hirika
 あけましておめでとうございます。

 なんか、よく考えたらここは比較的内輪というか、本家ほど外へ向けて書いているわけではないということに気づき、肩の荷が下りたというか気負いが消え、書けるようになりました。こうあれですよ、最近「初めまして」な方からのコメントが続いたので妙に力が入ってしまっていたんじゃないかと思います。でもまあここは、結構無責任というか、本来「読み流せるものを書く」ことを目的としているし、それで突っ込みが入れば言い訳というか説明すればいいんだし、そういった意味でコミュニケーションをはかる場でもあるということで、これからも適当に書いてゆこうと思っています。まあ時折書くのが止まることもあるでしょうけど、それはそれということで。今年もよろしくです。

 で。いつものごとく元旦に本家の日記を更新したんですけど、今回の更新によって過去ログが2000年1月から2004年12月までの5年分揃ったんですよ。まぁ毎日書いてるわけじゃないし、日ごとに書いてる量も違うし、二回ほど書かなかった時期があって、それを合わせると一年分抜けちゃってたりはするんですけど、こうして5年分揃っているのを見ると、妙な感慨がわいて来るなぁ、と。レンタル日記はそりゃあちこちで借りて書いているわけですけど、過去ログなんて残ってないし、途中書いてない時期はあるにせよ、本家を始めた当初からずっと書き続けているのって、そこだけなんですよね。あたしは飽きっぽいのでなかなかひとつのことが続かないんですけど、でもこうしてこんなに長く続いて、それがこうして目に見える形で残っていると、なんとはなしに「長く続けることの大切さ」を考えてしまいます。とは言え、本家を始めた当初はいつまで続けるのかなんてまったく考えてなかったし、こんなに長く続くとも思ってなかったし、この先いつまで続くかもわからないんですけど、本家日記を書くことは義務とかじゃなくてもうライフワークみたいな感じになっているので、サイトが続く限り続けてゆけたらいいなあ、と思ってます。ここでリアルタイムで書くのとはまた違った意味を持つ日記でもあるので。

 ということで、本家そのものも3月には5周年を迎えます。昨年末からまた自分が変わりつつあることを感じていて、それはリアルでの人との関係も大きいのですが、それに影響をあたえたのはやはりwebで書くことから得たものであったと思います。書き続ける限り、あたしはきっと少しずつ変わってゆけると思うので、これからも焦らず気負わず、それが一時どこかに限定されるものであったとしても、書いてゆけたらいいなと思います。
 あたしにとってそれほど親しくない人と接するのはストレスなのですが、ストレスがまったくない状態より、適度なストレスがあった方が精神状態には良いのかもしれないなぁ、と先ほどふと思いました。

 そゆわけで今日が仕事始めです。
【このトピックへのコメント】
  • hirikaストレスの種類にもよるけど。
    つか、新年早々またしてもお家で苦行イベントが開催され、そのストレスはあまり良いものではないように思われ。しかもまだ継続中……(TT)。
    (2005-01-03 23:43:40)
 「心に残るものはあったし満たされはしなかったけど良いライブだった」と感じたのは本当なんだけれど、どうにもそのせいで最近、良いことがあって精神状態の良いときでも簡単に落ち込む。自分のように考えたり思ったり感じたりする人はいないのだな、という思いが「ここにも自分の居場所はない」ということを実感させる。誰かと同じ感情を持ち寄ることはできないのだと、己はひとりでここにいるしかないのだと思い知る。
 突き詰めてゆけば誰だってまったく同じではない。別にあたしだけが孤独だというわけじゃない。けれどもどうにも、「ここにも自分が身を置く場所はないのだな」と思わずにいられない。

 こういうときは『ah』を書くのにとても適した状態だ。己が他者と違っていること、集団の中から外れてしまうこと──孤独感と言うと少し違う気がするけど、そういったものに支配され心が暗闇の底へ落ちてしまうとき、その暗く重い感情を昇華するための方法が『ah』を書くことだ。

