職場で松浦亜弥が表紙のオリコンを発見し、キリトさんのインタビューが掲載されていたので読んだ。内容はニューシングルについてなんだけれども、一読して思ったのは「自分をわかってくれる人はいる」ということだった。
インタビュー中、ツアードキュメントDVDでの己が暴れている映像についての発言の中に「俺だって人間なんだ」という一文あり、それを読んだ途端思い出したのは、あたし自身がそのDVDを観て書いた以下の文章だった。
深く強烈な怒りと共に見えたのは、同じくらい深い絶望や悲しみ、そしてそれらから生まれる葛藤だった。彼は己の意に添わないからと自分本意な怒りをぶちまけているのではなく(もちろんそういう部分も少なからずあるだろうが)、周囲の状況を見据えた上で怒り、そしてその根源にあるのはどうにもならないゆえの絶望や悲しみ、苦しみのように思えるのだった。そしてそれはとても人間らしいというか、アーティストだからといってすべてに恵まれ、苦しみなどひとつとしてなく、思うままになるわけではないのだ、という証明のような気がして、つまりはそれが「彼も同じ人間なのだ」と思わせ、あたしを安心させたのだ(中略)彼は己の思うままに、望むことすべてを具現化しているように見えなくもない。けれどもその裏側にはこうしてひどく人間らしい──というか、人間だからこその感情が存在し、苦しみ悲しみ、葛藤している。そうしてひたすらもがきながらも決して投げ出すことはなく、痛みを伴うそれと対峙し続けている。
あたしは自分がキリトさんのことをわかっているとか、理解できているとは思っていない。これはあたしからはそう見える、そう思うというだけであって理解とは遠いものだ。けれども「その人自身が自分自身や自分の人生とどう向き合っているのか」というのはやはりどうしたってその言動や生き方に現れてしまうものだし、それを見抜く目を持っている人というのは存在する。
きっとキリトさんの暴れる姿があたしと同じように見えた人間は他にもいるだろう。そしてそれを「わかる」と呼べるなら、キリトさんをわかっている人というのはちゃんと存在するし、あれだけ気難しいキリトさんをわかる人が存在するなら、誰にだって「その人をわかる人」はいるのだ。
なんだか不思議な感じだ。ああそうかと、あたしにはキリトさんの姿がちゃんと見えているのかと、そう思ったらどうしようもなく「あたしにも自分をわかってくれる人というのはいるんだな」と思えた。もちろんすべてではないし、あたしという人間のごくごく一部分なんだろうけれど、それでも「まったくわかり合うことのできない、まるで異星人のような存在ではない」んだと思った。
そしてだからこそ──ここ一週間ほどずっと考えているんだけれど、「忘れていいよ」なのだ。あたしから離れて行っていい、忘れてしまっていい。わかる人にはわかる、伝わる人には伝わる、残る人は残るから。
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ちなみにインタビューを読んでもニューシングル『MYCLOUD』はよくわからない。なんとか周波数が合うようになってきたらしく、メロディや音は気持ち的にシンクロするようになってきたんだけど。ただギターソロは聴いてると泣きそうになる。アイジさん好き過ぎ。
というか、これを書きながらずっと聴いているんだが、今歌詞カードを読みながら聴いてたら落ちてきた。やっぱりネックになってたのはhideさんのことだな。hideさんをキリトさんに引き寄せ過ぎてわけがわからなくなってたんだ。今までそういう個人の根源に関わるようなものは見せて来なかったのに、いきなりポンと、しかもhideさんのことなんて言い出すから混乱したんだな。hideさんはピエロとは無関係だ。というか、キリトさんの心の奥の、誰も踏み込めないところにhideさんはいるんだな。だから直接関連づけて考える必要はない。
しかしこの『MYCLOUD』、確かにポジティブなんだろうけど、どうにもならない弱さも内包していてなんというか──やっぱりキリトさんて嫌いだ、と言いたくなるな。「嫌い」という言葉以上にこの感情を表現できる言葉がない……ああ、「殺したいほどI love you」もアリか。