hirika
 本家日記に書き忘れたのでこちらに。基本的に本家の文章はweb上にアップしたら手を加えないことにしているので。

 で、書き忘れたのはタイトルに書いた通り。現在なぜか『Utada Hikaru SINGLE COLLECTION』が家にあるのだが、さっき『FINAL DISTANCE』を歌詞カードを見ながら聴いていたらボロボロ泣いてしまった。理由はわからない。特に思い入れのある曲でもないし。
 ただ、
無理はしない主義でも
少しならしてみてもいいよ
 という歌詞はすんごい好きで、この“力の抜け加減による想いの深さ”っていうのはもう本当に、あまりにさり気なさ過ぎて暴れだしたくなるくらいなんだけど。
 でもほんとに──なんで泣くんだろう? なんとなーく、思い当たることがないでもないんだけど(DISTANCE→“他者との距離感”という意味で)。
 今日はエイプリルフールだったのね。『マトリックス・レボリューション』のことで頭が一杯で忘れてたよ。と言っても楽しみにしていたわけではなく、開店と同時にお客さまが来るだろうからその対応とか、仕事的な意味でだけど。
 だがしかし、やっぱり仕事帰りに購入し「おうちに帰ったら観よー」と思っていたわけで、でも実際にはお夕飯を食べながら『WASABI』を見始まったら結構おもしろくて、結局『マトリックス』を観るのはやめにして最後まで観てしまった。
 つかさ、広末涼子かーわーいーいーなーv 吹き替えもそんなに違和感なかったし、何より表情がめちゃくちゃ可愛い。あたし的にジャン・レノを食ってたよ。つか、広末があれだけ可愛いからおもしろく観れたんじゃないだろーか。いや、吹き替えの坂本真綾の力も大きかったとは思うんだけどね。
 観るまではタイトルだけ知ってて、「広末霞んじゃうんじゃないのー?」「役不足じゃないのー?」と正直思ってたんだけど、なんの。キャラクター設定が良かったのも大きいだろうけど、とても楽しく観れたです。思わず涙ぐんじゃったよ。
 超大作より、こういう、それほどぱっとはしないんだけど「なんかいいな」と思える映画の方が好き。
 友達紹介キャンペーン中とのことなので、この日記を読んでる人で「DI:DOで日記を書き始めたい」という方は日記会員入会時、「友達紹介キャンペーン」欄にあたしのID(hirika)を書くがいいです。知り合いかどうかは置いといて。
 つかこのキャンペーンの概要見たとき、「そんなにサーバ代大変なのか……。だったらもう少し利用料上げてもいいのに」と思った。
 先ほど別サイトのアクセス解析を見たらですね、どこかのサイトからリンク貼られてるのがわかったんです。で、「あんなサイトにリンク貼ろうなんていう気概のあるヤツって一体どんなのよ?」と思い、そちらのサイトへお邪魔したのです。
 そしたら、前に一度訪れたことがあるピエロ同人サイト(潤キリ)でした。前にも本家の解析に残ってて、そのときはトップページだけ見て終わっちゃったんですが、2度目ということで今回は一通りコンテンツを見てみることにしました。で、当然のごとく日記も読んだのですが──
 これ、この文体、携帯の短いメールでしかどういう文を書くのか知らないけど、この文体、この文章の感じはもしかするともしかして。
 確認のため2月のログをさかのぼって読むことにしました。ついうっかり1日のログから順番に全部読んでしまったため、ちょっと時間はかかりましたが、しっかりと確認できました。誕生日が2月9、10日と1日違いのピエラー姉妹なんてそういるとは思えません。
 なのでこれは間違いなく、妹ちゃんのサイトです。はうー。
 いや、本人に確認してないのでアレなんですが、まぁ誕生日の他にも「これって」と思うところがいくつかあるので、十中八九間違いはないでしょう。しかしそれにしたって姉妹でピエロ同人とは(カップリングは違うけど)。なんか業を感じてしまうです。
 あとね、家族の日記読むのっておもしろいですな。なんかこう他人向けの顔をしていて、そういうのってなかなか見れないじゃないですか。あまりにもふつうの、年相応な感じの「若い子の日記だなー」という感じだったのでそれがちょっと意外でしたが、まぁ姉がこういう人だからと言って妹もそうだとは限らないですしね。
 ともあれ、「メンバー及び関係者へ向けた文章」なんぞを置いている同人サイトにリンク貼ろうなんていう人は、やっぱり妹ちゃんくらいしかいないのですなー(いやそれ以前にサイト持ちの人って読んでいるんだろうか)。

