hirika
2003-11-03(Mon) 00:20

『カクト』

 オフィシャルサイトではまだアナウンスされていないようだが、DVD発売決定! てことで(バンダイの案内書に掲載されてる)。うーれーしーいーよー。

『カクト』
12/21発売
通常版\3800(税抜)
スペシャルリミテッドエディション版(初回限定生産)\6000(税抜)
限定版特典:アートチーム“カクト”デザイン特殊印刷デジパック仕様、本編ディスク+特典ディスク(“カクト”オリジナル新作映像「記憶の記録(仮)』)の2枚組、ポストカードセット、特製ブックレット。

 公開が今夏だったので、おそらく早くて来年頭だろうなと予想してたんだけど、それよりも早くてびっくり。しかも通常版と限定版の2バージョンで発売されるなんて、ぜんぜん想像もしてなかったよ。
 通常版と限定版の違いは特典の違いなわけで、「そんなんでなんで\2300も高くなるんだよ!」と突っ込みたい気持ちでいっぱいだが、当然限定版を買うです。
 だって特典ディクス見たいもん。
 や、別に特典ディスクに限ったことではないけど、あたしは演技してないときの伊勢谷くんが見たいのよね。『DISTANCE』映像特典における「甘え上手な伊勢谷くん」、ああいうのが見たいのよ。アレを見て癒されたいっつーかさ。
 『月に沈む』も『黄泉がえり』も、まったく「眼中にない」的な扱い方をされていたけど、今度は主役だもんね。そりゃあ伊勢谷くん満載! な映像特典を期待してやまないっすよ。
 ああ、はやく12月になんないかなー。

 ちなみにR-15指定みたいよ。一体どんな内容なんだろ、あたしバイオレンスって結構苦手なんだけど。
 エヴァの劇場版DVDがやっと今月単品発売されるってことで、こちらも「わーいわーいわーい」って感じ。
 どちらも劇場に観に行ったんだけど、当時は消化しきれなくて、「後できちんと観たい」とずっと思っていたのだった。とは言え、DVDプレイヤーないしソフトは高いしで、なかなかそうもいかなかったんだけどね。
 でも今回、お安くなって発売されるってことで、これは購入して観るしかないす。

 一番気になるのは、やっぱしアスカの「殺してやる!」かなぁ。あれは本当に、ものすごくシンクロする場面だったんだけど、今観ても同じように共振するんだろうか、とちと疑問に思ってる。あたしは変わってしまったので、たぶん違う見え方がするんじゃないかと思うのよ。
 逆に巨大化した綾波さんに対する気持ち悪さってのは……たぶん増しているんじゃないかって気がするんだけどね。でも、気持ち悪さだけじゃなくて、別の感情も沸くんじゃないかなぁって気もして。
 まぁこういうのは観てみないことにはわかんないけどね。ともあれエヴァも楽しみでございますよ。
---
 魂を補完するってことについて、最近いろいろ考えてる。別サイトにアップしたアレもそのひとつですな。
 腐蝕とか腐敗とか腐乱とか、そういう単語に心ときめく今日この頃。なんでなのかはわかりません。深く追求してはいけないとゆーか、詳細に分析してしまってはもったいない気がします、このネタは(ネタなのか)。
 こういうネタは自覚つつ再構築して書くより、自覚なしに本能のおもむくまま書いた方が、おもしろいものが出てくると相場が決まっています。たぶんおそらくきっとこれまでの経験からして。

