hirika
 少年犯罪ってむつかしいよね。あたし的には──まぁ、本家であんなこと書いててなんだけど、罪を犯した少年に対しては厳しい処罰をあたえるべきだ、と思う。
 そりゃ保護や教育も必要だろうとは思う。その後の人生を考えたらね。でもさ、「それだけのことをしたんじゃないの?」とも思うわけ。もし人を殺してしまったのなら、それだけのものを一生背負ってゆく義務があるんじゃないの? みたいな。
 むしろ、保護・教育しなきゃいけないのはそこら辺にいるフツーの……というか、今存在するすべての少年少女なんじゃないか、と思う。

 つーかさ、やっぱしなんか、「少年はいいよなぁ」と思わずにはいられないやね。法を改正させちゃうくらい、社会にかまってもらえてさ。
 他人に刃を向けない限り、手首切ろうが喰っては吐こうが、誰も「これは大変な問題なのだ」とは思ってくれないもんね。
 ……なんで気づかないんだろうね。感情は連鎖するんだよ。「親に虐待された」という想いを潜在的に抱えている人間は、もし自らが親になった場合、子供を虐待する可能性が高い、と思う。
 そして、そういう子達がこれから大人になり、親になり、子供を産み、育ててゆく。
 考えなきゃいけないのは少年のことばかりではないと、なんで気づかないんだろう。それとも、気づいてて放っておくのかな。いいカモだから。
 と、ひさびさに思ったりして。

 しつこいくらい何度も書くけど、あたしは本当に楽器の上手い下手がわからない(だからピエロなんて聴いてんだろ? とか言われそうだな←被害妄想)。
 音楽に限らず文章なんかもそうだけど、「上手いに越したことはないけど、上手いだけのものには興味がない」のよね。
 自分の心に響いてくるかどうか。それが一番大事。
 今日はピエロちゃんのマキシシングル『脳内モルヒネ』の入荷日です。が、職場でピエロを聴くのはいろいろアレなので、おうちに帰って聴くことにしました。で、帰ってからまずCD EXTRAを観たのですが──。

激ラブ

 誰がって? そんなのじゅんじゅんに決まってんじゃん。なんなんだあのコーラスは!! あたしを殺す気か!! こんなにきれいにハモってんの初めて聴いた。つか、もう耳にじゅんじゅんコーラスが入って来た途端、思いっきり顔がニヤけたよ!! なんつーかね、キリトさんのボーカルっていうのはあのじゅんじゅんコーラスを際立たせるためにあるとしか思えないような、そんな感じよ!(←激痛ジャー発言)
 それになんかさ、やっぱりじゅんじゅんカッコイイわ。なんでこんなカッコ良くなっちゃったんだろう、みたいな。もうほんと、5年前は決してカッコ良くはなかった、と思うのよ。きれいな顔立ちだとは思ってたし、場合によってはえっらいかわいかったりしたけど。それがこんなふうに化けるなんて、ねぇ? 「何かあったのかね?」とも思うし、なんかちょっとね、カッコイイのは良いんだけど、一抹の寂しさとゆーか、遠くに行ってしまった感じがするですよ。
 さらに痛い発言をすると、潤くんてゆーのは「この世に存在している」とゆーだけでうれしさを感じることのできる人で。なんかねぇ、「そういうのってどうなの?」と自分でも思うんだけど。アイジさんはかまいたくて仕方がなくなっちゃうし、キリトさんは喧嘩売りたくて仕方がなくなるんだけど、潤くんはさ、そこにいてくれるだけでいいのよ。

 で、肝心の音源だけど、『Labyrinth』はあれだな、『ラストレター』引っぱり出して来て聴きたくなった(が、今のあたしの環境だと8センチCDは聴くことができないワナ)。
 でもって『モルヒネ』は──……。「なんじゃこりゃ」というのが最初の感想。というか、拒否反応? 正直、インディーズ音源の方が好き。断然好き。つかじゅんじゅん、じゅんじゅーん(泣)、みたいな。
 ただ、好き嫌いというか、己の好みは置いとくなら、これは解釈の違いなのかなぁ、と思う。楽曲の捉え方というか、同じテーマを提示するにしても表現方法が違うっつーか、切り口が別ってゆーかさ。『モルヒネ』の新しい一面というか……違うな、これまで存在したけど見えなかった面の提示、みたいなもんなのかな、と。
 好きかどうか、で言うならインディーズ音源の方が好き。でもこれもアリっていうかさ、「こうじゃなきゃ、これまでの活動の意味って何よ?」みたいな、そんな感じもする。うーん、微妙だな。自分の中で賛否両論だよ。つか、さっきからずっとリピートで聴いてるんだけど、だんだん慣れてきたっつーか、「これはこれでいいじゃん」という感じになってきた。
 いや、でもインディーズ音源の方が好きだけどね。