 そういやこの日記、妹ちゃんは読んでいるんだろうか。
 さっき観た。感想をひとことで言うならば──ストーリーが破綻してる。

 えーと、もしかしてアレかな、あたしのオツムが弱いからなのかな、ザイオンとネオとエージェント・スミスとマシン・シティの関係性が整理できない。
 なぜネオはエージェント・スミスと闘いますか? そしてネオが彼に勝つことでザイオンへの攻撃が止むのですか? もしかしてネオがいなければこの戦争は起こらなかったのではないですか? となると『マトリックス』に於けるネオが登場するまでの歴史っていうのは一体なんなのですか? 前任者がいたというのなら同じことを延々くり返しているに過ぎず、もしそうなら、あえてネオが登場するこのときを切り取る必要性、必然性があったのではないですか? その説明がなされていない──あたしにはそれがわからない、というのはどういうことですか?
 いや本当に、3作共観てそのどれもが首を捻らざるを得ないって、でもってそれを「おもしろい」と言う人がいるのってどういうことなんだろう?
 見終わって最初にさ、正直『FF8』を思い出した。ディスク3まではおもしろいんだけど、ディスク4からまったく別の話をつなげたみたいな。それであったま来て、「こういうストーリーになるならもっと伏線が」と文句をつけてみたものの、でもどうしたってあれはまったく別の物語をくっつけたようにしか見えないのだった。
 『マトリックス』もそう。本筋となる物語があって、あと他に二つほどネタがあって、それをつなげて無理矢理ひとつの話におさめようとしたような感じ。根本的な世界設定が間違っている上にそれなので、これはなんちゅーか、映像的なおもしろさ、それによる高揚感を取っちゃったらたぶんただの駄作になるだろうな。
 いや、これ作るのにかなりの金がかかってるんだろうなとは思うわけで、だったらもっとマシなもの作れなかったの? と思わないこともないが。
 なんか、なー。すごいもったいない。最初の部分でのつまずき──世界観の設定──が全部に影響してる。せっかくいいネタなんだからもう少し上手く料理して欲しかったのに。もしかすると1作目の時点で失敗だったのかもな。あれ観てあたし納得できなかったし、そのせいでそれほどおもしろいとは思わなかったんだもん。
2004-04-05(Mon) 13:58

春到来。

 やっとうちの近くでも桜がほころび始めたよ。もう寒い寒いと凍えることもないのだなぁと思い、けれどそれを名残惜しく思う気持ちもほんの少しあり。
 冬としばしお別れ、しばらくは花の咲きほこる季節。
 長々と書いていたらタイプ2エラーでいきなりIEが落ちた。直書きしてたので全部消えた……。あうー、やっぱし書くときはエディタを使えという神の啓示なのかー?
 休息。

