東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成20年6月5日(木曜日)

ひなまつりがおわり。
春分の日もはるかまえ。
「さくら咲き」
「4月」が終わりました。
「5月」になりました。
そして
「5月」もおわりました。

6月に・「夏」になりました。

夏至まであと「2週間足らず」。
朝空は
陽ははるかに高く空色はミルク色です。
けれども今日は雨。

「つつじ」が「満開」をすぎました。
東京都世田谷区山本クリニックの庭園には

「えどむらさき」という「つつじ」
が「何本」もはえています。
野生種に近いものです。
大きな真紅紫の花を咲かせます。

盆栽の「皐月:さつき」のような
繊細さはみえません。

私は森山を分け入ると。
木々の根元に隠れ咲く。
だいだい色の花さく
「やまつつじ」が「大好き」です。

「くさぼけ」もかわいらしく「大好き」
です。

あと「2日」で「六月」=「夏」
です。

四季の歩みの春夏秋冬の
メトロノームのような「あゆみ」を
感じます。

フアジーでいて確実な「リズム」です。
ここに「メロディ:旋律」とハーモニー:和声」
がくわわれば「音楽の三要素」。
音楽と同じ・。

自然は「音楽」と同じように
思えます。
実際の楽曲ではこの三要素は。
密接に音楽的に結びつきひとつの楽曲をなします。

音楽の「リズム・メロディ・ハーモニー」は
一つだけを明確に取り出せる成分ではありません。

また音楽であるために。
三要素が絶対必要という意味
でもないでしょう。

邦楽ではリズム・ハーモニーは
存在しないか希薄である事が多いです。

「リズム・メロディ・ハーモニー」
が西洋音楽の常識ではありえないほど
高度な進化を遂げた音楽も存在致します。

邦楽もその一つ。

大和の国の自然は。
「音楽」と同じように思えます。

木々のめぶきの
ますます力強い息吹を感じます。
「ため息」がでるほど木々の「若葉」の
「たば」は「つよく」「うつくしい」。

木々のてっぺんは萌黄色から「みどり」
になりました。
そして「しっかりと樹木として
「夏を迎える葉束」になりました。

「若葉」の「新緑」です。

高い木々の穂先は萌黄から若草色に。
うねるなみのように。
木々の新緑は常緑となり初夏のおとずれを
伝えています。

桜は葉桜から「葉木」
道路沿いの「けやき」の木々も
萌黄から若葉。
そして青葉。
どうもうな青葉。

明らかなる。
「冬から春」とは全く違う
「春から夏」にむかう四季の
「大気の「色」のうつろい
に気づきます。

「里山をあるきたい」季節です。

けれども
まだ早朝ははだ寒いです。

やまのもり中分けいらば
木々の根元に隠れ咲く
あけぼの色の花さけり
くさぼけかくしてや
やまつつじ花

たかくひろくなりけり空(そら)
さとやまに木々のみどり木
こもれびうけて燃えんとす
みどりの炎(ほのほ)
かがやきてあざやかなりけり 

ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー
は「英国:United Kingdom UK」の
「風景画家」
天才画家ですが「緑」が大嫌い
で「黄色」が「大好き」。
「木」をかくのを非常にいやがったそうです。

多分ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー
が「修行時代」に「お金にために
「どこの国も同じですが」
「名所絵」をかかされたときの
「反動」ではないかと
今の私は考えます。

「大きな春みつけた」
から
「春が来て初夏間近い」
「小さな夏みつけた・。」

私は寒い新潟の寒村の百姓のうまれです。
毎朝03:15amには起床致します。

睡眠時間は「4時間」。

朝の病院への移行に車をつかいます。
まっくらです。

朝5:00am前に東京 都 世田谷 区 山本クリニック
の明かりがともります。

真っ暗な中で。
病院の事務局と病院の診察室との
往復はとても気温が低いと
とてもくつらいです。

朝の日の出前までの間は今日御来院される患者さん
の「診療録:カルテ」のチエックと
朝の申し送りの準備です。

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ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
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平成20年2月11日(月曜日)は祝日です。

「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

は「おわりました」。
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平成20年3月20日(木曜日)
は「祝日」です。
けれども
(木曜日)は休診日であるために。
「祝日診療」は行いません。

祝日が(日曜日)(木曜日)とかさなわない限り。
「休日体制」で患者さんの診療を行います。
は終わりました。
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平成20年
4月29日(火曜日)
はおわりました。
5月 3日(土曜日)はおわりました。
5月 5日(月曜日)はおわりました。

「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

但し
5月 6日(火曜日)祝日は「お休み」
を頂きました。
5月7日(水曜日)より定常どおり
の診療を行っています。
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7月21日(月曜日)は
「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

