くりす
2002-06-04(Tue)

ウェブログの意義

テーマ日記-ワールドカップ、登録数が既に550件を超えています。新着リストを見てもここに登録してなくてワールドカップについて言及している日記が多数あるので、世間の関心がいかに高いのかということを実感します。

新聞も読まずTVも見ないわたしが世間の情報を仕入れるのは主にネットと雑誌です。といっても雑誌はやはりタイムラグがあるので、リアルタイム系の情報はやはりネットでということになります。

ニュースサイト系を見て回るのもいいですけど、日記才人やライコスダイアリーの新着リストの1行コメントを見ている方が、個々のニュースに対する世の中の関心の度合いも分かって面白いです。

Yahooで個々のニュースに関してメッセンジャーでチャットを行う機能がついているのを見てなるほどなあと思いました。何かがあったときに、すぐに見知らぬ誰かとそのニュースについて話し合うことができるというのはまさにネットの特性ですものね。

ただ、チャットや掲示版だとログはすぐに流れてしまうもの。後で読み返してあの時はあんなことがあったなあと回顧するのは、やはり日記が向いていると思います。

最近はウェブ日記サービスもだいぶ淘汰が進んできたようですが、ウェブ日記という文化自体は少なくとも一時の流行りではなく、末永く続いていくのではないでしょうか。
日記って、毎日惰性で書いていると、ただの排泄行為になってくるのです。
気がつけば読み返す気にもならない腐った言葉の羅列が……。

この日記は、本当に気が向いた時だけ書いていますが、それでも更新すると読みに来てくれる人がいます。読みに来てくれる人がいることで、独りでないことが確認できます。

自分の中の何かを吐き出すためだけに書くのではなく、誰かの存在を確認するために書く。

毎日更新するわけでない、こういうあり方もいいなあ、と最近思うようになりました。
同僚に
「くりすさんの個人サイトって何系なの?」
とふとたずねられて、すぐに出てきた答えは
「そうだなあ、日記系かな」
でした。

自分で運営しているサイトという意味ではゲーム攻略サイトやネットゲームサイトとかポストペットおやつ画像ライブラリなんかもあるのですが、あまり個人サイトという感じがないからです。

そもそもこれらのサイトはかれこれ1年以上手入れを何もしてないに等しいので、ただ置いてあるだけのドライフラワーのようなものですし。

以前は覚えたてのFlashやJavascriptの習作を展示したりしていたのですが、今はそういうことはしていません。多分、自分にとって個人サイトが自己アピールの場でなくなった時から、そういうことはやめてしまったのでした。

個人サイトを自己アピールの場として考えなくなったのは、「不特定多数に読まれるための日記」を書くのに疲れてしまったからだと思います。最初は日記猿人に登録したりしてやる気まんまんだったのですが、読者が増えてくると自分は意図しなくても「アクセス(あるいは投票)稼ぎのための政治」の場に巻き込まれるようになってしまうわけで。

小心者の私は外野の雑音を無視して超然と書き続けることはできなかったので、それ以来自己アピールとしての何かを作ることはしなくなったのでした。

この日記については、コミュニティ観察のためにある程度外部と接触をとる必要はあったので意図的な露出はある程度してますが、自分の何かを知って欲しいのではなく、ただのツールです。

なんでこういうことをしているかというと、そのうち自前でコミュニティサイトを作ってみたいと考えているからです。もうわたしは「個人サイト」というのは作らないのかもしれません。

わたしが自己アピールサイトから一般サービスサイトへと志向が変化したのは、それを仕事にしている影響がかなりあると思います。けれどそれとは別に、自己アピールサイトを作り続けていくのには誰しもいつか飽きてしまうのではないかという仮説も持っています。

飽きた結果、一般サービスサイトへと移行したり、あるいは個人サイトをたたんでコミュニティサイト内で遊ぶだけになったりするのではないかと思うのですが、どうなんでしょうか。

そもそもそこまでネットにどっぷり浸る人はあまりいないものですかねえ。
おぼえがき 2002/06/11(火) RE:RE:活字中毒という言葉の範疇へのコメント:

わたしも、ほぼ毎日雑誌を買ってwebぐるでも文章ばっかり追っかけている自分は「活字中毒」なんだと思ってたんですが、これは「情報中毒」と言うのが正しいのですね。

ただ、私が本でなくて雑誌しか買わないのはけしてビジュアル的に読みやすいからではありません。写真ばかりの広告ページはほとんど飛ばして文章の部分だけ読んでいます。なので私がすきなのはビジュアルばかりの女性誌より文字がぎっしり詰まった「ダカーポ」のような雑誌です。

更に、以下の理由も本をあまり買わない理由のひとつです。

・雑誌を読むのはほとんどが職場との電車の中なので、ページめくりなどの関係で文庫本ならまだしもハードカバーは適していない。
・どんな本も大抵2度と読み返すことがないので買っても邪魔になるし、コストパフォーマンスが悪い。雑誌はどんどん捨てることができるが、本を捨てることには抵抗があるし、いちいち古本屋に持っていくのも面倒。

読み返さない、所蔵欲がないというところが「情報中毒」と「活字中毒」の違いなんでしょうか。あくまで「文字」情報にこだわるところが「活字中毒」の主旨だと思っていたので、この分類は新鮮でした。