 身体的疲労がかなり溜まっているので、それをなんとかしたい。先週忙しくて、しかも気を張っていたので普段より疲れてたらしく、なのに金曜土曜の休みで多少気が抜けて、そしたら風邪をひいたみたいで土曜からずっと微熱が続き、そのためさらに疲労が蓄積し──と、なんだかなぁって感じ。だったらこんなもん書いたりネット徘徊したりしてないでさっさと寝ろよ、つー話なんだけど、それをしないと心の休養が取れないし。
 ああ、身体を休ませたい。そしてもちっと体力つけて健康になりたい。なんか最近、「もしかしてあたし体弱い方なのかな……」ちゅー気がしてきたよ。いや、規則正しい生活をすれば人並みになるんじゃないかって気はするんだけれども。あ、胃腸が弱いのは確かっぽいんだけど。
 つーか、自分語り? 「内省的と言われるのはきっとこういうこと書くからなんだろーなー」と思われることを書いていない。いや、特に「そういうことを書きたい」という衝動がなく、「書かずにいられない、吐き出さずにいられない」ということがかなり少なくなってきて、それって読み手からしたら「つまんない」のかもしれないけど、あたし自身にとってはとても良いことだと思うので、無理にそういうのを捻り出そうとしなくても、と思ってるんだけど。
 なんか、なー。リアルタイムでそういうのを書く気力がないっつーか(体力も)。どんな記述であれ、書きたいと思うことは結構あったりするんだけど、その場その場で出して行く力がない、みたいなね。たぶん本家日記が長くなっちゃうのってそのせいだと思うのよ。「数日経ってから思い出して書く」とか「取りあえずメモ程度に1、2行書いといて、余裕があるときにまとめて書く」とか。
 同じweb上で言葉を綴るにしてもさ、なんか、本家とここでは時間の流れが違うような感じがするのよね。ここはもうどんどんどんどん、何も書かずにいても時間が流れてゆく感じなんだけど、本家の方はまったくあたしのペースで、あたし自身が時間の流れを決めている、みたいな。
 どっちも同じくらいのバランスで書けたらいいな、とは思うんだけど、なんかねー。こう、考え事が趣味なので、布団に入って寝つくまでの間もいろいろ、『マトリックス』のこととかね、考えてて、「書きたいなー」と思うことはあるんだけど。あと他にもいろいろ。
 あーでも、本家散文にももうほんとに、気力さえあればある程度まで書きたい感じだし、別サイトの方も今月中に続きをアップしたいし。あーうー。どうにかなんないか。
 数週間前だったか、『死ぬまでにしたい10のこと』という映画DVDの案内書が職場に入って来た。死ぬまで2ヶ月だっけ? それを見て「あたし何かしたいことあるかなぁ」と考えて、特にないことに気づいた。
 いや、ひとつだけある。別サイトで書いている連載物の話を書き上げること。でも、それ以外はこれと言ってないんだよな。や、飛行機乗ったことないから一度乗ってみたいとか、台湾へ行って食い倒れたいとか、モアイとかピラミッドとかいろんな古代遺跡とか見てみたいとか、宇宙空間から地球を見てみたいとか(これはあたしの本当の夢)、そういうのはあるけど、でもどれも「絶対、それやらなきゃ死ねない!」というほどのものでもないのよね。
 たぶん、1年以上前だったらやりたいことってもっとたくさんあったんじゃないかって気がする。でもなんか、うーん。

 あたしさ、すごい変わったと思うのね。サイト始めたばかりの頃と比べたら別人じゃないかっていうくらい、変化した部分があると思うの。4年前、あたしは本当に生きるのが苦しいというか、自分でもよくわからない“生きにくさ”を感じていて、毎日のように鬱々と思い悩んでいた。自己を罵倒せずにはいられなかったし、自己否定、自分が嫌い、自分が信じられない、他人も信じられない、みたいな感じで、こと「コミュニケーション」に於いて葛藤することとか自己嫌悪に苛まれることが多くてどうにもならなかった。
 でも今、それはあの頃ほどじゃないのね。まったくなくなったわけじゃないけど、あの頃の病的なほどに思い詰めた感じはほとんどなくなってきてる。でそれってね、サイト始めたばかりの頃はまったく想像もしてなかったことなのよ。ただ書きたいから書いて来た、辛くて苦しいこともあったけど書き続けた、そしたらいつの間にか少しずつ生きるのが楽になって、今は数年前の自分が嘘のようにコミュニケーションが“それほど”苦にならなくなった、そして生きるのが楽になった。
 で、そうなって思うのは──母との関係は置いといて──「あたしって結局“人と上手くコミュニケーションできない”ってことが一番の問題で──というか、これまでの人生に於いて、そしてこれからの人生に於いても重要な問題で、それをどうしてゆくかってのが“自分はどう生きてゆきたいか”を探り、また“自分はなぜ生きているのか”の答えを探すことだったのかなぁ」みたいな。
 なんかね、100%自分の人生に満足してるわけじゃないけど、「あたしすごいがんばったよなぁ」という自負があるのよ。ただ書きたいから書いてきて、そのお陰でそんなつもりはなかったけどこれだけ生きるのが楽になって、「人ってがんばればこんなに変われるんだ、苦しみから自らの力で抜け出すことができるんだ」っていうね、それがこう──なんて言うんだろ。
 きっとあたしが一番に望んでいること、欲しているもの──というのを、たくさんではないけど自分の手で掴むことができたっていう。で、そうして一等に望み欲するものを手にすることができたから、他の望みはまぁ、かなわなくてもいいや、みたいな。やらなければ酷く後悔しながら死んでゆくのだろうと思うこと、それはもうほとんど成し遂げられたような、そんな感じだと思うのよ。で、これからの人生も、ここまでがんばってきたのと同じようにがんばれればいいな、さらに楽に、生きるのが楽しいと思えるものになれるようがんばり続けられるといいなっちゅー。
 こうたぶん、恋人がいたり配偶者がいたり子供がいたりすればまた違うんだろうけど、このままがんばり続けることができれば、特に「これだけはやっておきたい」ことってないのね。なんかこう、「やっておきたいこと」がないのって寂しい気もするけど、まぁそれはそれでしあわせなことなのかもしれないな、とも思うのでいいや、みたいな。そのうち何かやりたいことができるかもしれないし。
 まぁでももし本当にそうなったら、取りあえず友達全員に逢いに行くだろうねぇ。あちこちに散らばってるリアルの友達と、あとネットで知り合いになった人達。逢ったことのある人ももう一度、逢ったことはないんだけど逢っておきたい人にもぜひ。相手は迷惑かもしれないけど。