 あ、あと歌詞カード見てうれしかったことがあって。「気が狂わぬように」ってちゃんと書いてあるの。BMGじゃアウトだったのに。
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 ライブアンケートの「好きな曲を3つ書いてください」という項目に、毎回しつこく『モルヒネ』と書くあたし。
戸惑うことも無く君を探すから
という歌詞が一等好きで、それがあたしが「自分という人間が何者であるのか」を探るための鍵のひとつになっている。
脳下垂体はすでに生き続けることをあきらめ始めて
脊髄にモルヒネを せめて気が狂わぬ様に与えてくれる
【このトピックへのコメント】
  • hirika補足っつーか。『モルヒネ』って曲の持つスタンスが変化してると思うのよね。だから提示っていうより開示って意味合いもあると思う。(2003-12-02 23:56:29)
 すみませんごめんなさい、またピエロ熱(おそらく短期)上昇です。

 つか『Labyrinth』、ひさびさに「死に装束」って歌詞を聴いてちょっとギョッとしたりしつつ、思ったんだけど。なんかさー、やっぱりこの曲の頃のピエロ、『Mother』とかさ、その頃とかそれ以前の曲っつーのは「痛い」のよね。ピエロが痛いんじゃなくて、あたし自身が痛い。
 あたしの根源にある痛みっつーのは、あの頃の曲が内包してる痛みと同じっつーかさ、なんか、うーん。当時は自分がどれだけ痛がっているかなんてわかんなかったから(痛覚麻痺してたし)ただ曲を聴いて「好き」と思えたけど、今はなんか古傷を抉られる感じというか、「なんとか治ってきたけどまだ完治していない傷が痛む」みたいな感じ。
 これはきっと一生自分ひとりで抱えてゆくものなんだろうなぁ、とは思うし、それを悲しいことだとも寂しいことだとも思わなくなりつつあるけど、なんか、ねー。「人の琴線にどうしようもなくふれてしまうもののひとつ」だとも思うんだけどさ、「あたしの痛みはそこにあるのか」と、なんとも言えない気持ちになる。
 こういうものを人に伝える力・表現力があって、それがセールスとして成立しているからプロなんだろうなぁ、とか冷静に考えたりもしつつ、どうにも、ねぇ。「それはもう戻ることのできない過去なんだな」という感慨──感傷かなぁ、それがわいて仕方がない。
 表示されたページのみざっと読み流したら、『モルヒネ』良いって書き込みばかりでちとムっとしたりして。むー。ただ、じゅんじゅんコーラスはやっぱり好評みたいね。
 だがしかし。なんかさ、じゅんじゅんもどこかのインタビューで言ってたけど、誉められるばかりじゃ嘘っぽいっつーか、「本当は何かあるんでしょ?」みたいなさ、「本当の本当にそう思ってんの?」みたいな、なーんか信用できないっつーか。大袈裟だけど狂気的だよな、と思う。なんとなくね。

 そう言えば。動作環境、CPU:500MHz以上、Quick Time 5以上ってあったけど、そうじゃなくてもCD EXTRA観れるよ>Macの人。うち400MHz、Quick Time 4だけど観れたもん。前のヤツ(ぎょろたん)はCarbonLibアップデートしなきゃ観れなかったのに。
 つかさ、ふつうこういうのってwinの方が先に書かれているのにMacの方が先に書いてあってちょっとうれしかったり。
 先ほど学校帰りの男子高校生を接客したのだが、ひさびさに仕事中心が潤った。身長はあたしよりちょい低く、割合きれいな顔立ち。で、特筆すべきは睫毛の長さ。
 節目がちでしゃべる顔を多少見下ろす感じで見てたんだけど、まさに「頬に睫毛が影を落とす」つー感じでさー、しかも若々しい肌にきれいな顔でしょ、もうね、「うっわ、すんげぇラッキー」みたいな、「目の保養だわー」みたいな、「うれしいなー、ちょっと幸せー」みたいな感じだったですよ。
 カッコイイ子もいるけど、ああいうタイプは初めてかもで、やー楽しみが増えたって感じ♪(ラルクのDVDを予約して行ったので、後日来店すると思われ)
 本家日記に御託を書いちゃったのですっかり忘れていたけど、11月26日に買って『EVANGELION:DEATH(TRUE)2』は27日に、『Air/まごころを、君に』は30日に観たのだった。
 で。
 やっぱし観てて一番昂揚したのはアスカがエヴァシリーズぶっ壊しているところ。以前観たときより共振しなかったけど、あそこが一番──語弊があるかもしんないけど、うれしいって感情が沸くのよね。
 あれって破壊衝動でもなんでもなく、ただ、「生きていることがうれしい」っていう、それだけの描写だと思う。してるのは殺戮かもしんないけど。でもって、だからこその「殺してやる」なわけで。ほんとにあれ、あたし的にはすんごいわかりやすい。
 で、あの、映画観の客席映してるみたいな映像? あれはやっぱり気持ち悪かった。「お前等みんな同じだろう」って言われてるみたいで、すげー拒否感というか、「あたしは誰かと同じなんかじゃない、あたしはあたしでしかない」って思うっていうか。なんだろうなぁ、他人と同じ感情を持つっていうか、共感することすら嫌、みたいな気持ち悪さがあって、アレはほんとに、ねー(何が言いたいんだよ)。
 「自分をこの世に引き止めるものなど何もない」とわかったから、楽になったのだと思う。「いつ死んでもいいのだ」と知ったから、生きようと思ったのだと思う。
 未練がない。だから、未練が残るようなことを探したいと。
2003-12-04(Thu) 20:29

