今日のスマステでは月イチゴローをやっております。今日の吾郎ちゃんはあんまり毒舌じゃないなぁ。あの毒舌が好きなのに。
しかし、レビューをしている吾郎ちゃんでたまーに気になるのが、喋り方。ときおりゴロちゃん、疑問形で喋りますよね。「暖炉の前の? 願い?」とかいう感じで。あれ……正直見てて腹が立ちます(笑)。普通に喋ってくれ普通に。
ちなみに今回の5作。今回は見ようとは思わないのばかりだなぁ。『アメリカン・ギャングスター』と『潜水服は蝶の夢を見る』は悩んだんですが、たぶん見ないんだろうなぁ。
さて今日は私の日記も映画の話。私がここ1ヶ月くらいで観た映画のこと。『KIDS』『once ダブリンの街角で』『魍魎の匣』の3作です。多少……どころではないネタバレが含まれますので、嫌な方は読まないでくださいね。しかもすんごい長いです。
まずは『KIDS』。乙一原作。主演が玉木宏くんと小池徹平くん。それから栗山千明ちゃんが出てます。玉木くんも徹平くんも好きだから見てみようかなーと。
それがですよ。あのー……まず見初めてすぐになんというかとっても居たたまれない気持ちに。考えてみると乙一の書く話って、自分が中高生の頃だったらすんごくはまるんだろうな、という設定の話が多いんですよね。世の中を斜めに見てるところとか、傷を抱え込んで痛い思いをしていて、こんな傷を持っているのは世の中で私だけだって思っちゃってたりとか。必ずしもそういう描写をしているわけじゃないけど、思春期に持つそういう気持ちが読み取れる。まぁつまり私自身がそんなことを考えちゃってたわけですが(笑)。
先ほど中高生の頃だったらすごくはまる、と書きましたが、私は今でもそういう設定の話は好きだし結構入り込んじゃう。が、中高生の頃ならたぶんどっぷり入り込んでたんでしょうが、今の年だと映像化されると妙に気恥ずかしいんですよねぇ。玉木くんがものすごい顔でにらみを聞かせて「この辺りを仕切ってる」とか、実際呼び出されて5対1で喧嘩してたりとか。これが年を取るってことかなんて思いながら、居たたまれない気持ちで見てました(笑)。
まぁそんな気恥ずかしいことはありますが、やっぱり話の筋は結構好きだった。徹平くんは超能力者。念動力ですね。手を触れずに物を動かしたりできるんですが、その力で他人が負った傷を自分に動かすことができるのです。当然ダメージも自分が受ける。怪我をした人を見るとついそうやって傷を引き受けちゃう徹平くんと出会い、世の中を斜めに見ることしかできなかった玉木くんも変わっていく……というストーリーだ思ったんですが、確かにそう描かれてると思うんですが、まぁこれは玉木くんの視点で見るか、徹平くんの視点で見るかで変わってくるのかな。
結論だけ言いますと、私はこの映画は失敗だったな、と思います。ええもうはっきりきっぱり。短編を長編映画にしようとしたのがそもそも間違いだったんちゃうんかと。つまりは長く感じたんですね。話の中盤で一山超えてしまったので、その後が余計長く感じたというのもあるんですが、最後の一山で笑っちゃいましたね私は。交通事故が起こった橋の上をスローで描写してるシーンがあったんですね。端から端までずーっとスローで映していくの。多重事故で結構かなり緊迫したシーンのはずなんですが、笑っちゃったよ。あの瞬間、この映画が私の中でトンデモ映画確定。クライマックス直前だったんですが、正直、そこの描写要らない。
徹平君はそのとき自暴自棄になっていて、交通事故で怪我を負った他人の傷を端から引き受けてるんだけど、もちろん全部引き受けられなくて最後は玉木くんに傷を半分移して、それでも全員は助けられないよどうしようってところで、徹平君に傷を引き取ってもらった人たちが助けに来るって描写があるんですが、そこも要らない。全部削る必要はないけど、その人たちが助けに走ってきたところだけ映せば意味がわかるのに、わざわざスローで助け出すところ全部映す必要ないじゃん。そのぶんテンポ悪くなっちゃって、正直冷めました。ここ感動するところですよーって言われてるみたいで。
最近の邦画でよく思うことなんですが、長すぎる。エピソードのひとつひとつが長かったりとか、余計なシーンが入ってたりする気がする。もちろん描写の必要なシーンはあると思うけど、そのひとつひとつが冗長で、それが積み重なってひとつの映画が長くなってる気がします。
