くりす
「見られる事は恥ずかしい?」について、DDRに関しては見られる事を意識しないというよりは、むしろ見てもらいたいと意識している人の方が多いのではないか?という御意見のメールをいただきました。

 それはあると思います。クリアするだけなら楽譜通りにステップを踏めばいいだけなのに、わざわざぐるぐる回転したりしてパフォーマンス性を高めている人たちは、明らかに見られる事を意識していると思いますから。

 だから、「私を見て!」というタイプの人がDDRを好むのも確かだけれど、そうでなくても個人のウェブページを開いた経験などから見られるといってもたいした事じゃないという感覚を知っている人は取っ付きがいいのではないかという事を昨日は書いたつもりだったのですが、よく考えたら個人のウェブページを開いている時点で既に「私を見て!」というタイプの人という事が言えなくもないんですね。

 この理屈だと、個人のWEBページを開設している人は誰でもDDRをするのにためらいはないはずだという事になるんですが、実際には個人ページの中でも「DDRをするのはちょっと恥ずかしくて…」と書いているページがあったりする訳で。

 この辺の違いはどこから出てくるのかなあと考えると、自分の事をone of themと思っているかどうかという点と共に、とにかく人様の目にふれる可能性のあるものはある程度のクォリティを持たせなければと考える人が、初心者の時点で人前でやるのはちょっと…と考えるのではないかとも思ってみたのでした。

 私自身、当初WEBサイトを開設した時にはむしろこちらの考え方を持っていました。

 個人サイトを開設しようとした最初の理由は、新しい技術を身につけたいという動機からだったのですが、アマチュア無線とかパソコン通信とかやっていると、不特定多数の人に対して公開される公共性の高いものはそれなりに意味のあるものでないといけないと考えたので、まずはデータベースサイトから作り始めた訳です。

 当時は自己紹介だけのサイトなんて個人の自己顕示欲を満たすだけのものだからくだらないと思っていたのですが、その考えが変わっていったのは、WEBページというものがどんどん一般的になってきて、個人サイトが無数に立ち上がるようになり、いわゆるパラノイアじゃないか?というような人の意見も目にする事ができるようになったからでした。

 通常は世に出る前にどこかで検閲を受けて見られないような文章でも、ここでは等しく発表する事ができる。その情報をどう受け取るかは受け手に委ねられているので、むしろどんなに平凡であってもとにかく「生の」情報を発信する事自体に意味があるのだと知った時に、それまでの調理されたクォリティの高い情報しか駄目だという「縛り」がとけ、私はWEB日記を書くようになったのです。

 高品質の情報を産みだそうという姿勢はそれはそれで構わないと思いますが、だからといって不完全な情報を載せてはいけないという事はないと思うのです。間違ったって所詮は個人だからそんなに注目している人もいる訳でなし。

 それと同じで、やりたいんならやればいいと思うんですけどね、DDR。