※ちうい
 結構思いつきで適当に書いている部分があります。
【このトピックへのコメント】
  • 出雲眞知子逢いたいよ。迷惑かもしれないけど(笑)。(2004-04-08 08:58:03)
  • hirika逢いたいですー。ぜひぜひ!(笑)(2004-04-08 14:42:16)
 昨日からマウスの調子が悪いです。何の前兆もなしにいきなり動かなくなってしまうのです。しょうがないので一度外して付け直してはみるのですが、しばらくするとまた1秒前までスイスイ動いていたのにピタリと停止。数時間問題なく動くこともあるんですが、安心してるとまた肝心なところで止まってしまうのです。
 そこで「もう4年も使ってるし、マウスにガタが来たというか、ケーブルがいかれかけてるのかも」と思い、今日電気屋さんでマウスを購入して来ました。ドライバのインストールが不要のものです。が、ダウンロードして新たにドライバを入れるとホイール機能が使えるようになるというので、早速その通りにしてみました。そしたら。
 マウス自体は問題なく動くのですが、ホイール機能が使えません。ホイール機能が使えれば右クリックも使用できるとのことで、非常に期待をしていたのですが、それもやはり使用できず。説明書に「他社のオリジナルドライバを使用している場合、それをアンインストールする必要があります」とあったのでそれを実行しようとしたのですが……システムフォルダを開いてもどれなのかわかりません。
 取りあえずコンパネの中のマウスを使用停止にしてみるも、まったく変化はなく。原因を探るため何気に新たに入れたマウスの設定を見てみると──「設定できるマウスが接続されていません」。システムプロフィールを見るときちんと認識されているので、これはどう考えてもおかしいです。
 そこで、ふと先日のデジカメの一件を思い出しました。あれもまた、何の問題もないはずなのに「ドライバが使用できません」と表示されたのです。これはもしかしてもしかすると……。
 基本的にネットと文章を書く以外のことには使わず、特に問題は起こらないので気づいていないだけなのかもしれませんが、うちのmac、イカレ始めているのかもしれません。いえ、CDを聴くことができなくなったりアレやコレやができなくなったりと、小さなことは起こっているのですが(おそらくCarbonLibをアップデートしてから)。
 思えばうちのスー(iMacの名前)にはいろいろ苦労をかけ、無理をさせました。PCなんぞまともに触ったことがなく、ソフトをどうやって終了させたらいいのかわからずにメモリを目一杯使用してフリーズさせたり、Pcそのものの終了のさせ方さえわからずにコンセントを引っこ抜いたり、ということを、うちに来たばかりの頃、散々やったのです。他にも、詳しい人が聞いたら「なんてことを」と言われそうなことをたくさんしているような気がします。
 そんなうちのPCももう使用して4年3ヶ月。macとwinの両方を仕事で使用している弟くんが「使い始めて1ヶ月の間に大きな問題がなければ5年は使えるよ」と言っていたのですが、知識の乏しいあたしが何もわからず変なものをバンバン入れ、無茶な使い方をしたせいで、このPCもかなり疲れているのかもしれません。
 iMac DV ストロベリー。見た目がひじょうに愛らしく、初めてのPCということもあって愛着があって大好きなのですが、そろそろ、新しいPCの購入を考えた方が良い時期なのかもしれないです。
【このトピックへのコメント】
Thinking...(MT出張所)「Re: 買い替えどきなのかなぁ。」