『ボーン・アルティメイタム』とかものすごく詰め込んでるのに111分ですよ。とはいえ、あれはアクション映画だからあれだけ細かく編集することで生きてくるっていう面もありますからね。すべての映画であんな編集する必要はないと思いますし、シーンの余韻でより素晴らしくなる話もあると思うんですけど、それでも最近の邦画は冗長すぎる。そのうえ、さっき書いたみたいに誰かが助けにきたなら、助けに走りこんできたってところだけ描写すれば十分伝わるのに、助けるシーンをすべて描写してさらにそのシーンが冗長だったりするもんだから、積み重なってさらに長く感じちゃう。
『KIDS』はつまりそういう映画だったんですよね。話の筋や設定なんかは良かったのに、冗長な部分が積み重なって長く感じた。確か100分程度でそんな長い映画じゃなかったはずなのになぁ。乙一は短編の名手で、だからこそ短編らしい作り方をして欲しかったです。
その中で良かったのは、徹平くんのお母さん役だった斉藤由貴。素晴らしく怪演。さっきまでふんわりと笑って「よく来たわね」とか言ってたのに、そのまんまの雰囲気で「あの化け物みたいな力」なんて言っちゃうところが余計怖くて良かったです。それともうひとつは、徹平くんから一度離れた栗山千明ちゃんが戻ってきたとき。「好きだ」とか「なんで」とか言わずに一言「お帰り」って言ったのは良かったな。
『once ダブリンの街角で』
これはアメリカで2館くらいで始まって、口コミでどんどん広がって最終的には確か全米公開になったと言う作品。アイルランドのダブリンで出会った二人の話。ロンドンで音楽で身を立てるという夢が今ひとつ叶わず彼女にも逃げられて故郷に帰ってきた男と、故郷(チェコ)から移住してきて日々を必死に生きている女がダブリンで出会い、いつもどおりの日常が変わりだす話なんですが。
えー、ラブストーリーだと思ってたんだが、ラブストーリーなんですか、これは? ベタ甘のラブストーリーを観る心構えで言ってたので、正直拍子抜けしました(笑)。
出会って割とすぐに、二人で楽器屋さんでデュエットするシーンがあるんですけど、もーラブラブですよ。見てるこっちが気恥ずかしくなるくらいラブラブ。自分が学生の頃、楽器屋さんに通ってて友達と演奏してみたりしたこともあったから、その頃の自分に重ねると恥ずかしいという気恥ずかしさもあるけど、それだけでなく人目気にせずラブラブで気恥ずかしい。
それなのにくっつかないなんて!
彼女と出会ったときはどちらかといえば彼女の方が積極的だったけど、次第に彼の方が積極的になって行って、端から見たら既にカップルなんだけど本当はそうじゃなくてまるで薄膜一枚隔ててるみたいなごく微妙な距離があるのです。
彼女は彼の歌に惹かれ、彼の夢を叶えるために協力するんですね。一緒にレコーディングしたり、そのための費用を借りたり。どちらかといえば彼女の方が一生懸命で可愛かったな。
ホントこの二人、ずーっと微妙な関係なんですよ。彼は彼女に惹かれながらも、別れた(というか捨てられた)元カノを想う歌を歌い、彼女も彼に惹かれながらも、母と娘と、故郷に残っている夫のことを想い。彼女が夫のことを想うのはとてもわかりにくかったけれど、確かに想ってるんだな、と見終わった今なら思います。
二人は、このままだとマチガイ(彼は元カノにまだ心を残しているし、彼女は母と娘と娘の父親が大事だと思ってるので、二人がくっつくのはマチガイという意味)が起こるとわかっているんですよね。それでもいいと彼は思い、彼女も一度はそれもいいかと思ったけれど、結局夜に二人だけでは会わないまま、彼は夢をかなえるため、そして元カノに会いにもう一度ロンドンへ向かい、彼女は母と娘と、そしてチェコからやってくる夫と一緒にダブリンに残るのです。
どうしてくっつかないの!と思ったんですが、別れてそれはそれでよかったのかなぁ、と。このままだと不倫だからとかそういう意味ではなく、男女の関係にならなくても、たとえこれから一生出会うことがなくても、あの二人にとっては互いは特別で、一生忘れられない相手なんですよね。たまたまそれが男女だったというだけ。迷路に入って立ち止まっていたときに出会い、自分の居場所や目的や夢やそんなものをもう一度見つけてまた歩き始めたって感じ。お互いが歩き始めるための原動力で、隣で歩いていなくてもこの先一度も顔も見なくても、彼と彼女と出会ったという事実だけでいいの。
