出雲眞知子
環和我話 2004-11-15 00:16「理由」へのコメント:

いづるさん、コメントありがとうございます。なるほど、そういう見方もあるな、と思いました。こういうコメントはとてもありがたいです。

で、いづるさんも書かれているように、わたしが具体的な状況を書いていないので、わかりずらいと思います。話せば長い、ということになるのですが、少しだけ。

わたしが一緒にやらない?と誘ったイベントは、学生たちが企画して、大学4年間の総決算みたいなことを学生主体でやろうという発表会なんです。
で、わたしのゼミの学生にも、もう3月くらいから、「こういうことをやろうとしてる人たちがいるんだけど、みんなも参加したらいいんじゃない?」と声をかけていて、最初の頃は、「楽しそう、面白そう」とすごく盛り上がってたんですよ。

でも、だんだん企画が具体化してきて、実際に参加者を募る段階になって、企画した学生たちの説明も直接聞いてもらったんだけど、「なんだか考えていたのと違う、面白そうじゃない」と(他にもいろいろあるんですが)消極的なんですね。
まあ、企画した学生たちがちょっとまじめすぎて、硬い感じを与えたのは否めないけど、そちらにもアドバイスして(「もっと参加する人たちが自分たちで作っていけるようなものにしないと、楽しくならないよ」とか)、だんだんよい雰囲気になってきていたんです。

ゼミ生に対しては、そもそも、学生が作っていくイベントなんだから、楽しくなるかどうかは、あなたたち次第なんじゃないの?と思ったりもして、そういうことも言いました。
でも、やりとりの中で、「先生のお手伝いならしますけど」と言われて、「そりゃあ逆だよ、これは学生のイベントなんだから、あなたたちが主役でわたしが手伝う側だよ」と言ったこともあったりして。

で、「そろそろ最後のチャンスだから、メンバーで話し合って結論を出してね」と言って出てきた結論と理由が前回書いたようなものだったのでした。まあ理由には、忙しいというだけでなく、「以前想像していたのと違う、自分たちは合わなそう」とかいうのもありました。でもみんな、私から見ると、やらないことのこじつけっぽくて。

まあ、学生たちが、わたしの気分を害さないように気を遣っただろうことは想像できます。でも、それは支配関係というのとはちょっと違うかなあ、とわたしのほうは思っているんですが、甘いかなあ。

わたしが言いたかったのはつまり、人と一緒に何か楽しいことをやろうと思ったら、面倒なこともある、人とぶつかることだってある、でもそれを乗り越えて余りある達成感というものがあるでしょ。だから、そういうところに踏み出さないのって、もったいなくないですか?みたいな感じなんですが。

まあ、これだけじゃ、やっぱり状況はよくわからないと思うのですが、とりあえず、昨日今日誘って出てきた反応じゃなくて、何ヶ月ものプロセスがあって、その間わたしは状況や推移をいろいろ説明してきていて、その結果出てきたものだった、ということだけは、わかっていただけるとうれしいです。

イベントそのものは、いい方向に盛り上がってきたので、企画した学生たちや自主的に参加してくれた学生たちと、思いっきり楽しもうと思っています。まあ、ゼミ生たちも、イベントを見には来る、といっているしね。
【このトピックへのコメント】
  • 海月玲二こんにちは.コメントするのははじめてになります.

    もしかすると,最初のうち興味を示していたのは,誰かがやってる楽しそうなことにあまり苦労なく乗っかれそうだと思ったのではないでしょうか.
    「何か苦労するぐらいなら別に楽しいことが起こらなくてもいい」という感じの価値観の人間は,実は多数派のようにも思います.学生を見ててもそう思うし,私自身そんな感じだし.
    (2004-11-16 20:56:51)
  • 出雲眞知子海月さん、コメントありがとうございます。
    「苦労なく乗っかれそうだと思った」と言ってしまうと、ちょっと彼女たちがかわいそうかも、とは思うのですが、でも当たらずとも遠からずだと思います。
    最初彼女たちがイメージしたのは、文化祭的な内輪の乗りだったんでしょうね。でも、企画の主旨は内向きじゃなくて、むしろ外向き。会場も学外、広報も対外的なので、当然、自己満足で終わるものじゃなくて、ある程度しっかりした内容にしようと思って企画者の学生たちは頑張ってるわけです。そこで、「考えていたのと違った、面白くなさそう」になったんじゃないか、というのがわたしの推測です。
    まあ、そういう人が増えている、というのは同感ですね。そして、確かに、別にそれでいいことなのかもしれないです。
    (2004-11-16 21:49:09)
どうやら、学生たちから、実年齢よりだいぶ若く見られていたらしい。

そうさ、若いさ。

へっへっ。
このごろわたしの研究室でちょこちょこ作業してる学生と、それぞれ仕事しながら、時折雑談。

なんでも一生懸命やる人なのだが、ときどきパタッと失速することがある。(わたしと似ている。)

彼が、「なんだか、たまにふっと、一体自分はなんのためにこんなことやってるんだろう、て、空しくなっちゃうことがあるんですよね。」と言うから、もう、手をたたいて、うんうんうなづく。

まったくだ、わたしもときどきそうなる。
車を買い換えることにした。

買い替えのきっかけは、桶屋が風吹いた並みのながーい話になるのだが、それはまあ置いといて、次の車はパッソ。グリーンにした。

年内には来ると思うので、楽しみ。
大失敗してしまったよ。
はあ、メールは難しい。

人探しのお助け求むメールを送ったんだけど、お願いする業務の全体像を説明しようとしたばかりに、求人数がひとりのところ、たくさん、と受け取られるような内容になってしまい、ひとり決まったのに、また次が、みたいな嬉しい悲鳴。

いや、ごめんなさいの後始末が大変で、ほとほと、自分の不注意を恥じたことであるよ。
「ハウルの動く城」
まんまと作り手の術中にはまってしまった。
しっかり生きよう、という気にさせられてしまったよ。

いろいろと不釣合いなところとか、最後の終わり方があっけなさすぎることとか、挙げていけばいろいろあるが、そういうことが全部どうでもいいという気になる。

しっかり生きようとする人は、周りを元気にするよ。

あと少し補足するなら、ただひとりの人の力になるためにしっかり生きようとするのは、もう懲り懲り。いろいろな人の力になりたくて、しっかり生きる方が、たぶん長続きする。
本当は、このところ怒りまくりで、特に土曜日なんか朝から晩までずっと、怒りまくりで、はぁ。

でもその怒りの対象の方が、今日会ったらちょっとしゅんとしていて、多少は怒りまくった効果があったのかなあ、と。

わたしの怒りの記録を、信頼できる同僚に送ったのだけど、その人の返信に、「この効果はいつまで続くでしょうね」とあった。
さてさて、24時間か、48時間か、せいぜいそんなものでしょう。

自分の都合でしかものごとを考えない人は、わたしの怒りの本当の意味はわからないだろうし。