 その手がありましたか<OSの再インストール。すっかり忘れていた素敵な案なので実行したいですが、実際のところ何が原因なのかまったくと言っていいほどわからないので、それをして果たして、とも思うのです。
 すーすーさんが「4年も経つとやっぱり相当な違いがありますので」とおっしゃるように、あたしが知る限りでもずいぶんと違うところが多いですし、そのためいろいろ不便なこともあるので、やはり買い換えを検討してみようと思います。
【このトピックへのコメント】
  • hirikaトラックバックを送った後に「どこへ向けた文なのかわからない」と気づいたため、リンクを追加いたしました。すみません。(2004-04-10 02:47:30)
2004-04-11(Sun) 00:11

雑記。

 今週のお休み(金曜土曜)は店長の都合により別の日に振り替えとなり、昨日今日と出勤。で、昨日は10時〜11時のフルタイム出勤(休憩2時間)、今日は10時〜8時(休憩1時間)とは言え、やっぱずっと立ちっぱなしは辛い。身体に堪えるよ。
 あとはてな。日記が読めないのはまぁしょうがないとして、アンテナ使えないのが不便。職場のブラウザに巡回サイト・日記をブックマークするのはアレなので、もちろんアンテナもブックマークせず毎回検索しているわけだけど、なんかもう本当に、アンテナ使えないとDI:DOくらいしか読めないわ(探すの大変)。自宅のにはほとんど、アンテナに入れてあるものもブックマークしてあるから平気なんだけど。
 それからmac。実は去年のゴールデンウイークに秋葉でmacの群れに囲まれ、しあわせな時間を過ごしたときから、「買い替えようかな〜」と思っているのよね。先立つ物がないのと、「まだ使えるから」ってのもあって我慢している部分もあるんだけど、eMac……ああ、欲しいなー。iMacは電気スタンドみたいで変だから絶対嫌(←見た目重視)。
 そういや「macは好きだけどAppleは嫌い」とか「ネスケ嫌い」と言って「mac使ってるくせに変ー」と弟くんに言われたことがあるんだけど、それってそんなに変かー? あたしはmac信者じゃなくて「macの見た目が好き(今のiMacを除く)」なだけなのに。
psycho_mania:ブログ始めました

 ということで、衝動的にBlogzineでブログを始めてしまいました(……いや、「ブログ始めた」ってそれ、日本語として変じゃねぇ? と思わないこともないんだけど、他にどう言えばいいんだ……?)。
 特に理由はないというか、書きたいことが見つからないのでちと困っているんですが(だったら借りるな)、強いて言えば。
 URLを見るとわかると思うんですが、BlogzineはOCNのサービスです。アレですな、きっとココログのパクリ。で、常日頃からOCNに対して憎しみを募らせているあたしとしては「どんなもんよ?」と、「重箱の隅を突つくようにしていちゃもんをつけてやろう」と、胸一杯に悪意がわき上がったのですな。
 いや本当に、最初はここの「ひみつにっき」で書いてあるようなことを書いてやろうと思ってました。まぁ、さすがにそれはいろいろと(自分自身のことも含めて)問題があると思ったのでやめたのですが、なんか、ねぇ。
 他のサービス──ココログとかgooBLOGとかいろいろ──利用したことがないのでアレなんですけど、「ダイヤルアップのあたしにとってすごく重い」って以外は、他とそう変わらないんじゃないかなぁ、と。いや、サービスにもいろいろあって、利用料金(無料から月額1200円まで)の違いによって4つのコースがあるのは「へー」と思ったんですけど(他でもあるのかな)。
 で実際使ってみて、「重くていやん」な以外はね、まぁmacなので多少アレなこともあるんですけど、早速コメントいただいたりして、「わーい、かまってくれる人がいるよ♪」と、それで気になるところが帳消しになっちゃったみたいな部分もあったりして。こう、「馴れ合いスキルを身につけよう!」と最近思ってもいるので、その訓練の場としても、適当なんじゃないかなぁと。
 「どーすっかな、本当に何書こう」と思ってるんでどうなるかはわからないんですけど、取りあえずしばらく書いてみようかなと思っています。