 てことで、なんか最近「魂の補完」というか、「人と人がわかり合う」ということも含めて、「人が肉体的に融合しひとつになること」とか「人の心が融合すること」とかについて考えてます。
 本家日記の『グイン・サーガ』からの引用、
≪個≫であるからこそ、ほかのもの──ほかの≪個≫のためになりたい、愛したい、結ばれたい、つながれたい、役に立ちたい──そう願う
もそうだし、エヴァの人類補完計画もそうなんだけど、これまで自分がずっと悩んできたというか、答えが見つからずに考え続けてきたことの取りあえずの到達点というのが、「もしかしてこの辺なのかな」みたいな、おぼろげながらその姿が見えてきたような、そんな感じなんですね。
 もちろんこれは通過点なんだろうなとは思うし、試行錯誤の途中なので「逆戻りして自縛」することも充分考えられるんですが(その可能性の方が高いかも)、3年半web上で文章を綴ってきて実感した「どうしても伝わらない」という事実を自分自身でどう受け止めるか、それはもしかしてこういうことなんじゃないか、と思えるものが見えてきた感じがするのです。
 人は“個”であるということ。
 今まで何度も“個”という言葉は書いてきたような気がするんですが、たぶんそれは頭で、理屈で理解してただけだと思うのです(賢いから)。でも今まではそれを心で受け止めることができなかった。
 人はどうしたってわかり合えない部分があるし、それは本当にもうどうしようもなく、ただそれを受け入れるほかはない、というのをコミュニケーションの中で学んでゆくこと──それは絶望だったり拒絶だったり挫折だったりするわけですけど、そうやって自ら傷ついてゆかない限り、「人は個である」ということを受け止められるようにはならなかったんじゃないか、どうしようもない絶望感に何度も苛まれたからこそ、こう在れるようになったんじゃないか、と思うのです。
 まぁその絶望、拒絶、挫折の前には確固たる自分自身というか、自分に対する肯定、信頼、愛情、自信が必要なわけですが、まぁこれは書き出すと長くなるので置いといて。
 人はひとりである、というのはそれほど悪いものではない、と思います。それを受け止め受け入れることで、受け止め受け入れることができるようになることで生まれてくるやさしい気持ち、というのもあります。人の想いに振り回されることなく、自分はどうすればいいのかを考えることができるようにもなれます。
 たぶん、人はひとつになれないから、すべてが満たされることなんて決してないから、やさしくもつよくも在れるんじゃないか──人を愛したいと思うんじゃないかと思います。

 なんか、かなり意味不明というか、「何を言ってんのかわかんない」って人が多そうな文章になってますが。ええーと、あたしが今ラブな「腐る」という言葉はきっと、「軋み」とか「錆」という意味というか、「ズレ」というか「違和感」というか、そういうものをひっくるめたイメージを象徴するものなんだと思います。
 まぁ単純に「腐敗回路」とか、音の響きが好きで自己陶酔しちゃったりもしてますが(字面は悪い……)。
 今日は半端じゃないくらい忙しかった。今年に入って一番とゆーか、下手をすれば「ここ数年で一番忙しかったんじゃなかろーか」とゆーくらい忙しかった。レジが1時間空かないなんてマジで数年ぶりかも。
 てことで、朝から熱があって具合が悪かったのだが、そこはそれ、あたしの場合「“あたし”をチェンジする」という奥の手があり、それを使うと疲労も押さえ込むことができるので、今日はそれで乗り切りまちた(後で身体に反動が来るんだが、それは仕方あるまい)。
 で、今かなり頭が回ってない状態なんだけど、取りあえず現ちゃんのアルバム『十秒後の世界』をさっき聴いた。まぁ書きたいことはたくさんあるんだが、そんな余裕はねぇのでひとつだけ書いとくと。

『ワダツミの木』

 元ちとせさんが唄ったこの曲を、それを聴いた人すべてに聴いて欲しい、と思う。たぶんおそらくきっとほぼ確実に、ほとんどの人が「元さんの方がいい」と言うだろうが、それでも聴いて欲しいと思った。
 これが『ワダツミの木』のコアだから。
 あたしが沈黙してるの、変だと思われてる? もしかして。実は先週からまったくテレビを見てないので、どういう報道がされているのかわかんないのよね。だから何も言いようがないっつーか。
 ただ、ネット見て回って思ったのは、「今さらだよなぁ」みたいな。「騒ぐことでもないでしょ。起こるべくして起こった事件なんじゃないの?」みたいな。

 この手の事件て──や、こういう事件に限んないけど、消費されてお終いだもん。こうアレよ、自己表現とか自己顕示欲のためのネタにされて、そういう人たちが己の思うところを言い切って自己満足したら、後は見向きもされなくなるのよねー。当事者に気持ち的な部分で“近い”人以外は。
2003-11-07(Fri) 01:58