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★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円
2回法=7.000円
です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

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2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。
去年2007年の「5月ころ」NHKの
放映があり。
昨年は全国で「肺炎球菌ワクチン」が
たりなくなってしまいました。

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成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

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学校の入学式。桜の花。
そして「眼に青葉やまほととぎす・」
の時期。
そして紫陽花が咲き夏になり
秋になりまた今年も冬がくる。

インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。

今年は猛暑と厳寒。
「地球温暖化による大気温度差の拡大」が
顕著です。

体調を崩される方が多いものです。
私はこの夏は「猛暑」になり極め厳しい「暑さ」が。
そして気膠の変動は
激しいと思います。

このような今年からは
冬場や春にかぎらずインフルエンザに
代表されるウイルス性感染症が
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

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「完全御予約制」の御予約で。
これからの1週間にお越しになる
患者さんの「診療録:カルテ」。

1週間の患者さんの「治療戦略」で
「診療録:カルテ」
をすべからくチエックします。

「御既往」を問診票にお書きいただいており
前回「お書き戴いた文章のあいだ」をよみとる。

「お書き戴いた文章のあいだ」=
行間には「さまざまなものが見えます」。

お書き戴いた
「問診票」は大切な貴重な情報源です。
「問診票」のお書きいただいた文章は
「同じこと」がかかれているようで
わずかにも・内容多くにも・患者さんの
「御自覚症状」を伝えてくれます。

「囲碁・将棋・チエス」で言う所の
「3千手」位までは「先読み」致します。

すなわち患者さんの場合極端に言えば
「10年後」くらいまでのことも考えます。

そのためには逆に考えると今現在から
「10年前」の「病態」の推察も欠かせません。

患者さん御自身「10年前」のことなど
覚えていらっしゃらないことが多いけれども。
「まず外れません」「はずしません」。

考えて。考えをまとめる。
考える。また考える。そしてまた考える。
考えて。考えをまとめる。
考えて。考えをまとめたら。その結果をまた考える。

作業は予想以上に大変で
「1日仕事」になります・・・・。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら
私と東京都 世田谷区 山本クリニックの
「スタッフ全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。
よくなられていかれる「笑顔」に。

私そして東京都 世田谷区 山本クリニックの
職員はなによりもの「喜び」を感じます。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔に。

心より。

感謝・

感謝。

「今日は何の日」は
泣く子も黙る世界に二人といない
女性名ピアニスト

1941年 - マルタ・アルゲリッチ、ピアニスト
の生誕日です。
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マルタ・アルゲリッチ
(Martha Argerich, 1941年6月5日 - )は
アルゼンチンの
ブエノスアイレス出身のピアニストです。

現在、
世界のクラシック音楽界で最も高い評価を受けている
ピアニストの一人です。
スペイン語読みで「アルヘリッチ」、
「アルヘリチ」などとも表記されます。

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マルタ・アルゲリッチの
人物・演奏スタイル

現代のピアニストの中でも。
右に出る者がいないほどに
良い意味での個性的な演奏のできるピアニストである
とえます。

マルタ・アルゲリッチさんは
ライヴでも録音でも極度にテンポが
速い打鍵をされます。

けれども
打鍵は極めて正確です。

到底真似が出来ないほどにピアノの音は
完璧に仕上げられています。

マルタ・アルゲリッチは
リズム感が絶対的です。
絶対リズム感をおもちであろうと
考えます。

強烈な激情的表現の中に。
情緒的な温かさや
、かすかな憂鬱さが漂う感
動的な演奏のピアニストです。
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マルタ・アルゲリッチは
舞台に登場しただけで、
カリスマ性、オーラを感じさせるものがあります。

ピアノを弾いていない時でもじゅうぶん
絵になるかたであると思います。

その昔の名音楽家或は名芸術家は
みな「この香り」をそなえています。

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マルタ・アルゲリッチは

ソロやピアノ協奏曲の演奏を数多くこなしました。

けれども
1983年頃からソロ・リサイタルを行わないようになり
室内楽に傾倒していきます。

代表的なヴァイオリニストである
クレーメル、イヴリー・ギトリス、
ルッジェーロ・リッチ、
同じく代表的なチェリストのロストロポーヴィチ、
マイスキーなど。

世界第一級の弦楽奏者との演奏も素晴しく。

歴史的価値を認められています。

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マルタ・アルゲリッチは

一方で、
スティーヴン・コヴァセヴィチ、ネルソン・フレイレ、
アレクサンドル・ラビノヴィチら
気心の知れたピアニストたちとともに
ピアノ2重奏や連弾のようなこともされます。

ややもすると
忘れられがちなジャンルにもピアニストとして
光を当てています。

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アルゲリッチの録音は、
ドイツ・グラモフォン、EMI、フィリップス・レコードなどの
世界的音楽レーベルから数多くリリースされています。

