは、こうして過去を振り返ってみるといい思い出は勿論、嫌な思い出すら懐かしく感じることだ。まるで神様が思い出に利子をつけてくれているように・・・」

そうか、嫌な思い出の痛みが時とともに薄れていくのは、何かが失われるからではなくて、利子がつくからなのか。
ここで書いた仕事、いよいよ10月1日付けで引き継いで、すぐにあれやこれやの用事が入ってくる。思っていた以上に大変。

が、これはわたしひとりの問題ではなく、周囲に大きなインパクトを与える可能性のある決断だった。確実に変化は起きる。だから、多少つらいことがあっても、引き受けたことに間違いはなかったと思う。

で、今ちょっと電話で話した同僚がその件にふれて、「出雲さんがあのポジションについたのは、画期的なことだし、僕は拍手を送りたい。」と言ってくれた。

応援してくれている人は、何人もいる。
ある学生と話をしていて、彼女の言う「もどかしい」ということばが、引っかかる。

自分に対する友人の態度が「もどかしい」と言う。あるいは、バイト先で自分が受けた扱われ方が「もどかしい」と言う。「もどかしくって仕方がない」と言う。

人のことを「もどかしい」と何度も言いながら、その「もどかしさ」の原因が自分にある、ということにまるで気づいていない。

人が彼女のことをきちんと扱ってくれないからもどかしい、と言う一方で、人はみんな敵だと思っているから人からどう思われるかなんて気にしない、と話す。

その矛盾になぜ気づかないのか、こちらの方がもどかしくなる。
【このトピックへのコメント】
  • yukimiその学生の「もどかしい」という言葉の使い方は正しいのでしょうか。それともちょっと勘違いしていて、「いらつく」とか、ひょっとしたら「むかつくのちょっと手前」ぐらいのニュアンスで使っているのでしょうか。「人はみな敵」と思う人間が「もどかしい」という風情のある(?)言葉を使うのが、ぴんと来ないのです。(2003-10-13 14:32:31)
  • 出雲眞知子うん、まさにわたしも、そのズレに引っかかった。彼女は、「憎い」ということばも簡単に使うのです。自分をないがしろにした友達のことが、「憎い」と。「もどかしい」と「憎い」は相当違うよねえ。(2003-10-13 22:44:07)
  • 出雲眞知子でも、勘違い、とも言い切れないのです。しいて言えば、「もどかしい」の幅が、わたしの常識を超えて広いのかもしれない。(2003-10-13 22:45:56)
うん、さっそくやられましたな
わたしも10代の頃は、そうだったような気がする(遠い目)。

でも、世界が自分を中心に回っているかのような錯覚からは、早く脱却した方がいい。平凡とはそういうこと。

中には、その錯覚を持ち続けることが必要な人がいることも確かだけどね。
【このトピックへのコメント】
  • u-kiそれだけ、その学生にとって、deardiaryさんは、大切な人だったんだと思います。聞いてくれる、そう思える先生だったんではないでしょうか?聞いてやりながら、現実との折り合いを付けれるように、方向修正をしてあげればいいと思います。あたしにも、そういう意味で、忘れられない先生が存在ますから。錯覚を持ち続ける必要のある人は、それでいいんですけど、きっと彼女は、現実に適応する必要があるんではないでしょうか?だから、わざわざ、錯覚をしたままでいられる周囲の人ではなく、deardairyさんに、話をしたんじゃないでしょうか。錯覚からの脱却のため、ということもあると思いますよ。生意気な、意見ですけど。(2003-10-15 00:08:29)
  • 出雲眞知子u-kiさん、どうもありがとう。「大切な人」というわけではないけど、ちょっとばかり頼りにされたのは確かみたいです。わたしとしては、わたしにできることとできないことを明確に示しながら、彼女のものの見方、人に対する接し方を、ちょっと揺すぶってみるわけです。変化の可能性はあると思っています。(2003-10-15 17:58:09)
  • 出雲眞知子まあ、おわかりいただけると思いますが、ここに書ききれないことや、書けない(書いてはいけない)こともありますから、この程度で。(2003-10-15 18:00:17) 環和我話「Re:錯覚」(2003-10-15 22:17:23)
朝から猛烈に喉が痛い。しまったなあ。どこで風邪を拾ってきてしまったんだか。

いろいろな意味でつらかった仕事がひとつ、今日終わった。

「あなたがたは残酷だ」ということばは、発しなかっただけで、存在しなかったわけではない。

わたしの心は、さらにもう一段階、冷ややかになったかもしれない。
環和我話 2003-10-13 22:50「錯覚」へのコメント:

あー、やっぱり補足。

わたしが、西田さんの言う通り(つまり、誰でも、自分に価値がある、と思うのは当然)だと思う一方で、その学生に対してはなぜ、「身の程を知った方がいいよ」というような諭し方をしたか、というと、その理由は実に簡単。

彼女が、自分には価値があるけれど、他の人には価値がない、と思っていることが明らかだったからだ。

自分には価値がある、ということの大切さが本当にわかっている人は、他の人も自分と同じようにそれぞれに価値がある、ということがわかっているはずだよね。でも彼女は違ったのだよ。

ただまあ、西田さんは(ここのコメントの盛り上がりに感謝)そこまで読み取ってくれた上で、ああ書いたんだということも、わかってるつもり。

わたしだって職場でいつも、「わたしには価値がある、どうしてわかんないのさ、このぼけなすども!」と思っている日々。
【このトピックへのコメント】
  • njin読みとれてない、読みとれてない。そんな重症とは想像しなかった。そして、少しひやっとしましたね。価値とは、相対的なもの。そこまで至る危うさをさえ、誰もが(私もね)抱え込んでいるのでしょう。自分を守るために。(2003-10-15 23:20:46)
  • u-kiあたしも、そこまでの重傷者だとは思っていなかったです。でも、自分と同じように、他の人も価値があるという感じではなかったんですね。そういう状態でのコメントは、軌道修正も難しいし、大変です。また、逆に、自分の価値を見いだせない場合もありますが・・・自分の価値観だけを指標にしないように、うまく指導するのがこれからの、あたし達の行動なんでしょう。若い子は、ムヅカシイ・・・(2003-10-16 03:52:57)
  • 出雲眞知子そうか、そうか。ま、わたしがそこまで書ききってなかったからね。そして確かに、その危うさは誰にでもありうる。(2003-10-16 08:36:34)
  • 出雲眞知子こういう重傷者、若い子に最近多いのは事実だと思うのだけど、大きな声じゃ言えないが、わたしの職場にいるいい年したおっさんたちの中にも同じ症状の人はいるのだよ。50年以上も生きててそれじゃあ、もう「指導」のしようがないけどね(笑)。(2003-10-16 08:41:58)