びっくり。

 本家BBSに書き込みをしてくれた方がURLを残していってくれたので、そこへ跳んでみた。その方がボーカルをやっているバンドのサイトだった。バンドのビジュアルとか雰囲気が「カッコイイなぁ」と思ったので、どんな音なんだろうと思い聴いてみた。
 「これ、うちの店に来る中高生に聴かせたい」と思った。
 うちのサイトとか、この日記読んでる人達のほとんどが耳にしないタイプの音楽だろうな、とは思うけど、お世辞じゃなく、いいよ、これ。個人的な趣味嗜好だけでなく、CD屋店員として聴いて「これはいい」と思う。
 マジでびっくりした。こういう「これいいじゃん」と思える音楽を作る人が、たまたまにせよ、うちに来てくれたなんて。
【このトピックへのコメント】
  • KEN[URL]はじめまして。SMOGのドラムのKENです。
    サイトの履歴たどっていたらここの日記にたどり着きました。
    2003年の日記だから遅くなりましたが、
    バンドへの良きコメントありがとうございます。
    BANDのサイトの方もたまにチェックしてみたください。
    (2006-03-16 08:20:04)
  • AKAGIうちのドラムから聞いてこちらを拝見させて頂きました。
    私たちはロサンゼルスを中心に活動しているのであまり日本には情報がないので
    このようなサイトでお褒めの言葉を頂いていたことを光栄に思います。
    どのようなサイトにどのような書き込みをしたのかすら覚えていません。
    すみません。もしよろしければそちらのサイトを教えて下さい。
    もしよろしければCD、グッズなどを送らせていただきます。それでは。
    (2006-03-16 12:48:18)
  • hirika[URL]訪れる人が少ないサイトですので印象に残っているのですが、
    再び来ていただけるとは驚きです。
    書き込みをいただいたBBSは閉めてしまい、
    どういう書き込みをしていただいたのかもあたしも覚えてません。
    http://lostcandy.under.jp/synchronicity/sb/
    今サイトはこちら↑にありますが、しばし休息中です。
    海外で活動されているといろいろとご苦労も多いことと思われますが、
    ずっと続けているのは素晴らしいことだと思います。これからもがんばってください。
    (2006-03-21 00:42:02)
2003-11-07(Fri) 02:31

驚き。

 本当はこれを書く前、「人様から反応があるっていいよな〜」てなことを書くつもりだった。数日前もらった別サイトのお話への感想とか、今回の書き込みとか、非常にこう、うれしくて。
 別に反応なくてもいいんだけどさ、「もしもらえるなら欲しいなー」と思っている種類の反応だったから余計うれしくてね。
 この日記は垂れ流しみたいなもので、まったく頭を使わずに書いてるからあれだけど、本家の散文とか別サイトのお話とか、大袈裟な言い方をすりゃ「作品」として公開しているものに対する反応は、とてもうれしい。コミュニケーションてゆーのとはまた少し違った意味で、「届いた」と思う。
 でまぁ、そういうことについて思いついたままにつらつら書こうとか思ってたんだけど、さっき曲を聴いてさ、それふっとんじゃったのよね。ああ、あたしが知らないだけで、こういう原石が世の中には存在するんだ、そういう人と偶然出逢えちゃうんだ、みたいな。
 大袈裟かもしんないけどさ。なんかとにかく「すげー、びっくりー」って思った。クジとかで大当たりを引き当てた感じよ。
 そういう発想をするってこと自体そのものが、そもそも己に負けていることの証明なんじゃなかろーか、とふと思った。未承認広告の文面読んで。

 関係ないけど、「日記を書く」のページ、「今日の日付は2003年11月08日(土) [大安]です。」って表示されるようになったのね。なんかこう、微笑ましいというか、心がなごんでいい感じ。
 ひさびさに香山リカ『<じぶん>を愛するということ/私探しと自己愛』をぱらぱらとめくった。ちと考えたいことがあったので。