日記が読めない。

 なんで? さっきまではふつーに開けたのに。自分のも人様のも読めない。書くことはできるみたいだけど。
2003-12-04(Thu) 20:33

読もうとすると。

「ログインしてください」ページへ……。いやーん。リファラーもお気に入りリストも表示されるのに。
2003-12-05(Fri) 00:07

直ったみたい。

 ……と思って安心して他のサイトを見て回っていたら、またもや「ログインしてください」。一度ログアウトしてから再度ログインしてください、とのメールを管理人様からいただいたので試みるも、さらに「ログインしてください」、しかも「新着トピック」をクリックしてもだよ……。
 「うーん、最近なんだかちとブラウザの調子が悪いことがあるので、そのせいかもしれぬ」と思い、一旦接続を切ってMacを再起動(ついでにしばらくやってなかったデスクトップの再構築も)。で、その後こうしているわけだけど、ちゃんとログインできたし日記読めるし。
 ここにログインしたまま他のサイトに行ってログインし、再び戻って来るとなぜかログアウトしている──ということが今までもよくあったんだけど、うーん。
 あたしの他にMacの人っていないんだろうか。ちなみにうちはOS9+IE5.16。
【このトピックへのコメント】
  • hirika完璧直ったもよう。まったく問題なし。……とか書いといて、次に来たときアレだったらどうしよ。(2003-12-05 01:16:10)
  • hirikaクッキー、実は以前から喰えてない。(2003-12-05 16:08:11)
 同人(やおい)系の話。

 どのジャンルに限らずカップリングってゆーのはたくさんあって、まぁピエロを例にすれば、あたし的には何でもオッケイである。好きなのはじゅんあい(リバ可)だが(つか検索で来る人がまったくいないので、潤アイと書いても良いような気がしてきた)、あらゆるカップリング、そのすべてを読むことが可能(いや、コータくん絡みのは苦手だけどね。コータくんだけはものすごーく申し訳ない気持ちになる、そういうのを読むだけでも)。
 なんでかっていうと、まぁそれぞれのカップリングによって味が違うとゆーか、おもしろいとか好きとか、そう感じるツボが違うからで、「おいしいものなら何でも好き」なあたしは、一番好きなじゅんあいじゃなくても、「あー、これいいなー」と思いながら読んでしまうのだった。
 が、中にはそうじゃない人も結構いるみたいで、「自分の好きなカップリング以外は認めない」っちゅーか、「許せない」「あり得ない」と不満を表明される人もいらっしゃったりして。
 嫌なら読まなきゃいいじゃん、と常々思うのだが、なーんか、わざわざ読みに行って文句ぶちまける人が後を立たないような、そんな気がする。なぜ、嫌なものをシカトできないのか。知らないふりをできないのか。
 分析することもできるが面倒なので置いといて、「読まなきゃいいのになー」とすごく思う。読むとムカつくのがわかっているんだから、近づかなきゃいいのだ。つかそれ以前にスルーしちゃえばいい。そうすりゃ嫌ーな気分になることもないじゃん。
 まぁ同人とは別だけど、オフィBBSとか2chとか? 読むと気分が悪くなるのであたしはできるだけ近づかない。「知りたい」という気持ちはあるけれど、それ以上に「嫌な気分になりたくない」って気持ちの方が勝るから。
 サイトやってて「嫌なら読むな」と書いたことのある人って結構いると思うんだが(あたしも一度は書いてるはず)ほんとにその通りで、書き手だけでなく読み手にも責任はあると思う。自分をコントロールできない読み手にね。
 てゆーか、さっきキリアイな人が「王道はキリ潤だ、と言ってる人がいるのが許せない」て書いてるのを偶然見つけてしまい、「なんだそれ」と思ったのでこんなもんを書いているのだった。
 や、だってさ、あたしじゅんあい好きだけど、ライブ中のキリトさんと潤くん見てるとさ、「ああー、この二人ってほんとに……」って思うもんな。「阿吽」て言葉を思い出すっつーか。
 キリ潤とじゅんあいって、それぞれ二人の関係性が違うから、あたしの頭の中では「別々のこと」になっているんだろうな。たぶん。
 ひさびさにinfoseekにてメールチェック。スパムばかりなのだが、気が向いたのでひとつひとつ読んでみた。そしたら次の文章が。

