東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成20年6月6日(金曜日)

「6月」=夏です。もう「6日」経ちました。
あまりに時間の経つその早さに恐怖さえ感じます。

木々の若葉のいろ緑がますますあざやかになり。
まさしくも
初夏の「空色」になってきました。
ミルクのはいったコバルトのような
空色です。

あさの04:00AMころはほのかにくらくあおく
しだいに
そらがラピズラズリからトルコ石にうつろうように。
そらがしらんできます。

初夏をまつ大気からは。
「まだ本物の夏ではない」ことが
良くわかります。

野路はたにつるつたはわせ
草面(くさおも)咲ける
ひるがおの花ありてめずらしき
いざいまこそは
みどりよき季節にあらん
ふと空をみる

早朝(はやあさ)は
いまだはだのさむけれど
ぬくもりのあさ陽のありがたき
あゆむごと陽はたかくなりけり
葉木は樹木にかわりけり
そがみちをあかるくてらせ
あじさい花

あじさいの花にバトンタッチ。

道端の野草の花もかわいらしい。
春夏秋冬の
前奏曲の旋律が聞こえます。

うめの実うめの木たわわなり
みどりぎいらかにかぜはやみ
なつかぜひるむやうつろひの
ひとのつきひもはやいくとせ

地にも木にも
みどりの葉ひらき
みどり木ときわ木ひろがりて
いふことのなし
ゆたかなりけり夏

今年の春初夏の早朝は異常な寒さです。

気象予報で
「明日は暖かくなる」と聞いても
朝は寒いです。
「毎朝寒い」。
寒いと首都高の自動車も
「寒そうな運転の車」が多いです。

それでも「夏はきぬ」。

私は寒い新潟の寒村の百姓のうまれです。
毎朝03:15amには起床致します。

睡眠時間は「4時間」。

朝の病院への移行に車をつかいます。
まっくらです。

朝5:00am前に東京 都 世田谷 区 山本クリニック
の明かりがともります。

真っ暗な中で。
病院の事務局と病院の診察室との
往復はとても気温が低いと
とてもくつらいです。

朝の日の出前までの間は今日御来院される患者さん
の「診療録:カルテ」のチエックと
朝の申し送りの準備です。

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ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
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平成20年2月11日(月曜日)
は祝日です。

「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

は終わりました。

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平成20年3月20日(木曜日)
は祝日です。
けれどもこの日は「もともと「休診日」」
なのです。

平成20年3月20日(木曜日は
休日診療は行いません。
は終わりました

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平成20年
4月29日(火曜日)はおわりました。
5月 3日(土曜日)はおわりました。
5月 5日(月曜日)はおわりました。
「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

但し
5月 6日(火曜日)は「お休み」
を頂きました。

5月7日(水曜日)より定常どおり
の診療を行っています。
7月21日(月曜日)は
「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

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★★★

今年の冬・春はインフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円
2回法=7.000円
です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

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2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。

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成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

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入学式。桜の花。
インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。
再び
「寒さ」で
体調を崩される方が多いものです。
私はこの冬・春は「厳・春」になり極めて寒さが
激しいと思います。

このような今年の冬場や春はインフルエンザが
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

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草木の周りは。
少しずつ「春夏秋冬」の「四季」を
あゆんでいます。

梅咲き・スミレ咲き。桜咲き。
木々の萌黄から。
眼に青葉。山ほととぎす。そして夏・秋・また冬
がやってくる。

「地球温暖化による大気温度差の拡大」で
体調を崩される方が多いものです。
私はこの冬は「厳冬」になり極めて寒さが
激しいと思います。

このような今年の春・冬場はインフルエンザが
大流行するおそれが強い。

難易度の高い「病態」をお持ちの
患者さんが増えています。
難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら。

私 院長の山本博昭と
東京都 世田谷区 山本クリニックの
「全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが。

「良くなられていく」笑顔に。

心より感謝・感謝。

「今日は何の日」は
画面に近づいて見ると、
素早い筆の運びで荒々しく描かれた
タッチにしか見えない画が。
少し離れたところから眺めると、
写実的な衣服のひだに見える
近代の印象派にも通じる
油彩画の卓越した技法の持ち主。