 今の時代ってゆーのは「自分は認められていない」と思っている人がたくさんいて、中には病的と思えるほどの人もいたりする。しかも、大抵自覚がない場合が多いと思う。で、この「自分は認められていない」病、すげぇ乱暴に大別すると、二つに分けることができると思うのね。
 ひとつは「自分はこんなに素晴らしいのに誰もそれを認めてくれない」ってタイプ。大抵の人間てのは多少何らかの能力が優れているにせよ、凡庸じゃん。ほとんどの人はふつうの範疇に収まっちゃうわけで、そんなさ、わざわざ「あなたはすごいわね!」と言いたくなるような人なんていないじゃん。なのに、自分がどの程度の人間なのかを自分自身で受け入れることができず、「自分はすごいのに誰もそれを認めない」って不満を漏らす人ね。
 でもうひとつが、「自分は誰からも必要とされていない」というタイプ。こういう人は「自分には生きている価値はない、誰からも必要とされていない、だから誰か私を必要だと認めて」という思いを潜在的に抱えている。で、集団から疎外されることや人に嫌われることを極端に恐れ、“村”を作ってその中に閉じこもり、いつも周囲に合わせ、決して自己主張することはない。ただし“村”の外の人間に対しては非常に攻撃的。
 これさ、前者が自己愛型人格障害で、後者がアダルト・チルドレンとゆー分類ができるかも、とあたしは思ってる。中にはその複合って人もいたりしてややこしかったりするんだけどさ、ネットをやってるとこのどちらかにブチ当たることってすごく多いわね。後者のタイプは関わろうとしなければ関わらずにすむので(比較的)問題ないんだけど、困っちゃうのが前者。
 まぁこういう部分てのは誰だって少なからず持っていると思うわけで、それが病気かどうかの線引きっつーのはむずかしいんだろうけどさ、「自分は丸っきり正常で常識的な人間だ」と信じて疑っていない人はさ、いっぺん「自分は本当に病気じゃないの?」と考えてみれば? と思う。そう信じていたいだけなのかもしれないし。
 さっきメールチェックしたら「DI:DOからのお知らせ」というメールが。
 さきほどから何度も何度も、しつこいくらいデザイン設定だのスタイルシート設定だのをいじっているので、「いい加減にしろ!」と怒られるのかと思い、恐る恐る開いてみると……ふつうのコメントだった。
 ああ、良かったー(自覚があるならやめろよって話)。

 そうそう、いい加減ちっちゃいフォントに飽きてきたので、ふつうのサイズにした。と言ってもmacの人にしか違いはわかんないかもしれないが。
【このトピックへのコメント】
  • hirikaそうそうmacと言えば。「日記才人に更新報告する」のリンクが別窓で開かないのであった。特に不自由してないので黙ってたんだが、winもそうなのかな。(2003-11-09 02:13:15)
 12月に発売されるこれは観たいと思う。職場に店頭用DVDが入って来て、それを流しているんだが、なんかね、いい感じなのよ。
 特に主演のジェニファー・ロペス。CDジャケットを見る限りでは「セクシーなお姉ちゃん」てイメージしかなかったんだが、なんかねぇ、すんごいかわいい。表情とか立ち振る舞いが。
 買いたいとまでは思わないけど、機会があったらぜひ観たいなー。
 ファーストアルバムが発売されたとき、「ハア? なんでこんな糞つまんねーアルバムこんなに売れるわけ? 買ってく人、耳確かなの? こんなのがこんなに売れるなんて信じらんない!」と思ったものだが、セカンドアルバムも売れてますな。誰とは言わないが(←言えない)。
 まぁCDが売れないこの御時世、こんなに売れる商品なんてマジ滅多にないから、非常に有り難がってはいるけどさ。
 というわけで、仕事も一段落した感じでやっと「どどど、どうしよう! じゅんじゅんに逢えちゃうよ!」とゆー緊張がやってきた。
 じゅんじゅん、まだ痩せたままなのかな──てなことは置いといて、なんだかなぁ、ちと不安なことがある。

