うーん、わたしは「ドドンパ」に乗る為だけに富士急ハイランドまで行っちゃうような人間なので、逆にそういうのはぴんと来ないです。
わたしが最初にトロ休カフェに行ったときには、完全に限定50食のサンドイッチセットが目的だったので、それが売りきれているのを知らずに並んでいたとしたら、実際にそこで店員さんに文句を言いはしないものの「入り口とかに売り切れって書いててくれたらいいのになあ」と思うとは思います。
そもそもその限定セットを食べに行ったのは、日記ネタにするため(=話題になる)というのが目的の70%ぐらいを占めてます。そういう楽しみ方も、そんなに目くじら立てられるようなものではないと思うのですが、どうなんでしょうか?
準備されているシステムを使って「日記とは直接関係のない楽しみ方」をしてても構わないとわたしは思うほうです。掲示板とかでの「キリ番ゲット」にしたって本来の使用方法とはまったく無関係の楽しみ方ですが、そういう楽しみを自分で創出できること自体はそんなに悪いことのようには思えません。
まあそれにしても、キリ番ゲットを宣言するだけの発言は、読んでいてもそんなに面白くもないものですし、それが横行することによってサーバーに大量の負荷がかかって他の人に迷惑がかかるようになったりしたらよくないとは思いますけどね。でもそれは「無関係な楽しみ方」全てを否定する考えとは立脚点が違いますし。
次に
「ランキング制度が結びつける関係は所詮薄くて弱いものだ」という考えについてですが、それもわたしはピンと来ないです。「制度」じゃなくて、関係を築こうとする人のパーソナリティによるのではないでしょうか?
最初は営業のために読み始めた日記だけど気がついたら相手の生き方に惚れ込んでしまって深い関係を築くようになったというケースもあるんじゃないかと思います。日記なんてコンテンツは特に人格が曝け出されますから。
前回票田を耕すためのノウハウをあれこれ書いちゃったのでほとんどの投票の内容はそれなんじゃないかという誤解を招いたかもしれませんが、普段は投票していない日記でも、その日の内容がアピール性の高い内容だった場合「その内容に共感した」という意思表示のために投票をするということは実際にあります。
その場合日記の作者は投票数という「数値」で自分に共感してくれる人がいることを知るわけです。内容に共感してもメールなどを書くまではなかなか至らないものですが、気軽に意思表示ができるというのは投票制度のメリットだと思います。
アクセス数だけでは、見に来ている人が共感してくれているのかどうかはわかりませんが、反感を持っているのに投票はするということはそんなにないでしょうから、そういう意味では日記才人のような能動的な投票システムは、「薄くない関係」を作るのに役に立ってると思いますよ。少し奥ゆかしくはありますけどね。
それに比べるとReadMe!のような純粋にアクセス数だけカウントするようなランキングシステムから生まれるコミュニティは確かに少し人間関係がドライなのかなというイメージは持ちますが、最近はオフ会なんかも盛んなようですし、「馴れ合い」なんていう言葉も出てきてるぐらいなんで、そう薄くもないのではないかと推測します。
わたしは、模試でいつも同じぐらいの順位のところにある名前を自然に覚えてしまって、模試会場とかでその人と近くの席になる機会があって、互いに名前を知ってたのでそこから話が弾んで友達になったという経験があるので
「ランキングや競争からお友達ができるようには思えない。」については少なくとも反論したいところですね。
数値とか他人からの評価とかも、他人を判断する基準としてもつのはけして悪いことではないのではないでしょうか。それは、たくさんある評価基準の中の一部です。誰もが、誰もをある程度は値踏みしているものだと思います。自分が付き合っていくべき相手かどうか判断するのは、生きていくためにある程度必須な行為だとわたしは思っています。
現にrm-fさんの
「お友達になりたいとは思わない」という言葉自体、値踏みの一種だと思われます。自分がそういう人たちとお友達になりたいとは思わなくても、それがその人たちの間に友人関係が成り立っていないことの証にはならないと思うのですが、いかがでしょうか?
とりあえず反応してみました。