くっつかなかったから期待してモノを裏切られたって思っちゃったけど、くっつかなかったからこそ見終わった後になんと言うか爽やかな気持ちになった作品でした。
この映画、歌を歌ってる人を描いているので作中ずーっと曲が流れてるんですが、一番好きだったのは、最初にレコーディングした5拍子の曲でした。もともと5拍子とか7拍子とか、変則的な曲が好きなんですが、この映画の5拍子の曲はそれを除いてもすっごく好き。CD欲しいなぁ。
『魍魎の匣』
さて問題の(笑)京極作品。妖怪シリーズ第2弾ですね。前回の『姑獲鳥の夏』とは監督と関口くんが違っています。確かに関口君は永瀬くんより椎名桔平の方があってると思うわ。
あの文章量を2時間少々の時間の映像作品にまとめるのは無理がある、というのは重々わかっておりますが、それでも文句を言いたくなるのが原作ファンです。それはもうしょうがないと思う。特に京極堂シリーズのように熱心なファンがついている場合には。
が、今回私あまり文句がありませんでした。少なくとも、姑獲鳥のときよりはない。なぜなら今回は映画を見る前から、この映画は京極作品を映像化したものではなく、京極トリビュート作品だと思っていたから。要は、京極ファンの方がファンサイトで小説やレビューを書いたりしますよね。SMAPファンにおけるうちのサイトのようなもんですね(笑)。
怖れながら『魍魎の匣』は、それの映画版だと解釈したわけです。だったらしょうがないじゃない。同じモノのファンでも人によって解釈が違ったり、表現方法が違ったりしてあたりまえじゃない、と。
たとえば私の中では木場修は未だに今井雅之さんがピッタリだと思っておりますが、彼のキャスティングひとつとっても別の人がいいと思ってる人がいるわけで、あの映画スタッフの中では宮迫なんだと。納得はいかないけど、そういう意見もあるんだね、ってことですよ。
という考えで映画を観ると、それなりに楽しめました。
だがしかし残念だったのは、加奈子ちゃんと頼子ちゃん。それと陽子さん。……女性陣ほとんどじゃないか。加奈子ちゃんと頼子ちゃんは、あの二人の関係性があの事件には結構重要だったと思うのに、それがほとんど表現されていなかったこと。ほとんど表現されていなかったために、ごくわずかに出てきたところが浮いてたんですよね。加奈子ちゃんが自分を「僕」と言い、頼子ちゃんを「君」と言うのも、あの二人の関係や加奈子ちゃんが学校でどんな状況にあるかがちゃんと描写されてれば何の違和感もないのに、あんなふうにぽんとそのシーンだけ示されるとむずがゆい感じ。
後は陽子さん。考えてみれば原作を読んだのはもう8年は前で、だからうろ覚えといえばうろ覚えなんですが、だけど陽子さんってもっと若い人のイメージがあったんですよ。女子高生の子供がいるって言われて、「えええっ?」って言っちゃうような年齢の女優さんのイメージ。黒木瞳はあの年にしたら若いと思うけど、女子高生の子供がいるのに違和感はないんですよね。主要登場人物の3人(堤さん、椎名さん、阿部さん)の実際の年齢から差し引き計算すると黒木瞳でも問題ないのかもしれないけど、作中のあの人たちの年齢からすると行き過ぎだろうと思うんですが。ていうか、私結構陽子さんのキャラクターは好きだったんですが、黒木瞳じゃないだろうと。陽子さんは良くも悪くもファム・ファタルというイメージだったんだけど、黒木瞳じゃその辺ちょっと弱いんだよなぁ。じゃあどの女優さんがいいかと言われたらパッとは出てこないんですけど。まぁともかく、陽子さんのチャンバラ映画と最後の楊貴妃(だっけか?)の映画の
シーンはいらないよな。映画を見てるシーンはともかく、あんなに長々と作中作を流す必要はないよなぁ。映画の途中で何故か突然宝塚見てるみたいな気分になったわ。宝塚が悪いという意味じゃなくて、黒木瞳主演の宝塚作品を作中さしたる意味もなく突然差し挟んでるような違和感がありました。
陽子さんと違ってイメージぴったりだったのは、頼子ちゃん。私が頼子ちゃんに対して持っていたイメージがそのまま映像化されたみたいでびっくりでした。髪型とか表情とかいろんなのが私の中の頼子ちゃんまんまなの。芋虫になったところまで全部含めて。