 いや、別に自分は誰にも理解されず許容されずひとりぼっちだ、と思っているわけではなくて。なんて説明したらいいのかな、うーん……。
 この感情はたぶん、いくら言葉を重ねて説明したとしてもわかんないと思うのね。つか、「もうどうしたって伝わらない」と思って、だから2年前に本家から分けて別サイトの方で物語として書くようになった。
 たぶんこれ、他者にわかってもらうものではないと思うの。誰でも持ってる、他者が踏み込めない、踏み込んじゃいけない領域っつーか。誰にもどうにもできない。己でどうにかするしかない。
 人との関係に失望とか絶望とかしてるわけじゃないし、むしろそういった意味では良い方向に変われてきているなとは思うんだけど、それとはまた別で。他人のせいでどうこうってものじゃなくて、自分自身で生み出してる苦しみだと思う。
【このトピックへのコメント】
  • gene「Re:泣き言。」gene 2005-01-05 00:04「泣き言。」への追記・補足: 仕事中、なんでこう落ち込むかの理由を考えていたらその原因がわかって、そしたら少し楽になった。ので今はほぼ通常の状態。 なんかね。自分の物事の感じ方とか、考え方とか、やっぱしふつうじゃないっつーか、いや充分...(2005-01-05 00:30:28)
gene 2005-01-05 00:04「泣き言。」への追記・補足:

 仕事中、なんでこう落ち込むかの理由を考えていたらその原因がわかって、そしたら少し楽になった。ので今はほぼ通常の状態。
 なんかね。自分の物事の感じ方とか、考え方とか、やっぱしふつうじゃないっつーか、いや充分ふつうの範疇だとは思うんだけど、「ふつうじゃないんだなー、同じような人を見つけることはできないんだなー」と。で、同じような人を簡単に見つけることができる人が羨ましくて、ひどくコンプレックスを刺激されて、それで八つ当たりでどうしようもないこと考えたりとか。
 でもほんとに、「どうして人は、メディアやテレビや本や新聞や他人から『これはこういうものだ』と教えられたことをそのまま鵜呑みにしちゃうのかな。なんで『それは本当に教えられた通りのものなのか』自分で考えないんだろう」と思うのね。や、あたしも結構そういうところってあるけど。
 5月3、4日さいたまスーパーアリーナにてピエロちゃんのライブがあることが昨日判明。本日早速店長に「あのー……ちょっと気が早いんですけど、ゴールデンウィークに連休が欲しいんですけど」とお伺いをたて、休みを確保いたしました。
 わーいわーいわーい! 初めての2days! しかも4日は潤じゅんのばーすでー! 3年連続でお祝いに行っちゃうよ!
天慈のふらちなblog探険記「どうしても言ってしまう」

 えーと、どうしよう……。正直、どう応答しようか、どう書けばいいんだ、と迷っているんですが。
 まず、「Re:「可愛い」という形容詞。」は半分というかほぼ私信なのです。ただ、web上に書いた言葉であり他の人も読んでいるということで、説明をするならやはりweb上でした方が良いだろうというのと、メールだと相手との距離感を上手く取れず、余計なことを書いてしまったり逆に言葉が足りなかったりしがちなので、この日記にああして書きました。
 次に、えーと、あの、あたしは人に共感されるのがものすごく嫌いです。それが原因で過去に何度かブチ切れたことがあります。が。ただ「共感した」と言われると頭に血が昇るのですが、天慈さんのように「なぜ共感するのか」──と書くと堅い感じがするので「なぜ『わかる』とか『同じ』と思うのか」の理由を説明していただき、それが納得できるものであればとてもうれしいです。