 前回の栃木で確信したんだが、やっぱりあたし──というか自分達は、二人の“あたし”が交互にライブを観てるみたいなのよね。で、順番でゆくと次の郡山は、思考しながら観る“あたし”の番なのよ。
 ……や、まだその“あたし”が出て来ると決まったわけじゃないっつーか、その場になってみないとどっちが表に出て来るかはわかんないんだけどさ(オートチェンジで自分では操作不能)、もしそっちの“あたし”が出てきた場合、すごくよろしくない感じなのよね。
 栃木でのライブは本当に楽しかったわけで、「いつもこうだったら楽しくてしかたがないよなー、ずっとこうならいいのにー」ってものだったのよ。だからさ、次のライブも「わーい、楽しかった!」だけで終わるライブになって欲しいのね。なのにさ、グダグダグダグダ考え込むのが好きな“あたし”が出て来たらさー、ぜんぜん楽しめないじゃん。
 栃木が終わった後、「ああ、次はあっちが出て来るんだろうな」って思ってさ、それからずーっと「あー、やだなー。出て来て欲しくないなー」って思ってるのよ。これさ、マジで自分ではチェンジ不可能だから、本当にちと陰鬱なのよね。
---
 それと、栃木のライブのとき、アイジさんを観ててふと思ったことがあって。あえて書かなかったんだけど、あたしの正直な気持ちなんだろうと思うので、書いとくと。

「アイジさんてオプションなんだなぁ」

 ライブ中、しみじみそう思って、「……え? でも何のオプションよ?」と考えたら、「潤くんのオプション」だったっつー。すんげぇ失礼な話だな、と自分でも思うけど。
 ピエロちゃんの曲ってアイジさんが作る曲が一番好きなわけで、「あんた本当に28の男なのか」と思うことはあるにせよ、そういう部分も含めて「すごいなぁ」と尊敬できる人だと思うんだけどね。
 たぶん潤くんは、それを大きく上回る、あたしにとってどうしようもない存在ってことなんだろうな、と思う。音楽的にどうこうってことではなく。だからアイジさんが霞んでしまうというか、オプションになっちゃうんだろうなぁと。
 この、潤くんに対する思い入れっつーの、自分でもどうにかしたいとは思ってるんだけど。
 と妹ちゃんにお伺いを立てたところ、「余ってませんて」とゆー返事が来た。
 「別にいいんだけどさ、なぜお前はそうじゅんじゅんライクな受け答えをする?」と思った。じゅんじゅんと同じO型だから?(←短絡的)

 ところで、ライブについての記述ってどのカテゴリにすればいいんだろ。感想-音楽? それとも日常雑記-買い物・イベント?
 先ほど、今頃になってやっと現ちゃんのサイトへ行き、アルバム発売日翌日に書き込まれた、現ちゃんのメッセージ(ここの158)を読んだ。笑いながら泣いた。
 上田現、というのはこういう人だ。ずいぶん、変化した部分もあるけど、ずっと変わらない。
全てが自分の理解出来る世界で、自分の価値観にそった世界で、みなが自分の気持ちをわかってくれる世界なんか、ゲロ吐くぞ。
 ずっと考えている。人は決して混じり合うことがなく、ぶつかることでお互いの存在を確かめることができるものなのだ、ということを。
 理解されないことは決して悲しいことじゃない。
 自分の人生を他者に預けようとするから苦しいんだよ。でも自らそれを選んだのなら、一生苦しみ続けることを覚悟することだ。他人に不快感をあたえてうさを晴らし、その度にさらにみじめになろうとも、己の人生を自身で背負うつもりがないなら、この先何ひとつ、変わることなんてないんだから。
【このトピックへのコメント】
  • hirikaこれはほんとにメモ。誰にも向けてない。今ちょっと考えてることがあって、その思考の断片。(2003-11-11 01:49:29)
 昨日、ひっさびさに『薔薇』を聴き、なぜか今になって初めてアイジさんのギターの音がふとに耳に入ってき、思わず涙ぐんだ。
 何度も何度も、そりゃもう100回くらい聴いてんじゃねぇか、という気はするんだが、今までアイジさんの音なんてぜんっぜんスルーしてた。なのになぜかすっごくよく聴こえてきて。
 ああもう! アイジさん大好きだよう! と大フィーバー中。