未承諾広告※ ご迷惑な方は削除してください。
当広告を受信拒否の方は次のメールアドレスに〔受信拒否〕として送信してください。その日のうちに削除いたします。ご迷惑でしょうがよろしくお願いいたします

 「迷惑なんだからよろしくお願いされたくねぇよ」と、繊細で神経質なあたしはつい逆上してしまったのだが、マジ、なんで迷惑かけられた上にてめえの頼みごとをきいてやんなきゃならないんだよ、と思う。
 そこら辺の矛盾はちゃんとわかってて、それでこういうもん送りつけてくると思うんだけど、それならそれでさ、もうちょっと考えて欲しいよなー。
 「よろしくお願いします」なんて書いたら余計ムカつくだけだってことがわかんないくらい、頭悪いのかね? まぁ、大抵の人は読まずに削除しちゃうだろうから、考えるだけ無駄なのかもしんないけど。
 栃木、郡山共通の感想。今朝、何気にふと思ったんだけど、これってアレに似てる。「気持ちはいいんだけど刺激が足りなくてイけず、そのうち疲れてきちゃう」みたいな。「相手ががんばってくれてるのはわかるんだけど」みたいな。
 言い得て妙、とか自分で思うあたり、どうなの? って気もするが(何が「どうなの?」なんだよ)。
 今日、本屋へ行って少女漫画の単行本の棚の前をうろうろしていると、ふとある物が目に飛び込んできた。タイトルとか作者名は憶えちゃいないが、表紙を見てわかるのは、それがセックス込みの恋愛漫画だということ。レディースコミックの主人公がOLや主婦ではなく、高校生とか大学生になった感じ……かなぁ。
 単行本ではなく、隔月誌がいつの間にかコンビニに置かれるようになっていたのは知ってたし、「どんななのよ?」と立ち読みしたこともあったが、今日本屋で見た平積みになった単行本は10タイトル以上あって、「ええ? こんなに出てんの?」と驚いたのだった。
 つーか、まぁそういう漫画があるのは別にいいんだけど、もうひとつ驚いたことがあって。置いてある場所ね。フツーの少女漫画と並べて置いてあって──中高生はともかくとして、これさ、みんな絵柄がかわいいものばかりだし、もし小学生が買って行っちゃったらどうするんだろう、みたいな。
 いや、それを言うならボーイズラブ系の雑誌の方が描写はすごいんだけど(雑誌によるけど)、ボーイズラブは万人向けじゃないっつーか、興味がないと手に取らないと思うのよ。でもフツーの恋愛漫画(えっち込み)だと、買っていく子結構いるんじゃないの? みたいな。
 「そういうのはよろしくない」とは思わないけど、なんかさ「どうなの? ねぇどうなのよ?」と思ってしまったのだった。
 「あぁマズイ。こんなことしてる場合じゃない……」と、一応ちょっぴり良心が痛んだり痛まなかったりするのだが、どうにも放置しっぱなしである。

 ええーと、すみません。たぶん全部読んでる方も数人いらしゃると思うのでここに書いてしまうと、別サイトの日記、たぶんおそらくきっと近日中に閉じます。
 理由はいろいろあるんですけど、ちょっと、手が回らなくなってきました。あの場所は取りあえずお話を置いておくだけでいいかな、と思うので、日記を書くのはやめてお話を書くことに専念したい(できればいいな)と思います。
 とゆーか、年が明けたら本家で書こうと思っていることがあり、それがちと長めの文章になりそうなので、今その下準備をしているところなのです。で、下準備が終わったら終わったで今度はきっちり書いてゆかなければならないし──そんな感じなのに余計なこと始めちゃうしで、いっぱいいっぱいです(自分のせい)。
 最悪、今年中にアレだけは終わらせたい、と思っておりますのでよろしくどうぞです。