 で、ここからが悩むところなのですが──
 共感してもらえたことに対しては本当にうれしいです。そしてその共感は「相手へ己の思いを伝えるか否か、という迷い」と、「それでも伝えることを選ぶ」ものへの共感だと思います。気持ちを伝えることはいろいろな意味でむずかしけど、わかってくれる──というか、受け入れてくれる人はいるし駄目な人もいるというのは天慈さんのおっしゃる通りで、あたしにも受け入れてくれる人はいますし、どうしても伝わらない人には「それでいいよ」と思っています。
 ただそのこととは別に、「「可愛い」という形容詞。」を書くきっかけになった「可愛い」という言葉について、これにはちょっと込み入った事情があるのです。ぶっちゃけ心の問題なのですけど、それは非常にデリケートで、「自分は生きていてもいいんだろうか」と考え出し、精神状態が不安定になって日常生活が送れなくなってしまう、というようなものなのです。「人にどう評価されるか」が問題なのではなく、「可愛い」と言われることから起こるあたし自身の心の問題なんですね。
 相手があたしに好意を持ってくれていることは知っていますし、だからこそ「可愛い」と言ってくれたのだと思います。だからそれはとてもありがたいです。でも、どうしても感情の揺れは起こってしまうし、それはどちらが良い悪いというものではなく、そうなってしまうものだと思うので、別のこととして考えなければならないと思っています。
 でですね──ええーと、あの、この「心の問題」なのですが、これ、地雷なのですよ。タイミングを間違えてちょっとでも触れると爆発する、非常に危険なものなのです。ここ数日というか、年末からネガティブなことばかり書いている感じなので、励ましの意味も込めてのトラバなのかなと思い、天慈さんのお言葉はとてもありがたいです。が、できれば今後は「心の問題」と、それから展開してゆく事柄については触れないでいただけるとうれしいです。こればっかりは本当に、自分でも制御不能になってしまうので。
【このトピックへのコメント】
  • 天慈のふらちなblog探険記「了解です(hirikaさんへ私信)」gene「Re:天慈のふらちなblog探険記「どうしても言ってしまう」」(2005-01-05)****************心の問題…そうなのです。あたしもいつもその「心の問題」で地雷を踏んでしまうのですね。今回もきっとそうなのでしょう。hirikaさん、了解しました。これからは触れないように...(2005-01-06 08:26:12)
 元旦からお家で苦行イベントが開催されていたため気が休まることがなく、仕事もお正月ということで忙しく、やっとゆっくり休めると思いつつ迎えた昨日の7日、目覚めたらお外は真っ暗でした。起き上がってみると頭がぼうっとして熱っぽい。どうも気が抜けて風邪をひいたようです。
 てことで先ほど医者に行ってきたんですが、なんかこうどうにも、あたしの場合気が抜けると、それまで押さえ込んでいたものが一気に押し寄せるみたいですねえ。苦行イベントはそれほど負荷になってはいないものの、やっぱり気を張りつめて身構えてしまっていたわけで、加えて仕事での「忙しい」「冬休みなので万引きが多く、それを防がなければならない」「しかしそれに集中していると仕事にならない」ってのが神経をすり減らしたりする原因になっていたりしたわけで。せめて万引きがなくなってくれればねー、もう少し気持ちも楽になるんでしょうけど、こればっかりはなくならないものでしょうしねえ。
 ともあれ、気持ち的なものはしょうがないとして、もうちょっと健康管理をきちんとしないと。
 今年最初に購入したCDは、すごく今さらなんだけどGREEN DAY『american idiot』。発売されたの去年の9月だぞ〜、それを今になって買うか〜? と自分でもすごく思うんですけど、タイトル曲でもある『american idiot』があたし的にとてもゴキゲンなのでした。いや、今までGREEN DAYの何を聴いてもピンと来なかったので、なんで? ってのもあるし、それなのにってのもあって本当今さらなんですけどね。

 あと昨日テレビで、TOKIO長瀬&V6岡田の『タイガー&ドラゴン』とゆードラマを見ました。「長瀬×岡田」はあたし的ゴールデンコンビなので、二人が揃って画面に映っているのを見るだけでとってもうれしかったです。
 思い起こせば10年程前、日テレの土曜日午後9時から放映していた『D×D』、あれであたしは「長瀬×岡田」コンビに──特に岡田くんに落ちたのでした。や、腐女子的な意味ではなくてですね、あれですよ、『ピンポン』のペコスマの関係みたいな意味で好きなんですよ(←余計わからない)。友情以外あり得ない! 腐女子的妄想の入り込む余地なし! みたいな。
 ドラマそのものがおもしろかったかどうかは疑問ですが(熱あったし、ちゃんと見れてなかった)、「あああああ〜、岡田ラブ!」とひさびさにしあわせな気持ちになれました。