 あ、そうそう。ヘルプとかユーザーズマニュアルとか一応目を通したんですが、「さすがOCN」と思いました。
【このトピックへのコメント】
  • gene「Re:Blogzine」 舌の根も乾かぬうちにって感じなんですが、先ほど記事を投稿しようとしたら直書きできない状態になってました。文字が重なり合って表示されたり、勝手に改行されたり(投稿された記事ではそれは無効になり、ちゃんと表示さ...(2004-04-11 02:16:29)
gene 2004-04-11 01:07「Blogzine」へのコメント:

 舌の根も乾かぬうちにって感じなんですが、先ほど記事を投稿しようとしたら直書きできない状態になってました。文字が重なり合って表示されたり、勝手に改行されたり(投稿された記事ではそれは無効になり、ちゃんと表示されますが)、勝手にローマ字入力が半角英数入力になってしまったり。
 コピペ以外では記事の投稿ができない、となると……これは。
 さすがOCNとしか言い様がないです。当然ヘルプ・ユーザーズマニュアルには「macの場合こういう不具合がある」なんてことはひとことも書いてありません。
 シダさん掲示板のNo: 652〜No:654を読んでふと思い出したことがある。
 ぼくはぼくに銃口を向けるであろうイラクの兵士と話し合うことは許されない。
 しかし、それでも、話そう、と彼らに言うことはできる。
 ただ、それは相手がぼくより先に引き金に手をかけるチャンスを与えることと同義なだけだ。
 そしてもうひとつ。
命の重さは同じじゃないよ
 何を選ぶかは自分が決めること。そして、人は闘うことができる。何を選ぶかを迷う自分と。
【このトピックへのコメント】
  • hirika逃げるのもアリだけど。(2004-04-12 01:22:11)
  • シダ[URL]僕は逃げる気満々なので、逃げ場を奪われることに非常な脅威を感じています。とりあえず、戦場に逃げ場は無いよなあ、と。名前のとこに9.11の直後に書いた日記をリンクしときます。割に今云いたいこととかぶってるので。(2004-04-13 03:46:48)
  • hirika言葉が悪かったかな。「闘う」というのは「考える」という意味で使ったんです。だから「逃げるのもアリ」っていうのは「考えずに流されるものアリ」って意味で。時間ないので続きは家に帰ってから。(2004-04-13 13:42:21)
  • hirika──と思ったけど、よく考えたら追記することはありませんでした。日記拝見してほぼ同意しましたし。ただ、考えることは大切だけど、それを放棄してしまうのもアリかな、と今では思っています。それも含めて「自分はどうするか」っていう。「考えずに流される」っていう逃げ場もまた必要な気がします。(2004-04-13 23:27:32)
  • hirika「考える」じゃなくて「向き合う」かも。(2004-04-13 23:28:49)
  • シダなるほど、「考えずに流される」っていう逃げ場。そうですね。常に全方位向き合うのは不可能なので。「何を選ぶかは自分が決めること」と繋げて考えると、たぶんかなり近いこと云ってるのかな、と思います。(2004-04-14 00:40:56)
 仕切り直しっていうか(←これはなんか言葉が違う気がする)。
 というわけで、「本当は全部引用したかったんだけど削ってしまった」文章を再度、今度はすべて引用。
(前略)ぼくは自分たちが内省するための言葉を紡いでいくことと、他人に向けて表現していくことを混合して、そのどちらも達成し得ない時代に生きていることを実感する。
 それは決してネットという環境のせいではない。きっと自分たちの、というか、ぼくの問題だ。
 ぼくはあまりに誰かにわかってもらうことだけを望み、人と人がわかり得ない、ということを受容してこなかった。
 文脈とか雰囲気を読むとかのれるだとか、あらかじめコミュニケーションが保証された場で、しかも匿名で自分の安全をも保証してもらってからでしか誰かと語らなかった。
 それはコミュニケーションではない。
 相手とは決してわかり得ないからこそ、ぼくたちは話し合わなくてはならない。
 例えば、フセインとも。
 例えば、キム・ジョンイルとも。
 例えば──。
 例えば、そう、笹山さんとも。
 決してわかり得ない他者として。
(中略)
 ぼくはぼくに銃口を向けるであろうイラクの兵士と話し合うことは許されない。
 しかし、それでも、話そう、と彼らに言うことはできる。
 ただ、それは相手がぼくより先に引き金に手をかけるチャンスを与えることと同義なだけだ。
 これはニュータイプというアニメ雑誌(職場で定期購入しているもの)に連載されていた大塚英志氏の『多重人格探偵サイコ』関連の文章の一部。