 「オプション」とか書いたくせにコレだよ。
 実はこの曲、大好きだったりする。ツボになっている歌詞は「被害者ヅラがやりやすいのさ」とか「邪魔者は排除しろ」とか「命の重さは決して同じじゃないよ」とか。
 会報によるとアメリカへの批判らしいのだが、「へー、そうなんだ」と流してしまった。だってあたし別にアメリカに対して批判的な感情なんてないし。
 それよりも。重要なのはあたしが「邪魔者は排除しろ」という歌詞に強く共感するところだ。

 ライブのとき、『GOD BLESS America』の曲をバックに星条旗の燃える映像が流れ、その後にやった『GOD BLESS xmexxxx』を、あたしは苦笑しながら聴いていた。
 邪魔者は排除しろ。
 相手とのコミュニケーションを拒絶し、その存在の消滅を願う、手前勝手で傲慢な心はあたしの内に存在する。気に入らない、ムカつく、馬鹿じゃねぇの? ──そう思う相手を悪と決めつけ、この世から消え去ってしまえばいいのにと本気で呪う。
 この曲がアメリカを批判するものならば、「邪魔者は排除しろ」という歌詞に共感するあたしも批判されてしかるべきだろう。けれど、だがそれでもいいと思う。
 これはあたしの中にある正直な感情だ。そしてあたしはこの感情を「悪」だとは思っていない。いや、単純に考えれば「それって良くないんじゃねぇ?」という気もするが、この場合のあたしの判断基準は善悪ではない。
 人は混濁合わせ持つ存在だ。たぶんどちらかに片寄ってしまったら「そりゃ人間じゃねぇだろ」と思う。良い悪いではない。人は美しく素晴らしい部分も持っていれば、醜悪な部分も持っていて、それが在るべき姿なのだと思う。
 今の世の中は人の持つそういうものを排除する傾向にあって、清く美しいだけのものが「正しい」と思われがちのような気がするけど、それはあまりにも「人として不完全」のような気がする。
 美しく素晴らしいものだけを持つのではなく、醜悪さも己の一部として受容し、バランスを取ってコントロールすること。それこそが必要なんじゃないだろうか。
 まぁ本当のところ、何が良くて何が悪いのかはまったくもってわからない。だが、ともあれあたしはそう考えているので、たとえピエロちゃんから批判を喰らおうとも、「でもこれも紛れもないあたし自身だし」という感じなのだ。
 ただ、やはり「邪魔者は排除しろ」と決めつけ、聞く耳持たなくなるのはあまり誉められたことではない、とも思うので、曲を聴きながら歌詞に共感する自分に苦笑してしまったんだろう。
 「邪魔者は排除しろ」と願い、それは己の醜さだと自覚し、けれどもそれを受け入れたいと思う自分に。

 「邪魔者は排除しろ」という思考に取りつかれてしまうのは、あまりよろしくないんじゃないか、と思っていたりはする。でもあたしは、誰に何を言われようと、たとえキリトさんに文句をつけられようと、「これがあたしだよ、悪かったな」と居直るつもりでいる。
 あたしはあたし自身でいるために、己の醜悪さを失いたくない。
 12月24日に発売されるこちらの2枚のサンプルを今日聴いた。のでその感想。

「中西俊博 /PROLOGUE」
 ええーと、元の曲がわかりません。ピアノのインストで、ヒーリングコンピに収録されててもおかしくない感じ。
「RYOJI from ケツメイシ/わがままジュリエット」
 これいいよ。ケツメって聴いたことないんだけど、聴いてみたいなって気になった。レゲエっぽい感じ。
「Vo:松岡 充、Bass:佐久間正英、Gr:榊原秀樹、Dr:アトミックバナナ/DREAMIN」
 ごめん、ちと笑った。や、松岡くんだなーと思って。SOPHIAもテレビとか有線以外で聴いたことないんだけど、ちゃんと松岡くんの唄を聴いてみたいと思った。ちょっとこれはクる。松岡くんが好きだからかもしれないけど。
「岩瀬 敬吾 /BEAT SWEET」
 ソロになってからの曲は一度も聴いたことがないので、かなりびっくりした。19のイメージとぜんぜん違う。これもアレンジがいい感じ。唄も(想像してたより)カッコイイす。
「アンルイス/FUNNY-BOY」
 アンさんは何を唄ってもアンさんだなーと思いました。
「LA-PPISCH/BAD FEELING」
 マグミ唄上手くなってるー!(悲泣) 下手な方が伝わるものがあるボーカルなのに、なんで上手くなっちゃうんだよう(我がままなファン心理)。やはりスカのこなれ具合っつーかなんつーか、は昨今のバンドの比じゃないわね。
「NICOTINE/ONLY YOU」
 歌詞が英語詞になってる。カバーっつーよりコピー。個人的には好きだが、う〜ん、どうなんだろう。
「DJ HASEBE/INSTANT LOVE」
 すみません、お名前しか知りませんでした。
「小島/ON MY BEAT」
 小島だな、と。音は好き。本人達の楽曲は今ひとつ好みではないんだが、カバー曲は好き。
「アカツキ/MARIONETTE」
 初めて聴いた。これがアカツキかぁ。うーんうーんうーん。みたいな?