 それと、年末にPS2ソフトを4本購入したんですが、ドラクエ2周目を放り出し、全部一通りプレイしたんです。そしたらね、なんかもう飽きちゃったというか、「大体どんなもんかわかったからいいや」と、クリアしてないのにクリアしたような気になってしまい、やる気をなくしてしまいました。
 で、アレですよ。もともとそのゲームソフト達は逃避のためにあたしに買われて来たわけで、なのにやる気をなくしちゃったらね、一体あたしは何に逃避すればいいの? みたいな。で、何から逃避していたかというと、別サイトの話を書くことからなんですが、その「別サイトの話を書く」とゆーのも実は逃避行為なんですよね。つまりゲームは逃避からの逃避であったわけで、それが成せなくなった今、ここで「別サイトの話を書く」という逃避をしなければ、見たくもないものと直面してしまう。
 そんなわけで、もうどうにも別サイトの話を書くしかなくなってしまったので、先ほどちょっと書いてみたんですが──あまりにも放置しすぎたためか上手く入れません(TT)。ぐはー、どうしよう。
 微熱と異様な身体のダルさが抜けてくれません。ここ数日はいつもより早く寝て睡眠も充分とってるはずなのに、どうしてなのでしょうか。頭がぼうっとしているせいで物を考えることもできず、この日記を書くこともできませんでした。あ、はてなグループの方は書いてるだろ、とか言うなよ。

 で、今日も何も書かずにサクサク寝てしまおうかと思ってたんですが、今日仕事帰りに購入したMac Fan2月号に宮台真司氏のインタビューが掲載されていて非常に納得したというか、やっぱりそうなんだなぁ、と思ったことがあったので引用します。
(前略)摩擦係数の低いコミュニケーションっていうか、どんなマイノリティでも自分と似た仲間を見つけ出すことができて、『おこもり』できると。むしろ、異質なものに出会わないためのコミュニケーションとしてインターネットを使うことが一般的になっている。
 あたしの知っている限りでは同人サイトがもう非常に、閉じられた場所に見えるわけですけど、別にそういうのに限った話じゃなくて、ソーシャルネットワーキングもそうだし、こうして書いているふつうの人のふつうの日記にしたところで、身内にしか読ませないとか身内にわかるネタしか書かないとか、あるいは「わかる人にしかわからないことを書く」とか、不特定多数へ向かう言葉が綴られているものってそう多くはなくて、どこかしら閉じられた感じがするんですよね(この日記も例外ではありません)。
 や、それが悪いとは思いませんが、なんかもう、それが当たり前になりつつあって、ネットっていうのはそういう方向に大きく進んでゆくんだ、みたいな予感があって──あたしはそういうの駄目なんです。良い悪いじゃなくて、世の中の流れが一方向へ大きく流れ出すと、わけもわからず危機感が湧いて逆らいたくなるんですよ。ていうかわけはあるか。大きな流れっていうのは、もしそれの進む方向が途中で間違いだったと気づいても、修正するのはむずかしいと思うんですよね。そして修正できずにいろいろなものを巻き込んで破滅へと向かってしまう。……と書くと大袈裟ですが、それに巻き込まれてしまうと抗うのはとても困難で、もしそれが可能だとしてもひどく時間を必要としてしまうと思うのです。後戻りできないことがわかってからからそれに気づいたって遅い。
 ネットのことに話を戻すと、閉じこもることは悪いことではないと思うんですよ。それを必要としている人もたくさんいる。けれどそれがデフォルトになっちゃうのはね、やっぱりなんかおかしいんじゃねえ? と思うのです。日記やサイトも、自己表現として始めたのに、いつの間にかそれが閉じた場所になっている、という人は少なくないんじゃないかと思います。そしてこれは自分自身に対しての言葉であるんですけど、外に向かって書け、と思うんですよ。「書く」ことを選んだのなら、少なくとも「自分を知らない人に伝える」ようにしろ、と。自分を理解してくれる相手だけに書くな、と。それではあまりにも寂しいから。