世紀の大画家。
大画家エドゥアール・マネをして
「画家の中の画家」と呼ばしめた
大画家。

1599年 - ディエゴ・ベラスケス、画家(+ 1660年)
の生誕日です。

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ディエゴ・ベラスケス
(Diego Rodriguez de Silva y Velazquez,
1599年6月6日 - 1660年8月6日)はバロック期のスペインの画家です。

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ディエゴ・ベラスケスの生涯

大画家エドゥアール・マネがディエゴ・ベラスケスのことを
「画家の中の画家」と呼んだベラスケスです。

スペイン絵画の黄金時代であった17世紀を代表する巨匠です。

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ディエゴ・ベラスケスは。
スペイン南部の都市セビリャに生まれました。

11歳頃に当地の有力な画家で義父でもある
フランシスコ・パチェーコに弟子入りしました。

17世紀のスペイン画壇では、
厨房画(ボデゴン)と呼ばれる室内情景や静物を描いた
絵画
が多く制作されていました。

宮廷画家になる前のベラスケスも
この厨房画のジャンルに属する作品を描いていました。

『卵を料理する老婆と少年』
(1618年)などがその代表作です。

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ディエゴ・ベラスケスは
1623年、国王フェリペ4世付きの宮廷画家となりました。

以後30数年、国王や王女をはじめ、宮廷の人々の肖像画、
王宮や離宮を飾るための絵画を描きました。

美術愛好家であったフェリペ4世は、
ベラスケスを厚遇し
、画家のアトリエにもしばしば出入りしていたという
ことです。

当時、どこの国でも。
本邦でもそうですが。

画家という職業には
「職人」としての地位しか認められませんでした。

フェリペ4世は晩年のベラスケスに
宮廷装飾の責任者を命じ、
貴族、王の側近としての地位を与えていました。

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ベラスケスの作品では、
画面に近づいて見ると、
素早い筆の運びで荒々しく
描かれたタッチにしか見えません。
ところが
少し離れたところから眺めると、
写実的な衣服のひだに見えるのです。

このような、近代の印象派にも通じる
油彩画の卓越した技法が、
マネらの近代の画家がベラスケスを極めて
高く評価したゆえんであると
今の私は考えます。

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エドゥアール・マネ
エドゥアール・マネ
(Edouard Manet, 1832年1月23日 - 1883年4月30日)は
、19世紀のフランスの画家です。
ギュスターヴ・クールベと並び、
西洋近代絵画史の冒頭を飾る画家の一人です。

マネは1860年代後半、パリ、バティニョール街の
「カフェ・ゲルボワ」に集まって
芸術論を戦わせました。

後に「印象派」となる
画家グループの中心的存在であったのです。
しかし、マネ自身が印象派展には
一度も参加していないことからも
分かるように。

近年の研究ではマネと印象派は
各々の創作活動を行っていたと考えられています。

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ディエゴ・ベラスケスの代表作
1・
『ブレダの開城』

ブレダの開城 1634-1635 プラド美術館王の離宮の
「諸王国の間」という大ホールを飾るために
描かれた戦勝画です。

1625年、
ネーデルラント南部の要塞ブレダにおけるスペイン軍の戦勝を
記念して制作されたものです。

敗れたブレダ守備隊の指揮官ユスティヌス・ファン・ナッサウ
(オラニエ公ウィレム1世の庶子)が、
勝者であるスペイン側の総司令官アンブロジオ・スピノラに
城門の鍵を渡そうとする場面が描かれています。

戦勝画では敗軍の将は地面に膝をつき、
勝者はそれを馬上から見下ろすという構図が普通でした。

この『ブレダの開城』では、敗軍の将ユスティヌスと
勝者スピノラは同じ地面に対等の位置で立っています。

温和な表情のスピノラは、
まるで長年の友人に対するように
敗者ユスティヌスの肩に手を置いています
(ちなみに両者は1601年に
ニューポールトで対戦したこともある)。

スピノラの傍らに大きく描かれた馬は、
彼が敗者に敬意を表するために
わざわざ馬から下りたことを示しています。

このような、勝者側の寛大さを
二重三重に強調した表現は、
敗者に名誉ある撤退を許した
スペインの騎士道精神の勝利を表したものといわれています。

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ディエゴ・ベラスケスの代表作
2・
『教皇インノケンティウス10世』