 つか別サイト。今まで感想らしい感想くれたのって好青年だけなのよね。
 本家散文の方に感想メールをいただいた。感想メールをいただくのって年に2、3通なんだが、「印象に残っているメール」──まぁ書き込みとかもそうなんだけど、それには共通することがあって。感謝されるっていう。

 なんかね、書き手の思惑とは違う読み方をされるってのはもう、当たり前のことでアレなんだけど、こういろいろ、考えてしまいますな。「今ってそんなに心を病んでる人が多いんですか?」みたいな。
 「人のために書いてるわけじゃない」とは言わない。自分が「生きることが苦しい」から、同じように苦しい人に「こうすれば楽になれるよ」ってのを少しでも伝えられればいいな、と思いながら書いている部分もある。でも基本的にはやっぱりさ、なんだろう──自己確認のためっていうか。
 自分はこういう人間である、というのを確認したいというか、web上にそうやって表現することで、そしてそれを読んでくれる人がいるってことで、自分の存在を確かなものにしたいというか、「これでいいんだ」って思いたいっていうかね。そういうのがほとんどじゃないかなって思うのよ。
 だからまぁ、こうして書くって行為は本当に自分のためというか、そんな感じなんだけどさ、それでも「そうして書いたものが人に届く」っていうね。
 結局あたしが書いていることって、いつもいつもいつも、極端に言えば「あたしは寂しい」ってことだったりして、だから読み手に求めることのひとつって「あたしの寂しさをわかって欲しい」ってことだったりするんだけど、そうではない反応が来るっていう。で、そういうことに対して今までは「それは違う」つって怒ってたんだけど、なんか、ね。
 web上で不特定多数に向かって言葉を発するってこういうことかな、と。や、web上に限らないんだけどさ、「自分を知らない他者に向かって言葉を発する」っつーのはこういうことかな、と。自分の思惑通りじゃなくとも、こうして「人に届く」ってことが実感できる。
 感謝されてもちょっと、返す言葉が見つからないんだけど、やっぱし、うん。年明け書こうと思っていること──これはね、どんなことがあっても書いておかないといけないなー、と思ったですよ。や、ほんとは今年の3月くらいから、書こう書こうとは思っていたんだけれども。

 なんかわけわかんない文章だなー。すまぬ。
2003-12-08(Mon) 21:17

Re:les liens

誰そ彼は 2003-12-08 00:37「les liens」へのコメント:

 いくらピエロが好きで名前が同じとは言え、書き込みの文体とかなり違うし、実際逢ったときの印象ともずいぶん違うので、「もしかして別の人かしら?」と思い、しばらく静観していようと思ったんだけれど、これを読んだらちょびっと確信が持てたので。
 ええーと、あたしの知ってる月浬さんだよね?(違ってたらどうしよう……)
【このトピックへのコメント】
  • 誰そ彼は「Re:Re:les liens」ええーと、あたしの知ってる月浬さんだよね?(違ってたらどうしよう……)>そうですよ。大丈夫です(笑)最初は本当に自分だけが見る日記のつもりで書いていたので喋り言葉とも書き言葉ともまた違った口調になっぎ..(2003-12-09 01:33:44)
 決して消えたりしないわけですよ。ただ、痛みを感じなくなるだけで。
 むつかしいねぇ。心の痛みってのは誰にもわかってもらえることはないし、逆に他人の痛みを理解することもできない。で、「それはそういうものなんだ」ってことを自分でどう扱うか、どう触れてゆくか、どう抱えてゆくか──それがわかんなくてどうにも持て余してしまって苦しむんだけれど。
 自分がどれほどに苦しいのか、それをわかって欲しいと思っていたけど、それはどうしたって無理なのだと、そう納得することですら、すごい時間のかかることだったしねぇ。

 数年前は、自分を罵倒することで、卑下することで安心できた。でも今は、自分を罵倒したり卑下したいとは思わなくなった。
 そうしなくても安心を得られるくらいに、自分を好きになれたんだろうね。

 またまたわけわからん文章でアレだが。
2003-12-12(Fri) 00:33

唄うギター。

 ここ数日いろいろと負荷がかかっております。気持ち的な部分で。まぁこれは自分のせいなんだけど。
 「他人の感情に振り回されるのやめようよ」と思ってはいるんだけどねー。どうにも想像力が豊かなもので、人様の日記を読んでは悪い方へ悪い方へと思いを巡らせています。で、ふと栗本薫さんが『グイン・サーガ』92巻のあとがきで書いていた
「自分の人格障害が直るとこんなに生きるのが楽になるし、人格障害の相手にふりまわされることもなくなる」
とゆー言葉を思い出したりしてね。
 必要以上に他人に感情移入したりしないように! と思ってはいるんだけれど、どうにも。「苦しいのか、そうか。それをわかって欲しいんだな」というふうに勝手に頭の中で解釈しちゃうというか、自動翻訳されてしまうので、なんともかんとも。そういうふうに自動的に思考してしまうという、そのことがもう病気なんだろうな、と思って、ああじゃああたしはまだまだなんだな、と気づいたりもして。はうー。
 まぁ、何年もかけてやっとここまで来れたわけで、焦るのが一番よろしくないとゆーのはわかっているので、それほど自分をせき立てたり、「こうでなければ」という呪縛に陥らないようにするのみです。