 コミュニケーションという言い方はしっくりこない気もするけど、要は「話し合うこと」ってたいせつなんじゃないかと。自分が何を考え、思い、選び、どうしたいのか、伝えなければならないんじゃないかと。
 でも「話し合おう」としてもそれが叶わない場合もあるわけで。話しかけようとすると銃口を突きつけられたりすることもあって。「じゃあそういうときどうすればいいのよ」「何が正しいの?」と。
 刷り込まれた価値観を疑いもせず、「これが正しい」と思っている人達がいて。考えることなく「それが当たり前でしょ?」と言えてしまう人達がいて。大きな流れは理由もなくそれが至極真っ当で正当なものだと、人に思わせてしまうことがあって。その流れに乗っているだけだと気づかない人もいて。でもそれを責めたり問い詰めたりするのは違う気がして。じゃあ何が正しい? というか、善悪じゃなくていい、どれが最善の方法なの? みたいな。
 そんなの自分で決めるしかないじゃん、自分で考えて答え出すしかないじゃん、と。でも、自分で考えずに人に任せちゃうのもまたアリなんじゃない?

 と。
 昨日書きたかったことを詳細に書くとこんな感じで。こうして書いてみるとシダさんのコメントへの応答、なんかずれてます。あたしがシダさんのコメントをちゃんと読み取れてない(掲示板の書き込みも)。
 シダさんが言いたかったのは「大きな流れに対する違和感・猜疑心・うさんくささ」と、「そこから発生する“異を唱える者は排除”的な圧力への拒絶感」かな、と思うんだけど、あたしが書きたかったのはそれとはちょっと別の方を向いたことかな、と。
 ただ、うーん。書きたかったのはね、「コミュニケーションて大事だよな」と。で、そのためには自分と向き合って「自分が何を考えているのか」を知ることが大切で、それを思い出したっていう。こう、別のことなのに紛らわしい書き方をしてしまって申し訳ないです。
【このトピックへのコメント】
  • シダ先に昨日の方にコメント入れてしまったので、またちょっとずれちゃいましたが、詳細なフォローありがとうございます。的確にまとめて下さってて、納得しました。いずれにせよ、僕の『大きな流れに対する違和感』に対する関わり方とも根底で繋がりうる問題だと思いますし。(2004-04-14 00:50:51)
 しつこいけどもう一度。ここに書いたのってなんか辻褄合わせてるだけって感じがして嘘ついてるみたいでどうにも後ろめたさとモヤモヤした気持ちが。

