出雲眞知子
大学院のゼミ。

簡単に答えの出ない問いを出して、みんなであれこれ議論。
わたしの方も、意見を聞いて考えているうちにいろいろなことが頭に浮かんできて、ついつい饒舌になる。

ゼミを終えたあと、院生のひとりが帰り際に、ふっと「ごちそうさまでした」。
言った本人すらきょとんとするほど、ごく自然に出てきた感じ。

そういえば、ゼミ中空腹だったようで、小さく「くうう〜〜」とお腹が鳴っていたのは彼女だった。

議論で満腹感を感じてもらえたのだろうか。だとすると嬉しい。

(少し書き直しました。)
東京国際フォーラムで開かれている、人体の不思議展を見る。

中国から抗議があった、という社会的背景、あるいはもっと根本的な倫理的問題、というのは、ここではあえて置いておく。

そうしてもなお、単純に展示として、これは失敗だと思った。展示についてのデザインコンセプトが、まるで見えない。

人体について詳細に見せる、見ることでわかることがあるはずだ、という主旨は、文章などで、多少なりとも述べられているのだが、そういう見方をきちんと促すためのデザイン的な工夫が何もない。

個々の「標本」には、なるほど、ことばによる説明がある。しかし、それらはとても読みにくい。さらに、人間の身体の構造や、仕組みについての、図解を使ったパネルなどは一切ない。

展示にはデザインがいる。空間の演出もいる。見る人に深い理解を促し、展示の意義やメッセージが伝わりやすくするための、さまざまな表現がいる。

しかし、せいぜいあったのは、興味本位に見ることを助長するような配置や演出だけだ。
そもそも、全身標本は2体か3体もあれば十分だと思う。たくさんの全身標本を並べる代わりに、もっとやるべきことがあるだろう。

どう考えても「人体」についての「理解」を促すというコンセプトをデザインする努力を惜しんだとしか思えない。というより、そもそもそんなコンセプトは見せかけにすぎず、本来の意味でのコンセプトなど、最初からないのかもしれないと疑いたくなる。

興味本位としか思えないような態度で見て回る人々に感じる寒々しさ。しかしその責任は、そのような見方を簡単に許してしまう、デザインのまずさにある。

そして、この程度のレベルの展示デザインでよしとした、(監修委員会に名を連ねる、そうそうたる顔ぶれの日本を代表する)医者たちの感覚とはこういうものなのか、という愕然たる思いを抱いて、早々に会場を後にした。
【このトピックへのコメント】
  • お仕事日記「Re:デザインのまずさ」 こちら(人体の不思議展)については僕も観に行ったのですが、違った想いを持ったのでこうして想いを記載します。(社会的背景や倫理的問題に関しての言及ではなく、反論ですらなく、あくまで単なる感想です`..(2003-11-16 23:52:20)
お仕事日記 2003-11-16 23:52「Re:デザインのまずさ」へのコメント:

丁寧な感想を読ませていただきました。感想であって反論ではない、と書かれていますので、応答のしかたが難しいのですが、やはり少しストレートに私の意図を書いておきます。

おわかりだと思うのですが、わたしが書いたことは、わたし自身がこの展示をどう見たか、ということではないし、また個々の人々がそれをどう見るか、ということを云々するものでもありません。

今回の展示のあり方そのものを問うているのです。(つまり、個より全体ですね。そもそも方向性が逆というわけです。)

ですので、ダクさんがその展示をそのように見られた、ということについて、何も異論をとなえるものではありません。そういう見方をされた方は確かにいるでしょうし、それは、この展示の望ましい見方だろうと思います。

しかし、ダクさんのようにこの展示を受け止めた人ばかりではなかったはずです。興味本位で見る人々、と書きましたが、それだけではなく、むしろ、気味悪がってきちんと見なかった人々もいたと思います。

どちらも、せっかくの貴重な展示を、台無しにする見方です。そういう見方を許してしまった責任の多くが、展示のデザインのまずさにある、ということを指摘したかったのです。

デザインを工夫することで、気味悪がらずにちゃんと見ることを促せたかもしれないし、好奇の目でしか見ようとしない人を戒めることもできたかもしれない。

もちろんどうデザインしようが、勝手な見方をする人はいるでしょう。でも、その比率を変えることはできたと思うのです。その努力をして欲しかった、と思うのです。

わたしは、「社会的背景」や「倫理的問題」は置いておく、と断って書きましたが、もちろん根底にはこのふたつがあります。

中国人の遺体を、このようなやり方で展示したことが、許されるかどうか、疑問に思っています。もし、それでもなお、展示に意味があるのだ、と主催者側が言いたいのなら、ただ並べるだけでなく、きちんとした理解を促すデザインが必要だった、とそう思うのです。
Mint Julep 2003-11-17 19:28「戦場にて」へのコメント:

何度でも反復使用が可能なナプキン、なんていうのを発明して特許をとれば、女性も戦地に狩り出されるようになったとき、一儲けできるかもしれません。

とまあこれは冗談ですが、結局、戦争というような通常とは違う状況というのは、要するに普段なら儲からないところを儲かるようにしてくれるからこそ、ある人々にとって意味があるわけです。

儲けたい人が戦争をしたがるわけで、正義や勇気で戦争するわけじゃないってこと、そこを肝に銘じておかないとね。
【このトピックへのコメント】
  • 由衣私も使ってる布ナプキンなら、数年は反復使用できますよ。洗わないといけないから駄目かしら。(2003-11-19 09:18:14)
  • Mint Julep「Re:Re:戦場にて」なるほど、痛みと不快さ以外は解決の糸口はあるということですね。気が散って戦闘なんかできそうにないですが。それにしても、戦争とは正義ではなく、それで金儲けできる人が力を持っていれば始まるのだというのはご...(2003-11-19 18:27:32)
  • 出雲眞知子知りませんでした、布ナプキン、あるんですね。非常時用でしょうか。それとも環境に優しい、ということかな。(2003-11-19 21:40:23)
  • 由衣たぶん殆の人は、ケミカルナプキンより快適だから使ってると思います(私も)。効用は人それぞれですが、肌触りがいい・蒸れない・痒くならない・痛みが和らぐ・期間が短くなる…など。(2003-11-19 22:45:04)
  • 出雲眞知子あ、そうなんですかあ。「期間が短くなる」というのが、特に魅力的。(2003-11-19 23:33:36)
  • yukimi「布ナプキン」で検索してみましたが。でも毎回洗うなんて、とてもできそうにないです。実行している人をひたすら尊敬します。(2003-11-20 02:04:29)
ちきちきの本音かもしれない 2003-11-19 20:48「にわとりと卵」へのコメント:

いろんな意見があっていいと思う。
というより、いろんな意見があるのが当たり前だと思う。

だから、戦争にならないようにするための方法はいろいろあるのではないか、と考えたい。

「アメリカの庇護」が、日本が戦争に巻き込まれることを防ぐ唯一の現実的な方法だ、という前提を疑ってみる、という発想もそこから生まれると思う。

実は正直いって、この「庇護」という表現が非常に気になったので、反応してみました。「過敏」かしら?
【このトピックへのコメント】
  • ちきちきの本音かもしれない「Re:Re:にわとりと卵」「庇護」というのも、どこか卑屈なイメージを持って使ってます。自力でなんとかできる、という印象がないので<日本残念ながら唯一の方法ではなく、方法の一つ、だと思ってます<「アメリカの庇護」ただ残念なが...(2003-11-19 22:38:18)
  • njinFor the equal position, we should not depend on them. It is common in any relationship such as friends, couples, and so on. We can’t fight with weakness. (2003-11-20 05:07:17)
  • njinIt is not a sound relationship. (2003-11-20 05:11:01)
  • 出雲眞知子うん、国と国との関係もそうだし、国(政府)と国民(ひとりひとりの人)との関係もね。(2003-11-20 08:46:18)
  • 出雲眞知子PC壊れて難儀そうだけど、それで弱気にならないnjinさんはさすがです。(2003-11-20 08:51:30)
  • njin日本語、使えるようになりました。ほっ。(2003-11-22 23:48:51)
  • 出雲眞知子おお!フランスさんが、歩み寄ってくれたのかな?(2003-11-23 00:44:23)
来年度の科目履修についての調整が続く中、「なぜ駄目だ、どうしてあの先生につけないのか」としぶとく食い下がる学生を辛抱強く説得するメールが、BCC:で入ってくる。

学生が大学の教員人事のややこしさを知らないのは無理ないとは思うが、関連科目の非常勤に来ている人だから、別の科目でも簡単に担当してもらえる、と思っているふしがある。

説得にあたっている先生も業を煮やしたようで、とうとう「人事というのはスーパーでものを買うようなお手軽なものではありません」と突っぱねた。ところが、それに対して学生は、「わたしの希望はお手軽なものじゃなく、真剣です」という見当違いな返信をしてくる始末。

やれやれ。熱心なのはいいけれど、ちょっとこれでは、手に負えん。
同僚から、外部向けの文書の文案についての意見が、本来の文案作成者ではなくて、わたしのところにメールで来る。