 で本題。そんなこんなでストレスが溜まっていたので、それを解消するためもあって今日はちょびっと物欲を満たしました。そう、買っちゃったよ、押尾コータローの『STARTING POINT』!(一番下のアルバム)
 実は2、3日前、夜中にNHKのTRの再放送で見て、「すげぇ!」と感動し、それから欲しくてしょうがなくなってしまったのだった。
 や、だってほんとにすごいよ? TRで始めにやったのが『HARD RAIN』とゆー曲なんだが、3フレーズほど聴いたところで「すごいすごいすごい! 唄うギターだ!」と思った。聴いてて思わず涙ぐんじゃったし。こう、技術的なこと? 上手い下手はやはりあたしにはアレなんだが、あのギターはどうしたって唄っているようにしか聴こえない。
 押尾さんは番組の最後に「愛、情、そういうものがこもってなきゃだたの箱」とギターを指して言ってたんだけど、それを聞いて「ああなるほど」と思って。
 あたし“唄う”ってゆーのは泣くとか笑うことの延長線上にあるものだと思ってるのね。つまり感情を表現するものだと思ってるの。ふつう唄うってのは人が声を発してのことを指すんだろうけど、“感情を表現する”という意味では、押尾さんのギターってすごい唄ってるのよ。なんかねー、「ああ、こうして唄うギターってあるんだ」って、すごいびっくりしたし心を動かされたですよ。
 でまぁ、「以前からうちの店にも在庫あったよな」と思って数日購入を迷ってたんだけど、今日ね、「えーい、欲しいと思ったときが買いどき! 買っちゃえ!」つって買っちゃったのでした。
 でもって今聴きながらこれを書いてるんだけど、やっぱこれ、ナマで聴きたい。CDだときれいな音で聴くことができるけど、ライブで目の前で弾いてるのを目にしながら聴きたいよ。
【このトピックへのコメント】
  • hirikaもうひとつ驚いたこと。押尾さんてピックじゃなくて爪で弾いてるのよ。(2003-12-12 00:46:58)
 今日こんなメールが来た。
OCNのアクセスポイント用「ナビダイヤル」は、全国どこから接続してもNTTコミュニケーションズの市内電話料金(3分8.5円、深夜・早朝帯4分8.5円)でインターネットをご利用いただける便利なサービスです。

OCNでは現在提供中のアナログ・ISDN接続用アクセスポイントを2004年2月以降順次整理し,今回ご案内する「ナビダイヤル」へ順次変更して参ります。
変更が実施されますと、ご利用いただいております接続先電話番号がご利用いただけなくなる予定です。
 ……。
 うち田舎だからさ、ADSLにしたくてもできないのよ。以前申し込んだとき「回線の空きがない」っつって断られたっちゅーね。だから時期が来れば必然的に全国一律のこれを使うしかなくなるわけで。するとさ、さっき計算してみたんだけど、電話代がどうやっても1万は超えるっつー。通話料のみで。
 こういう状況ってどうなの? ADSLにしたくてもできない人は、ADSLよりも高い金を払って遅い回線使わないといけないっつーさ。ADSLにしたいって人がみんなそうできるって状況でこういうことするならまだ納得もいくけど、どうしても金をせびり取られるような気がしてならないよ。
 でこれさ、かなり頭に来るんだけど、なんか他のプロバイダも同じような感じで、アクセスポイントがなくなっちゃうっぽい。だからまぁ、全体がそういう方向に行ってるんだろうな、とは思うんだけど、なんか、ねぇ。「回線の空きがない」ってのは需要と供給の関係っつーか、それで仕方が無い部分もあるんだろうけどさ。
 世の中って不公平だよなー。
 こんな時間に一体何やってんだアンタは、つー感じですが。えーと、別サイトのアレを書いているわけです。いい加減1章だけでもサクサク終わらせないと、次に進めないので。
 だって次はやっとキリトさんが出てくるわけで、一応キャラは作ってあるんですけど、今のところちょっと「動かしてみないとどうなるのかわからない」とゆー感じなので、さっさと動かしたいってのもあるんですよ。
 でもね、なんか「いざ書こう」とすると緊張してしまうとゆーか。すっごく書きたいと思っていた場面がやっと書けるってのもあって、「うわあ、どうしよう!」みたいな。
 「書いてる本人がそれでどーする」とセルフツッコミが入ったりもするんですけど、なんかね、「ああ、これが終わるとやっと本題に入れるとゆーか、物語が転がってゆくんだわ」ってのもあって、自分の中ですごい気持ちが盛り上がるとゆーか、とにかく緊張しちゃうんですよ。
 で、今書いてるのが中々進まないのって、そうやって緊張してしまい、その緊張がファイルを開くことすら避けてしまうほどのものだからなんですけど、さっき(数時間前)思い切って書き出してみたら、やっぱしなんか、楽しいんですね。書くの。
 こう、体調が万全じゃないので、上手くキャラに入れない部分もあるんですけど、「ああ、やっぱりあたしこの二人大好きだわ」と(実在のご本人とはまったく別人ですが)。
 まだ5分の1ほどしか書けてないんですが(え)、「たーのーしーいーなー」という気持ちが保たれている間に、なんとか書き上げたいです。がんばれ、あたし。
【このトピックへのコメント】
  • hirikaこれ書いてんのhirikaさんじゃなくて別サイトの人っぽい……。(2003-12-13 05:31:39)
2003-12-13(Sat) 05:23