芋虫、と今言いましたけども、この映画結構かなりグロいです。私が芋虫と言っているのは江戸川乱歩の『芋虫』という短編小説からなんですね。乱歩のこの小説は、戦争での傷痍兵を扱ったもので、要は手足なくて芋虫状態になって戻ってきた帰還兵と奥さんの話です。グロいです。つまりその状態を、この映画は映像で表現しているのですよ。びっくりしたわ。あのグロい話をいったいどうするのかな、と思ってはいたんですが、まさか映像化するとは。匣にみっしり、という状態は思ったよりグロくなかったけど、とはいえ芋虫はやっちゃってるからなぁ。
映画の最後に汽車の中で匣につまった少女の描写がありましたが、あれは私のイメージとは違ったな。原作では(確か)最初と最後にそういうシーンがあって、最初に読んだときは匣に入るサイズの小さな女の子の人形のイメージだったんですよね。最後まで読んで違うということはわかったけれど、イメージ的にはそんな感じ。実際は匣にみっしり、だったと思うんですが、映画だとなんだかカメオじゃないけど、えらく綺麗に表現されてて変な感じでした。そんな綺麗なもんじゃないはずだよな。もっとグロな感じで。
あとはクドカンがなんと言っていいのか……。いかにもこいつが怪しいって感じで最初からいるんですよね。いくらトリビュートだと割り切って見てるとはいっても、犯人丸わかりのミステリ仕立てってあまり面白いもんじゃないよなぁ、と。
それとクドカンと研究所の所長と御匣教の教祖の関係は、ちゃんと説明されているのにわかりにくいという不思議な感じでした。あれだけはっきり言葉で説明してるのにわかりにくいって、逆に一種の才能じゃないかと。そしてわかりにくいからか、クドカンの動機が非常に弱かったですね。あれだけ血腥い話なのになぁ。
結構盛り上がったのは、研究所かな。研究所そのものもいい感じだったし、何よりツボにはまったのは、中禅寺たちが研究所に上がっていくとき、二手に分かれるところですね。二手に別れる、という話になったときに、中禅寺と榎木津がごく自然に分かれたのがツボ。そうそうこういう関係が好きなのよー!と思いました(笑)。どっちかが護るとかじゃなくて、背中を預けられる関係っていう感じ。中禅寺と榎木津って、私にとってはそういう関係なのです。大好きこの二人。そこが表現されてたのが、嬉しかったな。
そういやこの映画、観ていて不思議に思ったところがあるんですが。この話って、シリーズのこの後の話が絡んできたりとかしましたよね。箱根の話とかいろいろ。一応御匣教に行くあたりでちらっと敦子たちが話してたと思うんだけど、あんだけなの? てことは、今後シリーズが映画化されるときにはやっぱり、あそこがはしょられてるからどうのこうのってことを気にしないといけないのかなーと(笑)。
うわー長くなっちゃったな。あとはちらっと予告の話。
いやまだ中居さんのは見れてないのですが、今日見たのがすっごい面白かったんですよね。『スシ王子』『クロサギ』『相棒』だったんですけども、どれも見たくなりました。『スシ王子』と『クロサギ』はドラマ見てなかったんですよね。もったいないことしたなぁ。あれ絶対ツボだったわ。特に『スシ王子』のバカさ加減が最高(笑)。あれは見たいです。そしてあれを見た堂本剛くんがなんていうかを聞いてみたいです(笑)。
『相棒』の予告もいい感じで、映画の帰りについ本屋で相棒のノベライズ買っちゃった。時間があればDVD借りて見てみよう。仰天の裏だから、基本的に見れないんですよねぇ。でもこの映画も見に行きたいし。
さー、次は『スウィーニートッド』『ライラの冒険』『ペネロピ』『ナルニア』あたりかな。他にも見たいのがあったはずなんですが、どっちにしても早く行かなきゃどんどん次が公開されちゃうので大変。嬉しい悲鳴です。
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>21日14時
そうですね。中居さんの会見ってだいたいいつも笑えるシーン楽しそうなシーンが多いですよね。文章にされたのを読むと割とちゃんとしてることも言ってるみたいですが。中居さんのキャラクター(彼が望むキャラクター)からするとしょうがないかもしれないですが。今回はいろんな役者さんと共演するみたいで私も楽しみです。上手い方が多いですし、頑張って欲しいですね。
>21日19時
確かに、あの髪型にもあっという間に目がなれちゃいました(笑)。あの予告のシーン、豊松でしたね。一瞬のことなのにすっかり見惚れてしまいました。映画館の大きなスクリーンで見るのがとても楽しみです。