教皇インノケンティウス10世 1650
ローマ、ドーリア・パンフィーリ画廊蔵

1649年、ベラスケスは2度目のイタリア旅行に出かけ、
ローマに2年ほど滞在しています。
この間に描かれた教皇インノケンティウス10世の肖像は、
カトリックの最高位にある聖職者の肖像というよりは、
神経質で狡猾そうな一人の老人の肖像のように見えます。

国王、教皇から道化師まで、
どのようなモデルをも冷徹に見つめ、
人物の内面まで表現する筆力はベラスケスの
特長がいかんなく発揮されています。

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ディエゴ・ベラスケスの代表作
3・

『鏡のヴィーナス』

鏡の前のヴィーナス(1648-51)ナショナルギャラリー 
1650年頃 ロンドン、ナショナルギャラリー蔵
上記『教皇インノケンティウス10世』と同じ頃に描かれたもので、
カトリックの伝統の強い当時のスペインでは珍しい裸婦像です。

1914年、婦人参政権論者の女性によって、

背中から尻に渡る7箇所がナイフで傷つけられました。
現在もかすかに修復の痕が見えます。

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ディエゴ・ベラスケスの代表作
4・
『ラス・メニーナス』(女官たち)

女官たち(ラス・メニーナス)
1656 プラド美術館
フェリペ4世の王女マルガリータを中心に侍女、
当時の宮廷に仕えていた矮人(わいじん)などが描かれ
、画面向かって左には巨大なキャンバスの前で
まさに制作中のベラスケス自身の姿が
誇らしげに描かれています。

中心の王女マルガリータを含め、
画中の人物は鑑賞者の方へ視線を向けています。

、何かに気付いて一瞬、
動作を止めたようなポーズで描かれています。

その「何か」は画面奥の壁に描き表された
鏡に暗示されています。

この小さな鏡にぼんやりと映るのは
国王フェリペ4世夫妻の姿です。

この絵の鑑賞者の位置に立って
画中の人物たちを眺めているのは
実は国王その人です。

この絵は、
国王の夏の執務所の私室に掛けられていたということです。

画中のベラスケスの黒い衣服の胸には
赤い十字の紋章が描かれています。

これは、サンティアーゴ騎士団の紋章であり。
ベラスケスが国王の特段のはからいで
同騎士団への加入を果たし、
貴族に列した1659年(死の前年)に描き加えられたものです。

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ディエゴ・ベラスケス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A8%E3%82%B4%E3%83%BB%E3%83%99%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%82%B1%E3%82%B9

ディエゴ・ベラスケス(Diego Rodriguez de Silva y Velazquez, 1599年6月6日 - 1660年8月6日)はバロック期のスペインの画家。

生涯
マネが「画家の中の画家」と呼んだベラスケスは、スペイン絵画の黄金時代であった17世紀を代表する巨匠である。

スペイン南部の都市セビリャに生まれ、11歳頃に当地の有力な画家で義父でもあるフランシスコ・パチェーコに弟子入りした。17世紀のスペイン画壇では、厨房画(ボデゴン)と呼ばれる室内情景や静物を描いた絵画が多く制作されたが、宮廷画家になる前のベラスケスもこの厨房画のジャンルに属する作品を描いていた。『卵を料理する老婆と少年』(1618年)などがその代表作である。1623年、国王フェリペ4世付きの宮廷画家となり、以後30数年、国王や王女をはじめ、宮廷の人々の肖像画、王宮や離宮を飾るための絵画を描いた。

美術愛好家であったフェリペ4世は、ベラスケスを厚遇し、画家のアトリエにもしばしば出入りしていたという。当時、画家という職業には「職人」としての地位しか認められなかったが、フェリペ4世は晩年のベラスケスに宮廷装飾の責任者を命じ、貴族、王の側近としての地位を与えていた。

ベラスケスの作品では、画面に近づいて見ると、素早い筆の運びで荒々しく描かれたタッチにしか見えないものが、少し離れたところから眺めると、写実的な衣服のひだに見える。このような、近代の印象派にも通じる油彩画の卓越した技法が、マネらの近代の画家がベラスケスを高く評価したゆえんである。