更新時刻のてすと。

 なんか「日記を書く」ページを開いた時間になってるみたいなので。
【このトピックへのコメント】
  • hirikaやっぱ書き込んだ時間じゃなくて「日記を書く」ページを開いた時間になってますな。……後で報告しよう。(2003-12-13 05:28:26)
 本家の方。
 書きたいことがいろいろあって忙しいんだけれども、人様からリンク貼っていただいたりして、「これじゃいかん」という気持ちが高まってきたので。
 や、だって書いた時期によってレイアウトっつーかデザインっつーかが違うじゃん。なんかそれが「みっともないなー」ってのと、あと行間? 「macはまぁともかくとして、winじゃかなり読みづらいよなー」ってのもあって、全ファイルcssでゆくことにしたのですよ。で、どうせ書き換えるんだったら全部統一したデザインでいこうと。
 ファイルの数、最低でも170ほどあって、今かなりめんどくさくなってるんだけど、なんとか今年中には全部終わらせたいっす。ちなみに日記はあと8ヶ月分を残すのみ(『真面目』と『煩悩』は手付かず)。
 それと、今日ふと思い立って眞理亜さんのライブレポもまとめ始めたんだけど(コピペ作業)、ひとつのライブにつきひとつのファイルにまとめると、それほど大量でもないことが判明。以前の裏BBSの分だけで10くらい。
 し・か・も。すみません、「ログは全部保存してある」と豪語しておきながら、NO.34〜60、62、63がないとゆー。あああああ〜、ごめんなさい(土下座)。あ、ご心配なく、名古屋での潤アイちゅー未遂のやつはちゃんと残ってるです(……)。
 てゆかマジな話、作業しながら一応全文目を通したんだけど、なんかほんとにねぇ、「ありがとう」って気持ちでいっぱい。あたしが喜ぶツボを心得ているのか、絡み関係とかね、そういう部分でもおいしいレポなんだけど、ピエロを観る視点が「他の人にはどう見えているんだろう」とあたしが興味を持つ、そういう方向からなので、ほんとに「そのときどきのピエロ」を考える上ですごく参考になったなぁ、とゆーか。こう、改めてね、そう思ったよ。
 バカな話だと、「こんな素敵なものをローカルに置きっぱなしにしといたのか!」ちゅー感じなんだけど(今さらだが、「えー、そんなことしてたのかこの二人は!(組み合わせはいろいろ)」つーのがあって、今だから楽しいってのもある)。
 なんかほんとに、すげー感謝です>眞理亜さん。こっちは読んでないかもだけど。