 できることなら、「ムック/季節が君だけを変える」も収録しといて欲しかった……。ちょっと聴いてみたいんだよね、ムック。
 全体的に、当たりもあれば外れもある、と。店長は「許せない」とか言ってたなー。「こんなアレンジにしちゃうなんて冒涜だ」みたいな。「何言ってんすか、CD屋の店長が」と思わず突っ込みを入れてしまったが。
 CD屋店員は個人的な趣味嗜好だけで音楽聴いちゃダメだよーん。
 真の自由を得ると失うのはおそらく父性。あたしにはもともとそれが欠落しているのか。それとも失いようがないほど刻み込まれているのか。父殺し──はドラクエ3か。父性とは関係ない? あたしが人に求めているのは母性だ。うーんうーん。
 父性と共に母性も失われていると思うんだよな。承認の問題はそこに集約されてるような気がする。役割の解体。歳若い子に多いってだけで、老人の中にもそういう人はいる。連鎖。淘汰のふるい。進化。うーん。
 また変更しました。
 つか、本文の文字の大きさが気に入らないんだけど、「日記デザイン設定」を変更してもうちの環境(mac)ではまったく変わらず(10ptくらい?)、それじゃあと「スタイルシート設定」を変更しようとすると「外部スタイルシートのURL指定が不正です。ブラウザの戻るボタンで戻ってください。」……。
 いい加減面倒になったので、リンクの色をじゅんあいカラーに変更してお終い。じゅんあいっつっても初期のじゅんあいだが。←未だオレンジじゅんじゅんと紫アイジさんに未練がある人。
 ああ、こんなことしてる場合じゃないのにな〜。
【このトピックへのコメント】
  • hirika未練と言えばアイジさんの膝に一番未練が。腹チラもいいけどさ〜。(2003-11-13 02:41:45)
  • hirikaいつの間にかスタイルシート設定が変更できるようになっていたので、昼間職場から変更。文字を大きくしたんだけど、winだとそれほど変わらなかったので「本当に変わってんのか」と不安になり、しかしおうちで確認したらちゃんと大きくなってたのでよかったよかった。、(2003-11-14 01:48:51)
 なんだかなー。明日(日付け的には今日)ライブだっつーのにこの緊張感のなさっていうか、他人事感覚はなんなんだ。
 職場で気の滅入る出来事があったっつーか──いや、個人的なことではないんだけど、なーんか、仕事する気を失くすっつーか、何やっても無駄なのかなぁってゆーか、世の中お金がすべてなんだねっつーか。
 支払いが出来なくて出荷停止、商品回収、店じまい、自己破産。
 なんだかなー。
 でも、こういうときにライブってのはちょうどいいのかもしんない。
 なんか頭の中、いろいろあって混乱気味で、混乱し過ぎて思考停止しちゃってるから、そこに風穴を開けるのに気狂いになっちゃうってのはいいかも。
 つーかさ、こういうときは考えないのがいいんだよな。考えずに取りあえず動く、そうすりゃ何か変わるだろ、良くも悪くも。どんな結果になるのか考えてばかりじゃ止まったまま。賽を投げちゃえばいいんだよ。
 たぶん、明日のライブがきっかけになってくれるはず……だと、いいな。
 気が滅入っているにも関わらず、諸事情によりじゅんあいフィーバー中なのだった。明日はもしかしてもしかすると、これまでよりアイジさんに視線を向けるかもしれない。