 「話し合う」って言葉がまずは最初に浮かんだのよ。相手がどんなであれ、話し合う、あるいは話し合う用意があると伝えること。それが争いを少しでも減らす手段になるんじゃないかって。
 戦争は嫌だ。良いか悪いかはやっぱりわかんないけど、戦争は人が死ぬから嫌だ。でもさ、だからと言って身を守ることもせずにいたのでは自分と、自分が好意を向ける人達まで死んじゃうかもしれない。それも嫌。
 で、自衛隊を撤退させることにはあたしは正直反対なのね。だってそれをしたからといって人質が無事に帰って来る保証なんてどこにもない。でもって「今後同じようなことが起こったときどうするの?」っていうのもあって、「撤退するべきではない」と思うのよ(あくまでそう思うだけであって、実はこうしてそれをここに書くのも不本意なんだけど)。
 で、自分達の身を守るためには、どうしたって犠牲は出てしまうんじゃないか、と思うのね。酷いこと書いてるなって自覚しながら書くんだけど、人質にされたのが総理大臣とかならともかく、民間人でしょ。どんな事態になるかを考えて、覚悟して行ったはずでしょ。だったらそれは仕方がないんじゃないか、と思うのよ。命の重さは同じじゃない。
 ただ、それは他人事だから言えることであって、もし自分の家族や友人、大切に思う人がそうなったら、そんなことなんて言ってられないというか、どんなことをしてだって無事に戻って来て欲しいのよ。人がなんて言おうが、無理だろうがあり得ないことだろうが、ともかく大事なのは自分の大切な人に死なずに自分のところへ帰って来て欲しいってことなのよ。
 で、そういうことを考えてるとね、もうわけわかんなくなるっていうか。別にあたしが何か考えることで事態が好転するわけじゃないし、何かが変わるわけでもないし、考えることもないような気がするんだけど、でもここで「あたし関係ないしー」と考えるのをやめちゃったら、なんかもう全部、今まで生きてきてやってきたこととか、崩れてっちゃう気がするのよ。
 あたしは今まで「たとえ何も変わらない」としても、それをわかっててあれやこれやを書いて来たんじゃないのか、少しでも変わることがあればいいと無駄なことを続けてきたんじゃないのか。それをここで止めるのか。関係なくなんかない、ここで考えるか考えないかで自分が「生きているか死んでいるか」が決まるんじゃないか。
 なんかもう人質事件とか戦争とかから離れちゃってるんだけど、こうどうしても自分に引き寄せちゃうっていうかね。他人がどうこうっていうんじゃなくて、自分はどうしたいんだろう、何ができるんだろうと、自分中心に考えてしまうというか。
 たぶんそれは「自分は世界とどう関わってゆきたいか」「自分を世界のどの位置におくか」っていう、それがあたし自身が抱える根本的な問題のひとつでもあって、そのせいもあるんだろうけど、どうにもね。「結局あたしは自分のことしか考えてないんじゃないか」と思いつつ、「でも世界の始まりって自分じゃないの?」とも思ったりして。
 で、こうして書いていると、やっぱし昨日書いたことは辻褄合わせだったな、上手く取り繕おうとしてただけだったな、とわかるっていう。いや、辻褄合わせではあるけれども、思ってないこと考えてないは書いてないっていうのは本当なんだけど。
 ただあの、最近身体が疲れてて、読解力も文章力もかなり落ちてるので、それでこんなことになってしまって──ええ、言い訳なんですけど。本当に重ね重ね申し訳ないです。
 今日は仕事が早く終わったので帰りに本屋へ寄り、ついうっかりuvとフールズ・メイトに載ってたキリトさんのインタビュー全文にざっと目を通してしまいました。ああああぁ。まーだドキュメント写真集の封開けてないっつーのに。
 で、読んで思ったことは。
 なんか、なー。なんかもうどんどん、「いいよ」っていう気になってくるというか。「あんたに言うことは何もないよ」っていうさ。「そのまんまでいいよ、どんなに変わってもあんたはあんただから」「どれほど変わろうときっとこの先もずっと好きだから」みたいな。「もしかしてこれって愛なのかしら?」とか自分で思っちゃうくらい、許容したいし受容したいっていうか──彼を受け止めることができればいいって気持ちが強い。
 わけわかんなくて申し訳ないが。こう、なんて言うんだろ、キリトさんはあくまであたしにとって「自己投影の対象」であって、そういう意味で好きなので、たぶん、自分自身を許し受け入れることができるようになるほど、キリトさんを許し受け入れることができるようになっていってるんじゃないかって気がするし、逆もまた然り、みたいな。
 なんとなく、自分とキリトさんを比較し、その差異を突き詰めてゆく過程というのが、あたし自身が変化するために必要だったのかな、と。あのタイミングでピエロに出逢って、その変化を追い続けて──それが、あたしがweb上で言葉を綴ってゆく上で必要だったんじゃないかな、と。なんとなくそんなことをふと思った。
 あたしが「欲しい」と思っているものを持ってるのはじゅんじゅんなんだけどね。