 あ、それとあらたん部屋に置いてあるのと、以前『うらでん』に置いといた本のレビューも『真面目』に移すつもり。もうちょっと人目に触れやすいところに置きたいので。てゆーか、ほんとにこれ全部、今年中に終わるんだろーか……。あう。
 で、ふと思い立って今日はコピペ作業をしながらずっとピエロちゃんの『FINALE』を聴いているんだけど(現在進行形)、こう、今さらだけどこのアルバムすごいわ。
 音的な部分も含めて世界観の構築が半端じゃないのな。精密機器っぽいっつーか、ちょっとでもずれたらすべてが狂って崩れ落ちてしまうかのような、非常に緊迫感のあるアルバムってゆーか。
 今じゃ絶対無理。この緊迫感を出すのって。
 なんつーか、窮鼠猫を噛むじゃないけど、それに近いっつーかさ。かなり追い詰められた感があるとゆーか、張り詰めてる感じがする。こうでなければ立っていられない、的な。
 で、キリトさんはそれを極力客観的に見ようとしているとゆーか、自分自身のプライベートな心情から切り離して見ようとしているんだろうな、という感じがするんだけど、うーん。
 やっぱり音楽って──いや音楽に限んないけど、その人自身が現われちゃうものだよな。
 この時期だからこそ出来たアルバムだろうし、これを他のアルバムと比べるのはなんか違うって気が、今はするなー。まぁ、それを言うなら他のアルバムもそうなんだけど。
 ともかくこの『FINALE』、再評価されていいんじゃないかって気がするですよ。メンタルな視点からのそれは置いといて、唄ってることとか、なんかやっと時代がこの『FINALE』に追いついてきたって感じがするしねぇ。

 『ラストレター』とか、発売当初よりも今の方が実感がわくような気がするし(自衛隊の派兵とか考えると)。
 アルバムの中の流れで『クリア・スカイ』を聴いてふと思ったこと。
壊れていくこの世界で迷わず待っていて
二人決めた約束のあの丘で
 キリトさんは今も“そこ”にいる。そこで『ANSWER』を唄ってる。誰も待ってはいないけど、ずっとそこで待ち続けてる。
 を聴きながら今日はお仕事だったわけですが、なんつーか、な。聴いてて一番印象的なのは「変わったな」ってこと。以前よりずっと「痛い人」じゃなくなってる。
 あゆだけでなくピエロもそうだし、あたし自身のことを顧みてもそうだなーって思うんだけど、「痛い人が吐き出す痛い言葉だからこそ届く」とゆーのってあると思うのよ。
 こう、世の多くの、生きるのが苦しく、「痛い人」でしかあれない人達とゆーのは、いろいろな要因もあって「現状から抜け出すこと」がむずかしいと思うの。
 で、そういう人達が必要としているのは、「現状を変えてゆくための示唆」ではなく、「己の苦しみが理解されること」だと思うのね。
 音楽に限って言うなら、「この曲は自分の気持ちを代弁してくれている」とか「自分もこの歌詞と同じ気持ちだ」とか、要は共感できたり、同じ思いを共有していると思えることが、イコール、「自分の気持ちを理解してくれている」と思えるという。
 あゆとかピエロ──つーかキリトさんを名指ししちゃうけど、とか、元々すごい痛い人だと思うのよね。で、彼等が吐き出す言葉っていうのも、商業的に成り立つ作品として提示されてはいるものの、そりゃもう痛いのよ。
 で、そういう「痛さ」に共感を覚え、慰められたり救われたりした人っていうのはすごく多いと思うんだけど、皮肉なことに、共感する人が増えれば増えるほど、あゆやピエロからは痛みがなくなっていってる気がするのね。
 ここから先はまるっきりあたしの憶測だけど、共感してくれる人の思いが純粋で真摯なほど、それを発する側も救われちゃうというか、楽になれてしまうと思うの。
 発する側の「己の所在のなさ」が払拭され、自分自身を肯定できたり、自信を持つことができるようになり、生きることが以前より苦しくなくなるし、発する言葉も変わってゆく。つまり、痛い言葉も発することが少なくなってゆく。

 アルバム聴いててね、「あゆは変わったなぁ」って、ほんとに思った。で、同時に「離れてゆく人もいるだろうなぁ」と思った。痛い言葉ではなくなりつつあるから、おそらく共感できずに置いてゆかれてしまう人もいるんだろうなぁ、と。
 でなんかね、こういろいろ考えちゃったりしてね。キリトさんのことも含めてさ、「決して“痛がっている人達”のことを忘れたわけじゃないんだぞー」とか、「そういうものも見据えた上で進んでゆこうとしてるんだぞー」とか。
 本当のところは本人に訊いてみなきゃわかんないけど、自分自身のことだけでなく、自分を取り巻く人々に対する葛藤も抱えつつ、この人達は自ら道を切り開いてゆこうとしてるんだろうなぁと、そんなことを考えたですよ。

 ちなみにあたし、この先のあゆはもう聴けないかも、と正直思った。あうぅー……。
【このトピックへのコメント】
  • ウロボロス「Re:あゆのニューアルバム。」 昨日こんなこと書いててなんだけど。今日あゆを聴いてたらなんかすげーすとんと落ちてきて。素直に聴けたっつーか、ちと泣きたい気持ちになった。 嫉妬とか劣等感とか、そういうものを認めたからそう...(2003-12-16 02:19:07)