 ところでディクのDVD、あたしはアルル版とユニバーサル版両方を購入したアホで、ユニバーサル版映像特典でのじゅんじゅんとアイジさんのライターをめぐるやりとりが非常に好きなのだが、アルル版映像特典の、リハに向かうじゅんじゅんとアイジさんがすれ違うアレも、非常に好きなのだ。
 愛想良く声をかけるじゅんじゅんと、素っ気なくひとことぼそりと返すアイジさん。
 深読みし過ぎっつーか、妄想力を働かせ過ぎって気がしないでもないが、「いつもこんな感じなんだろうなぁ」と思うと、あの二人がとてもうらやましくて仕方がなくなる。

 あー、一度ちゃんとじゅんあいについても書きたいなー。なんでそれに惹かれるのか、をね。
 つか、家に帰り着いたのは11時半。前回の郡山と同じく、一度宇都宮まで行ってから戻って来ました。はうー。もう一本早い新幹線に乗れれば直で帰って来れたんですけど、これでも途中で抜けて来たっつーね。いや、曲は最後まで聴いたんですが、メンバーがうろうろし始めるのを確認してダッシュで抜け、タクシーで駅まで向かいました。なぜなら「それを逃すと帰れない……」と思い込んでたからなんですが、今確認したらもう一本後のでも大丈夫でした。がーん。あうー、最後まで観たかったよー(号泣)。
 まぁでも満足です。潤くんの最後のひとことが聞けなかったのは残念ですが、今日のライブ、これまで観た中で一番でした。詳細は後ほど『煩悩』にアップしますが、もう本当にね、いろいろな部分で良かったところがあって、栃木は「とにかく楽しかった」っていうそれだけだったんですが、今日のは「良かった」っていう、「どこがどう」なんてのは厳密に言えばどうでもよく、とにかく「良かった!」というライブでした。
 アンコールの曲数が9曲ってどういうこと?(記憶違いかも) とか、本編が1時間半、アンコールが1時間15分てどゆこと? つーのはあるんですけどね。でも『満月』『ヒューマン』『クリーチャー』『クリア・スカイ』『夕闇』(順番ぐちゃぐちゃ)が聴けたのはほんっとうにうれしかったのでした。
 欲を言えば自分自身の状態ですか。なぜか今回、二人の“あたし”が曲によってチェンジして観てたみたいです。「楽しー」ってだけの“あたし”だけなら良かった、と直後は思ったんですけど、もしかすると二人で観たので、こんなに「良かった」と思ったのかもしれません。
 というわけで郡山、実は行くことに多少迷いがあったんですけど(“あたし”達のことは別にして)、本当に行って良かったです。これを観れなかったらひどく後悔したでしょう。や、行かなきゃ観れないわけで、後悔のしようもないんですけど、そう思うほどのライブでした。

 それと。

 眞理亜さん、本当にありがとうございました。ピエロだけでなく、いろいろな話ができてとてもうれしく、楽しかったです。
 今日のライブ、観せたかったよー(涙)。
---
 おまけ。
 これだけはレポの前に書いておきたいことなんですが、本編ラスト『ANSWER』前のキリトさんの言葉に、思わず「バーカ」と言いそうになってしまいました。やー、あぶないあぶない。
 キリトさんに対する「馬鹿」という言葉は、あたしの場合最大の賛辞なんですけどね。

 誰も何もしてくれない。だから自分がやってやる。
2003-11-15(Sat) 23:49

……。

 データ飛んだのね。「なんだとう!」という怒りはまったくなく、思わず苦笑。
 実は午後5時15分頃見たとき、どの日記も本文がセンター寄せ(寄せって言うのか?)になってて、「変なのー」と思ったんだけど、「新機能がつくんで調整してんだろうな、きっとそのせいだわね。でもきっとすぐ元に戻るだろうからいっかー」と、流してしまったのだった。
 さっきメールが来てて「え? 利用期限の設定ってまだしてなかったの? 日記会員有効期限書いてあるのに?」と思い、これも変だと思ってたんだけど、これで納得。

 まぁ、こういうこともあるよ。