 まだ頭が上手く回らないので、どうにも考えてることの着地点が見えないんですが、こうあれですね、あたしは「書く」という行為に対して強い思い入れがあるので、言葉が特定のコミュニティの中に閉じこもってしまうことに強い反発を持つんですけど、ネットやるまで文章なんてほとんど書かなかった、という人々にとってはやはり、自覚的か無自覚かに関わらず「流れ」に乗ってしまうものなんでしょうねえ。
 あ、それと宮台氏は「どんなマイノリティでも自分と似た仲間を見つけ出すことができて」と言ってるけど、あたしは自分の仲間だと思える人をネットで見つけたことはありません。もう5年くらいやってるけど、どんどん「自分と似ている人はいない」という実感ばかり強くなっていくよ。
 それと、同インタビュー中に『我々意識』という言葉が出てきて、あああああ〜、と思いました。人が自分自身と向き合おうとしないのも、集団に迎合するのも、それを得ようと必死だからなんじゃないか、とあたしは考えているのです。
2005-01-14(Fri) 22:48

Firefox1.0。

 Mac FanのCD-ROMに入ってたので試しに使ってみた。が。日本語版だと思ってインストールしたら英語版で、いや、ネット徘徊するのには問題なさげなんだけど、こういろいろ設定をいじるときに英語力ゼロのあたしにはツライかなー、みたいな。日本語版を落としたいのはやまやまなんだけど、ナローバンドだと時間かかるしなぁ。IEより良さげな感じもしないでもないので(safariは嫌い)日本語版があればせひ使ってみたいんだけど。
 つかさ、設定の仕方がアレだったからなんだろうけど、こうして書き込むとき三点リーダーが出てこなかったり、文字入力のときbgcolorが黒でラインが赤だったり、漢字と平仮名のフォントが違ってたり、句読点が妙に浮いてたり、すごく使いづらい。あう、これってきっと英語版だからだよなぁ。
 あ、それとパス入れようとしたら自動的に半角英数の入力に切り替わらない。えー。
 今日一日ゆっくり寝てたらずいぶん良くなったようです。とは言えまだ多少頭がぼーっとしているので、明日もちゃんと休んでいれば元に戻るかな、という感じ。
 今週はずっと、やりたいことはあれどどうにもやる気がおきない、という状態で、それはどうも風邪のせいだったみたいなんだけど、今現在はいろいろとやりたいことが頭に浮かんだりして、てことはやる気が出てきたということだと思うので、つまりそれは回復しているということなんだろうと解釈しています。
 ちなみにやりたいことは別サイトの改装とゆー、してもしょうもないことで、それよりも続き早く書けよって感じで自分でも書きたい気持ちはあるんですけど、まだそれが出来るほどには回復してなくてもどかしい、みたいな。
 ああ、健康って大切ですな。具合が悪いといろいろなものを奪われてしまうのですな。というか、それ以前にもちっと体力をつけないといけないのかもしれません。皆様もお体を大切に。
 新しいテンプレートがまたいい感じだったので変更。お正月のやつは今ひとつ好みに合わなかったんだけど、その前の「背景がグレーで左上に竹」のものに続き、なんか「好き」な感じのテンプレートが追加されてうれしいです。とは言え「和風が好き」というわけではなくて、たまたま好みのものが和風だった、ちゅーことなんですけど。

 て。あー、なんかうまく書けないな。神経の伝達が上手くゆかなくて身体がうまく動かせない感じ。なぜだ。
【このトピックへのコメント】
  • 出雲眞知子趣味がおんなじやん。わたしは、自分のタイトルにマッチすると思って差し替えたんだけど。(2005-01-15 18:07:11)
  • hirikaあー、あたしは落ち着いた静かな感じが今の気分に合ったのと、緑色が恋しかったのでこれにしました。(2005-01-16 00:20:18)