来日は非常に多く、日本とのつながりも深いです。
上述のように、大分県・別府市とは1996年より
別府アルゲリッチ音楽祭の総監督を務めるなど、
極めて良好な関係にあり、1998年以降、
別府アルゲリッチ音楽祭の為毎年来日しています。

2007年にはアルゲリッチ芸術振興財団(Argerich Arts Foundation)総裁に就任
致しました。

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マルタ・アルゲリッチの
エピソード
演奏活動以外の面でも情熱的な性格を示すエピソードには事欠き
ません。

母国語であるスペイン語の他に、
フランス語、英語、ポルトガル語、ドイツ語、イタリア語
などを自在に操ることができます。

若い頃、職業ピアニストであることが嫌になり、
語学が堪能なことから秘書になろうと思ったことがあると、
インタヴューで語っています。

また、この当時は、ピアノを弾かずテレビばかり観ていたとも語っています。

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マルタ・アルゲリッチは
1980年の第10回ショパン国際コンクールの審査員でした。

アルゲリッチは、
ユーゴスラヴィアからの参加者イーヴォ・ポゴレリチが
本選に選ばれなかったことに猛烈に激怒して抗議しました。
そして、審査員を辞退してしました*。


確か
「アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ」
さんもこのようなことが
ありました。

ポゴレリチのことを「彼は天才!」
と言い残して帰国した件だけ
が取り上げられることが多いのですが。

アルゲリッチは「審査席に座った事を恥じる」と
述べています。
「魂の無い機械がはじき出した
点数だけで合否を決めてしまうのではなく、
審査員間でも協議するべきだ」
というコメントは不思議です。

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マルタ・アルゲリッチは

精神的に納得できない場合は、
しばしば演奏会をキャンセルすることがあります。
(ただし、逆にどうしても演奏したいときには
体調不良でも演奏することもあるのです)。

1990年代後半ドイツで、
急病のイーヴォ・ポゴレリチに代わって、
アルゲリッチが登場したことがあります。

プロコフィエフの
ピアノ協奏曲第3番ハ長調 Op.26を演奏致しました。

きごころの知れたピアニストとは
一心同体であったような気が致します。

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マルタ・アルゲリッチ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%BF%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%82%B2%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%81

マルタ・アルゲリッチ(Martha Argerich, 1941年6月5日 - )
はアルゼンチンのブエノスアイレス出身のピアニスト。
現在、世界のクラシック音楽界で最も高い評価を受けている
ピアニストの一人である。スペイン語読みで「アルヘリッチ」、
「アルヘリチ」などとも表記される。

略歴
2歳8ヶ月からピアノを弾き始める。
5歳の時にアルゼンチンの名教師ヴィンチェンツォ・スカラムッツァにピアノを学び始める。
1949年(8歳)、公開の場でベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番ハ長調作品15を演奏した。
1950年(9歳)、モーツァルトのピアノ協奏曲ニ短調K446とバッハのフランス組曲ト長調BWV816を演奏した。
1955年、家族とともにヨーロッパに渡り、グルダ、ザイドルホーファー、マガロフ、マドレーヌ・リパッティ(ディヌ・リパッティ夫人)、ミケランジェリ、アスケナーゼなどに師事。
1957年、ブゾーニ国際ピアノコンクール優勝。またジュネーブ国際音楽コンクールの女性ピアニストの部門おいても優勝し、第一線のピアニストとして認められるものの、更にその後も研鑽を続ける。
1960年、ドイツ・グラモフォンからデビューレコードをリリースする。
1965年、ショパン国際ピアノコンクールで優勝し、最優秀マズルカ演奏者に贈られるポーランド放送局賞(マズルカ賞)も受賞している。
1970年、初来日。
1994年、別府ビーコンプラザ・フィルハーモニアホール名誉音楽監督就任。
1996年、フランス政府から芸術文化勲章オフィシェを受ける。また同年から、別府アルゲリッチ音楽祭の総監督を務める。
1997年、ローマ・サンタ・チェチーリア協会員に任命される。
1998年、第1回別府アルゲリッチ音楽祭を開催。
1999年、第1回マルタ・アルゲリッチ国際ピアノコンクールをブエノスアイレスにて開催。
2001年、第1回ブエノスアイレス-マルタ・アルゲリッチ音楽祭を開催。
ミュージカル・アメリカ誌よりMusician of the Yearを受賞。
2002年、第1回マルタ・アルゲリッチ・プロジェクトをルガーノにて開催。
2005年、第17回 高松宮殿下記念世界文化賞(音楽部門)を受賞。若手音楽家の育成等に寄与したとして旭日小綬章を受章。