これが実はだいぶどろどろした背景のある文章で、一度気にし始めたら、あれもこれも気になってしょうがなくなる、という代物だ。

「直接申し上げるのはたいへんに憚られますので、」ってまあ、そうだろうけど、それでわたしに来たか、うーん。

もっともだと思う指摘もあるけど、ちと細かすぎる(というか、どっちでもいいやんか)というのもあるなあ。
これを取捨選択して作成者に進言することが、わたしに期待されてるわけだな。うう、どこまでをどういうふうに言おうか。まいった。

メールの最後に、「出雲先生を、土管(or 地面の穴)にしてしまいました。お許しくださいませ。」とあった。

土管ねえ。まあ、ごみが詰まって水の流れない土管にはなりたくないので、なんとか支障のないように伝えましょう。
【このトピックへのコメント】
  • 環和我話「Re:土管」流れのよい土管になるべく、文案を調整して提案者に確認し、すぐに本来の文案作成者に送って、極力角が立たないように文言に注意して、再検討をお願いする。わたしを土管に見立てた方からもらったメールの末尾に、「話を聞ぎ..(2003-11-22 16:02:54)
環和我話 2003-11-21 12:50「土管」へのコメント:

流れのよい土管になるべく、文案を調整して提案者に確認し、すぐに本来の文案作成者に送って、極力角が立たないように注意して、再検討をお願いする。

わたしを土管に見立てた方からは、
「話を聞いていただけただけでも満足しております。
(これってやっぱりカウンセリング効果ですよね(笑))」
ということばがメールの末尾に添えられてきて、こちらも大笑い。

以前から時々、「僕はお子ちゃまなので、・・・」と自虐的に言うところのある人なのだが、彼の意見をなかなか周囲が受け止めてくれない、という不満でもたまっていたのかな。

その点、わたしはお子ちゃまの扱いには、多少慣れているし。

そして、流れのよい土管に徹することも、仕事上のわたしの役割なのかもしれない、と思う。
深津絵里と深田恭子はまるきり別人なんだってことに、はじめて気づいたよ。今まで長いことずうっと、このふたりの区別がついてなかった。

どのくらい勘違いしてたかというと、「陰陽師2」に「大捜査線」のすみれちゃんが出てるよ、でも顔が全然違うなあ、化粧のせいだろうか、ってくらい。ひでー。

なんで気づいたかというと、向田邦子の「阿修羅のごとく」の映画で、このふたりが共演している、というのをテレビで観たからだ。

それが無かったら、まだ当分勘違いしていたかもしれない。

いくら、テレビもろくに観ないし、芸能ネタにはめちゃ疎い、といったって、こりゃどう考えてもひでー。今日は一日、落ち込みっぱなしだ。
【このトピックへのコメント】
  • bmわはは、確かにそれはひでー(笑)です。でも、フカキョンは明らかに少し前に顔を変えたので、逆に同一人物だと分からない人はいるかも…(2003-11-26 10:28:25)
  • 出雲眞知子なんかちょっとなぐさめてもらったような気がします。ん?違うか?(笑)(2003-11-26 16:46:08)
娘が、学校の宿題で、昔なになにだったものが、今はなになに・・・、という例を集めているので、一緒に考えてくれ、と言う。

例えば・・・、と娘が挙げた例。「昔はほうきで掃除してたけど、今は電気掃除機を使う」とか、「昔は、組み立て式トイレだったけど、今は水洗トイレだ」とか。

ん?待てよ、組み立て式トイレって、そんなもんあったっけか。

なんだ、それ、汲み取り式トイレだよ、と気づいたわたしは笑いを堪えきれない。

娘は、口をへの字に曲げて、「だって、みんな組み立て式って、言ってたよ」と主張する。ますます可笑しくて、悪いと思いながらも笑いが止まらない。

でまあ、落ち着いて、あれこれ考える。昔のうちわは、扇風機だね、とか、かまどは今のガスレンジでいいかな、とか。

もしいい答えがあったら、教えてください。宿題、明日までらしいんだけど。
ちょっと日記に書いておきたいなあ、ということが日々あるのだけれど、一呼吸落ち着かないと、うまく文章にできないようなことだったりするので、結局書かないまま日が過ぎてしまう。

すると、またちょっと日記に書きたいなあ、ということが発生して、あ、でもそれを書くには、先日のあれを書いておいたらよかった、と思ったりするので、また書かずに終わってしまう。

なんかそうやって、書かないまま風に飛ばされて消えてしまう砂のような日々。

毎年この季節はどうしてこんなに忙しいのだろう。